アセンションへの道

「天動説」つまり、地球が宇宙の中心に静止し、すべての天体がその周りを回るという宇宙観は、約1400年の長きに亘って地球の天文学の大勢を支配しました。それは、この説が、人間中心の宇宙観に合致し、カソリック協会に支持されたという事情だけでなく、「精緻を極めた科学の体系」であったからです。2世紀に活躍したアレキサンドリアの天文学者、プトレマイオス・クラウディオスが著した『アルマゲスト(全13巻)』は、それまでの多数の学者の業績を集大成したもので、月や惑星の見かけ上の不規則な運動についても、「離心円」や「周天円」などの概念の導入によって巧妙に説明し、一見ほとんど付け入る隙のない理論だったのです。

ご存知のように、1543年に出版された、コペルニクスの『天球の回転について(全6巻)』で詳述された「地動説」によって、「天動説」は徐々に力を失いますが、それでも、90年後の1633年の宗教裁判によって、ガリレオは自説(『天文対話』によって指摘した「天動説」の誤謬)の撤回を強要されました。コペルニクスの著書が法王庁によって最終的に解禁されたのは、1822年のことです。この事実は、一度「科学」によって「保証」され「植え付け」られた人間の観念や社会の規範を修正することが、いかに困難であるかを物語っています。

科学が、マクロからミクロまでを、解明し尽くしたともみえる現代では、「天動説」のような巨大な誤謬は、もはや縁がないと思われるかもしれません。ところが実際には、「現代版天動説」が私たちの社会にどっかりと腰を下ろし、人類にとっての重大な桎梏となっています。「天動説」が内包していて、結局はその崩壊を招いた、「無理」で「非科学的」な説明が、今でもまかり通っているのです。

「現代版天動説」の典型は、この近傍宇宙では、進化した知的生命体は地球人類しかいないという認識です。これは、「天動説」と同じように、視覚で普通にとらえる実態に合致しており、人間中心の宇宙観を満足させます。しかし、どこかに無理があると感じませんか。ーーーもっと「自然」で「科学的」な説明は、太陽系と同じようにそれぞれの恒星系に、さまざまな進化レベルの知的生命体が存在し、或るものは地球人よりはるかに進化した知的・科学的レベルにあり、また一部は地球人より低い進化のレベルにある。さらに、進んだ星の住民が(コロンブスが地球でやったように)近傍宇宙の探査に乗り出し、より低い進化レベルの「原住民」を発見する(そして善意を持って見守る)。あるいは、(地球の諸文明が交流したように)進化した星々の交流によって、文明の発展が加速され、やがて(国際連合のような)「宇宙連合」が結成され、宇宙の秩序の維持や啓発に当たる、というものです。

もし、地球の科学が「これまでに」発見した事実に基づく説明は「科学的」で、まだ発見していないものは「非科学的」だとするなら、中世の住民にとって、現代科学のほとんどの成果は「非科学的」ということになります。同様に、地球より数千年、数万年も進んだ星の科学のほとんどには、「非科学的」だというレッテルを貼ることになるでしょう。この姿勢から離れられないとき、進んだ星の知見を教えられることは、「とても困ること」という扱いになるでしょう。

ここに、興味深い事実があります。1999年6月5日から、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、母国ポーランドを訪問し、その第3日に、コペルニクスの生誕地を訪れました。そして、「コペルニクスが行った発見、その歴史と科学における重要性は、道理と信仰との、永遠の相克を想起させる」と話しました。これに対して早速、CNNがインターネット世論調査を試みたのです。「道理と信仰との間に相克があると思いますか?」という設問に対して、(A)「はい、私は道理を採る」35%、(B)「はい、私は信仰を採る」10%、(C)「いいえ、それぞれの役割がある」56%でした。「道理」を、「科学的合理性」と置き換えてもよいでしょう。

