足摺巨石群―唐人駄場と周辺の遺跡

―特別写真読物―

The Ashizuri Megaliths
English version

日本を代表する考古天文学的遺跡:金山巨石群英語版を見た
海外の研究者から、日本の他の巨石遺跡について照会があり、
その代表的なものとして足摺巨石群を紹介しました(200310月、英文)
このページは、それを日本語版として編集したものです。

1.唐人駄場―不幸な歴史

·         かつて唐人駄場は、イギリスのエーヴベリー(ストーンサークル:写真5)とフランスのカルナック(列石:写真6)の、両方の特徴を兼ね備えていました。
しかし残念なことに、1977年に高知県(自然保護課!)は、この地を公園にするために、駄場内部のすべての石を撤去しました。
こうして、世界でもトップレベルの先史時代遺跡は、駄場を取り巻くストーンサークルを除いて、「破壊」されたのです。

·         この場所は、高知県足摺半島山中の広大な足摺巨石域の中心にあります。
しかし、公衆交通手段の欠如や他の理由(人口が多い日本の中央部から遠いだけでなく、県の中心からも僻遠)のため、見掛けだけ立派な公園が誕生した後でも、訪れる人は希です。

·         この構築物の正確な建造目的や用途は、エーヴベリーやカルナックの場合と同様に、誰にもわかりません。しかし、「唐人」という言葉が「異人」を暗示するので、これを建造し利用した者は、この地の住民ではなく別のタイプの人間(時々やって来ては去っていく、巨石の扱いに精通した人々の集団)ではなかったかと私は推定しています。

(小画像をクリックすると拡大します)

1.航空写真(以前) 2.俯瞰写真(以前) 3.航空写真(直後) 4.俯瞰写真(最近) 5.エーヴベリー 6.カルナック

·         (航空写真、「破壊」以前)1959613
2次世界大戦後しばらくの間、周辺の住民が食糧のため駄場を耕作したが、列石には手を付けず、列石の条間を農地にした。

·         (俯瞰写真、「破壊」以前)上と同時期に、唐人石から撮影されたとみられる最近発見された写真
(全部で17条あったと推定されている)列石の一部を、駄場(長径:約180メートル)の中に明瞭に見ることができる。

·         (航空写真、「破壊」直後)19771024日:「破壊」完成時
駄場の中には事実上何もない。

·         (俯瞰写真、最近)2000114日:唐人石から撮影
唐人駄場(海抜 約200メートル)の前方に太平洋が見える。ストーンサークルは笹などに覆われている。

2.唐人石

1.石の集積    2.石の集積   3.平滑な面     4.凹面

·         唐人駄場の写真からわかるように、唐人石は駄場のすぐ近くにあります。
この比較的狭い地域に、大量の巨石が集積されています。
それらの石の一部には、写真3,4から推定されるように、完成途中で放置されたとみられるものがあります。

3.その他の巨石たち

1.巨石を支えるクサビ 2.三裂石 3.巨石の土台  4.三日月型  5.石の配列  6.石の土塁

·         これらの写真をどう解釈するかは、読者の皆さんにお任せします。というのも、足摺巨石群については、これまで部分的な調査は行われているものの、組織的で徹底的な調査は(整備、保全または復元を含め)まだ行われていないからです。
また、この種の遺跡の調査に共通する問題として、調査の前提として適切な視点を欠いていれば、(過去の調査で実際にあったように)調査そのものが見当外れに終わる可能性が大いにあります。

【補足】古代遺跡へのスタンス

足摺巨石群の唐人石の正面に、巨石を4段に積んだ部分があります。過去の調査で、それぞれの石に記憶されている「古地磁気」の偏角(真北からのずれ)が異なることがわかっており、自然の状態のものではない(移動されたもの)と推定されています。
同様に、金山巨石群のセンターストーン(40度に傾斜した約10m×10mの広さの平面が真南を向くように置かれている)や周辺の巨石も、目的をもって配置されているように見えますが、このような傾斜地で巨石を移動させることは、現代の最大の重機を使っても容易なことではないでしょう。
また、上の写真(3.平滑な面)の石や金山のセンターストーンのような硬い巨石の、完璧に近い平面の由来に関しては、どちらも縄文時代以前のものであり、想像の域を超えています。
しかし、巨石の移動や研削を技術としてみると、ギザの大ピラミッドに通じるものがあります。

ここで最小限確かなことは、「そうした能力または技術が、ある時代に地球で具現した」ということです。歴然と現物が存在しているかぎり、それは否定のしようがありません。
それを誰がやったか、またどういう手段でやったかは、本質ではありません。
事実として、それを認めることが出発点です。
その上で、現代科学の手法による調査研究や類似の遺跡との比較検討を進めるのが、まっとうな姿勢というものでしょう。
説明できないものは無視するという態度は、この場合に限らず、開明を拒絶することに通じるのではないでしょうか。

[このページのトップへ戻る]

Copyright© 2003, 2004 Eisei KOMATSU

[Copyright of Pictures]
cf. "The Ashizuri Megaliths"
NASDA (National Space Development Agency of Japan): "Ashizuri Peninsula"
Forestry Agency (Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries of Japan): "1.airview, before"
Martin Gray (http://www.sacredsites.com/index.htm): "5.Avebury"
Confirmation pending: "2.overlook, before", "3.airview, after"
Eisei KOMATSU: "The Symbol Stone", "4.overlook, recent" and "6.Carnac" of "The Toujin Field", All the pictures of "The Toujin Stones" and "Other Ashizuri Megaliths"