Q&A’10f・「ガイア・アセンション」シリーズ

頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。

原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。

また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。

 

 

【目次】

(10/05) アセンションへの課題

(10/05) 「墓」をどう考えるか

(10/05) 飼い犬をめぐる騒動



(10/05) アセンションへの課題

(Q) はじめまして。

私は認知症の介護職をしているのですが、仕事を続けていくのが辛くなってきています。
しかし2013年には世界が変わると思い、どうにか続けている現状です。


そこで疑問に思ったのですが、
@2013年、仕事とゆう概念は全く変わるのでしょうか?
A認知症の人や老人の方々は、アセンション出来るのでしょうか?

 

(A) 拝見しました。

人の生き様は、大筋として「魂の計画」に沿っています。それは、本人が気付いているかどうかには必ずしも関係しません。

障害を持っている人でも、周りの人の気づきや目覚めをサポートするために、自分を犠牲にしているケースが少なからずあります。また、何かのカルマを清算するために、それを選んでいる人もいます。いずれも立派な選択だと思います。

大局的に見れば、こうした人を含めて、2012年末へのプロセスまたは2013年以降の早い段階で、多くの人が障害から開放されるでしょう。

人の外見でなく、なるべく魂としての本質を見るようにしましょう。

 

来るべき2012年末の転換点を乗り越えてガイアと共に、個人として今回のアセンションを達成できるかどうかは、認知症を含めて障害の有無に関係なく、また年齢にも直接の関係はありません。

要は、本人が明確にアセンションを選ぶかどうか、そしてそれを目標として生きるどうかです。

 

ここで問題は、アセンションが目前に迫っているのに、それが私たちの社会で周知のことになっていないことです。

それは当然のことで、この世界を実効支配している「ヤミの勢力(シャドウグループ)」が、「自分たちの時代の終わり」のことを、つまりアセンションを、人々に知らせないために全力を尽くしてきたからです。

したがって、彼らに実質的に支配されている政府やマスメディアは、これにつながる情報を徹底的に隠蔽または無視しているわけです。

また、多くの人にとって、特に知識人を自認する人にとってアセンションという出来事は、これまで彼らが取り込んできて、「信念」にまで高められている世界観と合致しないので、話を部分的に聞いただけで、拒否反応を引き起こすようです。

 

それにもかかわらず、アセンションに向けて現に起こっていて、この先さらに顕著に現れてくる「浄化のプロセス」を無視することは出来ず、よほど鈍感な人でも「何かが本質的に変わり始めている」ぐらいのことは感じるようになるでしょう。

「浄化プロセス」の代表的なものは、地震や火山活動そして異常気象などの「地球大変動」、そして古い社会・経済システムの行き詰まりによって起こる「社会的大混乱」です。

これらは、2012年末の転換点に向けて、地球や人類が自らを準備するために、避けて通ることができない過程です。

こういう状況に対する合理的な説明はアセンション以外に無いことを、2012年末までには、ほとんどの人が納得するようになるでしょう。

 

重要なことは、アセンションは「個人的な選択」だということです。

魂はすべてを知っていて、現に地球にいる大半の人の「魂の計画」は今回のアセンションに参画することなので、それを顕在意識に知らせようと、絶えず「自我の扉」をノックしているはずです。

「自我(顕在意識)」がアセンションを選ぶ必要があるのは、2012年末に向けて達成するべき個人的課題は、顕在意識のレベルで、魂との整合性を持って遂行しなければならないからです(『アセンションものがたり』参照)。

 

この点について、認知症の方には、何らかのサポートが必要になります。

例えば、あなたが日常的にその方に接しているなら、折りに触れてアセンションのことを話してあげるといいでしょう。

その方の魂からの働きかけと、あなたの話との相乗効果で、少しずつ必要な気づきが芽生えてくる可能性があります。

こういう人の多くは、次の時代で必要とされる「子供のような純粋さ」に近づいているので、望みがあるのです。

 

