クロップサークルが伝えるもの(3)
以下では、最新のクロップサークルについて、それを創っている宇宙の同胞たち(クロップサークル・クリエータ)からのメッセージをお届けします。
これは、ライトワーカーのリチャードから随時送られてくるのもで、彼が一緒に仕事をしているキャロリンと共に受け取ったものです。
2010年6月7日 ストーニ・リトルトン土塁
http://www.cropcircleconnector.com/2010/StonyLittleton/StonyLittleton2010a.html
(リチャード)
6月7日に、ストーニ・リトルトン土塁(どるい)に現れたパターンについて、クロップサークルを創っている宇宙の友人のメッセージをお届けします。
名前の通り、このパターンは古代の土塁のすぐ脇に現れたもので、今や新旧の二つが並んで見られるわけです。
(クロップサークル・クリエータ)
おっしゃる通り、これらは新旧の混合物で、私たちの仕事の特徴を現しています。こうしたパターンは、古代人の仕事によって、すでに何かの特徴を備えている場所に置かれることが多いのです。その仕事の多くは、ドルイドたちによるものです。
ドルイドがアトランティスに由来していることは、ほとんど知られていないでしょう。彼らは、別の場所に逃れて、アトランティスの知識や秘儀を守ろうとしたグループの一つです。
したがって、私たちが仕事をしてきたもっと目立つ場所と同じように、この場所も、ドルイドによって創られた偉大なエネルギー遺産を携えています。そこで、このパターンをここに置いた目的は、ある意味で、人々にこの場所とこの美しい土塁を思い出していだだくことです。
というのは、これが創られた当時はたいへん活発に利用されていました。これは元々この場所にあった大地のエネルギーを強化しているので、私たちのパターンを置くのにふさわしいのです。
かつて人類は、それどころか今でさえも、こうしたエネルギーを扱う能力を持っています。これを創った人々は、土地のエネルギーを強化したり方向付けたりしたわけで、それが地球に、つまりこの周辺の土地に保存されているのです。
それが、人類にこの場所を思い出していただきたい理由です。
そこで、このパターンのことですが、ご覧のように本質的にシンプルであることが特徴です。
たくさんのサークルで構成されていますが、その一部は直線状に並んでいます。そして曲線状に並んだサークル群が2つあります。そのシンプルな対照性は、これもまた創造というもののシンプルな美しさを、潜在意識に思い出してもらうためで、そうした美点は、あなたがたの世界にこれから現れようとしている大混乱の奥底に埋もれています。
それは、これまでは混乱が少なかったという意味ではなく、あなたがたが2012年12月に近づくにつれて、さらに大きい明白な混乱状態に陥ろうとしているということです。
そこで、このパターンは、潜在意識を沈静化するものです。この目的を持つパターンについてお話しするのはこれが最初ですが、これから皆さんは、類似のものをもっと目にするようになるでしょう。
そして、このような曲線状に並んだサークル群は、「中庸の徳」を思い出させるものです。
そこで前に言ったように、これは創造というものの強力な特性で、潜在意識を沈静化するものです。つまり、すべてはうまくいっており、多くの人にとって、いろんな意味で生活がますます混乱に満ちてきているとしても、その根底にあるのは創造というものの確実性で、起こっていることのすべてに、確かな意味があるのです。
(キャロリン)
ありがとうございます。
ドルイドはアトランティス人の一部だったとおっしゃいました。たぶん小さな部分だったでしょうが、それでもアトランティスに属していたわけですね。
いま地球には、大勢のアトランティス人の魂が転生してきているように見えますが、その理由はたくさんあると思います。
そこで質問なのですが、ドルイドとのこのつながりは、人々に彼らのアトランティスへのルーツを思い起こさせる狙いもあるのでしょうか。
(クロップサークル・クリエータ)
その要素も確かにありますが、もっと大切なことは、人類一般に彼らの精神的な遺産を思い起こさせることです。
それは、人類が過去に偉大な精神的知識や能力を持っていたということで、このような場所つまり創造物は、その記録なのです。
しかし今の人類のほとんどは、そのような認識は持っていないでしょう。例えばストーンヘンジや他の2,3の遺跡のような、過去の記念碑のことは知っているとしても。
そこで、私たちがやっていることの幾分かは、すべての人類に彼らの精神面のつながりを思い出していただくことで、それが過去には、アトランティス人に限らず、この惑星のすべての人類にとって完全に生きていたということです。
