アセンション時局’03

 

03.02.10)不必要な戦争

人類のため地球のために、いま平和を祈念し平和を意図することが大切だとわかっていても、あたかも戦争が不可避であるかのような政府筋の動きやメディアの大合唱をみていると、むなしい思いを持つ方も少なくないのではないでしょうか。

しかしこれは、一部の者によって意図的に造られた状況です。「はじめに戦争ありき」です。そして戦争を正当化するために、歴史的事実を歪曲し、いたずらに恐怖感、憎悪そして敵対心を煽ることが行われています。

したがって私たちは、マスメディアの(特に日本のマスメディアの)表面にほとんど登場しない事実をも掘り起こして、状況を正しく認識し、確信を持って世界平和への意図を強める必要があります。

 

いま、世界平和への真の脅威は何でしょうか。米ロが依然として大量に保有している核弾頭ミサイルは脅威ではないでしょうか。国連があり、条約があり、核査察があっても、大統領など軍のトップが「単独でもやる」と言えばそれまでです。過去のすべての戦争は、そういう形で始まっています。

また、英、仏そして日本などが保有する、数十トンを超えるプルトニウムはどうでしょうか。

北朝鮮の寧辺の小規模な再処理施設が脅威なら、日本が六ヶ所村に1兆円以上をかけて建設している巨大な再処理施設は(例えばアジアの国々にとって、また日本国民自身にとっても)脅威ではないのでしょうか。

 

2001年の「9.11事件」のような出来事は、間違いなく人類にとっての大きな脅威です。それを誰がやったのか、真犯人は誰なのか。これほど重要な犯罪行為がほとんど追求されず、「テロとの戦い」という一般的な概念の中に吸収させて、うやむやにされています。何事も徹底的な捜査と裁判によらなければ片付かないアメリカでは、極めて異常なことです(日本のオウム/サリン事件の捜査に投入されたエネルギー、そして現在も続いている膨大な裁判と対比してみてください)。

 

一方、世界平和への真の脅威は誰でしょうか。戦争を急いでいるのは誰でしょうか。

公平に見てそれは、ブッシュ大統領とブレア首相(「B・Bコンビ」)ではないでしょうか。何しろこの2人は、もし戦争になれば、イラクの民間人に多数の死傷者が出ることは避けられず、また双方多数の兵士たちの妻子が路頭に迷う事になることなど意にも介していないようで、粘り強く平和的解決策を追求するよりは、一刻も早く戦争を始めたいと考えているようですから。

 

イギリスのある世論調査によると、66%の人が、「トニー・ブレア首相は、イギリス市民の意向よりも、ジョージ・W・ブッシュ大統領を支援することに気を配っている」と考えています。

また、半数以上が「ブレアがブッシュのプードル(犬の種類、転じて人の言いなりに)なることを恐れている」とのことです。

米英の経済規模や軍事力の格差を基準にすると、そのように見えるのでしょうが、実際は2人の立場は逆かもしれません。ブレアの動きをよく観察してください。節目節目でブレアが登場して、ブッシュを叱咤激励し、またブッシュが動き易くなるように、背後の環境造りを画策しているように見えないでしょうか。

 

たまたま、イラクについての「機密情報」に関するパウエル報告(2003年2月5日、国連安全保障理事会)について、BBC(英国放送協会)のWEBサイト国際版が、世界各地からの61通の投書を掲載していましたが、いみじくもその冒頭に次がありました。

Have your sayThe problem is not so much that there is no basis for action now, but more that it was only after Bush decided on Iraq as the next target that Blair decided that this was an important issue. This is why people believe that he is merely following in the president's footsteps rather than making the agenda for himself. (この報告の難点は、いま行動を起こす根拠が薄弱だということ以上に、ブレアが重大な問題だと決定したイラクに、ブッシュが次のターゲットとして狙いをつけた後の報告にすぎないことだ。だから、パウエルは大統領の足跡をなぞっているだけで、自分の考えで報告事項を組み立てたわけではない、と誰もが信じているのだ。)
Jake Allen, London, England

まさにその通り、ごく最近パウエルは、小学生たちの前で、「怠けていると大統領の機嫌が悪いので、私も一生懸命働いています」と語っています。

 

さて、そのブレアは、イギリス国内で、急速に支持を失いつつあります。

次は、イギリスの著名な世論調査機関であるMORIの調査結果です。

2003年1月17-20日の調査結果を、2002年9月24-25日のそれと(一部は同年10月11-13日のそれとも)対比しています。

Q Do you approve or disapprove of the way the President of America, George W. Bush, is handling the current situation with Iraq (the country ruled by Saddam Hussein)? ブッシュ大統領のイラク情勢への対応の仕方についての賛否

