【目次】
(10/11) お金の要らない社会はいつ実現するか
(10/11) 教育現場の荒廃は氷山の一角
(10/10) UFOと核ミサイルの関係
(10/11) お金の要らない社会はいつ実現するか
(Q) こんにちわ。
いつも拝見させていただいております。
それで、宇宙人の公式発表は間近のようですが、仮にそれが実現できたとして、今のようなピラミッド社会、格差社会は変わるのでしょうか?
みんなもうお金の面で苦労していて、もうどうにかなってほしいと、たぶん多くの人が望んでいるはずです。
金銭社会のシステムはいつ頃崩壊するのでしょうか?
(A) 拝見しました。
お金の要らない社会は、社会の構成員全員が、一切のエゴと無縁で愛と調和が身についた、奉仕の精神の持ち主になれば直ちに実現するでしょう。
それは、私たち全員で創っていくもので、外部の誰かが造ってくれるということはありません。人類の命運は、人類自身が決めていくことが、宇宙の根本ルールだからです。
つまり、「鍵はあなたが握っている」のです。
「人類の現状」から、そのような社会へ到達するプロセスを想像すると、気が遠くなるような話しだと思われるかもしれません。
しかし「2012年末の関門」は厳然と存在して、延期は考えられません。
それは、「登坂スロープと到達期限」を設定して、「新しい地球の新しい人類社会」を、一気呵成に実現させようとする「宇宙の計画」とも言えます。
そして、宇宙の同胞たちが今やってくれている「公式発表」実現への働きかけは、残された僅かの期間内に出来るだけ多数の人類が、「宇宙と地球と人類の真実」を知って、自分たちが本来持っている力(現実創造力)に気づくようにするためのサポートです。
その努力は、間違いなく今後も続けてくれるでしょう。
それだけでなく、いま宇宙から到来しているエネルギーの働きも含めて、水面下では多くのことが起こっています。
そのプロセスと到達点を信頼するようにしましょう。
そして、ただ座して待つのでなく、その実現に向けて、個人として出来ることに注力することが大切だと思います。
(10/11) 教育現場の荒廃は氷山の一角
(Q) 私は公立高校の教師をしています。以前にもQ&Aで答えて頂いた者です。
現在の高校教育、特に進学校と言われる学校における教育についてお考えを伺いたくメールしました。
自分の勤務校だけでなく現在の日本では公立、私立を問わずほぼすべての中堅から上位の高校では、進学実績の上昇のための競争がかつて無いほど激化しています。
実績とは要するに国公立大学に何人合格したか、いわゆる難関大にどれだけ入ったか、などの数のことです。
これを少しでも増やすための取り組みが補習授業や小テストだけでなく、校内の教員の分掌組織の改編、外部講師による講演会、複数の学校が提携しての進学のための合宿、予備校の教員による授業、はては東大見学ツアーやら難関大クラブなど、ひと昔前の高校生活からは想像出来ないようなことが行われるようになっています。
勿論以前にも進学率の競争はあったし、○○高校は△△大学に今年は現役で何人入った、というのがその学校についての何かのバロメーターになっている、という見方は何十年も前から普通にあったでしょう。
が昔のそれは生徒個々が目標を目指してしっかり努力し、教師がそれを応援し、その結果として合格者が増えたとか減ったという、まあ素朴なものであったと思います。
今の進学競争はそんなものではなく、何か巧妙に競争“させられている”ような感じです。
ものすごくシェアを拡大した全国の大部分の高校が参加しているB社の模擬試験での比較データやセンター試験の点数を元に、学校間も教師どうしも無理やり数値を上げるために走らされているかのようです。
そしてある学校で〜〜という新たな実践をして“成果”があったと聞くとそれを行い、また別のところで〜〜が“効果”があったとの情報が入るとまたそれを真似してみる、といった具合です。
結局公立高校も私立も予備校も塾も、すべて少しでも偏差値の高い大学へ合格させる、という同じ尺度で競争させられるようになってしまった訳です。
そしてそこには“どのような人間を育てるか”という教育の観点は全く抜け落ちてしまっています。同時に“何を、何のために学ぶのか”という問いも忘れ去られ、学ぶ=入試で点数を取るための勉強、となってしまっています。
どのように生きるのが幸福なのか、どのような社会を創ってゆくべきなのか、などの視点を抜きに教育の問題は考えられないはずなのに、そのような疑問を持つ人はまずいません。
さらに大きくは、ゆとり教育→全体のレベルの低下→競争の激化(正確には半分以上の子供は競争から降りてしまう)→一部の教育に資金をかけられる層の子弟がより上位の学校へ→階層、格差の固定化……というはじめから仕組まれたような流れも見えてきます。
ここで質問なのですが、2012年12月まであと2年2か月となった今、上記のような現在多くの学校で展開されている状況は方向性が全く逆のように思えるのですが如何でしょうか。
つまり競争をベースとする方法は何か間違っているのではないか。
またアセンション後は学校教育はどのようになってゆくものなのでしょうか。
学校というような枠組みそのものが変質してゆくのか、それとも内容や生徒と教師の関係性が変わってくるものなのか?
