Q&A’07c3・「ガイア・アセンション」シリーズ

【目次】

(07/04) ぜいたく病」に浸る(続)
(07/03) いわゆる「教育問題」について

(07/03) 豊かさや成功を追求することに恐怖心や罪悪感がある

 

(07/03)「ぜいたく病」に浸る(続)

(Q) あれから、ようやく人生のなんたるかを知った気がします。

これからの人生は明るく歩めそうです。

しかし、私には心を狂わせる要素がまだ頭の中に残っています。

そのひとつは、妹を想念で殺してしまったことです。

今から3年前、私の妹は重病で入院しました。

その前々から、「妹なんていなくなればいい」なんて考え続けていたので、自分の侵した罪が怖くなりました(でも、許せないことにそれと同時にうれしかった)。

それから2年・・・・・・・・・・妹は帰らぬ人となりました。

私の罪はいっそう深くなりました。人を殺してしまったのです。

そして、今日もそのことについてどう償ったらいいかうろたえています。

どうかたすけてください。

 

(A) いい方向に向かっているようですね。もう大丈夫でしょう。

残る課題は、あなたの思い過ごしを捨てることだけです。

自分の生や死に対して支配力を持っているのは、「本人」だけです。

つまり死というものは、「本人」の魂のレベルの選択です。

あなたの妹さんは、立派な理由があって、「自分の死を選択した」のです。

次を参考にしてください。

Q&A'01c(01/09)「死」というものの本質

 

あなたが思っているように簡単に「殺人」ができるとすれば、人類は大昔に絶滅していたでしょう。

なぜなら、そのような理不尽な意図を持つ人間は、歴史上に多数存在したからです。

次も参考にしてください。

 

《あなたの地球での旅は、あなたの精神的遺産の一部でもあります。というのは、人の死は意識を破壊してしまうわけではなく、時間の無数のサイクルのなかであなたは引き続き学び、成長し、「いのち」の体験をするからです。

生きることの一部には、どう死ぬかということを含みます。つまり、意図的に未知の恐怖をかいくぐり、意志と意図を使って、あなたの意識を別の現実へ運び、あなたの肉体は丁重に後に残す――ということを、あなたは学ぶことができるのです。

死は、生の一部です。それは決して行き当たりばったりの行為ではなく、むしろタイムリーな合意です。あなたはあなたが思っている以上に、自分の生と死に対して力を持っているのです。(『アセンションの時代』)

 

ここに言う「自分の生と死に対して力を持っている」のは、「あなた」ではなく、「亡くなったあなたの妹さん」です。

あなたには(「神」でさえも)、他者を想念で殺せるような力は(宇宙の摂理として)与えられていません。

いずれ彼女と直接交信できる時期が来るでしょうから、「若くして死を選んだ」真の理由を確かめてみるといいでしょう。

その時期を、あなたの努力によって前倒しすることもできます。

根拠のない幻想を抱えて「うじうじ」するよりも、そうした方向の努力をすることもお勧めです(あなたは妹さんに対する態度や思いについて既に十分反省しているので、あなたの認識を切り替えることさえすればカルマは終わりです)。

 

(07/03)いわゆる「教育問題」について

(Q) 現在ある公立高校の教師をしています。

公立ですから何年かに一度は異動があり、現任校はトップクラスとは言えないまでもそこそこの進学校であり、授業は楽しく、校風も私に合っていて、それほどのストレスはなく仕事が出来ています。
しかし今現在日本では、小学校から大学まで学校の置かれた状況は危機的に見えます。

小学校低学年からの学級崩壊、自殺が後を絶たないまで至ってしまった「いじめ」、大学生まで含めての総体的な学力の低下。

さらにニートやフリーターの増加など枚挙に暇がありません。

高校に限ってみても、中堅以下の学校の大変さは実際に身をもって経験してきたことなので、その切実さは良くわかります。

この状況をどう見るか、何によってそうなったのかの分析、どうすれば改善するかについての提言は多々あります。

が、ひょっとしてこうなったのは誰か(勿論支配者の何者か)が仕組んだからなのだ、とする見方は穿ち過ぎでしょうか? 

つまり固定化された新たな階層社会を日本に作るための手段としての教育制度、個人の社会的地位の上昇の(あるいは敗れた者は下降する)ためのシステム、しかもそれは本人(と保護者)の努力によるとする価値一元化の世界、を作り出そうとするある勢力の陰謀なのではないかと。


さらに決定的に欠けているのはインディゴチルドレンという視点でしょう。

割と信頼出来る言説では、今から15から20年前に子供が変わった、といわれています。

現在の学校制度を是認する立場からすれば(もちろん私は仕事をする際はこの立場に立ってするわけですが)、生意気になり、教師の言うことを聞かなくなり、大人と対等の振る舞いをするようになった、わけです。

そしてこの時期と、変わったといわれる子供の性質は、インディゴチルドレンのそれと奇妙に符合します。
とすると、もはや日本の学校は制度疲労を起こしていて、時代にはるかに遅れてしまっているのだといえまいか。

