Q&A’08f2・「ガイア・アセンション」シリーズ

【目次】

(08/08) 基本的な質問


(08/08)
基本的な質問

(Q)こちらはすっかり真夏の気候となり、蒸し暑い日々が続いております。
日本も荒れた気候が続いているようですね。すべては宇宙の法則なのですが。

さて、「何をいまさら」と思われるような(そして、自分自身でもそう思っていますが)質問があり、ご連絡差し上げております。

二点ほどありますが、二点目は一点目の影響を受けているのではないかと感じております。

一点目は、まさに「いまさら」なのですが、家族や友人(特に家族)に対する執着(Attachment)についてです。

小松様のサイトにまとめてある、アセンションを意図するにあたっての心がけリストを何年も前に拝読し、プリントアウトして折々に読み返し確認しているのですが、最近、家族への執着が昔より強くなっているような気がしています。

その執着というのは、家族がアセンションなど全く気づいていない点にあると思っています。

自然に触れた心穏やかな生活に価値を見出す家族ではありますが、アセンションおよびその基本となる「愛」の思考にはあまり気づいておらず(と私は思っていますが愚考かも)、人並みに体調不良など体験しながら、生活の中ではテレビを見たりすることもあるようです。

家族への執着に変化が現れた理由のいくつかで思い当たるものは、甥や姪の出現、自分自身の加齢、両親の老い、などがあるかと思っています。

だからといって(兄弟姉妹の配偶者や子供を含めた)家族や両親に積極的に働きかけをするつもりはありません。

個々人に大切な気づきは最良のタイミングで訪れるものですし、周りの人間がどんなに思いやっても、結局それは私のおせっかいであると思うからです。

見守りながらも(Hope for the best という感覚)、なんとか気づいてほしいと気にしている(=執着)があると思うのです。

気にしている分、自分の鍛錬は疎かになっている気がします。

人に(言葉を使用してであれ思考を使用してであれ)説教する前に自分が見本となれるような人間になり、そんな自分が発する波動(究極的には愛の波動)を見てもらえればと思うのですが、スムーズに行かないこともあります。

二点目は、一点目の影響もあると思うのですが、最近、大都会を離れて田舎に暮らすのも悪くないとますます思い始めました。

私の実家がある地域(実家近くに帰ることなど以前は有り得ないことでしたが)は、幸いまだ田舎で土地や家屋も手の届く範囲です。

自分で父のように家庭菜園などもやってみたい、などと以前の自分では有り得ないことを考えたりするようになりました。

しかし、これはアセンションの流れから自然の中での生活を望んでいるのか、一点目の家族への執着によってそう思うのか、今のところ不明です。

以上、二点を説明して、質問はなんなんだ、という感じですが、家族への愛と執着の違いは理解しているものの、家族を大切に思い、家族も最善の状態でいてほしいという願い(これは恐れがベースになっている気もします)と執着を断ち切るというプロセスで少し感情面で混乱しています。

また時々、そんな自分を傲慢に思うこともあります。

これにもやはり、「私はアセンションとは無関係のすべての存在を手放すことを意図します」で対応できるでしょうか?

それとも、もっと具体的な要素を加えたほうがよいでしょうか?

また、家族のことを思うとき、自分のアセンションの意図が揺らぐことにも気づきました。

こんなことでは、「一斉の目覚め」で気づきを体験するかもしれない家族に逆に笑われるようなことになりかねませんが。

乱文・長文をお許しください。

 

(A) 拝見しました。

アセンションとそれに関連するプロセスの進行を同時体験しながら、「解説」を随時インプットしてあげると、間違いなく早く気付かせてあげることができます。

つまり、例えば一緒に暮らしている家族なら、次々に降りかかってくる「素材」を話題にしながら、「根源にあるもの」に気付いていただくことは難しくないでしょう。

個人の持ち時間が足りなくなっていること(加速の影響)、気象の異変やサイクロン・地震などの激甚災害(HAARPによる気象操作)、ガソリンや食糧の高騰と経済破綻(人為的操作)、体調の異変(ケムによる散布物、潜在トラウマの表出、DNAの変容などの複合要因)等々、今日では「素材」に事欠きません。

これも寝食を共にしている家族だから可能なことで、同じ屋根の下にいても食事のタイミングがバラバラだったら難しいかも知れません。まして近隣に住んでいても別世帯の親族となると、もうお手上げでしょうね。

それぞれの「気付きのタイミング」に任せるしかないと考えています。

 

一方、わずか1人の気付きや目覚めでも集合意識に大きい影響を与えるので、人類の意識変革が着実に進んでいることは間違いありません。それは、多くの人にとって意識の深い部分での変化でしょう。

今のところ、「うわべ」と「心で思っていること」の違いが外からは判然としないわけですが、いざとなれば多くの人が「やっぱり思っていた通り」という具合に、すんなりと「驚嘆すべき新事実」を受け入れる姿を見ることになる可能性があります。つまり一斉に豹変するわけです(いわゆる「大いなる目覚め」の現実化)。

とは言っても、矢継ぎ早にインプットされる「新奇の情報」と、顕在意識で「信奉してきた真実」との隔たりは相当なものなので、俄かには受け入れられない人や反抗を試みる人も少なからず出てくるでしょう。

これまで自分の知識や認識に自信を持ってきた人ほどその反動は大きく、かなりの期間、社会的混乱が続くことも避けられないでしょう。

それに対して、顕在意識のレベルで明確な「予備知識」を持っていれば、落ち着いて新しい事態に対処できるので、それは本人だけでなく社会にとっても大きいメリットです。

そこで、あなたの場合、帰省してご両親と一緒の生活を始めて、共に「その時」を迎えるようにするのは、タイミングとして悪くないし大きな親孝行になると思います。

また、「震源地」のアメリカにいて、そこから全世界への波紋の広がりを眺めるのも面白いでしょう。これは、インターネットなど情報通信インフラの現状を考えれば、日本にいても見えないことはないですが。

