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●この機会にイエスに関係する親族の真実を明かします―聖母マリア・(アセンション時局’16)
――「極めて大切な歴史認識」に光を当てる
[2016年 9月12日]
【目次】
◆アトランティスの崩壊とエッセネ(Essenes)の役割
◆イエスとマグダラのマリアの使命(その一部として人類のDNA修復)
◆数百年以上にわたり生き続けた私の母(イエスの祖母)アンナについて
◆私の夫ヨセフと実子であるイエス、それぞれの「モナド(monad)」の特別の関わり
◆関連するマグダラのマリアのメッセージ
◆新約聖書にはどう書かれているか
【補足】―より確かな理解のために
【はじめに】
本稿は、2015年12月24日に掲載した〔もうすぐ、今にも、それは実現します―聖母マリア〕の【解説】の記事を、「より陽当たりのよい表通り」でご覧いただき理解を深めていただくために再構成したものです。
その理由は、今回の地球と人類のアセンションへ私たちを導く立場を持つ最も重要な存在は、創造主を別とすれば、イエス(サナンダ)とみられるからです。
したがって約2000年前の彼の地球での生涯を、関連人物も含めて正しく理解することは、すべての人類にとって極めて大切な歴史認識だと考えられます。
以下の本文は、上の表題の通り聖母マリアが2009年のクリスマスに寄せられキャロリン(Carolyn Evers)が受信したメッセージの抜粋を中軸とし、それに関連するマグダラのマリアのメッセージおよび関係人物の(標準とされている)新約聖書の記述によって構成してあります。
ちなみに、イエス(サナンダ)に対する創造主の見方は、次の言葉に端的に表われています。
――あなた方に対しては、たぶん他の誰よりも、たぶんイエスと呼ばれている者以外の誰よりも多くのことが求められましたが、それを見事にやり遂げてくれたので、もし可能ならお二人をもっと愛してあげたいと思うくらいです。それができるかどうかわからないけれど、そうだと言いましょう。
なお上の「お二人」とは、キャロリン(Carolyn Evers)とリチャード(Richard Presser)のことです。
【解説・本文】
ご存知のように、この世界に無数にある各宗教・各宗派が、「自分たちの神」こそ「唯一の神」という教義を置き、またはそれに近い主張をすることが、この世界の混乱や対立・抗争に輪をかけています。
キリスト教自体は、例えば新約聖書にある次の記述が、この点については「歯止め」になっているように見えます。
――イエスはお答えになった。「第一の掟はこれである。『イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコによる福音書12:29-31)
【注】上の「イスラエルよ、聞け」は、当時のイスラエル民族への呼びかけの言葉です。
しかし同じ聖書の、次を援用してイエスを神格化する「無理なこじ付け」も一部では行われているようです。
――「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものより先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」(コロサイ信徒への手紙1:15-16)
今回のメッセージで聖母マリアは、「愛」と並んで「英知」を持つことの重要性を強調されています。
――もしこれが達成されたら、私は英知について語りましょう。―というのは、愛と英知とは互いに不可分に結びついているからです。
そして「真実を知る」ことは、「英知」を働かせる大前提でしょう。
残念ながら聖書の、特に新約聖書の記述には、大幅に改変され歪曲されているとみられる部分が少なからずあります。
したがって、「教会の教え」から離れて「聖書を中心とする真実の探求」をしたところで、十分な「英知」が得られるとは考えられません。
そして聖書の改変・歪曲が最も露骨に現れているのが、「イエスの生誕」に関係する部分です。
この点を、聖母マリアは十分にご存知で、人類が「真実を知る」必要を痛感されているようにみえます。
上に関連してこの機会に、聖母マリアがクリスマスにちなんで2009年12月に降ろされたメッセージの一部を以下に紹介します。(全文のe-bookを〔こちら:Click
here〕からダウンロードできます。有料:$17で英文です。)
◆アトランティスの崩壊とエッセネ(Essenes)の役割
――エッセネは、その期限をアトランティスにまで遡ることのできるグループでした。
彼らはアトランティスに存在した知識や技能の多くを守り伝えてきたグループで、アトランティスにあったテクノロジーの一部は実際に継承されてきました。
そして、ある意識のレベルで作動する当時の技能を、アトランティス崩壊後も守り伝えるには、大変な規律と訓練が必要で、その全体を継承することは不可能でした。
