Q&A’09b2・「ガイア・アセンション」シリーズ

 

【目次】

(09/02) ライトワーカーの孤独について


(09/02)
ライトワーカーの孤独について

(Q) 以前にも何度かメールさせていただきましたAと申します。

日本の上空でもケムトレイルの散布はまだ続いていますね。

127日も当市上空ではこれまでにないくらいのしつこさでケムトレイル大散布がありました。はたしてどれくらいの人たちがこの上空に見える事実に気づいていたのでしょうか?

ちなみにわたしはその時バイト中で車の運転をしていまして、助手席にいた同僚のおばさんに「あの変な雲知ってます?」という感じで軽くケムトレイルのことをお話したところ、「うわ〜、全然知らなかったわ、なんか気持ちわるいわ〜」なんて反応をしていました。

しかしどうもそれ以上の話をあまり受け付けたくない雰囲気でしたので、その時はそれ以上の話は控えた、というようなことがありました。

 

さて、今回お尋ねしたいのは、「自分がすべてを創り上げている」という真実と正直に向き合えない人たちとの付き合い方についてです。

小松様は、自らそうしていると知らずに眠り続けている人々を目前にした時、どうしていらっしゃるのか? どう接しておられるのか?を知りたいのです。

それとも、その独創的な天賦の創造力を駆使して、小松様のまわりにはそういう「眠りこけた」人々が身近に配置されないよう意図されているのでしょうか?

 

といいますのも、わたし自身、今実家で両親と一緒に暮らしているのですが、両親二人とも、日々の仕事というか単なる「お金稼ぎ」に自分のほとんどを注ぎ込み、空いた時間にはテレビや新聞という企業広告を見て無駄に物質的欲求を膨らまし、無駄に心の不安を増大させ、その欲求と不安を解消するために、さらなるモノやサービスを買うことで一時的に満足し、次なる欲求と不安を満足させるために、また仕事に出かけていく、という毎日です。

一方わたしは、見えない次元の光の仕事を重視し、なるべく働かない(無駄に稼がない)ようにしているので、両親の無意識な生活が毎日露骨に見えてしまうという次第です。

 

わたしたちライトワーカーのなかには、まわりの人たちとお互いに理解し理解されあい、共通の目的をもって協調しながら次の世代のために働きたい、一致協力して有益な現実を創造していく努力がしたい、という欲求があります。

しかし現実は、それぞれ非常に孤独にライトワーク(光の仕事)を目立たず遂行している、という状況なんだと察しています。

なぜなら、現状ではわたしたちのしている仕事は、ほとんどだれも理解できない性質のものだからでしょう。わたしたちライトワーカーは何もしていないように見えるのでしょう。

たとえば静かに黙想し銀河の光を地球に注ぎ込む、などという概念は、まだ多くの人には受け入れがたいのでしょう。

そこで、ライトワーカーの孤独についての小松様なりの見方というか意見、在り方、心構えなどについてお聞きしたいと思います。

 

具体的には、例えばテレビ新聞等のマスコミ漬けの生活習慣を良しとする人や、助手席など至近距離で平気でたばこをぷかぷか吸う人、自分の天賦の思考を他の権威に平気で預けてしまう人々のような、まだ目覚めていない方々と現実には日々何度も遭遇するわけです。

わたしたちライトワーカーがそのようなまだ気づきに達していない人々と誠実につきあうには、どのような見方、どのような心構えが必要とお考えでしょうか?

 

あまりにも自分を否定しきった生き方に浸っている人を間近にすると、ほんとうにこの人が目覚めるのだろうか? 一体どんなプロセスを経て目覚めに至るのだろう? などと疑念をいだいてしまう事もあります。

 

そのような人に向かって「それは違う!」などと説教することは無意味なことであると知っています。

だから見えない次元で光を送りつづける努力をしているわけですが、それ以外にこの見える次元でできることはありますか?

見えない次元で光を送り続けるだけでは、ほとんど「成果」が見えず、なにか物足りないと感じる自分もあるのです。

それは、わたしたちの光を送り続ける度合いや、そうしているという内なる確信がまだ弱いから、なのでしょうか?

今は過渡期なのでそのような目に余る「落差」を認識することもわたしたちのひとつの試練なのでしょうか?

 

特にわたしは、身近な両親にまったく目覚める気配が見えてこないことがとてもつらいです。

おそらく日本に暮らす多くの人々と一緒で、テレビや新聞の情報を疑うということをまだ知らないので、例えば今まさに進行中のアセンションのこともケムトレイルのこともまったく受け入れる余地がないように見えます。

少しでもそのような話しをすると強烈に「はね返されて」しまい、そういうときの強烈なエゴの波動といったらありません。

ですからこちらは、なるべくエゴを刺激しないように気をつけている状況です。

自宅のインターネットでそういう情報に触れるチャンスはあるのに、自分から特定の情報を求めるということが苦手なようで、相変わらずテレビや新聞などからの「与えられる情報」で満足しているようです。

まさに難攻不落のエゴといえます。

 