この何気ない世論調査の結果は、はからずも、地球の科学の限界と人類の深い混迷を象徴しています。「道理」と「信仰」とは「役割が別だから相克はない」とすれば、「信仰」の名において無数の殺戮が繰り返され、いまだに止まる気配がないのはなぜでしょうか。これこそ、「相克」の最たるものではないでしょうか。ここに、もうひとつの「現代版天動説」がみられます。人類は長い間、地球の「学者」が解明した範囲を「現実認識」の基本とし、「自分の神」あるいは「信仰」を、「信じるしかない」ものとして、科学(道理)の外に置いてきました。「科学者」は、それらを、「アンタッチャブル」なものとして、研究の対象にすらしませんでした。その結果、上記の世論調査に見られるように、「道理」と「信仰」に別の役割を持たせるという、「無理」を重ねることとなったのです。「神」を科学(道理)の外に追いやりながら、何かといえば「神」を援用し、「神頼み」をする。そして「神」の名において殺戮を繰り返すーーー。このような文明が、「観測された宇宙のなかで唯一の進んだ文明」と言えるでしょうか。

「神」についての、もっと「自然」で「科学的」な説明は次の通りです。この宇宙で、すべての「被創造物」の頂点に「創造神」とも呼ぶべき「神」がひとつだけ存在する。そして、それに連なる無数の階層構造の上部に、「神」の僕(しもべ)とも呼ぶべき「神々」が存在し、それぞれの役割を果たしている。時に、「神々」の中から、キリスト、釈迦またはマホメットのような存在が、「高次元の使徒」として星々に派遣されることがある。人類を含むすべての「被創造物」は、「神」の「分け魂」であり、「神」は、すべての「被創造物」の体験を同時に「体験」し、それによって自らも「進化」する。この意味で「人」もまた「神」である。ーーーここでの階層または次元は、「波動のレベル」あるいは「愛のレベル」の違いといってよいでしょう。また、「高次元の使徒」の教えを、後継者たちが歪曲し自己の利益のために利用してきたことや、「自分の神」以外の「神々」を排斥してきたことは、「神々」の責任ではありません。人々が「信仰」の対象を取り違えてきたことも、「神々」の責任ではありません。

以上2件の、「自然」で「科学的」な説明は、宇宙の「高度に進化した存在(Highly Evolved Beings : HEB)」から、地球の協力者たちを介して伝えられている、膨大な「宇宙の実相」の一部です。こう書くと、直ちに聞こえてくるのは、「証拠を示せ」「証拠、証拠、証拠---」という声です。証拠を見たければ、あなたが張り巡らせている、「知ってること以外は断じて信じないぞ」という「心情的バリア(防壁)」を、ちょっとだけ低くすればよいでしょう。いま地球に、それらの情報が、溢れかえっているのが見えてくるでしょう。もちろん、それらの情報を、あなたの感性によって選別する必要はありますが。

もっと簡単に証拠を手にする方法は、「情報公開法」によって、政府に、それらの情報の開示を請求することです。もし政府に誠意があれば、50年以上に亘る、HEBの特使たちからの働きかけの、膨大な記録が現れるでしょう。残念ながら、「国家の安全保障に関わる事実は公開しない」という理由をもとに、「そのような記録は、いっさい存在しない」という答えが返ってくる可能性があります。「国家の安全保障」という言葉を分かりやすく言えば、「現在の支配機構にとって都合が悪い」となります。確かに、民主主義の名を借りた、ある種の幻想によって状態を保持している支配機構にとって、真実が知れ渡ることほど「困る」ことは他にありません。そこで、かたくなに隠蔽が行われることになります。

それだけでなく、地球市民に対する積極的な「陽動作戦」も行われています。典型的なものは、NASA(アメリカ航空宇宙局)が進めている「高分解能マイクロ波による地球外文明探査計画(The High Resolution Microwave Survey : HRMS)」です。これは、「茶番劇」以外の何物でもありません。NASAは、HEBの特使たちが目の前に来ている事実や、マイクロ波などという(着信まで何年もかかるような)時代遅れのものは宇宙間通信で使われていないことを、最も知りうる立場にいるわけですから。

 

さて、これからの地球で、あらゆる既存のものを決定的に変えてしまう出来事が、「アセンション」です。それは目前に迫っていますが、上記でお分かりのように、これについての真正の情報が、政府やマスメディアから与えられることは、決してないでしょう。一方、本著の第1章「愛なき地球温暖化対策」から、第10章「プラネタリー・クリーニング」まで、人類と地球の現状は、まるで救いがないように見えると思います。確かに、人類は現状を修復する手段を持っていないし、時間もありません。修復する前に「現実の崩壊」が始まるでしょう。それにもかかわらず「人類は黄金時代を迎える」、と言うと驚かれるでしょうか。推理小説の結末部分の「大どんでん返し」のような出来事、それが「アセンション」です。