 

24-25Sep 

 17-20Jan

 (変化)

 

2002

2003

Change

 

%

%

±%

Approve(賛成)

30

19

-11

Disapprove(反対)

59

68

+9

Don't know(わららない)

11

13

+2


 

Net approve (+%)(賛成−反対)

-29

-49

-20

Q Do you approve or disapprove of the way the Prime Minister, Tony Blair, is handling the current situation with Iraq? ブレア首相のイラク情勢への対応の仕方についての賛否

 

24-25Sep

 11-13Oct

 17-20Jan

 (変化)

 

2002

2002

2003

Change

 

%

%

%

±%

Approve(賛成)

40

35

26

-14

Disapprove(反対)

49

47

62

+13

Don't know(わからない)

11

18

13

+2


 

Net approve(+%)(賛成-反対)

-9

-12

-36

-27

Q Would you support or oppose Britain joining any American-led military action against Iraq, with UN approval? 国連の合意のもとで、アメリカ主導の対イラク作戦に英国が参加することへの賛否 

 

24-25Sep 

 17-20Jan

 (変化)

 

2002

2003

Change

 

%

%

±%

Support(賛成)

71

61

-10

Oppose(反対)

23

29

+6

Don't know(わからない)

6

10

+4


 

Net support (+%)(賛成−反対)

+48

+32

-16

Q Would you support or oppose Britain joining any American-led military action against Iraq, without UN approval?  国連の合意なしに、アメリカ主導の対イラク作戦に英国が参加することへの賛否

 

24-25Sep

  17-20Jan

 (変化)

 

2002

2003

Change

 

%

%

±%

Support(賛成)

22

15

-7

Oppose(反対)

70

77

+7

Don't know(わからない)

8

8

0


 

Net support (+%)(賛成−反対)

-48

-62

-14

 

他にも同種の世論調査がありますが、どれも同じような結果です。ブレアにとって、目を覆うばかりの惨状と言っていいでしょう。

このような状況にもかかわらず、なおブレアを(そしてブッシュを)戦争へ駆り立てるものは何でしょうか。何がドライビング・フォース(駆動力)になっているでしょうか。

それが何であれ、平和や愛を志向するものとは、別のものであることは間違いありません。

 

もし動機が世界平和を目指すものなら、少なくとも平和への近未来のビジョンや具体構想を、上位の構造として最初に明示するのが筋というものです――すでに世界中に拡散している大量破壊兵器(またはその原料)、つまり米ロの核弾頭ミサイルや英・仏・日などが抱えるプルトニウムの処理方法も含めて。

 

B・Bコンビ」の現時点での唯一のよりどころは、サダム・フセインを(幻想的な)悪者に仕立て上げることです。

しかし、サダム・フセインを(自分たち以上の)危険人物だとする理由は、たいへん薄弱です。

歴史をかえりみれば、アメリカが、サダム・フセインのイラクと「ただならぬ仲」だったことが実際にあります。

 

1980年代に、イラクがクルド(イラクとイランにまたがって居住する少数民族)とイランを、生物化学兵器で攻撃したとき、アメリカはそれを支援するために、イラン兵の配置を示す衛星写真をイラクに提供したのです。

また当時のレーガン政権は、イラクが炭疽菌、西ナイルウイルス、そしてポッリヌス菌などを入手するのを支援しており、その中心人物が現在のドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時の中東地域特別大使)です。そして、それら生物化学兵器を、今やイラク非難の重要な種にしているという次第です。

 

以下では、ハーバード大学(J・F・ケネディ政治学校)のホームページに掲載されている、『イラクへの戦争は不必要』を紹介します。

これを読んで、イラクへの戦争が本当に必要なのかどうか、じっくり考えてください。

 

なお、紙面の関係で途中を省略してありますが、論旨は一貫しており、引用した部分だけでも十分に著者の意は通じると思います。

原文で読める方は、次をご覧ください(“Why A War Against Iraq Is Unnecessary”)。

http://www.ksg.harvard.edu/news/opeds/walt_war_iraq_ar_013103.htm


 

イラクへの戦争は不必要

ジョン・J・マースハイマー     スティーブン・M・ウォールト

(シカゴ大学教授・政治学) (ハーバード大学教授・国際関係)


戦争をよくみると、歴史の歪曲と欠陥だらけの論理に依存していることがわかる。

 

