宮島巨石群―弥山周辺の遺跡
宮島の弥山(みせん)周辺の巨石群は、この種のものとして、日本で最大規模のものです。
もともと全山が(自然のものではありえない)表面が滑らかな巨石群で覆われていて、
(下記で引用した情報では数万年前まで遡るという)永い歳月のあいだに、
風が運ぶ土砂が積もり樹木が生えて、現在の姿になったかのように見えます。
世界や日本の各所にあるこのような巨石群は、実際に目で見て確認することができるので、
私たちが「正統科学」の枠を超えて意識を拡大していくための、絶好の教材でもあります。
なぜなら「すべては繋がっている」のが宇宙の実相なので、ひとつの確信が、
あらゆる関連する事柄についての新しい解釈への、理解に繋がるからです。
まずは、(後世に付加された神社や階段を意識的に消して)実物をご覧ください
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考 察
・存在していること自体が奇跡
宮島巨石群をはじめ、下の写真に見られる日本を代表する巨石群のほとんどは、山頂付近や急峻な山腹にあります。
それらはいずれも、その名の通り巨大で、なかには金山巨石群のセンターストーン(下の写真)のように、1,500トン前後と見積もられるものさえあります。
そして写真のように、独特の配置(星ヶ見、山岡)や完全に近い平面への加工(唐人石2、金山)など、これらを自然のものと見做すことには無理があります。
さらに、唐人石や金山巨石群の一部については、巨石が記憶している「残留磁気の調査」によって、フォーメーションを構成する各石の磁化の方向が異なることが判明し、何らかの力によって運搬または移動されて現状に至ったと推定されています。
また、これらの巨石の形状や性質からみると、自然の造山活動によって現在の位置に形成されたものとは考えられず、むしろ激流の川床から掘り出して、現在の場所に定置されたとみるのが最も実情に合っています。
「石器時代」以前の人たちが、現代の最大の重機を使っても不可能とみられる(運搬し加工し据付ける)作業を、遂行したのでしょうか。
このように、これらの巨石群は、どの視点からみても、現代の科学が想定する「物理的常識」を超越しています。
まさに「存在していること自体が奇跡」なのです。
星ヶ見公園巨石群 足摺巨石群(唐人石1) 同(唐人石2)
山岡巨石群 金山巨石群
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宮島巨石群が、[関連ページ]で引用した資料(宮島巨石群の意義)のように、いわゆる歴史時代以前の超古代のものだとすると、「巨石群以外の痕跡が見当たらないのはなぜか」という素朴な疑問が出るのは当然です。
宇宙からの情報によると、元々の地球の上空は、氷の粒子から成る2層の幕(アイス・シールド)で覆われていて、地上の全体が亜熱帯の均一な気候環境に保たれていたとのことです(こうした環境は、生命の営みが見られる「水の惑星」では、きわめて普遍的な姿だといいます)。
しかし約1万2千年前にアトランティスが崩壊した際、アイス・シールドも同時に崩落して(いわゆる「ノアの洪水」を引き起こし)、それ以来地球は、現在のような激烈な気象に曝されるようになったということです。
アトランティス崩壊以前のトロピカルな環境では、住居や建物は草木など自然の素材で造り、それ以上のものを必要としなかったのでしょう。これには、人々の精神性のレベルも関係していたとみられます(鉄筋コンクリートのビル群が林立する都市が、文明進化の象徴と考えるのは、たいへんな誤解です)。
したがって、アトランティス崩壊以前の文明の痕跡は、巨石群などを除いて、残っていないのです。
ポスト・アトランティスの文明は、明らかにそれとは違います。その典型は、テオティワカンやマチュピチュ、そしてインダスなどに見られる「居住区」です。
これらは、その時代の気候環境や身を守る必要があった社会環境を反映しています。
「宮島巨石群の意義」にある「宮島近郊のある都市」とは、現在の廿日市市にある「のうが高原」と推定されます。こちらも巨石の集積地です。
しかし、この地は、「私有地の乱開発―バブル崩壊」というお決まりのコースをたどったようで、現状は広大なエリアの全域が、ある土木建設会社の管理地になっていて立ち入ることができません。
幸いこちらは、「唐人駄場の不幸な歴史」とは違って、巨石群自体は残存しているので今からでも回復が可能です。
行政による保全と一般への公開が強く望まれます。
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