一方、障害や病気の有無に関係なく、元々の「魂の計画」にしたがって、2012年末までのプロセスで地球を去っていく人も少なくないでしょう。その場合、天災や事故などを、キッカケとして「利用する」ケースが多いと思います。

「魂の計画」に反して「自我」が、アセンションという「ガイアの選択」に同調しない人も同じです。

また、現時点でネガティブな活動を主導している人々や、それに加担している人々の多くは、間違いなく地球を去ることになるでしょう。

2012年末に地球とその生きものが遭遇する特別に強力なエネルギーによって、「ダークなエネルギー」は粉砕されてしまうからです。これは、「ダークのサイクル」に替わって登場する「新しいサイクル」の中に、「ダークな要素」が混ぜ込まれないようにするための、宇宙の絶妙の仕組みです。

こういう人の多くは、最後の瞬間の強烈な体験を避けるために、早めに地球を去ることを無意識に選ぶ可能性があります。

逆に、アセンションへ十分の準備が出来ている人にとっては、ほとんど何も感じないうちにすんなりと通過して、いつの間にか意識も肉体もすっかり変容した自分を発見するようなことになるでしょう。

 

2012年末のギリギリまで選択(または「宗旨替え」)の余地はありますが、気づきがあまり遅すぎると、上記した個人的課題に取組む時間がなくて、「間に合わない」ことになる可能性があります。

それ以前に、次々と現れてくる新たな事態に対して、何が起こっているのか飲み込めず、意識が混乱してしまう人が多いでしょう。

せっかく(正しい)アセンション情報に接しながら、「さっぱりわからない」と無視するスタンスに逃げ込む人にとっても、そこは決して「安住の地」ではないわけです。

したがって、相手に応じて色々と工夫を凝らして、アセンションを知らせてあげることは、大変な人助けになります。

 

アセンション後の社会は、「奉仕の精神」の持ち主だけで構成されるようになるでしょう。それが、「黄金時代」を、この地球に実現するという宇宙の根本計画の一部だからです。

したがって、これまでの意味の「仕事」は無くなり、義務ではなく自然に湧いて出る「奉仕」が生活の一部になるでしょう。

みんなの意識として「奉仕は楽しみ」だから、「楽しみ」だけの人生になるとも言えます。

アセンションものがたり』にあるような、「宇宙同胞ゼータ」がやっている奉仕活動が、どれだけ大変なことに見えたとしても、なるべくそれを避けたいと思うような人は一人もいなくなっているはずです。

 

(10/05) 「墓」をどう考えるか

(Q) こんにちは。
最近、「墓」について考えることがよくあります。
私の家の墓は先祖代々の菩提寺の墓地にあり、自宅から車で約30分かけて墓参りに行くのは当然のことだと思っていました。

 

ところが、私には娘が一人だけで兄弟もなく、「家」としては、いずれ絶えることが確実です。

加えて、その寺の住職は県会議員を務め、介護施設を経営するような方で、私は人間的に好きではなく、今までもできるだけ接触を避けてきました。

これからも葬儀、法要等で菩提寺と住職との付合いが続くのなら、檀家をやめ墓地は処分して寺との関係を絶ち、お骨は公共の納骨堂へ安置しようかと考えています。


昨日も墓参りに行ってきました。墓前で手を合わせ、自分の先祖に思いを馳せると少し厳粛な気持になります。

これは墓がなくても、仏壇や納骨堂の祭壇の前で手を合わせても、このような気持ちは変わらないものだと思うのですが…。
「墓」や「檀家」について小松様のご意見をお願いいたします。

 

(A) 拝見しました。

大筋として、あなたのお考えに賛成です。

どのみち魂が抜けた後の肉体は「脱いだ着物」と同じで、それをどのように処分するかは本質的なことではないからです(後に残したものから「死者」が波動的影響を受けないようにしてあげることが理想ですが、今のところ公認された適切な手段がありません)。

