アジアの受難

登山の途中で、とつぜん登り口近くまで吹き飛ばされたような、今日のアジアの状況について、「通貨・金融危機」という説明が一般的ですが、それは本質ではありません。発端から一年以上たっても、「回復」の展望が容易に開けないのは、実体経済そのものが、強固な基盤の上に築かれていないためです。つまり、「アジアの奇跡」といわれる経済の急成長の内実には、「砂上楼閣」に近い部分があり、遅かれ早かれこのような状況が来ることは、十分に予想できたことでした。1997年7月タイで勃発し、それに伴う「連鎖反応」を引き起こした、通貨・金融の問題は、単にキッカケであったにすぎません。以下に、5年前の小論を引用します(『タスマニアの羊』1993年、春秋社、p184-187)。

アジアとの関係
いまアジアで進行している急激な工業化は、究極的に地球と人類の未来に何をもたらすであろうか。
この地域の若くて均質で豊富な労働力と、既に30億人(1990年、日本を除き南アジアを含む)に近く、10年で5〜6億人増え続ける人口は、巨大な経済的フロンティアである。
先進国の企業が、自由経済、自由貿易の枠組みの中で、より有利な生産拠点、より成長性の高い市場を求めて、怒涛のようにこの地域に進出する勢いは簡単には止まらない。そこでの最大の立役者は日本であるが、日本がやらなくても欧米が、そしてアジアNIES(新興工業経済地域群=韓国、台湾、香港、シンガポール)が後発の途上国に対して、そして華商資本がやるであろう。これら日本以外の諸勢力が果たしている役割も決して小さくはない。
そこで展開されているのは、基本的に先進国で既に実現した社会・経済システムの移植である。全体を、単一の生活様式のパターンで染め上げる図式である。いまのところ、それ以外に持ち込むものがない。途上国にとっても、他に見習うものがない。見えているものが国民の憧れとなり、行政の目標となる。その状況のもとで、開発のピッチが早ければ早いほど、国民の期待に応えるように見えるが、はたしてその通りであろうか。
アジアにおける開発のパターンはいくつかあるが、いずれも、その展開のピッチの早さと、「短期的な成果」の確実さが特徴である。優秀で、しかも低賃金で働く労働力の存在が、その裏付けである。これを、「アジア的開発パターン」ということができよう。なかでも、中国語の「両頭在外」すなわち外国の企業が資本と原料を持ち込んで加工だけを行い、完成品はすべて外国に流す(輸出する)形態は、最も安直に雇用を拡大し、所得水準を引き上げる手段になる。これを、税制上の恩典の付いた、保税地域(経済特区、輸出加工区など)で行わせる場合も少なくない。
また養殖エビや絹製品のように、現地の材料を用いながら、製品は100%日本に持ち込まれる、日本企業に手による「開発輸入」もある。
以上のケースでは、途上国と先進国企業との間に、一方向で強固な依存関係が生じるが、途上国に確実に根づくものはほとんどない。賃金水準が上がりすぎたとか、日本人が養殖エビを食べなくなったとかの情勢の変化によって、現地の人びとが路頭に迷うような事態が簡単に起こりうる。例えば、タイで賃金水準が上がってくれば、中国へ工場を移す。このような企業行動を、「唯我独尊」というよりも、「機を見るに敏」だと評価する風潮すらある。
これに対して、現地の資本が経営に参画し、製品の全部または一部を現地で販売する形態は、安定性と現地側の主体性を保つことができる。しかし、先進国の意図としては、沈滞した国内市場に代わる「成長するマーケット」に仕立て上げることに本当のねらいがある。こうして、「開発を急ぐ」という点では、双方の思惑が完全に一致することになる。
問題は、このような経済開発が、国家の将来を見据えた「グランドデザイン」がはじめにあって、それに添って行われるよりも、進出企業の経営目的を満たす形で進められることである。途上国側の受け入れ窓口は、国家というよりも各地域の自治体であることが多い。行政の立場からは、進出してくれるだけでも「御の字」である。
このような経済開発は、地方の農村部と工業化が進展する都市との間に極端な格差を生み、すでに始まっている地方の過疎化と都市の過密化をますます加重し、国土の均衡的な発展を困難にする。
こうして、年6〜7%の経済成長が維持されると、10年で2倍近くの経済規模となり、更に10年ピッチで倍加していく。環境破壊や二酸化炭素など温室効果ガスの排出も、それにつれて増えていく。その将来像と安定的な地球の姿とを、重ね合わせることは困難である。

