アセンション(7

 

アセンションの進行とともに、すでに底流では急激な変化が起っているのに、表面的には、誰の目にも分かるような変化がまだ現れてこないのは、この先で遭遇するギャップの大きさを予感させます。ガイア(地球の本質生命体)はすでに全力疾走に入っていますが、人類の大勢としての意識の変化が遅れているので、現実の変容が、今のところ顕著な形では起ってこないのです。どこかでアセンションのことを耳にしたとしても、それほど重要なことなら誰かが(政府、学会またはマスメディアなどが)、「お墨付き」を与えてくれるだろうという「待ちの姿勢」の方が少なくないのでしょう。

 

断言しますが、そのようなお墨付きや保証はどこからも出てきません。高次元の出来事を、3次元の科学で解明する手段はないから、公表に至らないのです。またこの場合、事態はすでに進行しているので、待ちの姿勢は決して安全策にはなりません。一方、アセンションの進行についての情報や「状況証拠」は、今や巷間にあふれ返っています。その気になりさえすれば、理性的な精神の持ち主が、適切な情報フィルターを通した判断によって、「自分で自分にお墨付きを与える」のに不足することはないでしょう。

 

例えば、今年の2月にアメリカ海洋大気局の研究チームが、これまで来世紀に起ると言われてきた地球の急速な温暖化が、実はすでに始まっているという研究結果を発表しました。1997年から1998年にかけて、世界全体の月平均気温が16ヶ月連続で各月の過去最高を記録しましたが、この高温が偶然の変動で起る確率は20分の1しかないので、97年が温暖化の転換点だったと結論付けました。この上昇率は100年当たり約3℃に相当し、19世紀以降のどの期間よりも大きいのです。

 

科学者たちは、この予想外の気温上昇の原因を説明できないでいますが、実はガイアのアセンションに伴う波動レベルの上昇が、その最大の原因です。波動はエネルギーなので、その振動数が上がると「体温」が高くなるのです。これまで地球の温暖化は、CO2など「温室効果ガス」によって説明されてきましたが、これからは「ガイアの波動レベル上昇」が、それ以上の影響を及ぼすようになるでしょう。ガイアは、意識的な自己変換によって、いわば「火の玉」に近づいていくのですが、それと同期して波動レベルを上昇させる地球の生物にとっては、何の問題もありません。

 

もっと状況証拠が欲しい方は、女性の行動(の変化)に注目してください。これは、いわゆる「親父ギャル」や「女性運動」などに代表される、平等化、同質化あるいは男性化を志向する一部の動きのことではありません。感性や直観力など、女性が本来持っている特質が発現されている状況のことです。

 

フォトン・ベルトへの部分的侵入に伴う太陽光線の変化やガイアの波動上昇は、すでに自然界に広範の変化をもたらしていますが、人間の肉体や感情にも少なからぬ影響を与えています。むやみに眠くなったり、さまざまな肉体の不具合が噴出したりします。同時に精神面でも、説明できない変調に悩まされたりします。それをいち早く感知するのが女性です。インディゴの子供を持つ母親は、もっと強烈な変化に見舞われます(インディゴについては、本シリーズの「アセンション(4、インディゴ・チルドレン」を参照してください)。

 

その原因をあれこれ考えたり知人と情報交換したりしているうちに、アセンションを「掘り当てる」女性が着実に増えています。その後の行動が早いのも女性の特質です。考えるより先に体が動くのです。それらしい本を買う、雑誌を読む、インターネットを始める、講演やセミナーに参加する、グループを作って研究会を始める---など。

 

肉体や精神の不調和は、フォトン・ベルトの影響に加えて、上昇するガイアの波動レベルにまだ追従できていないためです。また、私たちがすでに獲得した新しい波動レベルが、現在の汚染された地球環境(大気、水、食料など)に、ますます適合できなくなってきていることも原因の一つです。少なくともこれらの事実を頭に入れておくと、自分なりの対処方法を考えるのに役に立つでしょう。

 

地球の重み、人類の重み

1991年にアメリカ・アリゾナ州の砂漠の中に建設された、「バイオスフィア2」という巨大な実験施設があります。これは、熱帯雨林、草原、砂漠などを含む「ミニ地球」ともいうべき密閉空間で、植物、動物、そして男女8人が中に入って2年間、稲や麦を育て、豚を飼い、魚を釣って自給自足の生活を送りました。さまざまな試行錯誤を経て、現在ではコロンビア大学の管轄のもと、当初よりやや開放的な環境条件で実験が続けられています。