いわゆる「死者」の魂自体は、個人として基本的に持っている大目標に沿って、別の領域で引き続き活動しているので、残された者の混乱した認識や意識で、事ある毎に「呼び出す」のは、あまり褒められたことではありません。

 

そこで残る課題は、第一に、家や地域の伝統的な慣わしや習俗のことでしょう。

これについては、社会の大勢が上記のような認識にまとまってくるまでは、あまり目くじら立てないで、正しい認識を心に収めながら、そこそこに付き合うようにするのが無難かと思います。

すると具体的には、あなたのようなプランが、一つの選択肢になるでしょう。

 

第二に、いわゆる「死者」と残された者との、魂のレベルの「つながり」つまり「縁」のことがあります。

これはケース・バイ・ケースで大きなバリエーションがありますが、双方がそれぞれ相手に対して、多かれ少なかれ引き続き思いを寄せているのが普通ではないかと思います。

問題はその「程度」であって、それがうまくバランスが取れているケースは、人類の現状では極めて少ないでしょう。

概して残された者からの、必ずしも適切でない認識に基づく、思い入れの方が強いだろうと思います。あるいは、「彼岸の墓参り」のように、習俗に従ったかなり形式的なものとか。

そこで今の段階では、テレパシーなどによる「死者」との有益な交流は期待できないので、「こちら側」が、感謝や愛を意識のベースに持つようにする程度がいいと思います。

これは、お墓の有無とは関係なく、いつでも出来ることです。

という次第で、あなたのお考えを進めるのは結構だと思います。

 

(10/05) 飼い犬をめぐる騒動

(Q) (バリより)いつもありがとうございます。
私の体験した事です。
私が創りだした事になるのでしょうが、困惑しています。
そのままに書いていきたいと思います。

ある残虐な行為に直面してしまいました。

バリの田園の中に住んでいます。
斜め向かいの土地を管理している人(おじいさん)は、そこで牛を飼い、作物を育て、それを売って生活の足しにしています。
そこには雌犬がいて番犬の役目をしています。
そこには、いつも「犬問題」が付きまとっていました。
餌をあげたりあげなかったりするので、近所のニワトリや稲刈りの時期になるとアヒルを食べてしまうからです。犬の遊び感覚もあるでしょう。
しかし今回の犬は、おとなしい性格でなつっこく見た目も可愛いので、長期滞在の日本人は「いい子」とか「はるちゃん」とかそれぞれに呼び名を付けるほどでした。

繁殖期が半年に1度くらいの割合で起こっているようで、その度毎に出産し雄の子犬は貰われて(売られて?)いき、残った雌の子犬は捨てられます。
バリでは良くある光景です(田舎ではまだ多いそうです)。
雄には価値があり、雌は子供を産んで困るからのようです。

捨てられた犬は、我が家に迷い込んだりして、いつも悩みの種になります。
「これはお宅の犬ですよね」と迷い込んだ犬を持って行くと、「いらない、捨てたから放っておいて・・・」と平然として言うのです。
我が家でも既に2匹、雌の捨て犬を飼っています。

バリでは、保護活動や教育などの慈善団体があり、村の集会所には時折、無料の去勢・避妊手術をしにやってきますので、おじいさんの自宅まで行き、そのような団体が来ているのでどうですか?と聞きに行った事がありますが、よい子供が取れるので避妊手術はしないとの事でした。
犬好きの日本人の長期滞在者が、このような光景を見かねて餌をあげに来たり、子犬の貰い手を探したりと世話をしておりました。

今朝は早朝から、そこの犬は何やら泣き叫んでいます。
我が家の放し飼いの犬が、遊びに行って喧嘩になったのかと(時折あることなので)、外に出て我が家の犬の名前を呼びますと、裏庭から一匹と、寝床の段ボールから一匹、のそっと出てきました。
泣き叫びは聞こえ続けます。