もしアメリカが近々イラクに開戦するとすれば、とりあえずの理屈は、サダム・フセインが、国連の新たな査察体制に、ブッシュ政権が満足するような形で対応しなかったということになるだろう。しかしこの不履行は、この1年内にフセインとアメリカが衝突するに至った真の原因ではない。

衝突の深い根っこは、大量破壊兵器の使用をフセインに思い留まらせることはできないから、彼を倒さなければならないという、アメリカの立場にある。予防戦争の主張者は、たくさんの議論を展開するが、彼らの切り札は、フセインの過去の行状があまりにも向こう見ずで、無慈悲で、また攻撃的だから、WMD(Weapons of Mass Destruction :大量破壊兵器)特に核兵器を委ねるわけにはいかないという点である。彼らは、イラクへの戦争はコストがかさみ、アメリカ軍の駐留が長引き、他国との関係が微妙なものになるかもしれないと認めることもある。しかしこれらの関心事は、フセインと核兵器の組み合わせは危険すぎてとても許容できないという確信によって覆い隠されている。この理由だけで、彼は消えなければならないのだ、という。

予防戦争の反対論者でさえ、イラクには抑止は通用しないと考えているようにみえる。しかしこれら穏健派は、イラクに侵攻して支配体制を転覆させる代わりに、戦争の脅しをかけながら、フセインに新たな武器査察を認めるよう強いる方策を好むようだ。彼らの望みは、査察によって出てくる、隠されていたWMDの在庫や生産設備のすべてを抹消し、フセインがこれら致命的な武器を決して手にできないようにすることである。このように、強硬派の予防戦争主唱者も、穏健派の査察支持者も、同じ基本前提を受け入れている。つまり、フセインを抑止することはできないから、彼に決して核兵器を持たせてはならないという。

この議論には1つ問題があり、ほとんど確実に誤りだと指摘できる。フセインの過去の行動は彼を抑止することはできないことを示している、という思い込みは、歴史の歪曲と間違った論理に依存している。実際には、歴史上の記録は、もしフセインが核兵器を持っていたとしても、アメリカはイラクを効果的に抑止できることを示している、冷戦時にソ連を抑止できたように。イラクが国連の査察官に従うかどうか、また査察官が何を発見するかに関係なく、イラク攻撃のキャンペーンには薄っぺらな根拠しかない。

予防戦争を声高に求める人たちは、フセインを、常にペルシャ湾で優位を占めることに熱中している侵略者として描いている。また戦争派は、フセインは理性に欠けており、あるいは深刻な計算違いをする傾向があり、このため、明確に報復の脅しをかけたところで彼を抑止することはできないと主張する。アメリカ国家安全保障会議の湾岸事項についての前の責任者で、対イラク戦争擁護者でもあるケネス・ポラックに至っては、フセインは「その気でないのに自殺しかねない」とまで言う。

しかし事実は別の物語を語っている。フセインはイラクの政治を30年以上支配してきた。この間、彼は近隣諸国に2つの戦争を仕掛けた、1980年のイランと1990年のクエートだ。この点での彼の事跡は、近隣のエジプトやイスラエルと似たようなものだ――どちらも1948年以降いくつかの戦争を仕掛けたのだから。さらに、フセインの2つの戦争を注意深く見ると、彼の行動は向こう見ずどころでないことがわかる。どちらの場合も、イラクは攻撃され易く、また相手に弱みがあって孤立していると信じられたから攻撃に出ている。いずれの場合も、戦勝経験が限られているというイラクの戦略的なジレンマを、解消することが目的だった。ここでの説明は、フセインの攻撃性を弁護するものではなく、このような機会に戦力を用いるということは、彼は抑止できないということを論証するものではまったくないと言いたいのだ。

《イラン-イラク戦争、1980-88》1970年代、イランはペルシャ湾で最も強力な国だった。その強さの一部は大人口(イラクの約3倍)であり、また石油の備蓄だったが、同時にイラン国王がアメリカから得た強力なサポートにも由来した。この期間、イラクとイランの関係はたいへん敵対的だったが、イラクは、イランのこの地域での支配力に反抗する力はなかった。1970年代の初め、イランは絶えずフセイン政権に圧力をかけ続けた――主にイラクの、かなりの規模をもつクルド少数民族の、不穏な状態を助長することによって。1975年イラクは、最終的にイランに対してクルドに干渉しないことを認めさせたが、それはシャトルアラブ河流域の半分をイランに割譲したからこそ実現できたことで、イラクの弱さを明白にした譲歩だった。