明治以来の日本の学校制度を維持するのとは別の観点で、子供や教育を発想しないといけない事態になってしまっているのではないか、という気がします。

と私見を述べてしまいましたが、今後はどのような方向性で(たとえばシュタイナー教育のようなとか)教育を考えていかないといけないのでしょうか。
また、日々生徒と接する上でインディゴの傾向を持つ子供は沢山います。その時どんな点に留意したらよいのでしょうか。

 

(A)現在の教育が完璧であるとは決して思いませんが、子供たちの状態の多くは社会の反映です。
次をご覧ください。

 社会の罪」(混迷の星―宇宙から見た地球人類)

教育を問題にする前に、政治の腐敗、企業の倫理破綻、いたずらに消費を煽る行政や商品・サービスのコマーシャルのあり方、マス・メディアの姿勢など、正すべきことが山のようにあるはずです。
子供たちのことを含めて、今日のあらゆる国民的課題を正しい軌道に乗せるには、みんなが「事の真相」に気付くことが先決なのです。

そうすれば、その先の選択は自然に出てくるでしょう。


いわゆる「教育問題」は、政治の貧困に由来する国民的苦難の、氷山の一角です。
そもそも、教育を真剣に考えた上で「教育問題」が政治のテーマになったのではなく、前任者と目先が変わったことをやって見せようとして、無難な材料として選んだだけのことでしょう。
そのことは、就任早々にこれが飛び出してきたことから明らかです。
そこに至るまでに、彼が教育現場を足しげく訪ねて、子供たちの話を聞き、教師や父兄との対話を重ねて、教育について深い理解と高い理念を持っていたと思う日本人は一人もいないでしょう。
そして「教育改革」の、その先の形を整えるのに利用する「御用学者」や「御用有識者」を見付けるのは簡単なことです。
後は、文部官僚たちが、支配力強化のチャンス到来とばかり大喜びでお膳立てをするでしょう。
そして、その経過をマス・メディアが、さも重要なことのように報道する・・・。

不幸なのは子供たち、教育現場の先生たち、そして父兄や国民一般です。

もういいかげんに目を覚まして、これ以上騙されないようにしようではありませんか。それが、日本を覆っている苦難を正す唯一の道です。

問題は、教育プロパーのことではありません。

根底を正さないかぎり、あらゆる国民生活のフロントで、似たような事が現に起きており、今後も起り続けるでしょう。

一方、インディゴの子供たちについては、彼らが、平均的な地球人の大人より遥かに進化した魂の持ち主であることを認識することが大前提です。

この殺伐とした地球へ、あえて来てくれたことに感謝し、敬意を表しましょう。それは、彼らの多くが、いま現在は自分自身の出自や目的についての認識がなく、大変混乱した状態にあるとしても同じことです。

潜在的な素質や傾向は、様々な局面で既に十分発現されているはずだし、いずれは私たちの社会が宇宙社会の一員になるプロセスで重要な牽引力になってくれるはずです。

 

そこで、インディゴとの付き合い方としては、師弟や親子の枠をはずして、対等な大人として遇することが大切です。

彼らを指導したり教え込むというスタンスを手放して、彼らの話を聞き行動を理解するように努めれば、彼らから学ぶことがたくさんあるはずです。

 

(07/03)豊かさや成功を追求することに恐怖心や罪悪感がある

(Q) はじめてメールいたします。
私はここ5,6年くらいずっと、いわゆる精神世界や成功法則関係にはまっていました。

書籍を読み漁り、ネットのサイトを徘徊し、セミナーやリーディングを受けたりもしました。

そして陰謀論などにも興味が出てくるのとほぼ同時期に、貴HPと『アセンションの時代』を知り、本当に知っておくべき価値のある情報はそう多くはない、と感じて一時の熱もさめつつあります。

テレビや新聞を見る時間は最小限に抑え、ネットサーフィンもほとんどやめて雑多な波動の情報に身をさらさないようにし、出来るだけゆったりした時間を過ごすように心掛けています。

また自分の体に対するケアを、ないがしろにしないようにしようと思っています。

それは、このHPの情報ほどのパースペクティブでヒト、ココロ、神、宇宙、愛、……歴史や地球外生命体や支配構造やらを含めたまあ“存在のすべて”に迫っているものはほとんど見当たらないのでは、と感じられたからです。

対象の広さと視点の的確さで、他に比肩し得るものはまず見当たらないでしょう。

サイトのほぼすべてのページと書籍『アセンションの時代』を丁寧に読み、内容を消化しているところす。

さていくつか質問があるのですが、お答え頂けると有難いです。

ひとつめは「どうしたら自分の中の恐れの感情を消し去ることができるのか」です。
その恐れとは、「なりたいと表層意識で思っている自分は、本当の魂の求める自分なのだろうか」という恐れと、「成功することや幸福になることに対する恐れ」です。
                                                                                        

そもそも精神世界に足を踏み入れたのは学生時代から、人はどのように生きるべきなのだろうか?といったことを考え、問題意識として持っていたことと、仕事を続けていながらも、そしてやり甲斐や意義を感じつつも、どこかでこれが本当に自分が求めている仕事、人生なのだろうか?という思いを拭い去ることが出来なかったからです。