 

仮にこの実験が、まったく新しい文化や社会の在り方を創造する目的で、更に大規模な施設で、何世代にもわたり外界との一切の連絡を遮断して進められたらどうなるでしょうか。ハーフミラーによって、外から内部を観察することだけが許され、内部からは外が一切見えないようにしたとしたら---。その場合、何世代か後の住人は、自分たちが被験者であることや、外の世界の存在を忘れてしまうかもしれません。それでも、あらかじめ設定されていた時期が来れば、中での創造物を全体に広めるため、ある日、扉が開かれることになります。

 

地球と人類の状況はこれに似ています。何世代にもわたって、「外界」そして「中心」とのつながりが遮断されたまま、気ままな世界を構築してきましたが、これは宇宙の標準的な姿ではありません。ほとんどの星の住人は、宇宙のすべての存在がそれぞれの個性を持ちながら「大いなる全体」につながっているという、ホリスティックな概念を理解しています。したがって例えば、お互いを比較し差異を気にするようなレベルを超えています。その結果、考え方だけでなく姿でさえ、たいへん似通ったものになりますが、これにも問題があるようです。刺激が少ないことから来る、進歩の停滞です。

 

宇宙を、絶えず変化させ続けるのが「創造()」の目的であるようです。そのための主要な枠組みとして、「分離」と「統合」があります。それを具体的に機能させる方法として、一つの星を「分離」の極限まで追い込んだ後、忽然として理想的な「統合」を実現させる---そのショックウエーブを宇宙全体に行き渡らせ、その星を核として銀河宇宙を新たな段階に移行させるという図式です。どうやら地球と地球人類そのものが、いつの間にか「バイオスフィア1」という実験施設にされていて、何万年にわたるその実験が、いま最終段階を迎えているようです。

 

何気なく「いつの間にか---されていて」と書きましたが、実際はそんなことを言えた義理ではないのです。というのは、私たちは、自分の選択によって、いまここにいるからです。すべてを展望できる転生前の領域で、今回のアセンションの成功に向けて身を投じることを志願し、しかるべき生活環境と両親を選んで転生してきました。宇宙から見た地球が、ありとあらゆる軋轢(あつれき)欺瞞(ぎまん)、そして罪悪が渦巻く「混迷の星」であることは百も承知の上で---。その体験は、他の星では決して得られない貴重なものになるはずです(あえてそこに飛び込む勇気、混迷をくぐって生き抜く知恵、どんな苦難や激動でも何とか切り抜ける適応力と忍耐力など)。加えて、人類が「地球(ガイア)の主要な守り手」であるという認識と使命感もあったはずです。ただ、誕生の瞬間に、すべてを忘れてしまったのです。

 

「実験施設としての地球」で思い当たることは、地球にこれほども多くの生物種、つまり多種多様な遺伝子の種がばら撒かれていることです(動物135万種[うち昆虫120万種]、植物24万種)。人類も、さまざまな文明のもとで多様な人間が、種々の物の見方を持っています。試みに、電車の中で、レストランの中で、ショッピングのついでに、さまざまな集まりの席で、あるいは旅先などで、改めてわが地球の同胞をじっくり観察してみてください。その驚異的なバラエティーに、改めて感心するはずです。

 

はたして地球と地球人類は、その「任」に耐えられるでしょうか。ガイアの切実な思いにもかかわらず、人類のほとんどが「全体像」を理解しようとせず、相変わらず「分離」の渦中にいる状態から、「統合」を実現することは容易ではありません。まして、銀河宇宙変容の中核の役割をさせようというのは、大きな賭けです。いわば、それまでの成績が最悪だった補欠選手を引っ張り出して、9回裏に「逆転満塁ホームラン」を期待するようなものです。

 

それにもかかわらず、「成功」の可能性を、必ずしも否定できない状況もあります。「宇宙」からの全面的な支援に加えて、私たちのほとんどが気づいていない、人類の「特別な資質」があるためです。「宇宙の多様性」を観察することに、そのヒントがあります。

 