したがって、1979年のイラン国王追放をフセインが歓迎したのは驚くに当たらない。イラクはかなりの期間、イランの革命政府と良好な関係を維持した。フセインは、イランの騒動に乗じて隣国への戦略的利益を物にしようとはせず、また以前の譲歩を反転させようともしなかった。イランは、1975年の合意条項を必ずしも完全には守らなかったのだが。一方、ホメイニ師は、イラクを手始めとして、彼の革命をイスラム世界に拡大することを決意していた。1979年の遅くまでには、テヘランはイランのクルドやシーア派の民族を刺激して、革命によってフセインを転覆させようと目論み、イランの秘密工作員たちがイラクの高官たちの暗殺を狙っていた。主にイランの先導によって、1980年4月までには、国境紛争がだんだん頻繁になってきた。

(中略)

イランとイラクは8年間戦い、この戦争は2つの敵対者にとって、100万人以上の犠牲者と少なくとも1500億USドル以上を支払うものになった。イラクは、外国からかなりの支援を受けたが、それはアメリカ、クエート、サウジアラビア、そしてフランスなどで、これらの国々は、何としてもホメイニのイスラム革命を阻止しなければならなかったからだ。この戦争は、サダムが考えた以上に高いものについたが、彼を転覆させてこの地域の支配権を得るというホメイニの野望をくじくことはできた。したがって、イランとの戦争は無謀な冒険とはいえず、重大な脅威に対する日和見的な対応だったといえる。

《湾岸戦争、1990-91》(前段を省略)

フセインが戦争を決意したのは1990年7月頃といわれているが、クエートに軍隊を送る前に、アメリカに接近してその反応をうかがった。イラクの指導者との今では有名になった会談で、アメリカ大使エイプリル・グラスピーはフセインにこう言った、「私たちは、あなたがたのクエートとの国境紛争のような、アラブ-アラブ間の紛争については、何の意見もありません。」アメリカはイラクに青信号を出すつもりはなかったろうが、実質的にそれをしたことになるのだ。

1990年8月の初め、フセインはクエートへ侵攻した。この行為は国際法の明白な違反で、アメリカは正当的に、侵略に対抗する連合軍を組織した。しかしフセインの決断は、無分別でも向こう見ずとはいえない。このケースでは、抑止が失敗したのではなく、一度も試みられなかったのだ。

しかし、いったんアメリカが原状復帰を要求した後、フセインがクエートを去らなかったという落ち度についてはどうか? 用心深い指導者なら、ぶん殴られる前にクエートを放棄しそうなものではないか? あと知恵では、この答えは明白だが、強硬路線が功を奏するかもしれないと信じるに足る根拠を、フセインは持っていたのだ。最初はアメリカが本当に参戦するかどうか明白でなかったし、ほとんどの西側の軍事専門家は、イラク軍が恐るべき防御体制を敷くだろうと予測していた。この予想は今日では馬鹿げているが、開戦前にはほとんどの人がそれを信じていたのだ。

しかし、いったんアメリカの空爆がイラク軍に深刻な損害を与えた後、フセインは、地上戦が始まる前にクエートから退却するべく、政治的解決を模索した。実際、フセインは完全に撤退するつもりがあることを明白にしたのだ。イラクを退却させて別の日に戦争が蒸し返されるのを防ぐために、当時のアメリカ大統領ジョージ・HW ・ブッシュ(現大統領の父)と彼の政府は、賢明にも、イラク軍が退却するときすべての装備を残していくよう要求した。米政府が望んでいた通り、フセインはこの条件を呑むことはできなかったのだ。

フセインのクエート侵攻が計算違いだったことは間違いないが、戦争の歴史では、指導者が見通しを誤るケースは枚挙にいとまがない。とはいえ、フセインが各選択肢を慎重に検討しなかったという証拠はどこにもない。彼は、深刻な挑戦を受けていたから軍を使ったのであり、彼の侵攻が大きな反感を惹起しないだろうと信じるに足る理由があったのだ。

また、このイラクの独裁者が、クエートからの総崩れの後も、生き延びていることを決して忘れてはならない、彼の支配体制へのその他の脅威もかいくぐってきたように。彼は今や、支配体制の40年目に入ろうとしている。もし彼が本当に「その気でないのに自殺しかねない」ような人間なら、彼のサバイバルへの直感は、もっと繊細に磨かれていると言わなければならない。

(中略)

もしアメリカが近々イラクと戦争を始めるとしたら、アメリカ国民は、説得力のある戦略的論拠が欠けていることを理解しなければならない。この戦争は、ブッシュ政権が戦うことを選択したものになるだろうが、戦わなければいけないものではない。こうした戦争が、たとえうまくいって長期的に肯定的な結果が出たとしても、必要でなかったとわかるだろう。そして悪い方に転がって、アメリカの甚大な犠牲、民間人の大量死、テロのリスクの拡大、アラブやイスラム世界でのアメリカ嫌悪の増大など、どれが出るにせよ、その立案者は更に大きい責任を負わなければならない。(完)