「アセンション」については、イエス・キリスト個人のアセンション(昇天)がよく知られていますが、今回の「アセンション」は、宇宙の巨大なサイクルの一環として、太陽系と近隣宇宙全体が関係する出来事です。地球に関しては、地球自体と、地球の全生命が相前後して、高次元の波動レベルへ「アセンド(上昇)」します。この意味で、「ガイア・アセンション」という言葉も使います。

「アセンション」の達成とは、「神」であり「創造」そのものである「本来の自分」に戻ることです。「完全な覚醒」です。これまでの「コントロール劇」、「分離劇」は終焉し、すべての人が、完全な自由を獲得するとともに、「魂」と「物理的現実(肉体)」が融合して、事実上永遠の生命を得ます。その前提としての、RNA/DNAの変容は、なかば自動的に行われます。人類は、思考によって自由な創造を楽しみ、無条件の愛と奉仕を基本とする新しい文明を築きます。ーーーこれだけのことが、わずか一つの人生で実現できるとすれば、これまでの「苦労」も報われようというものです。実際、個人にとっても社会にとっても、たとえ外面がどのように見えても、無駄なことはひとつもなく、すべてが、そのために必要なプロセスだったのです。

「アセンション」は、宇宙全体では決して珍しい現象ではありません。すでにお気づきのように、本来なら祝福されるべき「壮大な宇宙劇」であり「宇宙大祭」です。しかし、今回の地球の「アセンション」は、「かなり困難な移行」だとみられています。第1に、地球がすでに広範に汚染されてしまっているという事実があります。汚染された「からだ」のままでは、地球は上昇することができません。「アセンション」の前提として、「プラネタリー・クリーニング」が避けられないでしょう。問題は、それが本格化する時期と規模です。「ガイア・アセンション」の多岐に亘るプロセスはすでに始動しており、全体は長くても今後10年以内に完了するとみられることが、ひとつの目安になります。

第2に、「祭り」が迫っているのに、その準備がされてなく、それを祝う気分も広がっていないことです。これはもちろん、「宇宙の真実」についての、徹底的な情報の隠蔽があるからです。現在の地球は、市民の目から真実を隠すことによって利益を得る(と信じている)勢力に、実質的に支配され、操られています。「アセンション」が近づくにつれて、このような支配の構造が「音を立てて崩れていく」ことは、「彼ら」自身も気づいています。どこにも、逃げ道はないのです。しかし、大多数の市民の認識が現状のままでは、「アセンション」の進行とともに起こってくる現象によって、大混乱が起こる可能性があります。

幸い地球人類は、地球の科学の認識とは裏腹に、宇宙で孤立した存在ではありません。いま、宇宙のHEBや「神々(日本の神々など、各地域の神々を含む)」は、今回の「ガイア・アセンション」を成功させるために、大規模な支援体制を組んでくれているようです。「要請がないかぎり介入できない」という「宇宙のルール」はありますが、「要請は政府がやらなければならない」というルールはありません。すべてを知っている私たちの「真我(潜在意識)」の多数が、サバイバルを選択し、宇宙に支援要請を発信すれば、それは聞き届けられるでしょう。その場合、表面的には、直接的な物理的介入のように見えるでしょう。時期は別にして、その可能性は大いにあります。

一方、私たち地球人類の側でも、それなりの対応が必要になるでしょう。これまでの現実がじわじわと、あるいは一瞬にして崩壊しますが、そもそも「現実」とは私たちの「集合意識」の「創造物」であり、それを「新しい現実」に変えようとしているのだと知れば、驚くことはありません。すべてはプロセスであり、自分の意思が創っているのだと信頼して、絶対に恐怖心を起こさないことです。そして、論理よりも感性で物事を判断する習慣をつけること。疑いを捨てて行動すること。行動は「真我」の導きに従うこと。アセンションに焦点を絞って、それに献身すること。いつでも「飛び立つ」ことができるように、あらゆる執着を断ち切って、身辺の整理をしておくこと。---こんなところでしょうか。できるだけ自然の中で過ごす時間を多く取り、日常生活に、地球とその全生命のため、また自分自身のための、祈りや瞑想やヒーリングを取り入れることも望まれます。

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