 

ここでの、先進国側の主役は、日本です。1985年の「プラザ合意」以降の「円高」の昂進に対応して、日本の企業は一様にアジアへの進出を加速させました。その勢いは、例によって「集中豪雨的」でした。これによって東アジアの工業化が進展し、経済の急成長(アジアの奇跡)が始まるわけですが、特徴的なことは、主に短期間の輸出の急増によって、それが達成されたことです。アジアの国々は、自分たちが消費する以上のものを、あるいは全く消費しないものを、大量に生産してきたのです。今日から明日へ、一歩ずつ前進するのではなく、一日に50歩も100歩も前進することを願いました。この展開に必要な資金を供給したのも、主として日本の銀行です(韓国、インドネシア、タイ、マレーシアおよびフィリピンは、この1年間の大幅な通貨の下落によって、もともと過大であった外貨建て負債の自国通貨表示額が、更に何割も増えてしまいました。一方、日本の銀行は、98年3月期決算で処理が始まった「アジア版の不良債権問題」を抱え込むことになりました。なお、日本の「バブル」崩壊の後始末で「腰が引けてきた」邦銀に代わって、欧州銀行の対アジア融資シェアが、近年増えてきています。「急成長のアジア」をいまだに信じている、彼らが「経験」するのは、これからです

輸出のGDP(国内総生産)に対する百分比は、1987年から1997年の10年間に、次のように急増しました。中国(12→20)、インドネシア(23→25)、タイ(23→37)、マレーシア(57→80)、フィリピン(17→28)、ベトナム(9→36)。これは、極めて脆弱な経済構造で、アジア相互間の競争関係の変化(例えば、1993年の「人民元」の平価切下げによって、多くの国が、アメリカや日本への輸出における、対中国競争力が低下した)や、輸出先の事情(例えば、日本の「景気低迷」や「円安への反転」)などによって、簡単に行き詰まってしまいます。ちなみに、日本のこの数字は10%、アメリカは8.5%です(1997年)。

またその「脆弱性」を更に強めているのは、技術の基盤が弱いため、工場設備や基幹部品のほとんどを、主に日本からの輸入に依存していることです。結果として、工業化が進展し輸出が増えれば増えるほど、対日貿易赤字が拡大する(日本の貿易黒字が増える)ことになります(これは、一足先に工業化を達成した、アジアNIES諸国にも当てはまります)。それを、対米貿易黒字(アメリカの中低所得層が最大の顧客)によって、かろうじて支えているのが実状です。

上記6カ国に、韓国、台湾、香港、シンガポールの4カ国・地域(=アジアNIES)を加えた、東アジア10カ国・地域のうち、日本を最大の輸入相手国としているのは8カ国です。例外として、香港は中国からの輸入が最大、ベトナムはシンガポールからの輸入が最大です。これに対して、日本を最大の輸出先とするのは、インドネシア(液化天然ガス、原油、木製品他)とベトナム(原油他)だけです。韓国、台湾、シンガポール、タイ、フィリピンの5カ国・地域はアメリカを、中国は香港を、香港は中国を、マレーシアはシンガポールを、それぞれ最大の輸出相手としています。中国は、とりあえず今回の危機の「枠外」に在りますが、輸出の54%が加工貿易、そして40%が外資系企業による、という構造は、望ましいバランスからはほど遠く、人民元(ひいては香港ドル)を維持することは、困難を極めるでしょう。