ゼータという宇宙種族

この50年間で、人類に最も深く関与してきた宇宙からの「来訪者」は、ゼータ・レチクル(南天にあるレチクル座のζ[ゼータ]星)に由来する存在たちです。彼らは、その知性をもっぱら核兵器の開発に使った結果、結局は核戦争を引き起こして自らの惑星を崩壊させ、地下に住むことを余儀なくされました。その環境に何千年も適応して生き続けたのですが、ある時期から頭蓋骨が巨大化して胎児が産道を通れなくなったため、クローニング(クローンを造る技術)でしか子孫を残す手段がなくなったのです。しかしクローニングでは、種の中での多様性を造ることはできません。皆そっくりで個性がなく、種としての活力が段々衰えていくことになります(この意味では、近親交配に似ています)。種としての活力を取り戻すため、他の星の遺伝子に関心を寄せたのは当然の成り行きでした。

 

ゼータには、もう一つ大きい特徴があります。それは、核戦争への反省のあまり、「感情」というものは原始的で破壊的な機能だと誤解して、遺伝子の中で感情をつかさどる機能を、得意の遺伝子工学の技術によって大きく低下させたのです。彼らは後になって、人間型生命の進化は、感情の機能によって促進されることに気づきました。感情こそが創造力の源だと知ったのです。そして地球にやって来たとき、地球人類の多様性がいかにすばらしいことかを、改めて認識したようです。

 

ゼータは感情表現が弱いからといって、愛がないわけではありません。しかしその愛は個人的なものではなく、自己を大きな集合意識の一部とみて、それに属するすべてのものを無条件で愛するのです。「愛」という観念に、意識を同調させるという感じでしょうか、「受容」という言葉が近いかもしれません。ゼータは、愛をもって地球人類の未来を本気で心配してくれているようです。それは、()人類が(ふけ)る傾向を持つ「核の火遊び」が、地球を破壊することになる可能性、()生態系の破壊の進行と、その結果として不妊や生殖不能が全般化する可能性です。これらについてゼータは、彼らの経験や技術を役立てることができると考えています。

 

ゼータはこう考えました。地球人類を救う努力をする、その過程で自らも救われる道がある---と。1940年代の後半から、実際に始めたことは、人類滅亡の「保険」として、人類の遺伝子を収集して保存することです。上記の「多様性の価値」を保存するためには、きわめて大規模にこれを行う必要がありました。その具体的な手段が、アブダクションです。アブダクションは、もっぱら夜間の睡眠中に行い、体のどこも傷つけないで、元の場所に返すわけです。通常は、被験者の波動レベルを引き上げて彼らのレベルと同調させ、宇宙船の中の手術室まで一緒に移動する方法を採ります。彼らにとってこれらは「朝飯前」のことのようです。

 

ゼータのアブダクションについて特筆すべきことは、魂のレベルで同意した者しか対象にしないということです。これはとりわけ、ゼータ自身のために行われる、地球人との「混血児」を創り出す目的のアブダクションの場合に重要になります。なぜなら、この場合は、胎児が4ヶ月ぐらいになるまでの期間、「代理母」としての役割を、アブダクションの対象とする女性に勤めてもらう必要があるからです。さらにその後、胎児が代理母の子宮から「人工子宮」に移されて成長し、めでたく「生れ落ちた」後、しばらくの期間、「母」としての愛情を当の代理母に注いでもらう過程も必要とするからです。

 

魂のレベルで同意しているといっても、対象者に心理的な葛藤(かっとう)を与えないために、すべての記憶をその都度抹消することにしています。ただこの抹消が必ずしも完全ではなく、「逆行催眠」などで記憶をよみがえらせるケースが続出したため、地球人類の側で、宇宙の知的生命体への認識が深まるという、「予定外の効果」を生み出しました。

 

ゼータは、地球人の特質の一部を備えた混血児を、自分たちの正統の子孫としたい考えですが、今のところ、せっかく誕生しても生命力が弱いため寿命が短く、試行錯誤が続いているようです。しかし、いずれ成功するでしょう。というのは、未来の時間軸から地球を訪れている混血児の子孫がいるからです。

 

[補足]カール・セーガン 科学と悪霊を語る

科学に多少でも関心のある人なら、カール・セーガン(Carl Sagan)を知らない人は少ないでしょう。米コーネル大学教授で惑星研究所所長を務め、惑星探査衛星マリナー、バイキングそしてボイジャーなどのプロジェクトで指導的役割を果たしました。13回にわたるテレビシリーズ『コスモス』は、本にもなりました。有名な『核の冬』は、生物学者パウル・R・エールリッヒとの共著で、全面核戦争が地球環境に及ぼす影響をシミュレーションしたものです。「水爆の父」としてアメリカでは評価が高い物理学者エドワード・テラーへの批判は、彼が筋金入りの反核論者であることを示しています。