 

ところで、高名な政治ジャーナリストだったティム・ラッサー(Tim Russert)の突然死は、アメリカ社会に大きな喪失感を与えているようですね。

多様な追悼の広がりを見ると、かつてのジョン・レノンやマーチン・ルーサー・キングJrの死や、遠くはJFKを喪った時に匹敵する社会的インパクトを感じます。

残念ながら日本では、彼に匹敵するジャーナリストは見当たらないと断言できます。メディアという土壌自体がアメリカ以上に堕落しているので、草も樹も育つ余地がないということでしょう。

宇宙からの情報では、彼は非接触型の殺人兵器で殺されたことになっていますが、今のところ肥満にかこつけた心臓発作への警告でメディアが賑わっているようですね。

何か「お決まりのコースメニュー」を見る気がします。遠からず「真の死因」が明らかになると思いますが。

ティム・ラッサーの家族や友人、そしてアメリカ国民に大きな哀悼の意を捧げたいと思います。

 

(Q) お返事のお礼が遅くなりました。いつもながら的確なアドバイスに感謝いたします。

 

これも寝食を共にしている家族だから可能なことで、同じ屋根の下にいても食事のタイミングがバラバラだったら難しいかも知れません。まして近隣に住んでいても別世帯の親族となると、もうお手上げでしょうね。それぞれの「気付きのタイミング」に任せるしかないと考えています。

 

やはりそうですね。私の場合、寝食を共にするどころか、国さえ別々ですから話になりません。

 

>そこで、あなたの場合、帰省してご両親と一緒の生活を始めて、共に「その時」を迎えるようにするのは、タイミングとして悪くないし大きな親孝行になると思います。また、「震源地」のアメリカにいて、そこから全世界への波紋の広がりを眺めるのも面白いでしょう。これは、インターネットなど情報通信インフラの現状を考えれば、日本にいても見えないことはないですが。

 

まだまだ自己鍛錬が足りないせいか、エゴの完全な解放ができていないのか、両親との同居には抵抗があるかもしれません(抵抗があること自体、課題があるということですが)。

しかし、近隣に住んでいるだけではあまり意味がないわけで。今はとにかく自分自身の鍛錬に務め(自分の頭の上のハエを払い)、できれば、そうした姿勢を家族が見てくれることで、それぞれが自分の人生を大切に有難く生きるようになってくれれば良いという気持ちでいます。

日本語で見本とかお手本とかいうと傲慢に聞こえますが、いわゆる、being an example という感覚です。昔はとにかく私のことを心配してばかりの両親でしたが、今では、「元気に楽しく人生を謳歌しているようだから、まぁ、いいか」という姿勢も出てきて、感謝しつつ毎日を楽しむという概念に同感しているようです。

 

ところで、高名な政治ジャーナリストだったティム・ラッサー(Tim Russert)の突然死は、アメリカ社会に大きな喪失感を与えているようですね。

 

やはり彼は殺されていたのですね。私はアメリカに多い、「陰謀説好き」ではありませんが、彼の訃報に触れ、直感的になぜか「殺されたのでは?」と思いました。心臓発作という理由がなぜか納得できなかったのです。その後、「まさかね」と思ったりもしましたが、小松様のメールで、やはり、という気持ちです。

彼は良い意味での愛国心の強い人だったと思います。アメリカを愛するがゆえに、自国が持つ問題に向かっていく姿勢は類稀なるものがあったと思います。

他のジャーナリストたちの落胆ぶりもすごかったです。局や媒体を問わず、皆がショックを受けていたようです。

小松様もおっしゃっていますが、彼に匹敵するジャーナリストは日本にはいませんね。

ジャーナリストとしてだけでなく、後輩を育てる姿勢や夫・父親としての奮闘振りなど、彼の人柄を思わせる数々のエピソードがお悔やみとともに紹介されていました。

今年は大統領選挙(たとえ実質的には無意味であっても)の年で、その直前で亡くなるというこのタイミングも怪しい限りです。

 

(A) 大統領選挙のことですが、オバマは、これまでの大統領と違って「走狗」や「お人形」にはならないと思います。

したがって、日本のように官僚機構が居座って政治を意のままに操る体制がないアメリカでは、彼が大統領になれば、アメリカだけでなく世界が大きく変わる可能性があります。もちろん、それ以上のことが相前後して起こるはずですが。

 

(Q) 従来の政治家は皆きっと、オバマが大統領になることを恐れているのではないかと思います。今までどおりにはいかなくなるでしょうからね。

オバマ夫妻のインタビューか何かで見たと記憶しているのですが、オバマ夫人もすごい女性だと思います。夫よりもおしゃべりで気が強そうな女性です。弁護士でファッションセンスも抜群のようですが、夫の出馬には当初は反対だったそうで、「あなたはまだ若いのだから、もう少し待ってもいいのではないか」と夫に諭したら、オバマ氏は、「変革は今、必要なのだ。私の年齢が重要なのではなく、今、変革を起こすことが大切なのだ。一刻の猶予もない状況なのだ」と答えたそうで、暗殺の噂も承知の上で、「今でなければだめなのね」と夫を支えることに決めたそうです。

そして夫人は、「私たちがやろうとしていることに対する試練は、キング牧師やXXXX(もう一人は忘れました)が奮闘していたのに比べれば、たいしたことではない」と言っていました。

 

[このページのトップへ戻る]

[Q&A目次(ケータイ専用)]
ホーム

Copyright© 2008 Eisei KOMATSU