Q&A’11k2・「ガイア・アセンション」シリーズ

 

【目次】

(11/09) ガイアの痛み

(11/09) 余裕のない社会

(11/09) 浄化の進行

 

(11/09) ガイアの痛み

(Q) 今晩は、瞑想し、地球を癒やしてあげて、終わったところです。

お母さんを傷め続けて来たことを謝って、癒やしていますと、涙がとめどなく出て、嗚咽になりました。

終わるころには、「ありがとう、ありがとう」の地球の声を聞いて少し安心したところですが、今も涙が出ます。

地球は「私の体は、ボロボロです。繕わないと間に合わないのです。許してください。」 と言っています。

心もよじれるような痛みのようです。 

取り急ぎ、ご報告申し上げます。

ありがとうございます。

 

(A) ありがとうございます。

その通りだと思います。

 

【関連】

ガイアからのメッセージ

 

(11/09) 余裕のない社会

(Q) 小松様
K
市のTと申します。

アセンションを迎えるにあたっての準備は人それぞれ、十人十色というのを実感するこのごろです。

私は子供のころは生きているだけで楽しいという感覚がありました。決して裕福ではありませんが(現代っ子でしたからテレビも有りました)。
朝、廊下に差し込む光、夕焼けの紅の空午後の黄色い光など、自然の彩りが元気の元かと。
また嫌なことがあっても、忘れっぽいのかどうかはわかりませんが、次の日まで持ち越すことはありませんでした。
今で言う「天然」に近いかも?(笑)

当時は長屋住まいでしたので隣から聞こえてくる老婆の笑い声も、現在は苦情の対象かもしれませんが、「何か楽しそうだね」と兄弟と話をしていました。

しかし中学に入れば受験競争で「灰色」の毎日で、高校卒業して社会に出ればネガティブ要因も多く、「子供のこころ」を失いかけていると感じるようになりました。

小松様のサイトを見て今一度心を磨き直す必要があるかと思う日々であります。

 

(A) 拝見しました。

おっしゃるように、この社会はますます自然から離れ、ネガティブな方向に突き進んできたようです。

メールをいただいて、雑誌に掲載されていた宇賀神寿一さんの所感を思い出しました。

宇賀神さんは、1970年代に複数あった学生を中心とした「武装闘争グループ」の元メンバーでした。

そうしたグループが19755月に一斉逮捕された際、彼は地下に潜って8年の逃走生活の後、1982年に逮捕され、「塀の中」で21年を過ごした上で、2003年に満期出所したそうです。

今でも当時の仲間の多くが、その闘争で多くの死者を出したため、被害者への償いきれない思いを持って生きているとのことですが、そもそも武装闘争という考え方に問題があったということでしょう。

 

その所感の中で、私の印象に残ったのは次の部分です。

2003611日、私は岐阜刑務所を満期出所した。昨日出かけて今日帰って来たカンジで“やあ!”ってな調子で門から出てきた私を見て、出迎えに来てくれていた友人たちは拍子抜けしたみたいだった。

塀の外に出て、私が見た世界はおかしなところだった。大量生産、大量消費のゆきつく先。ムダの美徳化、ムダによる社会の複雑化、繁忙化。目が回るほど。人々に余裕がなくなっている。そんな世界が私を驚かせた。私が、いや、われわれが、目指して闘った方向とは、正反対の社会がそこにあった。

いま時代は、酷いことになって来ている。殺し合い、踏みつけ合い、責任を取らない、そんな時代である。すべての関係がネガティブなものに翻弄されている時代。

その思いは、八年経っても変わらず、ますます強くなった。》

 

ここで宇賀神さんは、「塀の中」で暮らした21年に出所後の8年を加えた、ほぼ30年間の日本社会の変貌ぶりを俯瞰されているようです。

確かに、古き良き「日本的秩序」は、1989年末に「バブル経済」が崩壊した後の「失われた10年」では、まだ曲がりなりにも保たれていましたが、その後、グローバリゼーションと構造改革の掛け声のもとで徹底的に破壊されました。

宇賀神さんが見たものは、具体的には言及されていませんが、ますます巨大化するスーパーなどが繁栄する一方で全国津々浦々に出現した「シャッター通り」でしょうか、激変した新卒学生の就職事情や派遣・パート・アルバイト労働者の激増でしょうか、それとも増加し続ける自殺者の数でしょうか。

「塀の外」の者は、社会の連続的な変化に身を置いているので、変化の激しさを実感しにくい傾向があります。

 

問題は、「どういう社会にするか」という根本理念がないまま、「お金を投じて経済を動かす」ことを主眼にして国家が運営されてきて、今でもそれが少しも変わっていないことでしょう。

国家や地方自治体が「お金を投じる」ことに熱中すればするほど、国民が窮乏化し余裕がなくなっていくことは、洋の東西を問わず、昔からの不動の原理なのですが。

「余裕のない社会」になることと、「自然から離れていく」こととは、表裏一体をなしているとみています。

次をご覧ください。

http://gaia-as.universe5.com/2010GaiaMessage1.html

(ガイアからのメッセージ)

 

(11/09) 浄化の進行

(Q) 小松様
いつも有用な情報ありあとうございます。
いま、日本は洗濯機に入っているような状態ですね。
浄化作用は益々加速するものと覚悟しておりますが、遅すぎた変化、現象が残された時間、集中するものと思っております。
経済もいよいよ断末魔の様相を呈してきたようですね。

私的には、現象的には大変でしょうが、喜ばしいことと思っております。
自身に何が起きようが甘受します。

 

(A) おっしゃるように、日本だけでなく世界全体が、アセンションに向けて必要とされる浄化のプロセスを歩んでいるとみられます。

しかし政治家や官僚そしてマスメディアは、既成観念の色メガネでしか見ないので、そのようには見えないでしょうね。

 

「遅すぎた変化、現象が残された時間、集中する」ことについては同感です。

それでも、人々の意識は着実に変わってきており、案外覚めた目で「世界舞台の騒ぎ」を眺めているのではないでしょうか。

それは、この先に集中して出てくるものへの免疫力になり、後から眺めれば、「想念の大混乱」もなく思ったよりスムーズに「激動を消化吸収」したことになるでしょう。

「自身に何が起きようが甘受します」というお心構えは、必ず報われると思います。

 

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