(03.12.01)太陽活動の新局面
太陽のように、人間活動に多大の影響を与える天体の挙動は、多少の変動があるとしても、伝統的なセオリーから大きくは逸脱しないで欲しい----これが、既存の理論を金科玉条とする多くの天文学者の願いでしょう。説明できない現象が起こると困るのです。特に、米航空宇宙局(NASA)のように、フォトン・ベルトの存在自体を徹底的に否定する立場の者にとっては---(情報検索エンジン“Google”で、[NASA photon belt ]を検索すると分かる)。
ここに言う伝統的なセオリーとは、太陽黒点数の11年周期説です。なぜ11年かについては、未だに説明がついていないものの、過去の観測結果は、おおむねこの線に乗っていました。しかし今や、このセオリーを根拠に、「何も特別のことは起こっていない」と人心を現実からそらせようとする目論見は、事実によって破綻しつつあるようにみえます。
その第1撃は、今回の太陽周期(第23周期)での、太陽電波強度(F10.7cm
Radio Flux Progression)の説明できない高調でした。
「アセンション時局’02」(02.04.11)太陽の挙動をフォローしよう
そして第2撃が、2003年10月から11月にかけての、巨大黒点の出現とそれに伴なう広範な空間現象です。
2001年頃を出現黒点数のピークとする第23周期は、セオリーに従えば、今は2006年頃のボトムに向けた下降局面にあり、大規模な黒点の出現は予想できないことでした。ところが、10月末に出現した3つの巨大黒点(484,486,488のシリーズナンバーがついている)は、それぞれが木星を超える大きさ(地球の直径の約10倍)を持ち、この3個が僅か2週間で放出した「太陽フレア(太陽表面からのX線などの爆発的な放出で、磁気嵐を引き起こし、人工衛星・送電網・通信ネットワークなどに障害が生じる)」は、その前1年間に太陽が放出したフレアの全量と同等の規模だったのです。「太陽が突然、異様な挙動をとり始めた」という所見は、ほとんどの観測者の第一感といえるでしょう。
出現する486と先行する484(03.10.23) 486(下方)と488(03.11.04) 486(下方)と488(03.11.27)---by“SpaceWeather” (各画像をクリックすると拡大します)
太陽は約27日周期で自転しており、1つの黒点は(途中で消滅しなければ)ほぼ半周する間、地球に姿を見せています。例えば巨大黒点486は、出現してから現在(03.12.01)まで、少なくとも1週半以上、太陽面に存在し続けています。その間均等にフレアを放出しているわけではなく、不均等に爆発的な放出が起こるのです。そして、その際の太陽面における黒点の位置によって、同規模の放出であっても、地球への影響は違ってきます。しかし太陽の挙動を測るのに重要なのは、地球への影響よりも、放出の絶対的な規模です。これについては、NASAの太陽観測衛星SOHOやその他の人工衛星に搭載した機器のデータ、また多数の地上観測機器のデータを総合して知ることができます。
今回出現した黒点群の中で最も大きい黒点486は、単独で観測史上第1位と第3位のフレアを放出しましたが、その最大のものは従来の記録(X20---[X,M,C]のクラス分けで、最上位のXに更に等級をつけたもの)を大きく塗り替える巨大なもの(X28)で、これは11月4日に記録されています(たまたま486は、上図のような位置にあったため、地球への影響は限定的でした)。また、史上第3位の放出(X17.2)は、10月28日に記録されています(更にX10の放出もあります)。そして、3黒点全体としては、磁気嵐などで地球へも大きい影響を与えたのです。これについての、米海洋大気圏局(NOAA)の下記3期間の警報を比べてみると、10月後半から11月前半にかけての地球への影響の大きさが想像できます。
[03.10.16〜10.31の警報] [03.11.01〜11.15の警報] [01.11.16〜11.30の警報]
次に実際のデータで、太陽フレアからのX線量を表す「X線フラックス」と地磁気の擾乱を表す「Kp指数」について、それぞれ今回のピーク時期と黒点群が太陽の裏側に回った平穏期(03.11.08)とを比較しました(データはいずれもNOAA)。
これに関係すると思われる現象として、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)の地球観測衛星「みどり2号」の、運用1年足らずでの機能停止があります。「みどり1号」の方も運用途中で機構停止しましたが、その際は、太陽電池パネルの構造上の問題が原因とされました。「2号」の原因は調査中ですが、おそらく、宇宙空間での出来事に対して、明確な答えは出せないでしょう。最も可能性が高いのは、オーロラ帯を通過して帯電した状態で「太陽フレア」の直撃を受け、放電によって電源が破壊されたという推定です。
一方、火星上空から鮮明な画像などを送ってきているアメリカの探査機「マーズオデッセイ」の放射線計測装置が、10月下旬の太陽の爆発的活動以降、故障していることをNASAが明らかにしました。太陽から大量に放出された、高エネルギー粒子に直撃されたと推定されています。復旧信号を送っているが、功を奏していないとのこと。この装置は、将来の有人火星探査に向け、放射線被爆リスクを調べるのが目的でした。