どうかお考えをお聞かせ下さい。
私自身はフィンランドで行われている実践や、ルドルフシュタイナーの言説あたりにヒントがあるのでは、と思っているのですが。
遠くない将来、何がきっかけになるかはわかりませんが(地球外生命体に関わる公式発表?)政治や経済の在り様が根本的に変わってくるとすれば、教育についての事柄も例外ではないでしょう。
それがどのようなものなのかについて、小松様のお考えを知りたいのです。
実は表面的には普通に仕事をしていますが、内面での葛藤は日毎に強くなっており、現在の状況がこのまま続くならもう何処か別の学校に転勤希望を出そうか、それとも何か他の仕事に就くか(といっても具体的な当てがあるわけではないが)……とも真剣に考えています。
どうぞよろしくお願いします。
(A) 拝見しました。
進学をめぐる競争が年々エスカレートしているという感じは持っていましたが、聞きしに勝る状態になっているようですね。
おっしゃるように(1950年代の)私などの高校時代は、のんびりしたものでした。
私は高知大学の付属中学校でしたが、付属高校というのはありませんでした。
当時の高知県の公立高校は「希望者全員入学制」で、誰でも(抽選によって)高知市内の何処かの高校に入学できたのです。それとは別に中高一貫教育で私立の、いわゆる進学校もありましたが。
私はバスケットボールをやることが高校へ行く主な目的だったので、迷わず公立を選びましたが、他の同級生たちも全員が公立高校へ進学しました。
そして高校2年まではバスケットボールの部活をやっていたので、受験勉強というものをやったのは高校3年の1年間だけでしたが、同級生たちも似たり寄ったりの楽しい高校生活を送ったものです。
日本全体でも、程度の差はあっても、似たようなものだったでしょう。
そして高卒でも大卒でも卒業すれば全員が、それなりの所に就職することが出来た・・・。
何が勉強の目的かは、20歳に満たない未成年者が的確に判断することは無理でしょう。
したがって、とりあえずどこかに就職して、色々やっているうちに人生の目標が定まってくる――これは、学問の全分野が、「シャドウグループ」の都合がいい形に「捻じ曲げられている」現状では、やむを得ないことです。
いい年をした大人でさえ、ほとんどが世界を覆っている「ヤミの支配構造」を認識していないわけですから。
そこで問題は、「それなりの所への就職」が年々難しくなってきていることでしょう。
その根源には、私たちの社会システムがあります。
更にその奥には、「シャドウグループ」が「恐怖を通じた支配構造」を維持するために構築した、巧妙なトリックがあります。それが、「競争原理」です。
競争原理は、どこまでもエスカレートする性質を本質的に持っています。スポーツやギネスの記録争いなどは誰でも知っていますが、表面から見えるもと見えないものを含めて、この社会の隅々まで行きわたっているのが実情です(マスメディアが「使命として」それを煽るようになっています)。
経済の世界へ競争原理を導入したものが「資本主義市場経済(市場原理主義)」です。
元々は社会主義(共産主義)から出発したはずのロシアや中国の経済社会も、今では完全に資本主義市場経済に飲み込まれて、その「負の側面」をたっぷり見せてくれています。彼らは、特に中国は、それを「共産主義革命」の成就した姿と考えているフシがありますが、外の世界でそう思う人は1人もいないでしょう。
資本主義市場経済では全てを「お金(つまり利益)」で評価するという極めて即物的な構造になっていて、それを追求する過程で、勝者と敗者とを次々と生み出します。まるでオセロゲームのように。
これは企業間だけでなく、企業を構成する社員間でも同じことです。
そして敗者は直ちに現実の生活をどうするかという「恐怖」に直面しますが、勝者も「明日は我が身か」という「恐怖」と無縁ではいられないわけです。
こうして、どこまでも競争をエスカレートさせていく過程で、はてしなく「恐怖」の「拡大再生産」が行われているのが現実です。
しかし20世紀の終わり頃までの日本では、ある種の節度と暗黙のルールの基で、競争原理がアメリカほどは強く働かない「日本型資本主義」が社会的な規範になっていました。
そしてこの「(一部の論者が言うところの)非効率経済」によって、安定的な雇用水準が維持され(いわゆる「終身雇用」)、誰もが「それなりの所へ就職する」ことが出来たのです。
自民党政権の下で、「グローバル化」の掛け声と共に、この均衡状態を完全にブチ壊したのが「小泉・竹中コンビ」でした。
そして民主党政権が誕生しましたが、本質は少しも変わらないことが明確になってきました。