なぜなら、アトランティスの崩壊をきっかけに、人間の肉体自体が大きく変わり、人が持つ波動レベルが大幅に低落したからです。
◆イエスとマグダラのマリアの使命(その一部として人類のDNA修復)
――イエス(Jesus, Joshua:ヨシュア)の使命は多岐にわたっていますが、その一つは「修復作業」で、イエスとマグダラのマリア(Mary Magdalene:マリア・マグダレネ:MM)の子供たちが受け取ったDNAを広く人類に拡散させることでした。
――イエスの使命、そしてマグダラのマリアの使命に関連して、マグダラのマリアの母(Mary of Magdala:母MM)のことに触れておきます。
母MMは、バルタサール(Balthazar)として知られる人の娘で、彼はいわゆる「東方の三賢人」の一人でシリアの王でした。
したがって彼女は言うまでもなく大きな資力を持っていましたが、秘教的な伝統を深く学ぶ道を選んだので、その道の修道場に彼女の名前が冠されたほどでした。
その場所は、アリマタヤのヨセフ(Joseph of Arimathea)の広大な邸宅がある地域で、それは彼が非常に富裕で、持ち前のビジネスの才覚と鉱石の、特に錫の商売での成功が背景にありました。
その関係で彼は、イギリス・コーンウォールにある錫鉱山のほとんどを所有していました。
上の説明だけでは、聖母マリアの意図が伝わりにくいと思いますが、他の情報と総合すると、こういうことになります。
母MMはアリマタヤのヨセフと結婚し(5BC)、その翌年に最初の子供(長女)を授かります(4BC)。それがMMなのです。
そしてイエスの祖母が、下に別項で説明するアンナ(Anna:Saint Anne)であることは今では良く知られている事実です。
つまり聖母マリア(Mary Anna:20BC-)は、再婚したアンナがヨアキム(Joachim)との間にもうけた子供です。
その前にアンナはマティア(Matthais:[注]イエスの使徒とは別人)との間に男児をもうけており、それがアリマタヤのヨセフ(57BC-)です。
さらに、聖母マリアが夫ヨセフ(聖ヨセフ:Joseph
ben Jacob:37BC-)と結婚(5BC)して最初に授かった子供がイエスです(4BC)。
つまり、イエスとMMとは同じ祖母(アンナ)を持っており、「いとこ同士」です。しかも「同じ年(4BC)」に(さらに言えば同じ日に)生まれています。
そしてアンナの血統(DNA)は、両者を通じて「3人の子供たち」に受け継がれています。後述するように、これは極めて重要な事実です。
◆数百年以上にわたり生き続けた母アンナについて
――彼女はイエスが生まれた時点では、あなた方の概念では、非常に高齢ということになるでしょうが、実際には誰が見ても35歳そこそこに見たでしょう。
そして、これには皆さんも同意されるでしょうが、その時点で彼女は「桁外れに」高齢で、500歳に近かったと思います。
そのように彼女は偉大なマスターで、多くの分野で才能を発揮した卓越したマスターでした。
彼女はドルイドから学び、非常に永くエジプトでも過ごしました。また彼女は、ババジのようにヒマラヤでも過ごすなど、たいへん広範に学んだ、ずば抜けた教師でした。
そしてまた、カルメル山(Mt Carmel)にあったエッセネたちの、偉大な修道場での学習の責任者でもありました。
◆聖母マリア、夫ヨセフと実子であるイエス、それぞれの「モナド(monad)[注]」の特別の関わり
――このことを理解している人は少数で、これに私が言及するのは初めてだと思いますが、私はアローラ(Alorah)として知られるモナドの側面を持っており、それはセラヒム(Seraphim)の次に創られた初期のモナド・チェルビム(Cherubim)の上級版と位置づけられています。
そして、モナド・マリエッタ(Marietta)の側面を持つ者が皆さんの惑星に生まれてくる場合は、その母として常にアローラの側面を持つ者がやって来ることになっています。
これは、これまでも常に行われてきたことで、これからも変わらないでしょう。
あの生涯で、私はそのような高いレベルから彼(イエス)の母としてやって来ました。
――そして言わばアローラのパートナーとして、マリエッタの側面を持つ者つまりイエスの、父となるべき高いモナドの側面を持つ存在もやって来ることになっており、それがヨセフでした。
それについて、こういう見方もできるでしょう。
皆さんの美しい惑星で展開する出来事のために、3人の偉大な存在が一緒になって参画した――アローラとそのパートナー、そしてマリエッタとして知られる存在が。
母と父そして子としての、この組み合わせは何度も地球にやって来ており、皆さんの歴史では、その一部は特定の人たちに認識されていますが、他の多くのケースは認識されていません。
しかしそれは定められたパターンで、間違いなくイエスは、私自身と彼の父で私のパートナー・ヨセフとの間に生まれた子供です。