最近は繋いであるようなので、もしかしたら紐が絡まったのかも?と思い(夜はそこには誰も人がいないので)、見に行く事にしました。

近所の人と田んぼの人が二人、あまりの泣き叫びに、少し離れた所から様子を伺っていました。
斜め向かいの土地に入って行くと、例のおじいさんの姿が見えるではありませんか。
しかも犬の首に紐を結え、嫌がる犬を引っ張っています。
「ニワトリを食べたんだ、殺してやる!」と紐で首を絞めている所に直面。
引っ張りながらこちらへ歩いてきます。
途中犬は息耐えてしまったようで、ゴロンと畑の中に倒れこんでしまったのです。
ほんの少しの間の出来事でした・・・。

私は感情のまま、泣き叫んでいました。
「何でこんな事をするの!!お願いだからもう犬は飼わないで!!」
泣き叫びながらその場を立ち去っていました。

その光景が今も焼きつき、悲しみと無情に心が傷ついてしまいました。
アセンションに意識を向けて、私も様々な感情を癒して行きたいと思うのですが、正直どのようにしていったらよいのか解りません。
どのように愛と思いやりを持って、変容していけばよいのでしょうか???
どのような意識をしていけば、そのような状態になって行くのでしょうか?
今はショックで思い出すと涙が出るばかりで、ただただ、このような事が決して起こらない世の中になって欲しいと願うだけです。

最近のQ&Aを読みながら、「時間のラインに沿って癒す」の意味が良く解らなかったり、それこそこのような問題は、どこでも繰り返されている出来事のようにも思えます。
私の場合は犬が対象でしたが、戦争では人ですし・・・。
今感じているこの感情を、出来るのであれば、上手く癒して行きたいです。
アドバイスをお願い致します。

 

(A) 拝見しました。

お話しの背景に、国や地域による事情の違いがあると思います。

それは法的なものか、あるいは法律を超えた(無視した)慣行などです。

日本では、まず「狂犬病予防法」があり、「動物の愛護及び管理に関する法律」もあり、それらを受けて各都道府県の条令があります。

これによって、動物の所有者や占有者の責任が、罰則付きで、かなり細かく規定されています。

例えば、狂犬病予防接種の義務、犬・ネコの繁殖制限、動物をみだりに殺傷しないこと、犬の散歩はリード(つなぎ紐)をつけて行うことなどです。

これは、田舎のほうでも、かなり徹底しています。

たまに違反している事例も見られますが、犬の「放し飼い」は皆無といっていいと思います。何故なら、「野犬」は捕獲して処分することが各自治体に義務付けられているからです。

 

こうした法令や条例は、近代国家では、あまり大きい違いはないと思いますが、そちらでは、おそらく無視することが「慣行」になっているのではないでしょうか。

あなたが注意するべきことは、吼えることや場所を構わずフンをすること、また虫の居所が悪い場合に噛み付くことなどの近所迷惑に関して、「うちの犬だけは大丈夫」という考えを持たないことです。

こういうことへの感覚は、ペットを飼う人と飼わない人との間には大きい隔たりがありますが、飼っている人はそれに気づかないことが多いようです。

 

ともかく、今回のケースに関しては、あまり肉体本位に考えないことが大切です。

外見がどのように見えたとしても、魂は、自然界の精霊などによって安住の場所に導かれる仕組みになっており、一過性のトラウマはあったとしても、その前途に関しては何も心配することはありません。

肉体は、あくまでも「魂の乗り物」です(だから殺してもいい、というわけではありませんが)。

この件は、戦争や殺人事件などによる死者についても同じことです。

感情に流されないで、全体像を正しく理解して物事をとらえるようにしましょう。

 

なお、この機会に、ご当地の法的な規定がどうなっているかを調べて、あなたがそれを遵守するようにすると共に、周りの飼い主の方にも知らせてあげるといいでしょう。

 

(Q) お返事ありがとうございました。

 

《たまに違反している事例も見られますが、犬の「放し飼い」は皆無といっていいと思います。何故なら、「野犬」は捕獲して処分することが各自治体に義務付けられているからです。》