 

03.02.07)マスメディアから距離を置く

日朝の両首脳が調印した筆が乾くか乾かないかの内に、(新たな事実が出てきたわけでもないのに)一方的に約束を破るのは、いくらなんでも常軌を逸していると思っていました(そもそも、どういう判断に立って調印したのか)。

その異常な決定に至る経緯が、見事に描写されています。

「マスメディアから距離を置く」ことの重要性についての、貴重なテキストとして紹介します。

ご存知のように、これに似たことは過去にもあったし(9.11事件)、現在も中東を舞台に進行中です。


 

「映像が煽る感情的世論と世論に呑み込まれるテレビ」
    

神保哲生 (ビデオジャーナリスト)


 [梗概] 歴史的な日朝首脳会談で、金正日総書記が日本人拉致を認めてから3カ月あまり、テレビは連日、拉致被害者とその家族をめぐるニュースを流し続けた。しかし、その報道は視聴者の多様な見方を十分に反映していたかどうか、深い歴史認識に根ざしていたかどうか、問い返す時がきている。世論がある一方に怒濤のように流れる場合、まずそのきっかけとなった衝撃的な映像の存在があり、そこに被害者がおり、感情移入が正当化され、報道は過熱する。ここまでくると、かなりの社会的強者ですら反論は不可能になってしまう。これはメディアが作り出す感情的な世論の「雪だるま化現象」である。感情的世論を煽ったテレビはやがて世論に呑み込まれ、世論を利用したい政治の世界では、政権の政策決定まで左右されるようになる。テレビ報道の現場では、個々に問題意識を持つ記者や制作者はいるものの、組織としてそのような問題意識を行動に結びつけることが困難になっている。
  ------------------------------------------------------------

 北朝鮮による拉致の報道をめぐる感情的な映像表現の濫用は、すでに小泉首相の平壌での記者会見で始まっていた。世界が注目する歴史的会談を受けた一国の総理の記者会見だというのに、総理の映像に、日本のテレビ局の、私の見るかぎり全ての局が、画面の片隅に会見を見守る拉致家族の顔をインサートしていた。
 あの映像一つで、会見を見守っていた多くの日本人にとって北朝鮮問題というものが、安全保障問題や核やミサイルの問題ではなく、あくまで拉致問題、とりわけ拉致家族の心情の問題であることが強く印象づけられたに違いない。その結果、日本人の多くが、北朝鮮問題をつねに拉致被害者の家族の視点からのみ見てしまう素地を作り、その先の世論が、つねに拉致家族の感情から離れられなくなる結果を生んだのではないだろうか。

 今回の拉致報道で、小泉政権が北朝鮮との交渉で予想以上に強硬路線を選択したのは、世論を利用したものだったのか、あるいは世論に呑み込まれた結果だったのか。できれば前者と思いたいが、実際は後者だった可能性が高いようだ。
 日本政府は、当初約2週間の予定で一時帰国した拉致被害者5人を、一方的に永住帰国させることを決定したが、この決定をめぐり、官邸内部で意見の対立があったことが、その後の新聞報道で明らかにされている。約束通り一旦は北朝鮮に帰国させるべきだとする福田官房長官や外務省の田中均アジア大洋州局長と、永住帰国を主張する安倍官房副長官の間で意見が対立し、最終的には安倍副長官側の主張が勝り、永住帰国が決定されたという。そのときの安倍副長官の殺し文句が「もし5人を一旦北朝鮮に戻し、その後何らかの理由で5人が日本に再帰国できないようになった場合、政権が「世論」の批判に耐えられない」というものだった。この主張に誰も反論できなかった。
 5人を永住帰国させる決定が、外交交渉上の高度な判断に基づくものではなく、単なる世論対策上の国内的な政治判断だったことは、意外を通り越して、なにやら先が心配になってくる思いだが、いずれにしても、一連の拉致報道によって盛り上がった世論の怒濤の流れが、政権トップの政策決定まで大きく左右していることは重大な意味を持っている。

