HOME/アセンション

 

Q&A’17g1・「ガイア・アセンション」シリーズ


(17/07.05) アンデス高地からの報告―「ことたま」のことなど

(Q) 小松 様

ご連絡するのが途絶えていましたが、相変わらずの日常が続く中、常にありがたく拝見させていただいておりました。

 

今回の日本語と琉球語の比較を見て、ローマ字の日本語をアンデスのチャンカ族の言語で、後にインカ帝国の共通語に選らばれたケチュア語で読んだ場合(ケチュア語の母音はアイウの3音のみなので、オはウに、エはイの発音になってしまうのです)と完全に一致していることに気がつき、ご返信する次第です。

 

ケチュア語は文法も日本語に似ている部分が多く、特に擬音語をふんだんに使うところは他の言語から見ると、日本語とケチュア語は同類かもと感じていたのですが、もしか したら琉球語の方が近いのかもしれませんね。何分琉球語については全く知識不足ですが、比較表を見て驚きました。

日本人とアンデスの人々の遺伝子は一致しているということは聞いていましたが、(アンデスの赤ちゃんにも蒙古班がでます)琉球語との類似についての可能性は思ってもいませんでした。ただ、琉球の人々の顔と、チャン家族の顔はタイプが非常に良く似ているとは常々思っていました。

 

オンゴイでは今年になってから、これまでの2年間の区長の並みならぬ活躍が形になって現れてきています。原始的な「離れ島」に、最低限の便利さがいっせいに春の花盛りのように形となって光り出しているのです。

住居区域内は舗装されるということで、工事が準備され、共に長年放置され続 けていた下水工事も完了されます。

新しい診療所の建設は進んでいますし、コミュニティーの公民館なるものも古い崩れかけていた日干し煉瓦の建物を倒して新建築の基礎工事が始まっています。

オンゴイの中心部から離れた各部落にも同様に学校や、診療所、上水下水、中心部の道路の舗装などが進んでいます。

村人の生活向上にとっては大変に喜ばしいことですが、大地が掘り返されるごとに、大地のエネルギーに敏感な人たちは激痛を感じたり体調を崩したりということが続きやすくなってしまいます。その治療をしている人たちも大忙しになっているようです。

 

先月母の日パーティーを自宅で開くことになり、夫が勇んで応接間の外のパティオの拡張工事をはじめたところ、私が体調を崩してしまい ました。2日2晩眠り続け、3番目は滝のごとくの浄化の下痢、ふらふらになってしまいました。

せっかくの母の日は夫がひとりでホストとして、てんてこ舞い。私は1階で人が集まっている中、2階の寝室で寝込んでから4日目にやっと治療を受け、スイトッピーやコカの葉、その他のハーブで私の体内に入ってしまっていた大地のエネルギーを取り出して、そのエネルギーが出てきた場所に埋めて治める作業を行いました。

それから何とか起き上がれるようになったものの、1ヶ月たっても何か元の元気さが取り戻せないでいました。

4日前にミュンヘンから長女が3日間だけオンゴイに来てくれたのですが、リマで知り合った霊視が出来る女性に、私が山の神様のエネルギーで雲に包まれてしまった状 態にあるから、治療するようにといわれ、今回はリマで父親の世話をする目的でペルーに来ていたのですが急遽3日間だけオンゴイまで足を運んでくれることになったのです。

どうしても再治療を確認したくて来たというので、その話を聞いてすぐに治療をしていただいた親戚の方に連絡しましたら、埋めた花やハーブの包みをペットの犬が掘り返してしまい大地が十分に吸収できなかった、とカードで読まれました。

夫は前回の治療後、犬に掘り返されたことに気付いて治療師の娘さんに相談したら、一度埋めたのだから大丈夫だろうと言うことだったのですが、実はそうではなかったと言うことが判明しました。

それですぐに再治療。安心して長女は昨夜リマに戻っていきました。

今回は娘の愛と、色々な能力の ある方々のおかげがかさなって、元気が取り戻せそうです。宇宙は不思議なことが一杯の楽しい世界ですね。

最低限の家事しかできなかったこの1ヶ月間、これで元気になったらやりたいことが山ほどあります。

 

神様とひとつであることを実感しながら、もっともっとお役に立てるようになって、さらなる感謝と喜びに満たされる日々を作り続けたく、次に進みます。

 

(A) 拝見しました。

興味深いレポートをありがとうございます。

 

