イナンナの真実

 

V.S.ファーガソン 著

小 松 英 星 

 

4.晩餐

 

イナンナはキャンドルが灯されたテーブルでジェーランと向かい合った。彼女は彼の眼に頼りなげな視線を落としながら、同時にグラシーとクラリッサの様子をモニターしていた。イナンナは散々迷った挙げ句、透けた夜服とそれに合う宝石を身につけることに決めたのだ。彼女は華麗そのものだった。そして実のところあまり空腹ではなかったけれど、そのディナーのメニューは食欲をそそるものだった。イナンナは、ジェーランほど完璧な人物を想像することができただろうかと密かに考えた。そうだ、このところ何でもうまく行っているから、きっと例の壁がとうとう持ち上がったのだ。

ジェーランはイナンナを、自分の宇宙船に乗せてすばやく連れ出したのだ。決まった形というものがないその乗り物は、どんな意味でも機械的な制御装置はなく、彼の心の指令だけに従うようになっていた。それは固体であって固体でなく、ジェーランの思考によってその形や速度を変えることができた。彼はユニークなレストランがある近くの惑星の衛星に、イナンナをいざなうことにしたのだ。そのレストランは地下にあって、ひいきの客の注文に応じて内部をホログラムとして自在に装うことができた。上空からその衛星を見ると無人で不毛の地のようだが、内部には手の込んだ地下トンネルがあり、この宇宙で想像できるかぎりの食事の嗜好が、豪華さと幻想の奥深い網細工のように誇示されていた。

ジェーランはイナンナのために、惑星地球の初夏の時期を選んでおいた。彼女のいとこのマルドゥクが地球を占領して(上空の保護幕を保持していた)神殿群を破壊する前の、かつて心地よく暮らした親しみ深い環境に、イナンナが満足してくれるだろうと彼は思ったのだ。

「ジェーラン、ここはすばらしいわ。まるで以前の故郷のよう。あなたはなんて想像力が豊かなんでしょう」

イナンナが周りを見ると、ヒヤシンスやジャスミンの花壇が吊り下がっており、床にはラピス・ラズーリやトルコ石が敷き詰められ、金色に塗られたライオンの彫像の列があった。彼女とジェーランは高いクジャク石の円柱に囲まれた開放的な席に着いていた。空気はやわらかく、暖かくて心地よい香りが漂っていた。ジェーランが純白のテーブルクロスを越えて彼女の方に手を差し出したとき、月光が二人の恋人をやさしい光輝で浸した。

「僕に何ができるにせよ、君が喜んでくれるなら僕は幸せだよ、美人さん。僕らはひとつになるんだ――ひとつの心ひとつの意思にね」

何年もの間で初めて、イナンナは女学生のように顔を赤らめた。彼女には彼が言うことは本当だとわかっていた、ひとつになる定めなのだと。彼女のこの感触は彼女を変えようとしていた、すべてが彼女には新鮮だった。完全に自分の内部だけで幸せを感じることを彼女は学んでいたが、今度は彼女が積み上げてきた自己を他人と分け合おうとしているのだ。

「ところでイナンナ」ジェーランは本題に入った「僕は君に一緒に我が家へ来て欲しいと思っている。その途中で、この数銀河年間、僕が事実上の財政と交易の大臣を務めていた惑星ヴァルセゾンに立ち寄ることにしたい。僕の惑星へ戻る前に、いくつか仕上げたい用事があってね。きっと君にはそこでの体験が楽しいものになると思うし、同行して欲しいんだ」

「ヴァルセゾンですって! この銀河全体で最高のチョコレートが作られるところよ。若いころ何度も賞味したことがある。私の曾祖母のアンツは、大事なパーティーではヴァルセゾンのチョコレートだけを出したものだわ。ぜひそこへ行ってみたい」イナンナは興奮して応じた。

「実際に僕の惑星の次元の波動に入る前に」ジェーランは説明した「君の現在の細胞構造をいくぶん変化させる必要があるんだよ。正直に言って、君にはその修正の準備ができていると思うし、その程度の微調整なら大して困難はないと思う。君を傷つけるようなことは決してするつもりはない。実は、長いあいだ大いに興味を持って君の人生を見守ってきたんだよ」

おおいやだ! イナンナはたじろいだ。何てこと、彼は私のことを何でも知っているんだ。別れた夫や恋人たちのことすべて、それに私が地球で遂行した恐ろしい戦いの数々のことも。テレパシーもいいことばかりじゃないわけね! 