このような状況のなかで、東アジアの諸国が決してやってはならないことは、「回復」、「復元」を目指すことです。「復元」ではなく、「別の在り方(オルターナティブ)」を目指して再出発する機会を得た、と考えるべきでしょう。そうでなければ、同じ苦難の繰り返しになるでしょう。方向として、自国として独自性があるために、きちんと根づき得るものを、時間をかけて育てていく。需要構造としては、国内市場を主体とするように転換していくべきでしょう。そして、「専ら外資に依存する経済」から脱却して、「身の丈に合った経済」を指向するべきです。さらに、工業化よりも食糧生産に、軸足を移すことが望まれます。進出している先進国企業の意向に左右される面があるとしても、いやしくも「国家」である以上、国家としてのグランドデザインを、その上位に置かなければなりません。

この意味で、IMF(国際通貨基金)が関与して経済再建を進めていた韓国、インドネシア、タイの状況は、金融・財政の引き締めを柱として、徹底した節約、耐乏生活によって有効需要を絞り込む「反ケインズ主義、反資本主義の壮大な実験」とも言うべきもので、その行方が注目されましたが、「IMF不況」などの状況を受けて腰砕けとなり、1998年以降、IMFは金融緩和と積極財政を容認する方向に転じました。結局、達成できたことは、アメリカの野放図な消費経済に支えられた国際収支の改善だけで、不良債権の処理は遅々として進まず、各国とも企業の倒産やリストラに伴ない失業率が急増する事態になりました(各国での株価の回復は、またもや欧米の投機資金の思惑が創り出しているもので、経済実態を反映していません)。

アジアだけでなく世界中で深刻な問題になっている雇用問題の解決は、「市場開放」、「効率追求」のなかからは決して生まれません。「グローバリゼーション」、「改革」、「規制緩和」、「国際標準」などを、金科玉条としている「知識人」が少なくありませんが、それによって究極的に何がもたらされるかを、一段掘り下げて考えたことがあるでしょうか。それらは、言葉の響きとは裏腹に、この地球に混乱と摩擦をもたらすためのキーワードです。言うまでもなく、人類の理想は、「世界国家」のもとでの「単一経済(地球資源の平等利用)」ですが、それは、現在の傾向(「資本による地球支配」の深化・拡大)の延長上にはありません。「似て非なるもの」を取り違えないように注意が必要です。この問題の根源は、資本主義市場経済が、そのメカニズムのなかに、雇用問題への解決策を具備していないことです(右肩上がりの経済成長がどこまでも続くケースが「唯一解」ですが、その解が存在しないことは歴史が証明しています)。

地球全体が「環境の制約」にブチ当たった現在、資本主義市場経済を採りながら雇用を守る道は、国内消費を主体とする経済運営のなかで、「市場管理(関税メカニズムの強化)」と「反効率化(ジョブ・シェアリング---1人の仕事を、例えば曜日を変えて2人で分担する)」しかありません。適当な関税障壁のもとで実際にこれをやれば、アラ不思議! これまでより、はるかに豊かな生活を手にすることができるでしょう。効率化とは、単に、競争原理によって摩擦が大きくなっているので、その摩擦を通過するために、より大きいエネルギーを必要とする---という意味でしかないことに気づくでしょう。

いま世界の「通説」は、日本の「景気回復」と「円安是正」が、「アジア復活」の鍵だというものです。日本の「景気」がよくなれば、アジアからもっとモノを買うでしょう。「円高」になれば、国際市場でアジア各国の対日競争力が強まり、また、日本からアジアへの旅行者も増えるでしょう。しかしそのいずれも、実現する可能性はありません。アジアの人びとは、これと無関係に(つまり、これらが決して実現しないことを前提として)、それぞれの道を歩むしかありません。日本がアジアに「迷惑をかけてきた」ことは間違いありませんが、いわゆる「日本問題」は、アジアのリスクではありません。お互いに簡単な事実に気づかないことが、リスクなのです。

