大震災から何を学び何処へ向かうか

―物欲刺激型社会から自然調和型社会へ

201141

小松 英星

 

地球(ガイア)の目指すもの、地球変動の必然性

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(最近の「Q&A地震はガイアの自己加害?」から)

(Q) 毎日お忙しいと思いますが、今回の地震で理解出来ないでいる事があり、小松さんのご意見をお聞かせ頂けたらとメールさせて頂きました。

今回の地震はガイアの意思だった訳ですが、その地震で原発事故が起こり、結果ガイアがガイア自身を汚染する事になってしまっていると言う事が私には理解出来ないでいます。

原発の危険性を知らしめるには事が大きく、またアセンション間近に何故自らを汚染しているのか?

 

(A) ガイアにとっては、新生地球のために自分自身の身体を完全に準備することが最大の目標です。

したがって、細部でどんなことがあっても、本筋を逸らすことはしないでしょう。その中で、可能な限りの配慮をしているわけです。

今回の地震に関しては、各プレートが完全に繋がって地震などのない次の地球を造るために、避けて通れないプロセスだと思います。しかしそれに付随して、日本人や人類も大きな学びを体験しているわけです。

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このように今回の地震は、地球(ガイア)がアセンションに向けて自らの身体(物質地球)を準備する活動の一環です。「破壊」のように見えても、実際には「創造」です。

具体的には、各プレートを完全に接続して地震などのない「新生地球」を創るための活動の一環です。プレート間を接続するために既存の大断層を埋めなければならないので、それに相応する三陸沿岸の陸地が広範に沈降したわけです。

そして今回の創造活動に付随する「調整」が完全に終了するまでは、既に無数に起こっている「余震」が止まることはないでしょう。また、この間に長野県北部312M 6.7や静岡県東部315M 6.4で起こった大地震は、関連する調整の一部と見られます。

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しかし今回の地震に続いて、地震学者などが過去の「実績」に基づいて可能性を警告している巨大地震(「東海」、「東南海」、「南海」など)が近々起こるとは限りません。

「巨大な意識体」であるガイアの行動は、人間が浅知恵で考える範囲を遥かに超えています。

確かなことは、このような地震は、日本人と人類に対する「ウェイク・アップ・コール」でもあるということです。

これを機に日本人が「地震の教訓」を深く受け止めて、人間の視点だけで全てを律する思考様式を卒業し、その経済運営や社会運営を自然と調和する方向に根本的に見直すようになれば、ガイアは日本周辺で巨大地震を起こす替わりに、もっと穏やかな創造活動によってプレート間を接続しようとするでしょう。

 

理念なき「復旧」では・・

人類は、絶えず人々の物欲を刺激して「経済規模を拡大し続けないとうまく回らない」という、「資本主義の呪縛」に深くはまってしまい、それ以外の在り方を発想できない状態になっています。まるで「踏み車」の中に入ったハツカネズミが、いつまでも車を回し続けるように。

このシステムは、際限なく地球から資源を収奪し、汚染物質の排出を増やし続け、ガイアや人類を含む生きものを加害し続ける仕組みになっています。人類の記録された歴史で、最大の「発明」とも言えるでしょう。

しかし、一人の人間が消費できる量が限られ人口も増えない中で、際限なく消費を増やし続けることなど不可能だという簡単なことに、早く気づくべきです。

公平や自然との調和、そして思いやりをベースにした、これまでとは別の国家・国土の姿を追求し、その成果を世界に発信することこそ、この震災を体験した日本に求められていることではないでしょうか。

それは資本主義経済を実質的に終えんさせ、「新時代の社会システム」へソフトランディングさせるモデルを世界に提示することでもあります。

 

その一環として震災からの復興は、「ゼニの大風呂敷」を広げるのではなく、やたらと精神論を振り回わして煙に巻くのでもなく、支援する側も支援される側も、「現実を見据えた理性的な処方」に合意点を見出すようにするべきだと思います。

 

「復旧」には膨大な歳月、被災者の生活は待ったなし

空前の津波被害で町ごと消える状況が各所で起こった今回の震災は、曲がりなりにもコミュニティとしてのつながりが生き残った、阪神淡路大震災とは根本的に違います。

漁港の大半が使用不能になり、小型漁船の9割(約12000隻)が失われ、三陸沿岸の漁業が壊滅した今回の震災に、過去の復興パターンを持ち込むことは現実的ではありません。

この状態から昔の姿を「復旧」させるには、想像を絶する長い年月を必要とするでしょう。

たとえ家または「ハコ(仮設住宅)」だけがポツポツと「再建」されても、生業(なりわい)とコミュニティがなければ「生活」にはなりません。漁業や水産加工を中心とする、それらの生業やコミュニティの多くは江戸時代からの永い歴史の産物で、いくら大金を投じても、部分的には可能であっても、「震災前の規模」を取り戻すことが一朝一夕に出来るとは考えられません。

その一方で、待ったなしの被災者の生活があります。

 

