日本の「内需拡大」を、声高に要求するアメリカは、それが意味する自己矛盾にまったく気づいていません。また、それを真に受けて、可能性の無い対策案を携えて、「ご説明」に参上する日本の関係者も、同じ陥穽にはまっています。アメリカが、今の「綱渡り」を続けるためには、日本は、今の「いわゆる閉塞状態」を続けなければならないのです。
1960年代に次いで、史上最長に近い9年目の景気拡大を続けているアメリカは、一見「絶好調」に見えます。国内総生産(GDP)の実質成長率は、1998年に年率3.9%を記録し、ダウ工業株平均株価は1999年3月29日に1万ドルの大台を超え、1989年末の水準 (約2,750ドル)の3.6倍に達しました(日本の1998年のGDP実質成長率はマイナス2.8%、株価はバブルの頂点であった1989年末の約4割の水準)。そして99年3月の失業率は、4.2%と、29年ぶりの低水準となり「日米逆転」を実現しました(かつて82年11月には10.8%、92年6月には7.8%、日本はこの時期2.4%および2.1%)。「アキレス腱」の一つだった財政収支は、企業収益の向上による税収増や株式売買益へのキャピタルゲイン税収増などに支えられて、98年には連邦政府の黒字が約700億ドル、州など地方レベルでは更に多く約1500億ドルの黒字を記録しました。
この状況を演出したのは、レーガン元大統領です。現クリントン政権は、その「果実」によって、歴史に残るような経済政策は何もしないで、点数を稼ぎました。ハリウッドの映画俳優からカリフォルニア州知事を経て、ホワイトハウスに乗り込んだロナルド・レーガンの最大の「業績」は、税制改革(減税)と軍備拡大です。この二つの相矛盾する施策を、少数与党(共和党)のもとで、学者や評論家の反対も押し切って、実現させました。
レーガンの複雑多岐にわたる(全文461ページの冊子を配布して説明した)税制改革を煎じ詰めれば、高額所得者の所得税率引き下げと、法人税の最高税率の引き下げや減価償却期間の短縮などによる「法人軽課」に行き着きます(これと軍備拡大との抱き合わせで、当然ながら、巨額の財政赤字を生み出しました)。レーガン改革の延長上に在る、現在の個人所得税の最高税率は、例えばニューヨーク州では、約45%です(日本は約65%)。また、税収構造として、法人税の個人所得税に対する比率は、ほぼ1対4です(アメリカの60年代は1対2、現在の日本も1対2−−後者に消費税を含む)。
それが、現クリントン政権下の「好況」とどう繋がるのでしょうか? レーガンが残した最大の「果実」は、「たくさん消費する習慣」が培われたことです(納税後に可処分所得がガッポリ残る高額所得者はもちろん、所得の低い層でも、ローンを組んで、全体の風潮に付き合ってしまうようになりました。「好況」のなかで個人破産が急増し、家計の貯蓄率は年平均でゼロ、月によってはマイナスという異常事態が裏で進行しています)。この「個人消費の堅調」が、1990年代の「情報社会化の進展」とあいまって、「好循環」を生み出したのです。もう一つは、いわゆる「平和の報酬」です。これは、とりわけ財政支出の削減に寄与しました(しかし、ベルリンの壁の崩壊、すなわち冷戦の終結は、レーガンが残した武器の威力ではなく、ゴルバチョフの見識によるものだと理解すべきでしょう)。
人口密度が日本の十二分の一のアメリカの消費文明は、ゴミの捨て場所や買ったモノの置き場所の面では、簡単には行き詰まりません。株高に不動産高が加わって「バブル」の様相を見せながらも、「好況」が「意外に」長続きする理由の一つがここにあります。また、インフレ(物価上昇)が表面化しないのは、日本やアジアの低迷で、物が安く買えるという事情があります。問題は、「好況」の裏で、深刻な事態が進行しつつあることです。それは、所得格差の持続的な拡大と、経常収支(国際収支)の赤字の拡大です。前者はボディーブローのように社会を蝕んでいきますが、後者は、一瞬でノックアウトに至る危険をはらんでいます。
