Q&A’04b1・「ガイア・アセンション」シリーズ
頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(04/02)性差(ジェンダー)をどう考えるか
(04/02)他者のために「意図する」ことは
(04/02)母の状態が心配
(04/02)占星の結果に一喜一憂
(04/02)性差(ジェンダー)をどう考えるか
(Q)はじめてお便りします。Nと申します。
いつも貴サイト楽しく拝見させて頂いています。
最近感じていることで、疑問に思うことがありますので、質問させてください。
先日の『読売新聞』に高校生意識調査の結果が載っていました。
それによると、日米中韓で行われた「高校生の生活と意識に関する調査」で、日本の高校生は「男は男らしく」「女は女らしく」といった性差意識が突出して低いとあります。
調査は、文部科学省所管の財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」によって、昨秋、4か国の各1000人余りの高校生を対象になされたもの。
日本が特異な値を示したのは、「女は女らしくすべきだ」との設問で、肯定した人が28・4%しかいなかった。
同じ問いかけを米国は58・0%、中国は71・6%、韓国は47・7%が肯定した。
「男は男らしく」も、日本で肯定したのは43・4%(米63・5%、中81・1%、韓54・9%)で、4か国で唯一半数を割り込んでいる。
また、「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対する肯定も、日本は33・3%(米52・0%、中75・0%、韓73・8%)と著しく低くなっている。
目立つのは、日本の女子高校生の意識。
とくに「女は女らしくすべきだ」と「結婚前は純潔を守るべきだ」が極端に低いこと。
他の国ではすべて、男性より女性の方が高い数字を示している。
記事は「近年の男女共同参画社会の推進により、日本の若者意識が影響を受けたと見られる」と解説しているが、間違ったジェンダーフリー教育と即物的な性教育の「成果」といえるようです。
ジェンダーフリーに基づく教育、施策が、学校や多くの社会の場面で、目立ってきている気がします。
男女の違いを一切認めないような極端なものまであります。
男女による差別は問題ですが、性差からくる必要・当然な区別はあると思うのですが。
地球における、人間の性別(男女として生まれること)、男女の感情の違い、そして、性同一性障害の人、この先どのように考えるのが正しいのでしょうか。
少なくとも現在の私自身の感情としては、男女差を否定するジェンダーフリーは異常であり、人間の意識の進化とは程遠いもの考えています。
(A)性差は、日本に限らず全世界的に、実際問題として大いにありますよ。
ことアセンションに関しては、男性は女性に対して、2周も3周も遅れており、しかも、ほとんどの男性がそれに気付いていない、という状況があります。
これが、ごく一部のネイティブを除いて、地球人類に最も特徴的な男女の違いです。
けれども、あなたの質問の主旨は、このことではないでしょうから、まずそちらから行きましょう。
ご質問の中に、きちんと定義されていない言葉が、いっぱい出てきますね。
例えば、アンケートの「女らしい」や「純潔」、あなたが使う「ジェンダーフリー」などです。
アンケートの主宰者を始め関係者の全員が、それと知らずに、言葉の遊びに振り回されている感じがします(このアンケートを企画したのは、間違いなく男性でしょう)。
「女らしい」という言葉1つをとっても、民族や宗教によって、その中味自体に大きい違いがあるはずです。
また、(国、民族そして宗教などに関係なく)個人によって大差があるでしょう。
そうした状況に何も配慮しないで、設問や選択肢が作られ、回答者も同様に答えを選んでいく---。
こうしたアンケートによって得られるものは、人類社会が「先天的に」抱えている混迷を、更に上乗せする以上のものではないと思います。
そもそも、比較対照する相手が間違っています。時代の流れが読めていないので、こういう選び方をするのでしょう。
現在私たちが見ている、男性原理が支配的な社会は、人類を支配しコントロールする仕掛けの一環として、ヤミ勢力によって捏造(ねつぞう)されたものです。
抗争が絶えない不安に満ちた社会こそ、ヤミ勢力やその配下の者たちが、恐怖心を利用して人類を自在に操るのに最も都合がいいものです。
そのためには、社会の主役は男性で「なければならない」のです。
この人類本来のものでないインプラント(埋め込まれた仕掛け)が、命脈を保っています。
その状況のもとで、男性たちは、「男らしく」戦い、働き、妻子を養わなければならないと教えられ、その通り思い込んできたのです。
例えば、先進国での典型的な姿として、「企業戦士」として自分の人生のほとんどを投入しています。
仕事や会社に縁のないことには関心が向かないまま、底流で何が起こっているのか気が付かない。
というよりも、仕事に連動して情報も課題も山のようにあって、それを消化するだけで「充実した」毎日が過ぎていく。
そこは、情報や論理が支配している領域であるために、いっそう情報を求め理屈をこね回す。
それが、社会において優位に立ち成功するための要諦だと固く信じて---。