[注]モナド(monad):創造主の分身として魂が創られる際に、それぞれが特定の個性を持つ「魂の大元(モナド)」が先ず創られ、そこから多数の個別魂が派生する構造になっている。各モナドは、自己から派生させた個別魂の宇宙の様々な領域における体験を集約すると共に、独自の理念や意図を持って、創造の目的に沿う方向に個別魂を導く役割を果たしている。個別の魂からすればモナドは自分の別の側面で、それを通じて創造主に繋がっており、また同じモナドに属する多数の個別魂の転生体験を共有している。
※
◆関連するマグダラのマリアのメッセージ
ここに、上の〔聖母マリアのメッセージ(2009年12月)〕と完全に整合する、〔「マグダラのマリア」のメッセージ〕の関連個所を抜粋します。
――そして私は気づいていますが、多くの方が私とのつながりを感じておられると思います。
私が地球で生を持った時、皆さんもその時代を生きていたからです。
また同時に、ご存知と思いますが、ある意味でイエスと私が行った仕事は、多くのチェルビムたちの仕事をサポートすることだったのです。
というのは、多くの方がご存知かと思いますが、「マリエッタ[注]」の側面が地球に転生してくる時にはいつも、それを支援するためにチェルビムたちもやって来るからです。
イエスの時もその例外ではなく、エッセネの多くは、地球に転生してきたチェルビムたちでした。
[注]マリエッタ:創造の早い時期に創られた「モナド」の一つで、神智学では「愛の天使」と呼ばれることがある。イエスは、マリエッタの側面が地球に転生してきた存在だった。
そして皆さんの多くは、その当時「エッセネ[注]」の一人だったのです。
したがって、皆さんが私とのつながりを感じるように、私も皆さんすべての方とのつながりを同様に感じています。
[注]エッセネ:一般にイエスの時代とその前後にパレスチナにあったユダヤ教の一分派ということになっているが、聖書を含めて歴史書には信頼できる情報はない。むしろアトランティスからの疎開者に源流を持ち、その精神や知識や秘儀を守り伝えてきたグループで、イエスの時代のパレスチナでの「チェルビムたちの地上の受け皿」で、「イエスの教え(原始キリスト教)」の母体にもなったと見るのが実情に近いと考えられる。
ここで申しあげたいことは、イエスと共に働いた人生は、多くの意味で素晴らしく楽しい体験だったということです。
女性を尊敬する男性と生活を共にすることにより、その時代を生きた女性として期待できるすべての表現を体験できたからです。
そのように私たちは大きな愛と尊敬を分かち合い、人間としてそしてスピリチュアルな存在として、開花した能力に目覚め、それを協同して活かすことができました。
皆さんの歴史では、専らイエスが行ったことになっていますが、真実は私たち二人の協同の仕事でした。
そのことはほとんど伝えられていませんが、これについて彼が、別の認識を示すことはほとんど考えられません。
彼は、非常にそのような特質を持っていました。女性の立場をよく理解していたのです。
だから、その当時は楽しく、貴重な人生でした。
――素晴らしいことの一つは、私たちが三人の子供を持ったことです。
しかし、これらの子供たちが持つ「血統を今の時代に残す」という特別の役割のために、幼い頃に手放して他の人に養育してもらう必要がありました。
そのため息子のうち一人は私の父の手に委ね、もう一人はインドにいたイエスの親族に預けることになりました。
これは、たいへん苦しい決断でした。もちろん私は、子供たちを深く愛していたからです。
――私たちは、非常に幼少の頃からお互いを知っていました。
私の母とイエスの母(いわゆる聖母マリア)とは、そして私の父とは、お互いに兄弟姉妹でした。
正確には、それぞれの父が違っているので「ハーフ兄弟姉妹」でした。
つまり私たちは、いとこ同士だったのです。
歴史を学んだ方ならご存知と思いますが、当時の私の父は非常に裕福で、おそらく世界で最も裕福と言ってもいいほどでした。
イエスがイギリスで学ぶための資金を出し、実際にブリトン(今のイングランド)まで連れて行ったのです。
また、イエスのインド旅行の資金も出しました。それは、大勢の人々やラクダや装備なども伴う、大規模のものでした。
しかも数年にわたるものだったので、相当なプロジェクトでした。
このように、幼少の頃から、私たちの家族は非常に近いつながりを持っていました。
親たちは皆、私たちがどういう存在で、何のためにやって来たかを理解していました。
そういうわけで、私たちは非常に幼い頃からお互いに知り合っていたのです。
そして何より、私たちは大切な友達どうしでした。
しかし、ある意味で私たちは、それぞれ異なる道を歩みました。
それは、イエスがブリトンで何年か過ごし、またインドでは7年前後を過ごしたので、それらは相当に永い期間でした。
私自身は、どちらの旅にも同行しなかったのです。
若者の普通の成長過程と同じように、それぞれの道を歩んだわけですが、元々の親近感や友情、そしてお互いへの理解が消えることはありませんでした。
その理解は、一貫してあったのです。