 

バリでは昨年より狂犬病が広がり大きな問題になっています。沢山の野犬が処分され飼い犬は狂犬病のワクチンの義務が課せられました。

以前、日本に一時帰国した知人が日本で見たニュースでは、バリでもワクチンをしていない犬は罰金、繋いで飼う事になっていると話しておりました。すっかり見逃しておりました。

私もこれを機会にバリ州の法的規定を調べてみたいと思います。

我が家ではワクチン済みですが、放し飼いの件については、法律は勿論、私のやり方を、もう一度考え直してみたいと思います。

 

あらゆる所で犬が放し飼いのバリで生活していて、(初めは繋いでいましたが、あまりにも吠えるので近所の勧めもあって)我が家も放し飼いにしてみた所、すごくおとなしくなった事がありました。

犬の縄張りのバランスが取れてくるとそれ以上の争いは無くなり、犬なりにその場で上手く共存している事、敷地内のニワトリとも自然に共存出来るようになる事等を見ていて、繋いで飼うのは不自然なのではないか?と思うようになっていました。

フンすらも自然に還るので、見ていてもあまり気にならなくなっておりました。(田んぼ地域に住んでいることもありますが)経験が全てではないのですね。

周りの状況や変化に応じて色々変わってくる事もあり、狂犬病の発生もあり、我が家の周りも住宅地に変わりつつあります。

 

《こうした法令や条例は、近代国家では、あまり大きい違いはないと思いますが、そちらでは、おそらく無視することが「慣行」になっているのではないでしょうか。

あなたが注意するべきことは、吼えることや場所を構わずフンをすること、また虫の居所が悪い場合に噛み付くことなどの近所迷惑に関して、「うちの犬だけは大丈夫」という考えを持たないことです。

こういうことへの感覚は、ペットを飼う人と飼わない人との間には大きい隔たりがありますが、飼っている人はそれに気づかないことが多いようです。》

 

そうですね。飼っている人はその迷惑に気がつかない・・・。

今回の件で、私も「相手の立場に立って考える」と言う事を気付かせて頂いたようです。

自分本位に考えておりました。何かピンと来るものがありました。

 

《ともかく、今回のケースに関しては、あまり肉体本位に考えないことが大切です。

外見がどのように見えたとしても、魂は、自然界の精霊などによって安住の場所に導かれる仕組みになっており、一過性のトラウマはあったとしても、その前途に関しては何も心配することはありません。 》

 

はい、解りました。確かに魂の存在を知っていたので、光の世界へ導かれるようにと祈りました。

日が経つ毎にショックも和らいできました。時が癒してくれているようです。

肉体は魂の乗り物とは解っているようでも、殺害の現場を実際に目の前で見てしまって動揺してしまいました。

感情的になって、おじいさんも非難してしまいました・・・はぁ〜〜。

 

《肉体は、あくまでも「魂の乗り物」です(だから殺してもいい、というわけではありませんが)。

この件は、戦争や殺人事件などによる死者についても同じことです。

感情に流されないで、全体像を正しく理解して物事をとらえるようにしましょう。》

 

小松さんの本やQ&Aにもこの事がよく出てきますね。

魂が深い部分で選択した事に神様は干渉しない大きな愛。

「無条件の受容」と言う・・・本当に大きなテーマです。

愛の学び。まだまだですが、前向きに進化していきたいと思います。

 

《なお、この機会に、ご当地の法的な規定がどうなっているかを調べて、あなたがそれを遵守するようにすると共に、周りの飼い主の方にも知らせてあげるといいでしょう。》

 

そうしてみます。

この件があったすぐ後、我が家の犬が遊びに来ていた友人を噛んでしまいました。

他の友人が、自分の家の犬が人を噛んでしまったと言う話をしていました。

ご近所さんが、狂犬病について記事を貸してくれました。

これを機会に、調べ、皆にも知らせたいと思います。

 

ありがとうございました。心より感謝、お礼申し上げます。

 

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