しかしこの、抗争を原理とするパラダイムでは、常に勝者と敗者が生まれ、勝者といえども前途の保証は何もないのです。
まして、先進国のほとんどでバブル的経済成長が終えんした現状では、これまでの仕組みが通用する余地は、ほとんどなくなっています。
そこで、男性たちの多くは、自意識だけが空回りする状態となっているのです。
日本の若い男性たちの状況は、もっと深刻です。
将来の展望が開けない中で、ひたすら外に答えを求めようとする。
そして、メディアやコマーシャルやエンターテイメントに翻弄され、ネットサーフィンで更に混乱に陥る---これが典型的な姿でしょう。
一方、女性たちは、もっとクールに現実を見て、感覚的に時代の底流をとらえ、そこから未来を探ろうとしています。
古いパラダイムの崩壊と、時代が転換しつつある兆しを、意識的に、または無意識的に察知しているのです。
そして、そうした男性たちのあり方が、本物でないことを見抜いています。
少なくとも精神的には、できれば経済的にも、男性に頼らないで生きていかなければならないと感じています。
この状況のなかで、若い男女が「生物学的に」結びつくことができたとしても、お互いの現実認識のギャップが大きすぎて、調和的な相互理解に基づく建設的な関係に発展する余地は、たいへん少ないといえるでしょう。
これは、若者たちに固有の問題ではなく、この桎梏から脱出するには、社会の全てが、状況の正しい認識をベースにして、変わっていかなければならないのです。
性差(ジェンダー)の実体としては、基本的に、男女を問わず誰でも、男性エネルギーと女性エネルギーを持っています。
そして、男性は男性エネルギーの比率が大きく、女性はその逆になっています。
これは、相互補完的な関係で、正しく「運用」できれば、貴重なものです。
また、それほど多いケースではありませんが、この比率関係が逆転している人がいて、いわゆる「性同一性障害」として発現することがあるわけです。
アセンションの過程では、1人ひとりが男性エネルギーと女性エネルギーのバランスをとることが求められるので、今後は社会全体として、相対的に女性エネルギーが大きいウエイトを持つようになるでしょう。
男女の違いを強調することは、あまり意味を持たなくなってきます。
これは、男性原理が支配する時代が終えんして、次の時代に向けて社会が変わっていく、避けることができないプロセスで、望ましいことです。
この意味での先進国は北欧諸国で、日本は(アンケートで比較対照に選んだ国々と同様に)最後進国に近いでしょう。
そのことに、男性たちの多くは何も気付いていないし、考えようともしないようにみえます。
いっぽう女性たちは、この社会状況を肯定的にみているわけではありません。
このように、男女の意識が、最もちぐはぐになっているのが日本の社会でしょう。
表面から見えるものとは裏腹に、男女の力関係は既に逆転しています。
女性は自立を志向し、男性は、何をやっても少しも前進させられないことを、事実として認めざるを得ない---。
その片鱗が、当の高校生を対象にしたアンケートの結果に出ているとみれば、あながち無意味な企画だったとは言えないかもしれません(真の先輩である北欧と比較すれば良かったのに)。
同時に、未来の日本は、もっと希望が持てるものになりそうだともいえます。
(04/02)他者のために「意図する」ことは
(Q)「意図のアセンション・パッケージ」で意図する事項や内容については、限定せず独自のものを補足することを勧めますと書かれていますが、自分自身以外(家族などの縁者)のことを加えて意図してもよいでしょうか。
たとえば「私は○○さんが、今生で完全な・・・・・を意図します」という具合にです。
人それぞれの選択によって、それぞれの道を進んでいくことになっていると思いますので、たとえ家族であってもそうすることは、自分の自己満足を満たすだけなのではとも思います。
つい、孫とかが体調を崩した時など、回復を願う言葉を加えて意図しています。
(A)相手の状態を変えることを「意図する」のは、少なくとも本人の魂のレベルでの同意がなければなりません。
したがって、本人の目の前で(明白な、または暗黙の了解のもとに)あなたがやるのはいいでしょう。
若年者だからといって、魂が幼いとは限りません。
魂のレベルでのテーマは、あなたには解からないでしょう。
はたから見える以上に、いろんなことを考えて、それなりにやっているものです。
その状態を「受容する」のが愛というものです。
しかし、適切なアドバイスをすること自体は悪いことではありません。
近くにいなくてそれができない場合、本人の魂に、つまりハイアーセルフに語りかける方法もあります。
あなたの熱意と相手のタイミングによっては、うまくいくことがあるでしょう。
(Q)2年位前からガイア・アセンションシリーズを拝読させていただいております。
お忙しいところ大変恐縮ですが、表題の件について質問させて頂きたく存じます。
私の母が昨年の夏頃からひどく苦しんでいるのですが、その原因はどういうことで、今後どうやって乗り越えてゆけばよいでしょうか。
母は、以前10年間ほど新興宗教で勉強した後、数年前にその団体をやめて知り合いの方とA県の霊山に通うようになりました。