確かに、アトランティスにいた人の全部ではないとしても、かなり多くが、あなた方の惑星に転生しています。それは、「アトランティスの崩落」を、現代において償うためです。この時代に達成されなければならない、ある種のカルマ的な責任があるのです。
(キャロリン)
そのお答えに感謝します。
この場所は、いくつかの理由でたいへん魅力的だとおっしゃいましたね。
何よりもドルイドたちがそこにいたこと、彼らのエネルギーがあり土塁があるということでした。
そして土塁は、地下に入っていくという意味で、人々の興味をそそるものだったと思います。そこで、地下に部屋を作った目的は何で、そこで彼らは何をやっていたのでしょうか。
どんな種類の祭り事に、人々が参加していたのでしょうか。
(クロップサークル・クリエータ)
これらは地球のエネルギーが、つまり大地のエネルギーが強化されるような部屋を創ったものです。
瞑想や類似のワークのためにエネルギーを高めるようにする、いくつかの形状が古代人によって創られています(世界のあちこちの景観の中に散らばって見える「まぐさ石(*)」は、ある意味でもっと単純化した形状です)。
したがって、その中はエネルギーが非常に強く、それは今でもそうです。
そこでは地球とのつながりが強くなっているので、人々は地球と身近でワークをやり、いつも地球と対話していました。つまり彼らは、いつもガイアとつながり、ガイアと一緒に仕事をしたのです。
そこは、ヒーリングにも極めて効果的な場所でした。ご存知のように、このようなエネルギーはヒーリングを助けるわけで、それも実際に行われていたことの一部です。
一方それらは、すでに話したことに関連して、祭祀の目的でも使われました。
また個人的な目的にも、グループとしての目的にも使われました。
(*)
一般には窓や戸口の上に渡して上部の荷重を支える構造材(石)を指すが、ここでは「ドルメン」と呼ばれるシンプルな石組みのこと(写真)。
(キャロリン)
お答えを、ありがとうございます。
古代人が、彼らの精神的遺産とそれほども密着していたことを、現代の人々はまったく知らないと思います。
私たちが、そうした精神的要素からどれだけ遠く離れた道を歩んできたかを見て知るのに、今回の配置はたいへん役立つと思います。ありがとうございました。
【解説】(小松)
ここで初めて明らかにされたメッセージは、人類の歴史観を一変させるほどのインパクトを持っています。
つまり、ドルイドはアトランティスに由来し、その知識や秘儀を守り伝えてきたグループの一つだという指摘です。
これは、ドルイドだけの話しではなく、世界中に散在する巨石構築物の目的や建造年次に関係し、またアトランティスの崩落から現在に至る地球世界の「裏の支配構造」の由来にも関係します。
それが意味することには、はかり知れないものがあります。
ドルイドとは、古代ケルト社会の精神的・政治的支柱として重要な役割を果たしてきた司祭階級の名称です。
古代ケルト人は、古代ローマの武将カエサル(ジュリアス・シーザー)がヨーロッパの主要部を統一するまでは、今のフランスからドイツ南部およびイタリア北部に至る「ガリア」と、今のイギリスとアイルランドを主体とする「ブリタニア」という、ヨーロッパの枢要部で独自の文化を築いていました。
しかしケルト人は「書き言葉」を持たなかった([注]:日本の「縄文時代」に酷似している!)ので、ドルイドやケルト人についての情報は、当然ながらローマ人など「征服者側」の断片的な観察や先入観によって潤色されたものになるのは仕方のないことです。
しかも、征服者が推進した「同化政策」や、キリスト教宣教師による「異教徒弾圧」と「事実の歪曲」によって、時代を経るに従って、ドルイドやケルト人についての情報は、真実から遠いものになってきたと考えられます。
しかし、ドルイドの実像として過去2000年の文献がほぼ共通しているのは、彼らが賢者であり、優れた技術や知識を持ち、時には魔術のようなことを行う能力すら持っていたという認識です。
そして、ドルイドを通じて、プラトンなどが語り継いだ太古の「黄金時代」への手がかりを追求しようとする傾向も、ヨーロッパに根強くあります。
したがってヨーロッパでは、ドルイドは重要な歴史的研究対象の一つでもあります。
その頂点をなす最も客観性に徹した著作は、スチュアート・ピゴット(Stuart Piggott、1910-1996:エジンバラ大学教授・当時)の“THE DRUIDS” (1968年発行)でしょう(邦訳:『ケルトの賢者「ドルイド」』、2000年発行:鶴岡真弓