1998年の経常収支(国際収支)赤字(輸入超過)は、2,334億ドルで、過去最大となりました。普通なら持続不可能なこの状態が、「失速」しないでいられるのは、事実上唯一の基軸通貨であるドル(=自国通貨)によって赤字が埋められるという「特権」があるからです。これによって、ドルの価値(ドル高)が維持できています。加えて、日本の超低金利やアジアの経済不振を背景に、大量の資金がアメリカに流れ込む構図になっています。これらの資金は、「401K」プランと呼ばれる確定拠出型の企業年金と共に、アメリカの株高を演出する主役になっています(「401K」の資産残高は1兆ドルを突破して、これまで主流だった確定給付型の企業年金を抜く勢いです)。
結局、現在の「危ういバランス」を支えているのは、実物ではなく資金の動きです。もし、アメリカが要求するように日本の「内需が拡大」すれば、それによってアメリカの貿易収支が改善する前に、資金の流れが変わるでしょう、アメリカから引き揚げる方向に。わずかの動きが直ちに株価に影響します。「401K」の資金は、自社株を合わせて6割が株式に回っているという危険な状態にあります。「資産の目減り」の大きさを考えれば、株価が崩落したときの影響は、計り知れません。もちろん、現在の「ドル高」を続けることも出来ないでしょう。
アメリカにとって最も安全なのは、「危ういバランス」が動かないこと、つまり日本の「景気」が「回復」せず、「内需が拡大」せず、超低金利が維持され、更に2,000億ドルを超える世界最大の外貨準備のほとんどを「愚直に」ドルで持ち続けてもらうことです。日本との関係では、実際にその通りに推移するでしょう。日本には「景気は存在しない」ので、「回復」も「拡大」もありません。「景気信仰」にとらわれた通貨当局は、「景気」のために超低金利を維持しなければならないと思い続けるでしょう。外貨準備の構成を変える決断も、おそらく出来ないでしょう。それは、輸出においてアメリカ依存をますます強めつつある日本を、「とりあえず」守る道でもあります。
こうして、しばらくは「危険な綱渡り」が続く可能性があります。けれども、1999年1月には、新しい局面が出てきました。「ユーロ(欧州単一通貨)」の発足です。アジアが経済危機を招いた要因の一つが、ドルへの過度の依存であったことへの反省もあり、ドルとユーロとの「二大基軸通貨」の誕生は、国際金融市場で大いに歓迎されています。しかし、マルク建てやフラン建ての既発行国債からの切り替え分も含めて、ユーロ建て国債は、今のところアメリカ国債を凌駕する規模には達していません。ユーロの発足に合わせたかのように、コソボの紛争とNATO軍の介入が、絶妙のタイミングで起こり、ユーロへの大幅な資金シフトを防止しました。しかし今後、国際情勢が安定すれば、均衡状態に達するまでにじわじわと「ドル離れ」が進行する可能性があります。その流れには、日本一国の「忠誠」ぐらいでは、とうてい対抗できないでしょう。唯一の基軸通貨としての「ドルの特権」は消滅し、アメリカの経常収支(国際収支)赤字は、火急の問題として浮上するでしょう。
アメリカが、その難局を何とか逃げ延びたとしても、それで終わりではありません。そもそもアメリカは、本来成り立たないことをやろうとしているのです。際限なく消費を拡大することを「善」として、その状況を維持するために、他国にも同じ事を要求するーーその先にどういう着地点があるのか、おそらく考えたこともないでしょう。世界の全人口が、現在のアメリカと同じような生活をしたら、資源、エネルギーそして廃棄物処理が短期間で行き詰まってしまいます。その過程で、全地球のCO2排出量は、現状の5倍になります。それは、地球気象の安定化のために求められる排出量枠の約10倍です。どのみち、軌道修正が必要であることは明白です。もし、経済(=人間)がそれをやらないなら、「やむを得ず」自然がそれをやるでしょう。
実は、「自然による調整」は、既に始まっています。アメリカ国民の目には、日を追って明白に見えるようになってきて、少なくとも心には刻まれているはずです。それは、近年のアメリカで、「生涯で経験したことがない」ような自然災害が多発していることです。98年の1ー4月だけでも、次の通りです。