ケチュア語と琉球語との類似点のことは初めて知りましたが、基本となる短母音が(a)(i)(u)の3つだけで、(o)は(u)になり(e)は(i)になることなどは、偶然では済まされない類似点だと感じます。他にも類似点は多々あると思いますが。

古代アンデスの先住民の歴史は、少なくとも1万2000年前に遡ることは確実のようですから、その発祥は日本の縄文時代に重なります。

つまり「人類史での直前の氷期(ヴュルム氷期、アメリカではウィスコンシン氷期と呼ばれる)の最寒冷期」の前後に、陸続きとなったベーリング海峡を通って(それまでは豊かな植生に覆われていたシベリアの)モンゴロイドたちが居住適地を求めてアメリカ大陸へ移動し、その後、南アメリカ南端まで達して「アメリカ先住民(プロト・モンゴロイド)」を形成したことは、ほぼ間違いないと思います。

したがって、そちらの新生児が蒙古斑を持つことは、完全に納得できます。

(人類のアメリカ大陸における拡散)

 

そしてケチュア語が、日本の本土語よりも琉球語に近いことは、DNA解析によって「本土人よりも琉球人のほうが縄文人の遺伝子を多く含んでいる」ことが証明されているので、これも納得できます。

おそらく本土日本人は、弥生時代以降に大陸から渡来した人々との混血が進んだ過程で、言葉自体も現状の方向へ変化したと考えられます。その一方で、琉球語は元の形が比較的よく保たれたのでしょう。土地の人々の心根も含めて。

 

そこで、日本語とケチュア語に「共通の祖語」が存在するかどうかについては、肝心の「音韻対応」がとれていないように見えるので、言語体系の類似性には別の要因があると思われます。 ([PDF]日本語・ケチュア語語彙集)

私の推論としては、むしろ「ポスト・アトランティス」の局面で、「テレパシーによる意思疎通」ができなくなった両エリアの先住民に対して、発音は異なるがシンプルな言語体系として同種のものが、「天から降ろされた」可能性のほうを採りたいと思います。

 

――わたしの想いを 多くの ことば で 今 伝えておるが
この ことば も そなた達と より深く結ばれるために用意したものである

いつの頃からか 身魂の曇りしゆえに
想えば伝わるという意思疎通が困難になり

ことば を必要と感じたゆえ
新たな 意思疎通の手段として編み出したのである

ことたまの さきはう 日々を送ってほしい―創造主

 

それとは別に、インカ帝国の中心地だったクスコ(標高3400m)を始め有名なマチュピチュ(標高2400m)を含むアンデス高地は、北方から移動してきた人々にとって(熱帯圏にありながら気象や環境に恵まれた)ご当地は、最高の居住適地だったのでしょう。

そして日本の縄文時代と同様に、アトランティスからの疎開者も合流して、独特の文明が隆盛を極めた時期があったと考えられます。

日本と同様に「(採石・運搬・設置・建造方法などが『科学的に』説明できない)巨石建造物」が多数存在することに、その一端が表れています。

 

一方、お話の「土木工事や建築の進捗で大地のエネルギーが変調を来す」問題への対応として、日本でも古くから「地鎮祭(じちんさい、とこしずめのまつり)」が着手時点で執り行われるしきたりがあり、その中では「神職」による「降神」も行われるようですが、近年ではほとんどが形式化された手順に従って行われているようです。

そもそも、人々の日々の営みが自然から大きく離れてしまった現状では、幸か不幸か「大地のエネルギーに敏感な人たち」も極めて少ないのではないでしょうか。

しかし、そのようなしきたりがあることは、古代の人々が「土地が持つエネルギー」を正しく認識していたことを感じさせられます。

ちなみに近年の人では、楢崎皐月さんや、愛弟子の宇野多美恵さんがいらっしゃいます(カタカムナ文献)。

 

それらの点が、あなた自身を含めて、そちらでは違っているようですね。

「色々な能力のある方々」を始め、土地の人々の営みが持つ波動レベルの高さを反映して、ご当地は「天とのつながりが近くなっている」のでしょう。

地球には、そのようなスポットが、いくつかあることが伝えられています。

何かと変化の激しい時期でもあるので、くれぐれもご自愛ください。      

 

(Q) 小松 さま

ご返信ありがとうございました。

日を置いては、読み返させていただいております。

 

ケチュア語の件ですが、メールの中に引用されていましたクスコのケチュア語は実は方言で、元来のケチュア語(チャンカ族が使っているケチュア語)とは発音も単語も変わってしまっています。