そして暫くして「神様」(?)らしき存在から霊感(?)を得るようになりました。
その内容は、「これから地球が新しい時代を迎えるにあたって、母に大事な役がある」という様なことだそうです。
そこまでは大して実害はなかったのですが、昨年の夏あたりからその「神様」からの鍛えというのか苛めがひどくなり、傍目にもその苦しみ方が尋常ではなくなってきました。
母の説明を聞くところによると、四六時中その「神様」が、
@嫌なことばかり話しかけてきたり、見せたりする(例=思い出したくない嫌な思い出をほじくり返す、野菜を食べても嫌いな肉の味をさせる)。
A身体を痛めつけてきたりする(例=突然飛び上がるような痛みを足などに感じさせる、喉を締め付けて死にそうな思いをさせる)。
B日常の些細なことに支障を起こさせてみたりする(例=料金足りてるのに自動改札でひっかからせる、家族との間で行き違いを起こさせる)。
など、あらゆる手で苦しめてくるようになったそうです。
1つひとつは些細なことですが、睡眠中の僅かな時間を除いて際限なく苛めが続くために、苦しみが極限状態に達してしまったようです。
そばで見ている私としては、いつ自殺してしまうかと不安な毎日です。
しかしその一方で、その「神様」から伝わってくる波動は1日1日と精妙化してきており、相変わらず「母に大事な役があるから苦しめるのだ」というようなことを言ってくるそうです。
また、私には理解できないのですが、母は自分ではどうしようも出来ないと言いながら、その「神様」と母自身が実はイコールなのが分かると言っています。(自分で自分を苦しめてるんなら、単にやめりゃいいだろって感じです)
以上のような状態で完全にお手上げなのですが、原因と対処法についてご指導をお願い申しあげます。
(A)問題があなた自身のことではないので、あなたが情報を得ても、ご本人がその気にならない限り、それによって解決できる可性は大きくないでしょう。
お母さんの心理状況は、下記の解答(A)の後半に書いてあることに近いと思います。
「Q&A'04」(04/01)《『知識の本』の勉強会をしているが》
そして、お母さんに影響を与えている存在は、お母さんのハイアーセルフではなく、「神」でもなく、高次元の存在でもなく、どちらかというと低次元の「悪霊」のような存在とみられます。いじめを楽しんでいるわけです。
高次元からのアプローチは、こういうやり方はしません(愛があり光があります)。
したがって、その存在を「神様」などと思っている間は、徹底的にもてあそばれ楽しまれることになるわけです。
すべての情報が一方通行になって、概念でも確信でも、自由自在に植え込むことができる状態です。
もともと心霊的なものに関心が強い方が、探求の過程で、このようなワナにはまることは少なくありません。
もっと地に足をつける(グラウンディングする)ことが必要なのです。
この状態から離脱するのに、「意図」を使うことができます、例えば次のように。
私は、私のアセンションの目標に寄与しない全てのカルマを、
どんな事どんな人との関係であっても、いま解き放ちます。
これに関係した全ての存在は、
直ちにわたしの領域から立ち去ってください。
これからは、私の目標をサポートする存在だけを、
私の領域に受け入れます。
これは、次に書いてあることの1部です。
アセンション・オンゴーイング[第12回]意図の「アセンション・パッケージ」
したがって、おわかりのように、あくまでも本人次第です。
ご本人が、体験であり学びの一部だとお考えなら、それは間違いだとは言えません。
(Q)いつも貴サイトを拝読させていただいています。
とてもお恥ずかしい話ですが、自戒の意味を込めてあえて質問させてください。
以前から占いが好きで、現在お付き合いしている方との相性を西洋占星術で調べてみました。
その時は良い相性と出たのですが、後で生まれた年が違うことに気づき、もう一度調べなおしたところ、悪い相性と出てしまいました。
その後もお付き合いは続いているのですが、精神的なショックが続いています。
その他にも風水や気学、姓名判断などの占いをナンセンスと見る人もいますが(もちろん完全にナンセンスなものもあります)、ある意味大昔から続く統計学でもあり、まったく信頼できないものではないと考えています(政治家によっては大切な決まりごとを占いに従って決定を下す人もいるくらいですので)。
なぜ今までの人は占いの「法則」に当てはまった人生を送る人が多かったのでしょうか。
新しい時代を迎えるにつれ、占いの中の「法則」はまったく意味をなさないものになるのでしょうか。
(A)いま、私たちが属する宇宙そのものの再構成が進行中なので、過去の占星術には何の意味もありません。
占星術でどんな卦(け)が出たとしても、すべて忘れてください。
もともと占いに頼る心情は、地球人類の抜き難い依頼心の発現の一部で、そのように操縦され埋め込まれたものです。
根源は、自分の外に「神」を求める傾向と同じものです。
占いの結果に一喜一憂するより、自分の感性を信じて行動する方がいいと思いませんか?
仮に感性が狂っていたとしても、どのみち人生はゲームであり勉強ですから、その意味で、すべての人間関係に何かしら裨益するものがあるわけです。
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