大震災&原発事故の一端を実見・(アセンション時局’11)
[2011年
4月30 日(4月28日撮影)]
・小名浜漁港(福島県いわき市)
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・同漁港ゴミ集積場(同)
・久之浜漁港手前の道路・左側(同)
・久之浜漁港手前の道路・右側(同)
・国道6号の標識(福島県広野町)
・立入り禁止区域手前(同)
【解説】
茨城県北部からクルマで福島県(いわき市)に入り、国道6号に沿う海岸寄りの道を、行けるところまで走ってみました。
いわき市は今回地震の震央から南南西に、約160から200キロの範囲にわたっており、津波は海岸線に対して斜めに打ち寄せたと考えられます。
その場合、海岸線に出入りが少なく直線に近い場合は津波被害が比較的軽微であったのに対して、僅かでも凹凸がある複雑な地形の箇所では甚大な被害が見られました。
一般に後者の地形を持つ場所は、大型津波を考慮しなければ漁港の適地でもあるので、実際に漁港とその周辺の住宅地で激甚な被害が見られました。
一方、地震自体による建物の倒壊等は、もともとの地盤が軟弱で陥没したり、ズレが起こったりした場所に限定されているようでした。
日本でも有数の漁獲高を誇ってきた小名浜漁港は、震災から間もなく2ヶ月になるこの時点でも、岸壁に打ち上げられたり港内に首を突っ込んだりした大型漁船が放置されたままで、周囲に人影もなく復興への兆しは見られませんでした。
同時に、レストランや店舗などがあった付帯施設の周囲は、何台ものクルマを含むゴミの集積地となっており、こちらも放置されたままになっています。
原発による海洋汚染の追い討ちに遭って、出漁がままならない状態では、復旧への意欲も湧かないのではないでしょうか。
いわき市北部の久之浜(ひさのはま)漁港は、海岸線から突き出した小さな半島の北側に造られたことがアダになって、漁港へ降りていく道路周辺の住宅地は、まるでゴーストタウンでした。
その先の道路は封鎖されていて漁港自体を見ることはできませんでしたが、おそらく小名浜漁港を上回る惨状になっているのではないでしょうか。
このエリアには人が住んでいる気配もなく、完全に放置されているように見えました。
漁業従事者の高齢化や福島原発の影響も考えれば、こうしたエリアの被災者支援は、旧来の復興パターンとは完全に異なる方式を生み出す必要があると改めて痛感しました。
久之浜を離れて国道6号を北上すると間もなく広野町に入り、しばらく進むと電光掲示板が目に入りました。
「第一原発20キロ圏内」と「警戒区域設定
立ち入り禁止」が交互に表示されます。その先のカーブを曲がると、間もなく想像していた通りの「検問所」に到着し、その先は許可を受けた車両以外は入れないことになっています。
ここに至る前に同方向に進むクルマは段々と減ってきて、この地点では他の一般車は見当たりませんでした。
ここで左折して常磐道の広野ICから南下するか、Uターンして国道6号を引き返すかの選択がありましたが、後者を選びました。
ちなみに常磐道は、広野ICの北側は第一原発に近い常磐富岡ICまで開通していますが、この区間は閉鎖されています。
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