「円安」は、日本の通貨当局が、「超低金利」という「円安政策」をとっているために起こっている現象です。円は、「たとえ短期間でも持っていたくない」通貨です。そのため常に「売りに出されている」状態だから、安いのはあたりまえで、これは経済のイロハです(驚くべきことに、日本の当局は、それを知らないかのような説明をしています)。1998年6月30日に、中国人民銀行が「利下げ」を発表した際、「人民元の実質金利はまだ高い」という異例の談話を付け加えたのは、「人民元売り」を防ぐための予防策です。利下げ後の公定歩合は、期間1年間で「5.67%」なので、その談話は常識はずれではありません。もし日本が、アジアの信頼を得たいという気が本当にあるなら、「超低金利(0.5%)を今後も維持する方針なので、円安を、どうか勘弁してほしい」ぐらいのことを言うべきです(それに加えて、「アメリカの言いなりでない、拝金主義でない日本」を示す必要がありますがーーー)。

もともと「低金利政策」は、「バブル経済」崩壊後の「景気」対策として導入されたものです。いっこうに「景気」が回復しないまま、これでもかこれでもかと、下げているうちに「0.5%」まで来てしまったのです。今や「超低金利」が生み出している「副次効果」のために、動きが取れなくなっているというのが実状でしょう。「副次効果」の第一は、家計や年金基金から金融機関への莫大な所得移転による「銀行救済効果」です。これがあるために銀行は、不良債権問題を「何とか解決できる」展望を持つところまで来たのです。第二は、円安による「輸出競争力効果」です。国内消費が伸びないなかで、「輸出頼みの経済」を円安が支える構図です。このように、分かっていても、どの方向にも動けない現在の状況を、「金利クリンチ」と呼ぶことができるでしょう。現在の「円安政策」の本質がここにあります。これを率直に認めようとしないから、世界から不信を買っているのです(円安が経済実態相応には昂進しないのは、近年の国債の大量発行が絶えず長期金利の上昇圧力[円高要因]となっているためです)。

1999年に入って行われた公的資金による銀行への資本注入は、「景気回復」にはまったく無関係であることが、時間とともに明らかになるでしょう。この公的資金は、「超低金利」に甘んじることによって、既に十分すぎるほど「銀行支援」をしている家計からの、巧妙な経路による「二重取り」です。 それだけでなく、産業界から既に出ているように、似たような「支援要請」が各方面から噴出する種を播いたと言えるでしょう。「日本には景気(循環)が存在しない」ので、「回復」もないのです。この事実は、5年前には既に明白でした(前掲書、p39-43「景気循環の終焉」)。1990年に「バブル経済」が崩壊して以来、「総合的な景気対策」が、当初予算に織り込んだものを含めて、幾度となく行われました。しかし、 すべての「対策」が、「発作的に」出現し、地面に水が染み込むように消えていきました(「財政のツケ」だけは消えませんが)。

アジア諸国は、「日本の景気頼み」という「無いものねだり」をやめて、単なる「回復」や「復元」でない独自の進路を追求するのが賢明です。この意味で、最近、急激な工業化への反省から農業へ回帰する機運が生まれてきているのは、正しい方向を示しています。

いま進行しているのは、地球規模の「正常化」へのプロセスであり、そのために必要な経験です。「経済」だけを精査しても、何も分かりません。「アメリカの経験」は、このあとに来るものだから、今のアメリカにとらわれると、ますます混乱してしまいます。これらを或る程度認識できたとしても、日本の行政による「景気回復の試み」は、これからも繰り返される可能性があります。日本の政治家は「国民を説得し導く政治」を行うよりも、「集団エゴ」に耳を貸すことを得意としているようですからーーー。

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