(「---人類が冒したこの危険に対して、エドワード・テラー以上に影響力をふるった科学者はいない。テラーが軍拡競争のあいだ一貫してやってきたことは、非難されてしかるべきである。---地球上の生命を危険にさらしたという点で、エドワード・テラーに匹敵する者はいない。テラーがそこまでやったのは、水爆への病的なまでの執着によるのもではなかったろうか。---」)

 

そのようなカール・セーガンですが、その生涯で2つの「やらずもがな」をやってしまいました。表題の著書(原著は、The Demon-Haunted World Science as a Candle in the Dark)の出版と、小説『コンタクト』の出版および映画化です。西欧において、中世の閉塞社会からルネッサンスにむけて、人々の意識が拡大しようとしたとき、それにブレーキをかけようとしたのはカソリック教会でした。いま人類が第2のルネッサンスとも言うべき飛躍を迎えようとしているときに、かつての教会の役割を科学が果たそうとするかに見えます。そのチャンピオンとも言うべき著作が、カール・セーガンの『---科学と悪霊を語る』なのです。

 

これまでの科学で説明がつかない現象へ人々の関心が向かう傾向に、サイエンス・ライターのチャンピオンを任ずる彼は、我慢がならなかったのでしょう。幸いというべきか、科学で説明のできない世界には、ニセ情報、インチキ、そして誤解や錯覚がたっぷりと「同居」しており、それらを暴いた出版物なども充分に揃っています。これを繋ぎ合わせていけば、本著のような大部(邦訳で、427ページ)をモノにするのにそれほど苦労はいりません。カール・セーガンは科学者で、科学的方法論の重要性をいつも強調しているのに、本著では「借用」で間に合わせてしまいました。「カール・セーガン」の名声で何とかなると考えたのかもしれません。

 

例えばミステリー・サークル(クロップ・フォーメーション)の部分は、ジャーナリストのジム・シュナーベルの『ラウンド・イン・サークルズ』(19949月刊)に全面的に依存しています。カール・セーガンが引用しているのは、15年にわたって畑の上に絵文字を書き続けていたという、イギリスの2人組の告白を中心にまとめた部分です。2人とも年齢が60歳を超えて「夜間の畑仕事」が限界にきたので、1991年に名乗り出る気になったとのことです。ジム・シュナーベルがいたから、その前に2人組みがインチキをやってくれたから、カール・セーガンは救われました。これを紹介するだけで、他のすべてのサークルも同じだと思わせることができたのです。これが、本著を一貫して流れているカール・セーガン流の「科学的態度」なのです。もし彼が、ホンモノとニセモノでは、その後の穀物の生育に決定的な違いがあるという、きわめて「科学的な」調査報告を手にしていたら何と書いたでしょうか?(クロップ・フォーメーションについては、本シリーズの「クロップ・フォーメーション」を参照してください)

 

「ミソもクソも一緒にする」ということわざがありますが、これもカール・セーガンの「オハコ」です。誰もが怪しいと思っているものを引き合いに出して、攻撃対象をそれと同列に扱うやり方です。例えば、オウム真理教です。実際、本著の中でそれ(オウム)に言及しているのです。

 

アブダクション(誘拐)については、バーニー・ヒルと妻のベティのケースが、徹底的な調査が行われ、出版物にもなったのでたいへん有名になりました。カール・セーガンもこれを採り上げていますが、その前に事件の概要を紹介します。2人は夜遅くハイウェイをドライブ中、UFOに尾行されたので、これを避けて狭い山道に入った後、約2時間の記憶がないことに気づきました。これをきっかけにベティは精神的に不安定になりましたが、数年後、催眠療法士のベンジャミン・サイモン博士の「逆行催眠」によって、小形の地球外生命体によるアブダクションが描き出されました。夫のバーニーについても、まったく同じ状況が出てきました。

 

ヒル夫妻を全面的に信用し、また逆行催眠の有効性を確信しているサイモン博士は、「ヒル夫妻は嘘をついている」とか「二人精神病」だとする一部の精神科医などの見方には組みしません。サイモン博士の考えは、「ヒル夫妻は一種の《夢》を、二人いっしょに体験した」というものです。カール・セーガンも、これを引用してヒル夫妻の件は終わりにしています。しかしそのすぐ後に続けて、「幻覚」についての事例や研究報告を延々と書いて、ヒル夫妻が見たのは「幻覚」だと思わせる。これがカール・セーガン流のやり方なのです。催眠下で数年前の「幻覚」を、微に入り細にわたって話すものでしょうか、それも二人別々に、同じ内容を---。そして2時間も「幻覚」を見つづけたのでしょうか?