 振り返ってみれば、世論がある一方向に怒濤の如く流れている時、ほぼ例外なくそのきっかけとなった何らかの衝撃的な映像の存在がある。逆に言えば、映像がなければ、もはや世論は盛り上がらなくなっているといえるのかもしれない。センセーショナルな出来事が起きた時、その映像は、放送人にとっては、何があってもできるだけ多く使いたい映像であることは理解できる。それは、一人でも多くの人に自分たちの報道を見てもらいたいと考えるメディアの最も基本的な習性から来ている。
 その映像が真実を映し出すものであるかぎり、衝撃映像を一切使うべきではないとは思わない。しかし、テレビ報道の担い手である私たちは、そろそろ衝撃的な映像がもたらす社会的な、とりわけ世論形成における影響力を認識し、衝撃映像の使用に何らかの責任あるガイドラインを持つべき時がきているのではないだろうか。背景情報を十分に伝えることによって、映像の衝撃のみが独り歩きすることを防げるのではないか。
 感情的な世論が、さらに感情に訴える報道を呼び、感情的反応が増幅されていく。そして、そのうねりがある規模に達すれば、メディアも政治も、その流れに抗することが困難になる。このメディアが作り出す感情的な世論の「雪だるま化現象」は、近年ある一定の周期で起きている。そして、それが発生する際、ある共通したパターンが見て取れる。それは (1)誰をも引き込む力を持つ衝撃的な映像がある、 (2)被害者がおり、感情移入が正当化される、 (3)当事者からの反論が不可能もしくは困難、という3点である。

 このような出来事の最大となったのが、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロである。度肝を抜かれるような衝撃的な事件と、恐怖や怒りといった受け手側の感情に訴えかける洪水のような一方的報道。その結果形成された感情的な世論と、世論の後押しを受けた極端な政治的決定。北朝鮮の拉致関連報道とアメリカの同時多発テロ報道との間には、多くの類似点を確認することができる。
 飛行機が世界貿易センタービルに突っ込むシーンと、ビルが崩壊するシーンの映像が、その後何日間にもわたり、おそらく何百回、何千回と繰り返し放送された。映像は一旦電波に乗れば、流す側の意図とは無関係に、見る者の感性に直接多くを訴えかける。ビル崩壊の映像は、底知れぬ恐怖感を植え付けるほど衝撃的なものだった。その恐怖と憎悪の矛先は、さしたる根拠もないまま一気にイスラムに対して向けられることになった。

 一連の感情的世論の形成は、実は、報道機関、とりわけテレビが、自作自演で起こしているのではないか。まず「おいしい映像」があればそれに飛びつき、そのなかで視聴者が感情移入できる対象を見つける、そしてそれが達成されれば、報道は過熱し、洪水のようなネガティブキャンペーンやメディアスクラムによって、かなりの社会的強者であっても、もはや反論は不可能になってしまう。
 困ったことに、テレビ報道の現場では、個々にはそのような問題意識を持つ記者や制作者はいるものの、組織として問題意識を行動に結びつけることが、とくに近年、ひじょうに困難になっている。衝撃的な事件は、報道機関にとっては書き入れ時である。そんな時、売り上げに水を差すような発言をする者は、組織にとっては邪魔者でしかない。衝撃的な出来事で沸き返るテレビ報道の現場で、真顔でそのような正論を吐こうものなら、変人扱いされるのがオチである。

 メディアのこのような実態を聞かされれば、絶望的な思いを持たれる方も少なくないであろう。しかし、メディアはその名の通り媒介者でしかない。報道の受け手がノーと言えば、それを無理やり押し付けることなどできるはずはない。メディアに対して最も強い立場にいるのは、実は視聴者なのだ。
  テレビ報道が少しでもよいものになって欲しいという切なる願いから、私は視聴者の方々に次のような提案をしたい。
 まず明らかにおかしいと思う報道や行き過ぎだと考える報道があった場合は、その意思をテレビ局に伝える。テレビ局は、どこでも必ず視聴者からのクレームを受ける部署があり、電話番号やメールアドレスを公開している。
テレビは世論にはとても敏感であり、視聴者からの抗議は、それが真っ当なものであるかぎり、テレビ局は真剣に受け止める場合が多い。
 もしテレビ局の対応が真摯なものでない場合は、報道があった番組のスポンサー企業の広告部や宣伝部に、直接抗議の電話を入れるとよい。多額のCM料を支払っているスポンサー企業としては、番組の報道によって視聴者の怒りを買ってしまうのではたまったものではない。スポンサーが何らかの行動を取り、それが最終的に番組の内容の改善につながる可能性は高い。
 そして最後に、おかしな報道があったとき、家族や友人との間で、そのことをほんの短時間でもいいので話し合って欲しい。疑問に思ったテレビ内容を家族や友人と議論することは、メディアリテラシーを育む一歩となる。とくに、子ども時代からそのような習慣をつけておくことが重要だと思う。
(「論座」  2003年2月号 p98-105)