「心配しなくても大丈夫だよ、淑女様。僕は君がやった冒険によって君を評価したりはしない。僕が言いたかったのは最近の君の勇気のこと、それに君の多次元の分身たちを助けて、彼らの隠れていたDNA の活性化に成功したことなんだ。僕自身もそうした勉強の過程に巻き込まれてきたし、似たような状況を体験してきたんだよ。こうしたことは決して珍しいことじゃない」

「そうなの?」イナンナは驚いたように問い返した。彼女には、銀河同盟の他のメンバーに、DNAを操作して一種族の全人口を奴隷労働者として使うようにするほどの愚か者がいるとは信じられなかった。彼女の一族の行為は無責任だったし、とりわけいとこのマルドゥクほど邪悪で手におえない者は、この宇宙で他にいないことは間違いないのだ。

「そうなんだよ君、暴虐行為を経験することはこの宇宙でごく普通のことだ。根本創造主の創造神たちが最終的な結論に達する過程で、時には利己的で気まぐれな思いつきに走るのを誰が止められると思う? 彼らも体験を通じて学ぶしかないのだから」

「結局のところ全ての暴君は、自分の道程に現れるあらゆる出来事や人物をコントロールしたいという圧倒的な願望を超越したときに進化する。人生は誰にとっても壮大な冒険で僕も君のように行動してきたし、君は人生へ強い情熱を持っているから、それだけいっそう君を愛しているんだよ。とりわけ君が、人類の運命を心に取り込んで、その救助のために献身している勇気と邁進する姿勢が僕は好きなんだ」

「そして私のためにもね」イナンナは言った。「私たちを取り巻いて進化を妨げているには、私の分も含まれていることを忘れないでね。私は、退屈があれほど恐ろしいものとは知らなかった。二度とその経験はしたくないわ」

ジェーランは彼女に微笑んだ。「そう、根本創造主は停滞が好みじゃない。人生の川はいつも動いていて、永遠に外へ向かい、前に向かって流れ、そしてその源へまた帰ってくるんだ。人生経験の無限の喜びの種は、根本創造主に、いつも隠れていてと合図することから生まれるんだね。永遠にそれとかくれんぼ遊びをしているうちに、源は自分の創造物の中で道を失ってしまう――そしてまた思い出すんだね」

イナンナは次第に和らいできた。彼の言葉は、これまで聞いたどんな音楽よりも耳に心地よく響いた。彼は、彼女がそれまで夢想することができた全てを持っていたし、それまで知っていた誰よりも聡明だった。彼女はこれ以上の幸せはないと思った。

ジェーランは彼女の手を優しくなでながら言った、「それで美人さん、僕の家まで一緒に来る?」

「ぜひそうしたいわ」

「よしそれで決まった。さて何を食べようか?」

 

 

マイケルは早朝の陽光の中で、別の時空から出現した戦士の姿に、一瞬おののいた。しかしよく見ると、それは、かつて土星の先を周回している巨大な母船に乗せてくれた、例の司令官だとわかった。

マイケルは、その幻影に対して語りかけた。「約束は守りましたよ――あなたに会いにここへやって来ました」

司令官は答えた。「私はあなたの友達だ、そしてあなた自身でもある。ここでは別々の存在のように見えるが、別の次元では私たちはひとつなのだ。私を恐れないで欲しい、恐れる必要はまったくないのだから。私はあなたの進化を助けるため、そして、あなたを通じて、人類の進化に仕えるためにここにいる」

マイケルは畏敬の念を持ったが、恐れはしなかった。彼は、その母船で司令官がどんなに親切だったかを覚えていた。そして彼の美しい奥さん、つまりガーネット家の令夫人は、こんなすばらしい朝どこにいるのだろうと思った。彼女の髪は赤銅色だったので、恋人のクラリッサを思い起こさせたのだ。

司令官は話題を変えた。「マイケルあなたは、人類が、生と死や喜びと苦しみの、そして貪欲な暴君のとめどなく破壊的な戦争などの、果てしない繰り返しを、どういういきさつで耐え忍ぶようになったのか不思議に思ったことはないのかね? 物質界の制約から自分自身を解き放つことを望んでいるのに、どうして進化することがあなたの種族にとってこれほど難しくみえるのか、疑問を持ったことはないのかね?」

「はい、私はこれまで人類の拘束状態への答えを探してきましたが、結局見つかりませんでした」マイケルは言った。

「それなら私が、ビジョンをあなたにあげよう。座った方がいいよ。これから、あまりにも長く秘密にされすぎた、あなた方の歴史の一こまを見せてあげよう」

司令官がマイケルの心の眼を開くと、彼らを取り巻く古代の廃墟が、ホログラム的な記憶にかぶさっていた覆いを取り去った。すると上空には、さまざまなサイズと形態を持つ宇宙船が多数いて、それらがマチュピチュから離着陸を繰り返していた。奴隷たちの長い列が、それらの宇宙船に金を積み込んでいた。監視者は人間ではなく、皮膚が薄青色か鱗状の薄緑色の、異星人の混血のようだった。彼らは、金とラピスの飾りがある濃紺の軍服を、堂々と着こなしていた。それらの異星人は、囚人たちに表向き残忍な様子はなく、むしろ奴隷たちが、その果てしない骨折り仕事以外の生きるすべをまったく知らないかのように、ただ従順に働き続けていた。自分たちの創造者に奉仕することが、彼らの唯一の人生体験だったのだ。このように限定的な生き様を目の当たりにして、マイケルは身震いした。