現実的な被災者支援は、発想の転換が唯一の方策

火急の課題として、被災者の生活支援を最優先させることには誰も異論はないでしょう。

そして、現状のままでは「避難状態」が相当な長期にわたることを考えれば、今の「集団的避難所」では耐えられないでしょう。そのために、全国各地の受入れ意欲ある自治体の基に、空き家なども活用して「各所帯が普通の生活ができる」住居を早急に整備する。そして、そこを「再出発」の拠点にすることを、標準的なパターンとして推奨することが考えられます。

同時に、被災者が孤立することのないように、少なくとも当初は同じ地域の方が、ある程度まとまって住むことが出来るようにしてあげる必要があるでしょう。

もちろんこれには、被災地の状況に応じた幅のある対応が必要で、被災者本人の意向を最大限に尊重するのは当然です。

大切なことは、「現実的な選択肢」として、各被災者が選ぶことのできる環境を提供することです。同時に被災者自身にも、「発想の転換」が求められることになるでしょう。

その場合、被災地の首長や議員の思いと、被災者が現実を踏まえてする選択とは、必ずしも一致しないことを考慮しておく必要があります。

 

以上のことは、政府が大金を用意して前面に出てやるよりも(省庁の予算分捕り合戦)、既に始まっているように全国の自治体が中心となり、志のある企業や個人の賛助も得ながらやるのが、最もスムーズに、リーズナブルな費用で、しかも迅速に現況に対処できる道だと思います。

それは正に、「地域を問わず国を挙げて支援する」構図になるでしょう。

政府がやるべきことは、必要な法的措置を講じること。そして各自治体に対して、一律でなく夫々の状況に応じた支援資金を提供することでしょう。

 

元の姿を留めないほど広範に被災したエリアについては、時間をかけて新しい国土の姿を構想する中で、着地点を見つけるようにすればいいと考えます。

 

東京都を最大の「再出発地」に、都政に「チェンジ」を

被災者支援について、都知事候補の渡辺美樹氏は「都が積み立てているオリンピック基金を使えば、1千億〜2千億円の支援が可能。被災者受入れも十万人を拠出するのが首都としての責任」と言っています。確かに、「(既に一敗地にまみれた)東京オリンピック」に未だに執着するより、その基金を被災者支援に転用することが、誰が考えても賢明でしょう。そのためには、都政の主役を替える必要があります。

都民の皆さん、「行動力」などという中身のない言葉に惑わされないで、本質を見抜くようにしましょう。都政の私物化も「行動力」の一種ですから。

 

東京には、多様なサービス機能が集積しており、日本の産業社会を下支えする中小企業も多く、全国で最も就業の機会に恵まれていることは間違いないでしょう。肝心なことは単なる住居の提供ではなく、被災者の生活が軌道に乗るまで親身になって面倒を見ることです。

主役が替わった「新しい東京都」に、こうした支援プランの先頭に立っていただいて、それをモデルとして全国に広げていくことが望まれます。

その意味で、今回の都知事選挙での東京都民の選択は、東京都の枠を超えた重みがあります。

 

財源に不足はない

世界でも未曾有の災害に遭ったのだから、根本的に発想を変えて臨む必要がある。――この認識をしっかり持てば、相当なことが出来るはずです。そして全世界の理解も得られ、大いに参考にしていただけるでしょう。例えば:

・「エコ」補助金の類を全廃する。これらは、資源を先食いし、排出を先出しするマヤカシの「地球温暖化対策」で、「物欲刺激型施策」の典型です。

・「高速道休日特別割引」も、同じ類のものだから全廃する。

・「国際宇宙ステーション」から離脱する。これは、「科学立国」どころか40年前の技術(アポロ計画)をベースにした幼稚なお遊びで、宇宙の真実から人々の目を逸らすこと以外に何の実益もない、「博物館行き」の代物です。

・「LHC(大型ハドロン衝突型加速器)」から離脱する。成功すれば「ミニ・ブラックホール」が出来るかもしれないなどと一部の科学者が血道をあげていますが、銀河同盟はこれを阻止する権限を持っており、LHCが成功する可能性はありません。地球だけでなく周辺宇宙にも影響する「危険な火遊び」だからです。

 

原発事故をどう捉えるか

事故対策が終息する展望も開けていない現時点で、「始めに再開ありき」の「運転再開のガイドライン」を、電力会社と「同じ穴のムジナ」の経産省が立案するとのことですが、国民の誰が信用するでしょうか。

実は、原発なしで日本の電力設備は十分にあります。

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一目瞭然で、1995年以降「ピーク電力(最大電力)」はほとんど停滞しているのに、原子力を主体として設備容量は(不必要に)増え続けています。

但し、これは今回の震災前のデータで、電力の東西融通は「(50/60ヘルツ)周波数変換器」の現有設備容量の関係で100KW程度しか見込めないので、罹災して原発がストップしている東電・東北電管内は別の対応が必要になります。