「わたしがそのように見ている(信じている)から、宇宙の法則にしたがい実際に両親がまったく目覚めないのだろうか?」とか、「わたしがそういう悲観的な見方をしているからいつまでも目覚めないのか?」などと考え、日々、楽観的に考えようと努力はしていますが、実際に身近にそれも毎日、その哀れな姿を目の当たりにし、彼らの心と目がテレビによってひどく濁らされている現実と向き合うことは、やはりつらいです。

なんともいえない苛立ちを感じます。

そういうときであっても楽観していられる方法があったら是非知りたいものです。

 

日々、自分の多くの時間とエネルギーを、単なる利益重視の会社に捧げ、空いた時間には自分をテレビ漬けにし、幻想のなかにどっぷりはまり込み、つぎの世代のことなどまったく気にかけないという驚異的な盲目ぶりのライフスタイルをおくる人々を間近に観察することも、ライトワーカーの仕事の大事な一部である、と思えば少しは気が楽になりますが、なかなか楽観できない自分もいます。イライラしてしまう。

身近な人が身近な環境で毎日そうしているのを見ると、非常にイライラし落ち着かない気持ちになるので、その場から離れる、という選択をするしかなくなります。

その場ではなにも言えなくなります。なぜなら彼らはその時テレビに夢中なのですから・・・。

 

わたしの家の内部事情としましては、最近ではお互いにほとんどまともな話し合いも会話もありません。

一緒に食事することもまれです。テレビを見ながら食事するというのが両親にとっては普通のことなので、それに耐えられないわたしはそこから離れるしかないのです。

また、食事内容も著しく違うので、できれば同じものを食べたくないというのもあったりして、「同じ釜の飯を喰う関係」とか「食卓で一家団欒」など、おとぎ話の世界です。

両親とも、とにかくテレビから離れられないようで、テレビを見ながらなにかをする、テレビを見ながら眠る、その場にいなくてもテレビをつけっぱなしにする、というような堕落した生活ぶりは、それが見えるわたしとしてはどうにもやりきれません。

 

つくづく、ライトワーカーを自認するわたしたちは、孤独にならざるを得ないと感じています。

もちろん、見えない次元ではたくさんの仲間がいて、自分では想像もできないほどの自由な愛と友情によって結ばれている事は知っていますが、一方ではこの見える次元ではわたしたちは実に孤独です。まさに、独りぼっち。

この独りぼっちをつらいとは感じませんし、むしろ孤独を愛しているほどですが、しかし先に述べたように、自分が理解していることをこの見える次元でも誰かと共有したい、分かち合いたいという欲求がわたしのなかに依然としてまだあり、その欲求がまったくほとんど満たされていないことが、文字通り不満なのでしょう。

過去にもいろいろな場面でその欲求(というか今から思えばエゴでしたが)を露骨に出していまい、自分がどういう者で、どういうことを考えていて、どういう生活を志向しているのか等々を明かし始めることがあったのですが、とたんに相手の意識が拒否反応を起こしてシャッターを閉じてしまう、というようなことが何度かありました。

「これ以上そのとっぴで変な話にはつきあいきれません、あなたはどうかしている、現実的でない、お断りです、さようなら」という感じで、多くの友人知人がわたしの人生から距離を置くか、または去っていきました。

わたしのほうから耐え切れずに去っていったこともしばしばです。

それも必然の出会いと別れだったと今では理解していますが、誰にも理解されない寂しさみたいなものはやはり残ります。

長くなりましたが、なにか小松様なりの御意見などをいただければ幸いです。

 

(A) 拝見しました。

一般論としては、いま地球規模で起こっている集合意識の大規模な変化の影響を受けない人はいないので、人の意識は時々刻々変わっています。

特に今回の「経済の崩壊」は、従来のパラダイムに縛られて相当に固定観念の強い方にとっても、かなり分かりやすいキッカケを与えてくれると思います。

この「崩壊」は現状で止まるどころでなく、この先に更に深刻化していくので、何かが根本的に変わって過去のパラダイムではやって行けない時代が来たと、誰もが心底から思うようになるでしょう。

したがって、他者についての先入観を抱かないようにする(または評価や定義を絶えずリセットする)ことが大切です。

 

また、早く気付いて欲しいという気持ちがあっても、顕在意識ベースのやり取りでは効果は期待できないでしょう。

根底に相手に対する愛があって、適切な機会をとらえて、顕在意識ではほとんど気付かないようなヒントをさりげなく「テーブルに置く」ような工夫を、忍耐強く続ければ少しずつ変わってくる可能性はあるでしょう。

いずれにしても、人それぞれに目覚めのタイミングがあり、また急激で大がかりな変化がやって来る時期は遠い先のことではないので、いま少しの忍耐が必要だと思います。

 

あなたのケースについて更に具体的に言えば、現状のままでは、ご両親と一緒に住むメリットよりも、あなたが失うものが多いではないでしょうか。

思い切って「家を出る」のも一つの選択肢かと思います。

その場合、もっと孤独が深まるのではないかという懸念があるかも知れませんが、実際には、(「神」を含めて)多次元宇宙の多数の縁者やサポーターと常につながって交流が行われているので、孤独でいること自体が不可能なのです。