つまりいずれも、「景気」という観点でしか物事を考えることしか出来ず、景気循環論が通じない「成熟社会」での行政のあり方を構想することが出来ないのです。
したがって、今は「不況」だと思って「対策」することを通じて、ますます国民を苦しめ萎縮させる「努力」をしています(例えば、砂漠に水を撒くに過ぎない「法人税減税」をやり、その穴埋めに「消費税増税」をやろうとする――「取リ易いところから取る」)。
ところが、人々の生き方のパラダイムが変わってしまって、既に「景気刺激策」が通じない社会になっています。その背景には、環境的な行き詰まりや、それなりの物質的充足、そして時代潮流を感知した意識の変化があるでしょう。
そもそも、1人の人間が持つ容量や時間が限られている中で、どこまでも物的な拡大を目指す(そうしないと経済が持たないと考える)ことの不合理は、小学生でも分かる話のはずです。
いま政治が本当に目指すべきものは、社会的な平等・公平の実現、そして環境や健康や食の安全を考慮した規制やルールの確立・強化なのです。
ご質問の教育現場の荒廃や苦境は、以上のような政治・経済・社会状況の反映です。
おっしゃるような教育のビジネス化、そして教育現場への無制限なビジネスの参入は、何でも競争させて効率を上げればうまく行くという「指導原理」が行き着く、当然の姿でもあります(「イラク侵略戦争」でアメリカの民間企業が大きな役割を担ったことを想起させます)。
こうした状況は、ひとり教育現場だけでなく、地方行政や企業のあり方を含め、社会のあらゆる現場に及んでいるといっても過言ではないでしょう。
教育プロパーの問題として解決できる余地は極めて少なく、背景にある今の社会システム全体が変わる必要があります。
したがって、「どこにも退路はない」ことになります。
仮に、職を変えてみたところで、行った先では、上記の根本問題が少し形を変えて露呈しているのを見るだけのことでしょう。
残念ながら大人たちの実情は、例えて言えば「佐渡ヶ島の大型飼育ケージの中で飛翔する朱鷺(トキ)」のようなものです。
飛翔できるから完全な自由があると思っていますが、それは「かごの外」に視点を移して自分たちの実情を冷静に観察することを無意識的に拒絶しているからです。その心底には、おそらく自分たちの本当の姿を見たくないという「恐怖心」があるでしょう。
ちょっとした洞察力と勇気さえあれば、多少の荊(いばら)が生い茂った道を潜り抜けて、ケージの外に出る手段はあるのですが。
つまり大人たちは、これこそ本筋だと信じて取り込んできたものの大半が次の時代につながらないという、実に悲しむべき状況に置かれているのです。
しかも我が事でありながら、そうした認識がほとんどなく、それを打開するための十分な力を現に持っていることにも気づいていない状態です。
しかし私たちは、単に我慢するだけでなく、宇宙の進化した社会では例外なしに実現している、奉仕の精神をベースとした公平で調和的な新しい世界を、皆が目を覚まして「恐怖」を卒業すれば、創ることが出来ます。
いま重要なことは、現状から逃避する手段をあれこれ模索するのではなく、自分が選んだ「人生体験」を十分に極め尽しながら、同時に「新しい世界」の実現を意図する仲間を増やしていくことだと思います。
ちなみにアセンションが目指す教育の姿は、宇宙の同胞たちの進化した社会で、現にやっていることと同様のものになるでしょう。
(中高等教育のカリキュラム自体は似ていても)現状との何よりも大きな違いは、「三つ子の魂」が形成される段階から、つまり幼児のうちから、最高レベルの教師(長老)による教育がスタートすることです(現在の地球の教育システムは、いま続々と生まれてきている「新時代の子どもたち」を適切に導くことは不可能なので、大幅な革新を早急にする必要があります)。
その内容は大まかに、@宇宙人として(つまり人間として)持つべき基本的な知識や宇宙的なルールを身につけさせること、A誰もが本来持っている(いわばサイキックな)能力を芽生えさせ伸張させることになるでしょう。
@とAはクルマの両輪のようなもので人間としてバランスよく成長し、種族の中で調和的に生きていくために、また宇宙種族間の交流において不可欠のものです。
ところが、この地球社会では特にAを「超能力」というカテゴリーに入れて、早めに「芽を摘み取る」とこが奨励されています(その裏には、「シャドウグループ」が、支配のための強力なツールとして、「超能力」を自分たちで独占しようとする企みがあります)。
このような教育の実例については、『アセンションものがたり』で詳しく紹介されています。
(10/10) UFOと核ミサイルの関係
(Q) 小松様
次の報道は、24日のUFOデモに合わせ、念のため宇宙人が核ミサイルを無力化したのではないでしょうか?