訳)。
ある会で鶴岡さん(現・多摩美術大学教授)は「買う人はあまりいないと思う」と話されていましたが、図版130点を含む素晴らしい著作です(邦訳は3200円+税)。
この中で鶴岡さんは、(訳者として)次のように書いています。
《ドルイドとは誰なのか。私たちが知っているのは、二千年の歴史を経て美化され、解釈され、歪められたドルイド像でしかない。さまざまな解釈の織りなすドルイド像に、私たちは酔っている。だがドルイド自身は、私たちに何も書き残していない。ドルイドについて記してきたのは、ケルト人を北方の蛮族として最初に記したギリシア人であり、古代ケルト人と戦ったローマ帝国の軍人や歴史家であり、ドルイドを異教として排斥したキリスト教の聖職者であり、そして後世、ドルイドという存在に文明の始原やヨーロッパの源流を見ようとした近代のロマン主義者たちである。
酔いからさめ、解釈のもつれをほどいてドルイドの実像に近づこうと思えば、まず方法論的な検証が必要だろう。ドルイドに関する情報は、「現存する証拠」と「知識としての過去」、そして「願望としての過去」に分けられる。それぞれに対応するのが「考古学的な証拠」であり、「古典古代の文献、および、ケルトの伝承にもとづく中世の文献」であり、「近代以降の(想像力たくましい)文献」である。
古代文献の多くは、ドルイドを「神々と人間を媒介する賢者」として記録している。宗教的な役割はもとより、農耕に不可欠な暦の知識の継承者であり、戦争と平和を仕切る権威も委(ゆだ)ねられていたようだ。俗世間におけるもめ事を裁定する司法権を行使していた形跡もある。
古代ケルト社会で戦士階級の上にあった祭司集団にあって、ドルイドは口承による特殊な教育を受けた知的エリートであった。その地位は世襲ではなく、あくまで研鑽の結果によっていた。》
ちなみに2000年以上前に、純粋な形のドルイドやケルト人と曲がりなりにも接触したカエサルは、その著書『ガリア戦記』の中で、ドルイドが口伝だけで文化を継承し何も書き残さないことについて、「人々は文字の助けがあると、習得する努力や記憶力を軽んずるようになる」という観察を残しています(これはカエサルが、単なる武将を超えた存在だったことを示唆しています)。
一方、有名なイギリスのストーンヘンジやエイヴベリー、フランスのカルナックを始め、この地域でたくさん見られる土塁やドルメンを含む巨石構築物が、ドルイド(ケルト人)の手になるものだという有力な学説がありましたが、今回のメッセージはそれを裏付けています。
しかもそれら構築物は、エネルギー増幅器かつ貯蔵器としての機能を持っており、祭祀や瞑想やヒーリングだけでなく、ガイアと対話する場所でもあったことを明らかにしています(したがって埋葬の場所ではないので、ここでは「古墳」ではなく「土塁」という言葉を使いました)。
この点に関して、多数の研究者の中で最も的確な見解を持っていたのは、イギリスの巨石考古学者ジョン・オーブリー(John Aubrey、1626-1697)ということになるでしょう。それについて、上記ピゴットの著書では、次のように紹介されています。
《オーブリーはローマ時代以前のブリタニアに関する古典の記述を的確に拾い上げ、これらの文献とエイヴベリーやストーンヘンジなどの環状遺構で彼が先駆的に行った第一級のフィールドワークの結果や英国西部にある小規模な環状遺構の知識を照合した。後述するように、これらの遺構をローマないしはそれ以降のものとみなす当時の大方の見方には与(くみ)せず、オーブリーは古代のブリタニアに属するものと考えた。また遺構の特徴から、家屋なのか防壁なのか、埋葬地なのかはわからないとし、残された選択肢として、儀式または宗教的な中心、つまり屋外の神殿であるという仮定をとった。いまもこのオーブリーの論法を越えるものは出ていない。オーブリーは人人が先史時代に関して浅薄な見方しかできなかった時代にあって、古典古代に記載されたローマ時代以前の祭司集団と環状遺構群が同じ時代に属すると考え、取り残された神殿をドルイドに結びつけることで、先史時代の考古学に補助テクストを加味したのだった。》
ちなみに、この分野の研究で有名なウィルアム・スチュークリ(William Stukeley、1687-1765)の所説は、基本的にオーブリーの見解を踏襲しています。彼は研究に本腰を入れるようになった30歳頃から、オーブリーに傾倒していたのです。
以上に加えて、今回のクロップサークル・メッセージの重要なポイントは、アトランティスの「善なる(ポジティブな)側面」をドルイドが継承しているということです。