クスコがインカ帝国の首都であったことから、ほとんどの方がケチュア語の標準がクスコのケチュア語であると思われてしまっています(クスコに住んでいる人々も含めて)。

 

ペルーのカトリック大学でインカの言語を研究されている先生の授業内容から理解していきますと、始めインカはプキーナ語を 話していたということで、スペイン人が来た後も高貴な女性の間ではプキーナ語(文字を使わない)が話されていたそうです。

クスコを首都としてインカの2世が生まれ育つと、当時クスコで話されていた「アイマラ語(現在はアイマラ族を中心にプーノ地方で話されています)」を話すようになり、その後、現在のアプリマック県やアヤクーチョ県から海岸地方に至るチンチャまで広がっていたチャンカ族との戦いで、その当時から500年も前にインカ帝国のモデルになるほどの大国ワリを築いていた不滅のチャンカ族を、トリックを使って負かし、チャンカ族の言語、「ケチュア語(人間が話す言葉と言う意味、つまりチャンカ族にとっては人間以外の言語を認めていた可能性がありますね)」を、インカ帝国の公式言語とすることになったのだそうです。

 

この地方はインカ帝国の中でもインカの右腕といわれるほどの重要さがあったことは、最後の皇帝アタワルパの救済に関して、身代金を一番多く送り込んだのが、チンチャであったことからも想像ができると思われます。

ワリ文化は世界一細い糸(ビクーニャの毛)を紡いでいたこと、世界で一番薄い生地を織っていたことが確認されていますし、その美意識は現代美術に勝るものがあります。

今はペルーでもっとも貧しい地域とされていますが、チャンカ族の人々の中に残されている遺伝子には底知れぬパワーが潜んでいると確信しています。

 

以前にもお伝えしたとは思うのですが、ケチュア語でオンゴイが含まれるアプリマック県の、アプは神山を意 味し、リマックは話をする者、つまり神と話す者という意味があります。

小松様がおっしゃるとおりに、天との繋がりが近い人々が住んでいる地域なのだと思います。

波動の高さを保ちながら、メンテナンスが整うなか日常生活のレベルが快適になってくることは、さらなる恵みであると感謝しています。

 

オンゴイ区の法的創立193年記念日が先日6月21日に盛大にお祝いされましたが、当日の特別のミサで、いつもアセンションやその他の光を持ったお説教をされる若いジョナタン司祭が、区長に向かって、この土地の発展は環境に大きな重点を置いて進めていくようにお話されました。

「自然は神の創造です。私たちは神の創造物を正しく管理していく勤めを荷なされているのですから」と説明されました。

先月 の初め3日間だけドイツから長女が来ていたのですが、ちょうど一緒に日曜日のミサに行けて、ジョナタン神父のミサは素敵だとびっくりしていました。できるだけ長くこの地域で活躍していただければと願っています。

 

今月の24日から3日間は、オンゴイの守護聖人、サンチャゴのお祭りがあります。

教会内におみこし2台を治める空間をペイントしました。次回写真を添付させていただきます。

子供の頃の夢だった絵描きになるチャンスを、感謝を持って実現させていただいています。自分の好きなように大きな空間を自由に描けるのですから・・・。

 

アセンションに向かう皆様も、日々楽しく過ごされますように!!

 

(A) 拝見しました。

やはりご当地は、というよりアンデス山脈中部の高地エリアは、当然ながら「インカ」の影響が大きいようですね。

お話にある、インカの前にあった「ワリ文化」というのは、一般にいわれている「プレ・インカ文明」の一部かと思われますが、こちらこそ「マヤ文明」同様に、「実在する古代史の巨大な謎」の重要な担い手だと思います。

「宇宙考古学」のフィールドワークを専門にされている南山 宏 さんの著書の一部にも、例えばこういう記述があります。

 

――(前インカ時代の副葬品で、直径1ミリのビーズ玉の、直径わずか0.3ミリ穴について)

現在は丈夫なテグスを通してあるが、もともとは6本もの超極微細糸が通っていたという。これはそのような超極微細糸を部分的に使った繊細なレースの織物も発見されている事実に裏付けられるが、問題はやはりどんな方法で、それほど細い糸を作りだせたのかということだ。現代の紡績技術で製造可能な細さは、せいぜい140番手(1グラムで283メートルの長さになる細さ)どまりというのに、その超極微細糸はなんと最高250番手に達する細さだったのである。(『宇宙から来た遺跡1981年 講談社)