03.01.08)新春メッセージ(集)

頂いたメールや手紙から抜粋させていただきました。該当の方に、お礼申し上げます。

そして末尾に、私のメッセージを掲載しました。

 

昨年中ずっと問われ続けたのは、本当の自分を見つけなさい、自分のコアを知れというものでした。

この人生で着込んでいた表層を一枚一枚はがして、お前はいったい何だ? と問いつめる作業は、太古の記憶に耳を澄ませるような、ちょっと不思議な時間でした。

 

アイターンして7年。自給の範囲が少しずつ広がっています。ほんの少しですが黒米も作りました。

とはいうものの自然相手なので、色々なことが起こります。大豆を4日かけて植え終わった夜に猪に荒らされ全滅。その後もカボチャが食べられちゃいました。納屋には、ヤマカガシが3本(匹)も棲みつき脱皮までしていきました。隣の農家はハクビシンに柿が食われ、とうもろこしはタヌキに・・・。

自然の営みにただただ感嘆。ますます田舎の生活にはまっています。あなたもどうですか?

 

(フィジーから)

街一番の繁華街に近く、テリー・ウオークという歩行者天国があります。

(写真の)手前下に流れるナンブカロウ・クリークに沿って、右へ150メートルがそれ。お昼どきには沢山の人々がこの岩壁に坐ってフィッシュ&チップスを食べています。

食べ終わると残り物やゴミをビニール袋に入れクリークにポンと投げ入れます。

その光景はさながら日本の灯篭流し。風情があります。

人々の好きなもの、それは「木陰」

大きなマホガニーの樹でもあれば、かならず何人かが集い、食べものなど持ち寄って会話もないままに木陰を楽しんでいます。

この国は昨年、4.4%の成長を記録しました。

学ぶところの多い国です。

 

@新宿や渋谷では、少女が「ケータイ(通話料)などのために」売春行為をしています。体は大人でも頭は小学生です(性病知識ゼロ)。A些細なことで、キレタリ・ムクレタリする青少年が急増しています。正に『ゲーム脳の恐怖』(森 昭雄著)です。

@もAも、「東京砂漠」(歌)の現実でしょうか。

 

中国の日系企業では少女達が、自給40円・一日12時間労働にもめげず、月収の半分を家族に送金しています。日本と中国の格差の激しさに驚いています。

 

不況といっていますがその裏では59円のハンバーガー、ただのインターネット等安価で豊かな生活が出来る新時代が到来しつつあります。発想の転換が必要なようです。

時代も変わってきましたので若返って出直すべく決意を新たにしています。

 

昨年が「帰」の年であれば、今年は「動」の年として、世界中で色々な出来事が起こる感じがします。我々として、どのように関与していくか、一人一人の目覚めが要請されていると思います。地球世界が大きく変わる「維新」の時に生まれあわせて、このドラマに参加して、世界平和の実現を見れるのは、大いなる幸せです。

 

昨年は前年のニューヨークテロ事件によって、世界が今まで経験したことのない重苦しい時代に突入して仕舞った事を、認めざるを得ないような事件が世界の各地で起きました。真に残念なことです。

 

「先が見えない」という寸言を、何通かの年賀状に拝見しました。

力と力が対立していたときは、物理的なバランスがありました。そのバランスが崩れていることに関係するのでしょうか。

こんな時代こそ、要注意です。低俗な二人の大統領と「将軍様」に、世界が翻弄される危険性が高まっています。三人の巨頭の中身は、揃って誇大妄想で詰まっています。

一番肝心なことは、三人を取り巻く群集心理です。

 

1つの思考実験をしてみましょう。

平和を希求する人々や国々が増えているこの世界で、人間の恐怖心を維持し、できれば増大させるために、どういう手立てがあるか。

それは、経済封鎖や武力による脅しによって、独裁政治形態など一定の「資格要件」を満たす国を、「窮鼠」に仕立て上げること。そして、「猫を噛む」ように、つまりテロを志向する以外に選択肢がないように仕向けることです。

その上で、「窮鼠」の「駆除」のための軍事行動を始動させ、明日にも本格的な戦争と報復テロが始まるかのような状況を造ることです。

現実にその「窮鼠」がテロに関わったかどうか、あるいはその準備をしているかどうかは本質ではありません。肝心なことは、マスメディアを利用して、「猫を噛む」ような国は世界の敵であると、人々が信じるように仕向ければいいわけです。