しかし成長して大人の男女になり、人間的な愛が芽生えるとすれば、お互いにビックリしたでしょう。
そういう時が来ることを予想していただろう、とお考えになる方もいるかもしれませんが、そうではありませんでした。
簡単に言えば、私たちは、この惑星での全生涯を通じて、お互いを知っていたということです。
※
◆新約聖書にはどう書かれているか
上にある「イエスの生誕」に関係する事項や、それに関連する人物が、標準とされている新約聖書では、このように記述されています。
・イエス・キリストの誕生
――イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、精霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に表われて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は精霊によって宿ったのである。マリアは男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
(マタイによる福音書1:18-22)
・アンナ(Anna:Saint Anne)
――〔神殿で捧げられる〕また、アシュル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、その時、近づいてきて神を賛美し、エルサレムの救いを待っている人々皆に幼子のことを話した。
(ルカによる福音書2:36-38)
・ヨセフ(聖ヨセフ:Joseph ben Jacob)
〔上記したイエス・キリストの誕生での記述の他に、間接的言及として次が見られる〕
――〔ナザレでは受け入れられない〕イエスはこれらのことを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇蹟を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」
(マタイによる福音書13:53-56)
・マグダラのマリアの母(Mary
of Magdala)
〔聖書での記述は見られない〕
・マグダラのマリア(Mary
Magdalene:マリア・マグダレネ)
――〔イエスの死〕またそこでは大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
(マタイによる福音書27:55-56)
――〔墓に葬られる〕夕方になると、アリマタヤ出身の金持でヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布で包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に収め、墓の入口には大きな石を転がしておいて立ち去った。([注]:以上はアリマタヤのヨセフに関する参考)
マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
(マタイによる福音書27:57-61)
――〔復活する〕さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
(マタイによる福音書28:1)
以上を総合すると、「イエスの神格化」に寄与しない、または邪魔になる事柄や人物を、歪曲したり矮小化(わいしょうか)したり抹殺したりする「工夫」が、現行の聖書の随所に織り込まれているようです。
【補足】―より確かな理解のために
◆「もう一人のマリア(上の〔墓に葬られる〕と〔復活する〕の記述)」とは誰か
人の死に直面して、「妻」と「実の母親」が(他の誰よりも)できるだけ遺体の傍に居ようとするのは当然の姿です。つまりヨシュア(イエス)の妻であるマグダラのマリア(MM)と母である聖母マリアとが。したがって、「ヤコブとヨセフの母マリア(上の〔イエスの死〕の記述)」も聖母マリアのことでしょう。
元の聖書を改変して、この場面で「聖母マリア」を曖昧にした動機は、MMについて例えば下のような記述(改変)をした理由と表裏一体とみられます。実際には、「(イエスの伝道は)二人の協同プロジェクト」で「彼らはいつも、一体となって仕事をしていました」(ヨハネの言:「マグダラのマリア」のメッセージ 【解説】を参照)。
――〔マグダラのマリアに現れる〕イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現わされた。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。
(マルコによる福音書16:9)
私たちが「聖書のワナ」に囚われない秘訣は、どうやらコモンセンスを働かせること。そして道理を外れた記述は、いっさい無視することのようです。
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