逆に、西日本(富士川以西、富山県以西)は全原発の即時停止が可能です(状況によっては、休止している火力発電所の一部を稼動させて)。

 

東電に関しては、「春爛漫」が近づき暖房需要が減ってきた3月末時点で、福島第一、第二の10基が全面停止した状態で「計画停電」は不要となっています。

東北電は、女川原発3基が停止した状態で、最初から「計画停電」の必要がありませんでした。

問題は夏場のピークへの対応ですが、例えば全国的に「サマータイム」を導入する手もあるでしょう。

また流通業界や産業界、そして家庭での節電方策を、夏までに徹底的に検討し推進すれば、福島と女川を全面停止させたままで乗り切ることは可能でしょう(もちろん「計画停電(電力会社の身勝手停電)」なしで)。

 

ミュンヘン在住の方からの連絡によると、日本の原発事故を受けてヨーロッパで「反原発」行動が最も早かったのがドイツで、314日には主な都市で「原発廃止デモ」が行われ、その後も毎週月曜には「反原発デモ」が行われており、また326日(土曜)の「統一行動」では全国で約25万人、ミュンヘンでは約4万人が集ったとのことです。

また原発のゴミは、ほとんどニーダーザクセン州にあるゴアレーベン(Gorleben)に埋蔵されるが、輸送される度に地元の住民も含めて輸送阻止運動が当然のことながら行われるとのこと。ゴアレーベンは、日本の六ヶ所村に相当するでしょう。

さすがにドイツは「環境先進国」です。日本人は、トリックによって「懐柔された羊」でしょうか?

 

一方、「原発先進国」フランスのサルコジ大統領日本訪問(331日)は、唐突で奇異な印象です。

もしそれが技術支援の申し出なら、大統領の出番ではないでしょう。30日には、世界最大のフランス原子力企業「アレバ」のトップ、ロベルジョンCEO(最高経営責任者)が、専門家チームとともに成田空港に到着しているからです。

おそらく、「原発を絶対に止めてくれるな」と菅首相に「釘をさす」ことが狙いでしょう。電力供給の8割を原発に依存するフランスで、「反原発」に火がつくと困るからです。

しかし、日本はフランスとは事情が違います。少しの工夫をするだけで、原発なしでやって行けるポジションにあります。

各電力会社が野放図に原発を増やしてきたのは、それが(核廃棄物の最終処分を曖昧にすれば)「金のなる木」だからで、電力需要に適応するためではないのです。

 

宇宙同胞の支援スタンス

宇宙の同胞たちは、今回の原発事故を絶大な関心を持って見守り、目立たない形で支援してくれているはずです。

その支援の真骨頂は、「アポロ13号(19704月)」や「ハドソン川の奇跡(20091月)」で典型的に見られるように、絶対に「支援」に気づかせないことです。そのために、「事故」の原因は人類の「究明」に任せ、「奇跡的な生還」のすべてが「僥倖の重なり」と機長等の「英雄物語」になるようにお膳立てをし、それを実現させるために関係者に必要なインスピレーションを送るわけです。

それは、人類の「持ち味」である「依頼心」に点火させないための絶対条件だからです。

 

今回の原発事故に関して言えば、おそらくチェルノブイリのような致命的なことにならないように導いてくれるでしょう。

しかし、関係者が「核のカルマ」を十分に認識しないうちに、早々と介入して「クールダウン」を実現させることは絶対にしないでしょう。

関係者の現状を見ると、まだまだ「認識」からも「反省」からも、ほど遠いようです。

 

一方、大津波からの避難や救助待ちで、また避難所での密集生活などで、厳寒期に近い気象と劣悪な環境にもかかわらず、インフルエンザの集団発生が皆無であることは、同胞たちの陰の支援が背景にあると見られます。

 

いま自分が出来ることに取組む

残念ながら日本全体として、「自然調和型社会」への切り替えがスムーズに進まず、「核のカルマ」への反省もほとんど行われない可能性があります。

これだけの天災を経ても、以下のような「古代人」の数は、急には減らないかも知れません。――いまだに人間だけの都合でしか物事を考えられない人たち。「物欲刺激」を続けないと経済が持たないと考える人たち。原発がないと日本はやっていけないという刷り込みから抜け出せない人たち。

たとえそうであっても、彼らに気づかせてあげる手段がないわけではありません。また個人として出来ることは沢山あります。

2012年末の「巨大な転換点」までに、「時間が足りない」とか「間に合わない」とか思うのは、外の世界が自分に都合よく変わってくれるのを、ひたすら待つという「依頼心」の裏返しです。

「傍観」よりも「行動」を選ぶようにしましょう。

大震災の個人生活での教訓として、例えば次のようなことが考えられます。

「生きること」を生活の基本に据えること、虚飾を排し簡素の美を重んじること、過度の潔癖を手放し自然界の生きものを見習うこと、エネルギーや水の使用を極小にするライフスタイルに徹することなど――これらを愚直に実行するだけでも、2012年末の「巨大な転換点」への十分な準備になるでしょう。

 

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