そういう感覚の意識を保つようにすることをお勧めします。

 

また、一つの行動によって、三次元の現実でも新しい展開が自然に生まれてくると思います。

もちろん、そうした意図を持って自分の現実を創造していくことが前提になりますが。

お気付きのように、ポジティブな波動を絶えず宇宙にインプットすることがライトワーカーの最大の貢献なので、絶えず楽しさが増大する方に自分自身を舵取りしていくのがいいと思います。

 

(Q) お忙しいなか、ありがとうございます。

直接お返事をいただいて、改めて感じ入るのは「それは相当な変化だなぁ」ということです。

誰もがみな心底からパラダイムシフトする未来、どんな暮らしなのでしょう、わたしたちはどう変わってゆくのでしょう、いまからとても楽しみにしております。

 

たしかにおっしゃるような目前の「急激で大がかりな変化」を見据えていれば、自分のなかにあるネガティブな思考など吹き飛んでしまいます。

 

外的変化と連動して内的変化もたぶん「相当な変化」なのでしょうね。

ですから冷静に考えて、わたしの両親やマスコミや社会に対する先入観もいずれ崩壊する運命なのだ、と思うことにします。

他人や状況に先入観をもつことで、まわりを苦しめ、自分を苦しめ、その苦しみの波動をもてあそぼうとする「小さな自分」がいるみたいです。

その辺も気をつけて生活してみます。

 

外的にあれこれ忙しくなりそうなので「家を出る」という選択肢はあまり考えていませんでした。

孤独はあり得ず、すべてはみな一体でひとつ、という感覚はいろいろな時に、特に瞑想中などに味わっているのですが、最近特にその「感覚」の頻度と強さが増しているようです。ほんとうに一年前の比ではありません。

ですから、いまはこの静かな贅沢を存分に楽しみ、おっしゃるような「そういう感覚の意識」を保つようベストを尽くしたいと思います。

「家を出る」時がくればそういう気持ちになるでしょうし。 

アドバイスいただき感謝しています。

 

(A) 大筋としては、そのようなスタンスでいいと思いますが、その場合さらに一歩進めたいのは、家族が共有する時間を持つことですね。

それに対して、テレビが大きい障害になりそうなことは理解できます。

いま日本の津々浦々で行われていることは、意識や情緒の発達を自ら封印するために、「生きる」ことを一時的に(または四六時中)「電気仕掛けの箱」に預託して、その間「猿芝居」を見ながら催眠状態を保つという行動様式です。

その箱が「家族の会話」を代行してくれるので、段々と自分の頭で考えたり話したりすることが面倒になり、脳の機能を究極の「省エネモード」にセットして一日を送ることが習わしになるわけです。

これこそ最も類型化した人類文明の到達点で、「彼ら」が生み出した人心操縦システムの最大の成果と言えるでしょう。

その内実を知っている「彼ら」は、決して「テレビというワナ」にはまるような愚行はせず、教会や学者に存在自体を否定させている魔術や錬金術を密かに楽しむのです。

 

それでも、あなたにとって突破口がないわけではありません。

頭を使って考え、行動することです。

例えば、誰にも負けない得意料理を23マスターします。

素材の持ち味を生かした簡単に調理できる料理で、誰でも喜びそうなものがいいでしょう。――「カジキのニンニク焼き」とか「エイヒレ(カスベ)のスープ煮」とか。季節によっては「カキ雑炊」や「カツオのたたき」など。

一度これを賞味してもらうと、二度三度と「注文」が来るようになるでしょう。

そうしたタイミングをとらえて、「食事中はテレビを見ない」という条件を出すわけです。

同時に、テレビに替わる「話の種」も用意しておきます。例えば、魚の旬や調達法、さばき方や健康へのメリットのことなど。

あなたが変われば、相手も変わるものです。

誰も本当は「催眠状態」を望んでいるわけではなく、他の在り方を知らないだけです。

段々と、新しい家族の在り方が、新鮮で楽しいことに気付くようになるでしょう。

あなたとしては、少しずつレパートリーを広げて、それを楽しみにすればいいでしょう。

 

(Q) なるほど、家族が共有する時間を持つということに対しては、むしろわたしの脳が「省エネモード」になっていたように思いました。

それについてはあれこれ理由を見つけ出しては「そんなの我が家では到底無理だ」と、なかばあきらめていたのだと思います。

このいまの家族の在り様はどうしようもない、変えられない、だからこのつらい現状を受け入れるしかない・・・と、そんな消極的思考回路に知らず知らず陥っていたのは、このわたしかもしれません。

新しい家族の在り様を志向し、自分の頭を使って行動する、というのはわたしの思考回路にはまったく無かったものです。

わたしにとってはかなりチャレンジングな課題ですが、いまここで実践すべき「現実的なライトワーク」なのかもしれないです。ありがとうございます。

 

自分がずっと玄米菜食がベースでしたので、「カジキやエイヒレの魚料理」など誰もが喜ぶ料理をマスターするというのは、新鮮で面白そうです。そんなのを作ったら両親がびっくりするでしょうね。

自分が普段食べないものだからといって億劫がらずに、ちょっと調べてやってみます。

 

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