 

いずれにしても、現代の「正統派の学者」を自認されている方々の「狭量な」視点では、マチュピチュをはじめ「プレ・インカ文明」の巨大な謎の説明は、他の古代遺跡を含めて、せいぜい「混乱した憶測」以外は出てこないという事例を、私は数多く見聞しています。

上記のような数々の工芸品だけでなく、クスコの丘の上にある「サクサイワマン」の巨石の石組み(250トン以上の切り石など、石と石との隙間にはカミソリの刃さえ入らないという)や、「オリャンタイタンボ」の巨大な「六枚屏風岩」などもありますね。さらに、標高3000メートルの山中にある総延長20キロに及ぶといわれる「カハマルカ(ペルー北部)」の水路「クンベ・マヨ(山中のトンネル部分で、幅30センチ深さ50センチ以下の狭小な水路が直角に曲げられている箇所もあり、それらの工法については想像もつかない)」などもあります。

 

そしてご存知のように「マチュピチュ」は、その全容が謎に満ちています。居住区域がある点はメキシコの平地にある「テオティワカン」と同じですが、そこへ登るためのジグザグ道は近年のもので、当時の住民は必要としなかったわけですね。

私は、「マチュピチュ」は「マヤ」と同様に「滅んだ」のではなく、(宇宙からやって来た進化した存在たちが)適切なタイミングで「惑星地球の地上での実体験」から「撤収した」とみています(おそらく、いずれスペイン人たちがやって来ることを予見して)。そして「テオティワカン」が放棄されたのも、同様の「撤収」でしょう。

しかし「あり得ないもの」の実在を、現代(アセンションの時代)に伝えるという役割は、見事に果たしたわけです。

 

――しかし真実は、アトランティスの崩壊は実際に起こったということで、今でもその証拠は確かに残っていて、その一部はよく知られており十分な裏付けがあります。

また、マヤ人はアトランティスに深く関係しており、確かに彼らの祖先はアトランティスの体験を経てきています。したがって、彼らの祖先はその知識を携えていました。人々はマヤ人を驚異として見ており、その知識をどのようにして持ちえたのかと不思議がります。

 

彼らの生活様式は、一見して都会風には洗練されていませんが、それでも彼らはこの知識を持っているので、それを知った人々が、それを説明しようとして研究することが、何千年にもわたって行われてきたのです。

私はそれを、ユーモアをもって見ています。というのは、真実をベールで覆い隠されたそのような意識状態は過去には存在しておらず、今ちょうどキャロリンが仕事として行っているのと同じように、様々なやり方でそのベールを超越することのできた人たちが常にいたからです。

そのような人たちはいつも存在していました。シャーマンと呼ばれる人たちは、色々なやり方でそのプロセスを助けるために、独特の幻覚剤などをよく使用しました。しかし彼らはそれを超え、あなた方の意識の中にあるたくさんの知識が、このようなプロセスを通じてもたらされました。

そのような知識は手に入ったのです。そういう手段がなかったとしたら、あなた方の歴史に残された予言などの知識が得られるわけがないでしょう。もちろん、そのようにして得ることができたわけです。

 

しかしそれは、そういう能力を発揮する者を探し出して悪魔のように扱う、あなた方がカトリック教会として知っている組織によって、徹底的に抑圧され破壊されてきました。もうたくさんだというほど、彼らは人類とその精神を閉じ込めるために力を注いできたのです。創造主 アセンションと2012年を語るC

 

ともかく、「(ラス=カサスなどドミニコ派の宣教師が廃止をアピールしたエンコミエンダ制」などスペイン人の南米での植民地経営に伴う悲しむべき歴史(お話にある「最後の皇帝アタワルパの救済に関する身代金」の件も実際にはトリックで、アタワルパは征服者ピサロに処刑され身代金は没収されたわけですね)にもかかわらず、歴史的事実は事実として、今は「融合の時」です。

モンテーニュの『随想録』にある次の名言は、過去のものとするべき時だと思います。

 

――「すべての人間は、自分とのやり方がちがえば、これらを野蛮という

 

なお、そちらのジョナタン司祭は真に得難いお方ですね。

「できるだけ長くこの地域で活躍していただければと願っています」は、私も同感です。

 

【関連】

ことたまの きはう 日々を送ってほしい―創造主

 

[このページのトップへ戻る]
[
Q&Aハイライト全容]

[ホーム]

Copyright© 2017 Eisei KOMATSU