司令官は次に、別のビジョンを彼に見せた。心の眼の中でマイケルは、地球のサバンナで捕らえられた野生の直立原人の男が、遺伝子実験室に拘束されているのを見た。捕獲者たちは、彼の遺伝子を、プレアデスとシリウスに由来する異星人の遺伝子と融合させようとしていた。マイケルは、これらの遺伝子操作の産物が、純粋にそれら異星人に仕えるように企図された、完全な労働者の原型になることを見て取った。この奴隷種族は、大気が枯渇しかかった人工惑星ニビルで必要とする、金や他の貴金属を抽出するための採鉱に従事させる目的で創造されたのだ。

そうだ、すべて真実なのだ、とマイケルは思った。彼や人類のすべては、この銀河の外縁部にある採鉱植民地で、労働力として繁殖させられた奴隷労働種族以外の何者でもないのだ。マイケルは、こうした信じがたい話を、本で読んだり人々が論議するのを聞いたことがあったが、それを実際には信じていなかった。それはあたかもUFOのことを、自分自身が誘拐されて新しい友人であり助言者でもある司令官と共に母船の通路を案内されるまでは、本当は信じていなかったのと同じだった。

マイケルはため息をついて大きい石に座った。

「その通りなんだよ。それは耐えがたい真実なのだ」司令官が答えた。「しかし今は変わる時、あなた自身を解放する時だ。そうすることによって、あなたはこの惑星じゅうに真実を伝えるのに貢献することになる。真実には、眠っている遺伝コードを活性化する力があるのだ。それを認識したとき、多数の人が暴虐のかぎ爪からこれ限り縁を切り始めるだろう。これが、あなたにここへ来るように頼んだ理由だ――隠された歴史を、あなたの惑星のこの太古の地で、あなた自身に体験してもらうために」

「マイケル、あなたはあなたのからだ以上の者、この傷つきやすい肉体や血液以上の者、そしてあなたを創る素材になったこの豊かな地球以上の者だ。あなたは根本創造主の一部で、私の一部でもある。あなたがそう選択するなら、あなた自身のDNAを再活性化することができるし、この惑星全体が進化への本来の道筋に戻るすべを見つけるのを手伝うことができるだろう。必要なだけあなたは強くなることができ、あなたの中にある暴虐の連鎖を克服することができる。そして私は、あなたが望みさえすれば、あなたを助けるつもりだ」

マイケルは立ち上がって、円を描くように歩き始めた。彼は、あまりにも多くのことを一度に感じ、怒りと忘我のただ中にあった。彼のからだは、エネルギーで燃えるようだった。彼は、寒く青い空をじっと見つめながら、握りこぶしを高く上げて悲痛な咆哮をあげた。彼の声は、古代廃墟の空虚な壁の間を通り、下方の無言の谷に降りてこだました。魂の奥底から解き放たれたその叫びとともに、マイケルは、これまで希望を失ったことのある人類すべての男女の化身となった。そして、その叫びが消えていくにつれ、マイケルは変わった。彼のすらりとして強靭で若々しいからだが変容し始め、黄金の光が彼を包んだ。

マイケルは冷たい地面に倒れ、そのからだは急速に変容していた。一瞬のあいだに彼は、彼が地球で過ごしたすべての人生と、他次元で別の形態で経験した全人生を回想した。彼は、自分が拘束された奴隷で、むちで打たれながら巨大な石を引いているのを見た。また彼は、終始暴れまわる非情な軍隊にいて、血で血を洗う争いを味わった――兵士として村を焼き、男を殺し、女を強姦した。

心の眼で彼は、小さな農家で生身の自分自身を、愛する女と子供たちも一緒に、焼いているのを見た。彼はまた別の戦、別の軍隊を生きるというサイクルの中で、愚かしい忘却を何度も繰り返すのを観察した。彼は戦争犠牲者であり、時には戦勝者だった――どちらの体験も空虚で何の感興も残さなかった。

一つの人生から次の人生へとマイケルは、生と死、情熱と悲哀のサイクルを果てしなく繰り返した――そして彼は、なぜだろうといぶかった。これらすべては何を意味したのか? なぜ過去の体験から学ぶことをしなかったのか? なぜ同じ失敗を何度も何度も繰り返したのか? 同じ過去を愚かに繰り返すよう、なぜ縛り付けられたのか?

マイケルは今や、この世界の何よりも、自分が変わることを望んでいるとわかった。そうでなければ自分の人生は――クラリッサとのことでさえも――彼がすでに完全に体験した、同じ悲しむべき徒労に終わる運命にあることを知った。

司令官は、その手をマイケルのほてった額に優しく当てた。「マイケル、一日のこととしてはもう十分だね。村へ降りて何か食べなさい。行って癒されるのがいい、そして私があなたを愛していることを忘れないように。今日のあなたの勇気への敬意は、ずっと持ち続けるよ。さあ行って、食べて元気になりなさい」

マイケルが肉眼を開くと、風の吹く小山に一人でいることがわかった。彼は勇気どころではなく、疲れて空腹だった。それにだんだん寒く暗くなりかけていた。からだに何が起こったのだろう? 違った感じがあった。混乱して精も尽きて、山を降りて行きながら彼は、今ならどんなものでもおいしいだろうと思った。


 

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