これに、他の情報を加味すると、アトランティスから現代につながる、驚くべき全体像が浮かび上がってきます。
アトランティスの「ネガティブな側面」は、現在の地球を実効支配している秘密結社(「シャドウ・グループ」)につながりますが、「ポジティブな側面」は(残念ながら現状では)ある程度まとまったグループとしては世界の各地に散在する先住民ぐらいしか見当たりません。
しかし、わずか2000年前頃までは、ドルイト(ケルト民族)という大集団が、単にアトランティスの知識や秘儀を守ってきただけでなく、それを実際に活用する能力も保持して、地球と調和する営みを続けてきたのです。
ストーンヘンジの考古学的な調査研究によって、それが何段階かにわたって建造されたことがほぼ解明されており、建造年次も(完璧ではないとしても)ほぼBC3000年頃からBC1500年頃にわたると推定されています(いずれにしても、アトランティス崩落以前のものではないでしょう)。
この時期は、人類の「正統的な」歴史認識では新石器時代に該当し、ストーンヘンジのようなものは明らかに、正当とされている考古学や歴史学が「説明できない異端の建造物」に該当します。――しかしそれらが、ドルイドの手になるものとすれば、納得することができるでしょう。
ドルイドは、どういう経過をたどって、アトランティスの知識や秘儀を「生きたまま」継承してきたのでしょうか。
おそらく、アトランティスでネガティブな勢力が力を増し始めた時期に、妥協してアトランティスにとどまることをせず、早めに「僻地へ逃れた」グループの一部がドルイド(ケルト民族)だったでしょう。
したがって彼らは、「アトランティス崩落」の影響を直接的には受けていないので、(地底世界へ逃れたグループと同様に)アトランティスの高度な技術や精神文明を「当時の姿のまま」継承し発展させてきたと考えられます。
ここから導かれる結論は、いま世界中で見られる巨石構築物には2つのグループがあり、1つはアトランティス以前の人類の「黄金時代」に建造されたもの、2つ目は、ドルイド(および類似の経過をたどった小集団)の手によってアトランティス崩落以降の時代に建造されたものということです。そして大半は、日本のものを含めて、前者に属するとみています。
なお、アトランティスの実在が、いまだに現代社会で公知のことになっていない理由については、次を参考にしてください。
《「シャドウグループ」に関して厄介なのは、その本体は常に裏に隠れていて、政治や経済や宗教などを含む人類社会のあらゆるキーポジションに息のかかった人物を配置することを通じて、裏で密かにコントロールしていることです。
その支配構造を維持強化するために「シャドウグループ」は、アトランティス崩壊後の永い歴史を通じて、多数の「工夫」を案出してきました。
それらは、真実を歪曲または隠蔽し、彼らの利己的な目的に都合がいい「別の世界像」を押しつける企みですが、基本的に、あらゆる学問領域に厳密な「正統の枠」を設定し、少しでもそれから外れたものを「異端」として排斥する仕組みです。
その場合、「科学の大枠」として威力を発揮したのが、「文明の直線仮定」と「非物質領域の存在否定」です。そして後者に関連して、誰もが本来持っている「現実創造力」を否定してきたことです。
「文明の直線仮定」は、地球での人類の出現を描くことから始まります。それによると、「ヒト」は、動物の進化の過程で、その分岐として(猿の進化形として)出現したというもので、その後、旧石器時代、新石器時代、青銅器時代を経て、現代につながる鉄器時代へと進化してきたことになっています。
私たちは既に、「アトランティス文明」や「巨石文明」の存在を見てきました。また「ギザの三大ピラミッド」は、建造がBC1万年頃とすれば、旧石器時代の終りからから新石器時代の初めに相当することになります。
そこで「シャドウグループ」は、「アトランティス文明」は歴史から完全に抹消し、現在も痕跡が残る「巨石文明」は学問としての研究対象から除外し、「ギザの三大ピラミッド」は時代を数千年ずらしてエジプトのファラオたち(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)が王墓として建造したとする「学説」を普及させてきました。
しかし、例えば大ピラミッドを少し詳細に研究すれば、直ちに「学説」の矛盾が露呈します。そこで、「正統派の学者」として身を立てていくには、「説明できないものは徹底的に無視する」スタンスが推奨されたのです。》(『アセンションへのいざない』)
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