(1月)北東部の、ニューヨーク、バーモント、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、メインの各州を襲った猛吹雪で、樹木や送電塔が倒壊し、数十万戸が停電、修復に長期を要した(これは、同時にカナダでも発生)。凍死者や一酸化炭素中毒者が出た。同時に、南部の、テネシー、ケンタッキー、ノースカロライナ、サウスカロカイナの各州では、豪雨に伴う洪水で死者が出た。
(2月)カリフォルニア州を襲った台風なみの強風と豪雨で、数十万戸が停電、洪水と土石流で少なくとも千戸以上の家屋や建物が流失または損壊。被害は27郡に及んだ。少なくとも10人が死亡。同時期に、フロリダ州では、暴風により、20万戸以上が停電。
(3月)南部のアラバマ、テネシー、ミシシッピーの各州を襲った寒波による結氷で、農作物に大きい被害。同時期に、ジョージア州やアラバマ州では洪水も発生。
(4月)南部のアラバマ、ジョージア、ミシシッピーの各州を襲った竜巻と雷雨で、43人が死亡、2,000戸が損壊。1ー4月の全米の竜巻による死者は、102人で、10年来で最悪。
その後も大小の自然災害が頻発していますが、そのうち2件をここに掲げます。
(洪水)1998年10月、テキサス州中・南部の600ミリ近い豪雨で、ガダルーペ川の通常45メートルの川幅が10キロ近くになり、水位は洪水ラインの15メートル上部に。広大なテキサス州の4分の1が水没。死者22人、多数が家を失う。家畜にも甚大な被害。
(竜巻)1999年5月3日に、オクラホマ州とカンザス州を襲った竜巻は、推定風速420〜510キロメートル/時(117〜142メートル/秒)に達し、約76個が荒れ狂った。両州で死者46人、1万を超える家屋や店舗が倒壊または破損。
これらすべてを、エルニーニョのせいにする説明も行われていますが、エルニーニョは、あくまでも現象の一つであり結果です、原因ではありません。分かったような気になって、そこで思考を止めてしまうのは危険です。「自然による調整」は今のところ、時と場所を変えて「小出し」にしながら、少しずつ圧力を強めています。その猶予を、「天の采配」と受け止めて、アメリカが「自己調整」をするのが、最も望ましい形です。アメリカは、危機の真っ只中にあり、救うべきはアメリカです。日本ではありません。
アメリカが自ら軌道修正しないとき、いま日本だけが、アメリカを救える立場に居ます。外貨準備のアメリカ国債を、ユーロ債に、段階的に切り替えていくのです。同時に、超低金利をやめて、正常な金利水準にします。こうすれば、ドル安(円高)に振れるにつれ、日本の対米輸出が減少(正常化)し、アメリカの経常収支赤字が改善されます。アメリカへの資金流入が減って、株価が沈静化します。アメリカで資産デフレが起こって、消費がマトモになるでしょう。無論、双方とも無傷では済みませんが、共倒れして瀕死に至らないための選択です。世界全体のためであり、地球の未来のためでもあります。今は「何だ!」と思っても、後世のアメリカは、日本に感謝するでしょう。
しかし、実際問題として、思惑と投機が渦巻くアメリカ市場が、冷静にこれに反応して、ソフト・ランディング(軟着陸)を成功させることができるでしょうか。その確率は、あまり大きいとはいえません。その前に、日本の政治家や当局者に、それだけの思慮を期待できるでしょうか? それどころか、政治家たちが、税制をいじって「レーガンの故知」にあやかろうとする危険が、見え隠れしています。「バブル再現」への願望です。行政に出来ることは、制度(法律)をいじることだけです。予算も法体系の一部です。自らの問題解決に手を抜いて、何でも行政に依存しようとする国民や企業があり、「理念」が無く「票」しか見えない政治家がいる限り、行政は、制度をいじり続けることになるでしょう。たとえ、与野党が逆転したとしても、同じパターンの繰り返しになるでしょう。
いま見える範囲で可能性のある話をするなら、アメリカは、自分の目で「崩落」を見る時まで、突き進むでしょう。ハリウッド映画の、『RIVER OF NO RETURN(帰らざる河)』ですーーー。
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