そしてバシャールの言う“ワクワク”=exitingやソースの方法やかなり信頼出来ると思われる複数の個人リーディングの結果や時にはペンジュラムを用いたりして、一応何となく見えてはきました。(勿論これらは手段であって最終的には自分の中の“感じ”を拠り所としています) が、一歩を踏み出すことが何か怖い。

人生も中盤となった今、本気で求めるものへと向かって進みたいのだけれど、それが魂のレベルで見たときに間違った方向へ行ってしまうのではないか、という恐れがあるようなのです。

後者も根っこは同じかもしれません。

「思考が現実を創っている」というシンプルな原則は全く疑うこと無しに腑に落ちます。

世の中に流布しているイメージングやアファメーションやらの成功法則や、アバターのような方法論は結局この原則を実践するためのスキルなのだと理解出来ます。

実際にその幾つかを試したりして欲しいものを手に入れたり、希望を叶えたりもしました。

ですから、明確な意図と、場合によってはしかるべき方法をもってすれば、願望は叶うということ(現実は個人的にも集合的にも現在までの思いの集積)はわかります。

ただそれらは人生を変えるような質のものではなく、あくまで今まで歩んできた路線の範囲内でのことでした。

今現在直感的に、自分が人生の転換点にいるような気がしてならないのですが、求めるものになろうとしたときに、どこかで「何かが望み通りになるかわりに別の予期せぬ不幸がきっとある」「あんたが思いを叶えるとそのことで厭な思いをする人がいるよ」「成功したらその陰で何倍もの失敗者を生んでいる」「地球上には飢えて死んでゆく人が何万人もいるのにあんただけが豊かになって良いの?」「そもそも自分だけが成功や豊かさや幸せを手に入れてよいの?世界は幾多の不幸で満ちているのに」という声がずっと聞こえています。

それで何かこう次の一歩を踏み出すことが出来ません。

成功とか豊かさとか幸福といっても、そんなに大それたことを望んでいる訳ではないのですが、なんだかアクセルを踏もうにもそれと反比例してサイドブレーキがしっかり引かれているような状態で、すごく葛藤があります。

今の自分は、ものすごく辛いとか苦しいとか不幸な状況にあるわけではありません。その意味では幸せであるといえるでしょう。

でも求めたいもの、なりたい自分が、はっきりしないまでも何かある。

単に不幸せではないこと=幸福なんだろうか?もっと幸せになりたい。

しかしそれをはっきりさせようとしたり、目指そうとするとまさに上記のような声が聞こえてきてしまいます。

つまり幸せになることへの罪悪感でしょうか。

過去生の何らかの影響かな、とか豊かさや成功を手にした他人に対する嫉妬や、ああいうことで喜ぶのは恥ずかしい、といった価値付けがあるのかな、との“解釈”は可能ですが、そうした葛藤があるのをどうすることも出来ません。

 

(A) あなたは、真実についての誤解と迷妄に満ちたこの世界のあり方から一歩離れて、新しい境地を獲得するためには避けることができない、いわば「魂の遍歴」をされたようですね。
その投資は、決して無駄にはならないと思います。

そこであなたのご質問ですが、せっかく新しい価値基準を追求しながら、論理的思考を展開する段になると、古い価値基準に引きずられて「観念の遊戯」に嵌ってしまったようにみえます。
「恐怖心」という問題があるわけではなく、単に事の本質についての誤解があるだけのようです。
つまり、「豊かさ」や「幸せ」を明確に定義しないまま、暗に物質的に贅沢な生活を「豊かさ」の頂点に置いて物事を考えているようにみえます。

お気付きと思いますが、物質的な状態がどうであっても、自然に則した平和的な生き方の中に、最高の豊かさがあるのではないでしょうか。

物質的な満足を至高のものとして追求すると、結局は身体も精神も持たなくなるものです。それが、現代のアメリカ社会に典型的に現れている状況です。
心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病そして乳癌などの要因になる過度の肥満、つまりBMIBody Mass Index:体重[kg]を身長[m]2乗で割った値)が30を超えている人は、アメリカでは30%います(日本では3%しかいません)。
そんな姿を、あなたは求めているわけではないでしょう。
BMI
や、1人当り炭酸ガス排出量の比較的好ましいデータが示すような、平均的な日本人の生活水準を維持しながら、地球や地球の生き物への配慮を忘れずに、心の豊かさを追求するのであれば、何の引け目も感じる必要はないでしょう。

「成功する」ということに関しても同様で、最も多くの人に奉仕できる自己犠牲的なあり方が、最も成功した状態と言えるのではないでしょうか。
それを追求する過程で、「敗者(失敗者)」を生んで害を与える懸念などは事実上ありえないでしょう。

以上に関連して補足すれば、100点満点の生き方など誰もできないし、それに価値があるわけではありません。
ボロを出さないことに得点が付くわけではなく、体験を通じて色々ボロを出しながら、その過程から学んでいくことに価値があります。
そこから得られる知恵は、宇宙のすべての存在が共有できるものです。
心配ばかり先立って、結局何も行動しないことは最悪です。


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