1つの「窮鼠」を「駆除」した後に「空き」が来ないように、つまり平和が到来しないように、常に「窮鼠予備軍」を準備しておくことも必要になるでしょう。

さらに肝心なことは、「表」と「裏(本心)」を使い分けること。特にマスメディアには、「表」だけを大々的に報道させることです。

――仮に、この思考実験のような事実が現実にあるとした場合、多数の人がマスメディアに単純に操られる状況では、筋書きに沿って「最悪のオプション」を実行するのに大きい抵抗はないでしょう。これに対して、マスメディアが提供する「物語」に影響されず、武力による威嚇やその行使に組せず、ひたすら平和を希求する人が多数であれば、簡単には「手出し」できない障壁を築くことになります。

 

一方、いわゆる「核の疑惑」について、「公式発表」を垂れ流すだけの、一面的な報道が盛んに行われています。

しかし「核」の実態は多岐にわたっており、他者を非難する前に、まず自己の真実を正視することが順序ではないでしょうか。

世界の「核」の実情について、下記を参照してください。

シリーズ第1部《「核」のパラドックス》(風雲舎1999年7月刊、『混迷の星』第6章)

 

アメリカはこれから、日本の「失われた10年」を模倣する道を歩むでしょう。すでに始まっている「不況対策」を見れば、為政者の認識が、日本のそれと瓜二つであることがわかります。

(バブルの体験を経て)人の心が変わったことに、まったく気づく様子がありません。そして何とかして、かつての「熱狂消費」を再現させようとしています。その「マジック」によって、経済を蘇生させることができると、固く信じているように見えます。

しかし、(「熱狂消費」から「賢い消費」へ)いったん「進化」した人心が、元へ戻ることは決してありません。連邦政府がこれから大々的にやることは、日本と同じように、税収不足を国債で穴埋めして、歳出の規模を維持または拡大することでしょう。
前政権が達成した財政の黒字化は短命に終わり、かつてアメリカ経済のガンといわれた(財政と国際収支の)「双子の赤字」は、すでに現実です。これが、ますます深刻化することは間違いありません。

歳出(国債関係費を除く自由裁量予算)の半分以上を軍事費が占め、それがロシア・中国・EU・日本の合計よりも多いという余力は、どこからも出てこないでしょう(もともと、その規模を正当化するような「敵」は、どこにも居なかったわけですが)。

州のレベルでも、日本の地方自治体と同様に、急速に財政の窮乏化が進むでしょう。

こうして数年後には、「アメリカの没落」が、国際政治経済の歴史的イベントとして認識されるようになるでしょう。

 

日本は、相変わらず「失われた10年」の延長戦をやっています。

「バブル経済」が事実上崩壊したのは1990年1月です。それから丸々13年経ちましたが、行政がやっていることは、本質的に少しも変わっていません。つまり、一時凌ぎのために、次世代にツケを回すことに尽きています。当然、ツケ(国債の発行残高)は、際限なく膨らんでいきます。

変わったことがあるとすれば、政権が替わるたびに創案される、空疎なキャッチフレーズだけといっていいでしょう。例えば「改革」や最近の「デフレ退治」です。

「デフレ」は、消費がバブル的なものから正常なものへと変化するにつれて必然的に出てくる現象で、「退治」できる性質のものではありません。消費者の選好の変化に供給側も対応して、相乗的に進行します。つまり、「バブル」から「正常」への変化は、第1に消費物量の減少、第2に購入単価の低下です。そして後者が、「デフレ」として統計的に把握されるだけの話です(1989年末頃のバブルの頂点での、消費行動を思い起こしてください)。

こうしたデフレが、日本・ドイツ・アメリカをはじめ、すべての先進国で広範に見られるようになるでしょう。

これは、これまで地球から、また途上国から収奪しすぎた先進国が、消費水準を落とし、世界全体としてバランスのとれた経済へ変化していく流れの一環で、その根底にあるのは人々の意識の急激な変化です。これを、行政が「退治」することができるでしょうか?

 

さて、マスメディアが好んで報道する日本および世界の政治経済の、現状についての理解は、以上で十分だと思います。それらを認識した上で、マスメディアと距離を置くことを勧めます。そして、マスメディアの報道に一喜一憂しない自己を確立しましょう。

「先が見えない」などと言うより、天賦の創造力を生かして、自分の現実を自在に創ることを意図しましょう。

ちょっと前には想像もできなかった「大変化」が、個人、企業、社会、地球そして宇宙の各レベルで現に進行していることは、もはや否定することができない事実です。その流れに乗ることを意図しましょう。

そしてとりあえず、共通のテーマとして、次を宇宙へインプットしましょう。

「私は世界の平和を意図します」

 

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