 

「一種の《夢》を体験した」というサイモン博士の見解は、きわめて客観的で理性的です。ただ、「《夢》の本質」について補足していないだけです。――ベティはその後、小形の地球外生命体(ゼータ)に積極的に協力するようになり、彼らとの「交流」が延々と続きます。それによって、ゼータについての、そして宇宙と地球の実相についての膨大な情報がもたらされました。ゼータは、「混血児の創造」という自らの目的を遂行するためにベティの「協力」を得ただけでなく、このような手段で、宇宙の真実を地球人類に知らせることを意図していたのです(ゼータについては、このページの「ゼータという宇宙」を参照してください)。

 

---科学と悪霊を語る』の原著のタイトルは、自ら墓穴を掘っています。文字通り「悪霊に取り付かれている(demon-haunted)」のは、一般市民ではありません。それは、地球を実効支配しているヤミの勢力の手下となって働いている連中で、科学者がその最大の構成メンバーです。宇宙に関係するテーマで、政治家やマスメディアに影響を与えることができるのは科学者だけでが、その科学者が目を開こうとしない状況では、「闇を照らすもの(candle)」は、もはや「科学(science)」ではなく、市民1人ひとりの覚醒しかないのです。

 

ここで、科学と科学者が一律に悪いというつもりはありません。「新しい知見によって過去の概念が次々と覆されてきた科学の歴史からしても、《現時点》で解明できているのは全体のごく一部かもしれない、しかもその中には誤りがあるかもしれない」という姿勢をとらずに、現在の科学で説明できないものを、闇雲に攻撃する態度が問題なのです。晩年のカール・セーガンは明らかにこれに該当します。――攻撃の対象を決め、「徹底的にたたいてやる」という思いが始めにあった。だから自分で掘り下げて調べるつもりは、最初からなかったのです。都合のよさそうな資料が見つかったらそこでストップし、あとはレトリック(修辞)をどう組み立てるかだけが問題だったのですから。

 

ところで、『コンタクト』を映画でご覧になった方もいると思います。ビデオがあるので、小説を読むよりこの方が手っ取り早いでしょう。これはSETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence :地球外知的生命体探査計画)をテーマにしていますが、カール・セーガンはSETIの予算を削られたことを本気で怒っているので(「われわれは本当に、星に耳を傾けるための種籾(たねもみ)すら残すことができなかったのだろうか? それにかかる金は、攻撃用ヘリコプター1機分でしかないというのに」)、これにかなり入れ込んでいたことは事実です。

 

しかしカール・セーガンは本気で、着信まで何年も(アルファ・ケンタウリまで4.4年、プレアデスまで408年、アンドロメダなら230万年)かかるような通信手段で、彼らが交信してくると信じていたのでしょうか? またSETIが、人類の目を宇宙の真実からそらすための陽動作戦の性格(「《科学的に合理的な》手段で交信しようとしているが、何の反応もないのだ。多分、少なくとも近傍宇宙には、知的生命体はいないのではないか」)を持っていることに気付いていなかったのでしょうか? ――今は「彼岸」にいる彼に、聞いてみたいところです。

 

ともあれ、教科書的な知識の枠内で宇宙を描こうとすると、いかに想像力の乏しい貧弱な作品になるかの見本が『コンタクト』です。映画としての興行面は、原作カール・セーガンのネームバリューと主演のジュディ・フォスターに救われましたが、見たあと「馬鹿らしい」と思った人が多数いるのではないでしょうか。同じ「宇宙モノ」のハリウッド映画でも、枠にとらわれない『メン・イン・ブラック』の構想力の大きさを見てください。宇宙の真実についての示唆に富んだ映画です。もちろん、興行成績を考えた脚色が随所にあるので、そのまま鵜呑みにしてはいけませんが---。ここに出てくるトカゲや爬虫類のような知的生命体の存在は、私たちがこれから意識を拡大していく過程で、乗り越えなければならない「初体験」の1つです。

 

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