時期的にその可能性が高いと思います。
時事通信 10月27日(水)10時48分配信
【ワシントン時事】米ワイオミング州の空軍基地で23日、コンピューター障害が原因で、45分間にわたり、核ミサイルの一部の監視・通信機能に支障が出ていたことが明らかになった。米メディアが26日に報じた。
影響が出たのは、多弾頭の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の「ミニットマン3」(長さ18メートル、重量約32トン)50基。米国は現在、ミニットマン3を450基保有している。
軍高官は、ミサイルの発射は可能な状態だったとしている。ただ、オバマ大統領に報告されたのは26日朝で、CNNテレビは「危機管理上、問題がある」と批判している。
ニュースソース↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101027-00000040-jij-int
(A) 拝見しました。
銀河同盟のUFOデモンストレーションは始まったばかりで、これから11月にかけて継続するプロジェクトなので、攻撃力を封じる目的なら45分だけ無力化しても意味はありません。
それに、既に知れ渡っているUFOの行動力からすれば、鈍重で定まった軌道しか飛べない大陸間弾道ミサイルで攻撃するのは考えられないことです(これは双方が百も承知のはずです)。したがって、その件は報道の通り、コンピューターの障害が原因でしょう。
(次にCBSの詳細報道があります)
http://www.cbsnews.com/8301-503544_162-20020817-503544.html
しかし、オバマ大統領への報告が3日も遅れた点からすると、その間、彼らが「本当の原因」を説明できなくて狼狽していた可能性もあります。
このケースでは、「犯人」は銀河同盟ということになります。
その狙いはUFOを守ることではなく、米軍の「万全の体制」に揺さぶりをかけて、「公式発表」のための共同作業へ決断を引き寄せることでしょう。
一方、銀河同盟が人類の「核の火遊び」に並々ならぬ危惧を抱いてきたことは事実で、以前「Q&A」で採り上げたように、1960年代から80年代にかけて、核ミサイル基地でUFOが盛んに目撃され、一時的にミサイルが無力化される「事件」が頻々と起こりました。その事実を、今年9月27日にワシントンのナショナルプレスクラブで元軍人たちが暴露したわけです。
主要メディアがそれを黙殺する中でCNNだけが報道し、その一部は今日でも「生き残って」います。
http://gaia-as.universe5.com/qa10j.html#UFOinfo(UFO情報の報道管制とメディアの堕落)
http://www.safetv.me/watch/xuqENCAcwsE/CNN---NPC---UFOs-disable-Nuclear-Weapons.html
この時の銀河同盟の意図は、核ミサイルを恒久的に無力化することではなく、「核の危険」を人類に気づかせるのが目的でした(米ソの核削減条約の進展など、それなりの効果はあったと思います)。
ちなみに、今回のようなUFOの低空飛行に対して、本来なら当然行うべき米空軍のスクランブル(緊急発進)が見られないのは、相手が「風船」だと彼らが考えているわけでは決してないでしょう。
UFOの周囲が電磁バリア(フォースフィールド)で防御されていて、やればやるほど「ぶざまな結果」に終わり、「UFOの実在」が人々の確信になることを知っているからでしょう。かといって、「邪悪な宇宙人の攻撃」という「見え透いた嘘」を人々が信じる段階は、もはや通り過ぎてしまったことも。
[オバマ(いやしくも軍の最高指揮官)]−[バイデン(副指揮官)]ラインと、[シャドウグループ]−[ゲーツ]−[国防総省]−[NASA]−[軍需産業]ラインとが、「一枚岩」でないことはオバマ就任以来の数々の実績によって明白です。
これは世界を覆う「裏の支配構造」の象徴のようなもので、地球社会のあらゆる苦難の根源に、それがあります。
しかしこのシステムは、皆が目を覚まして「恐怖」を卒業し、奉仕の精神をベースとする公平で調和的な新しい世界の実現を意図するようになれば、簡単に崩壊します。
それが可能であることを信頼するようにしましょう。
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