太陽の今回の挙動に対して、過去にも類似の現象があったという見解があります(下図)。前々回(第21周期)の下降局面で(1984年4月)、「X13」のフレアが発生したことを指していますが、この時は1回だけで、その規模も今回とは比較になりません。この見解は、おそらく、フォトン・ベルトの否定と共通する姿勢から来るものでしょう。
©Francis Reddy
いずれにせよ、事実を正視すれば、黒点の数のカウントだけで太陽活動を判断することができない局面に入りつつあることは間違いありません。おそらく、太陽はその内面で激烈な変貌を遂げつつあり、その背景にフォトン・ベルト(浸入)の影響があるでしょう。それを垣間見せたのが今回の現象で、この先、更に予想外のことが起こる可能性があります。これは、だんだん明白になってくるでしょう。地球と共に、太陽の動向に、当分は注視を欠かすことができません。
(03.07.07)迷走する『アエラ』を捨てて『週刊金曜日』へ
マス・メディアからのネガティブな影響を遮断することは、アセンションを目指す人にとって必須の課題だといえるでしょう。その最も簡単な方法は、テレビや新聞を視聴・購読しないことです。
マス・メディアの何が問題かについては、次を参照してください。
「アセンション(1)」《テレビの罠》
「アセンション(3)」《[補足] テレビよさようなら、新聞よさようなら》
私の場合、テレビと縁を切ったのは遠い昔のことですが、新聞の購読をやめたのは数年前のことです。今はインターネットで、マス・メディアを含む世界中のあらゆる情報に簡単にアクセスできる時代なので、気象や災害の情報はもとより、この世界での人々の生き様や思潮の傾向を知るのに苦労は要りません(しかも、ほとんどすべての情報を無料で手にすることができます)。そしてインターネットの情報は、マス・メディアの狭量な世界観や「編集方針」によって選別・加工される前の、ナマの情報がほとんどで、無限の広がりを持っているといえるでしょう。同時に、冷厳な選別眼を要求される領域でもありますが。
さて、新聞をやめるとき問題になったのは、「口淋しくなる」という家族の抵抗です。しゃぶっていた飴を、急に取り上げられた子供の心境に近いと言えるしょうか。そこで、とりあえず週刊の『アエラ』を購読することにしたのです。当時は、まあ3割ぐらいは読むに値する記事があるという感じでした。そして、そのまま今年まで購読を続けていました。その途中から、少しずつ内容が怪しくなってきたという印象はありましたが、今春の「イラク侵略戦争」が終わった頃から、完全におかしくなりました。毎号毎号、読むに値する個所が、どこにも見当たらなくなったのです。1つのメディアが、これぐらい見事に「発狂」する姿をみたのは初めてです。
背後に何があったのかは知りませんが、察するに、商業主義に徹してもっと部数と広告量を伸ばせ、といった号令でもかかったのでしょう。商業主義にとって、しっかりした背骨は邪魔になるだけです。骨をすっかり取り払って、「ヌエ」のような存在になるしかないのです。しかし編集者の立場としては、雑誌としての特色は欲しい。そこで、「トレンド・ウォッチャーに徹する」というのが、編集長が見出したひとつの逃げ道のようにみえます。しかし、この方向には大きい落とし穴があります。
今は、世界中のほとんどの人が、時代の方向を見定めることができず、思い思いの方向に迷走しているのです。その迷走状態の中から、嗜好や混乱の程度が近似した者同士が、それぞれに塊(かたまり)を造って動いている姿がみられます。『アエラ』やその他のメディアが観察しているのは、そのような塊に過ぎず、それら自体が「迷走する塊」であることに違いはないのです。それを「時代のトレンド」だと思うことによって、メディア自身も迷走状態に陥っています。
そこで、改めて日本の雑誌の世界を眺めてみました。すると、あまたの迷走する雑誌群の中で、『週刊金曜日』が、安定した視座を保って光っているのが目に付きました。実は、『週刊金曜日』の存在は、数年前から知っていました。しかし当時は、編集方針や記事のいくつかに共感を覚える部分はあったものの、未成熟のマイナーな雑誌という印象で、購読の対象にするという考えは全く浮かびませんでした。
いま『週刊金曜日』は、スタイルや内容の成熟に伴なって、日本の雑誌の世界で確固とした地位を築きつつあるようにみえます。『週刊金曜日』が堅持しようとしている視点に共鳴する優秀なライターたちが、その周辺に続々と集まっているようにみえます。これが、時代の趨勢というものでしょう。おそらく今では、市街地や郊外の大型書店の半数が、この雑誌を店頭に置いているのではないでしょうか。
不幸なことに、私たちの地球世界は、情報だけでなく政治・経済・社会そして科学などのあらゆる事象が、一定の意図によってマニピュレート(巧みに操作)されています。マニピュレートされた空間に身を置くか置かないかの違いは決定的です。世界のマス・メディアのすべては、前者に属します。少なくとも『週刊金曜日』は、その空間には浸っていないようです。こうした雑誌なら、インターネットの時代でも、存在意義があります。その意義とは、(まだ目覚めていない人々への)「啓発」と(すでに目覚めている人々の)「連帯」です。これは、インターネットの日本語のコンテンツ(内容)が貧弱な現状のもとでは、多くの日本人にとって極めて重要なことです。
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