アセンション(1)

こんにち、「地球」「人類」「未来」というキーワードを「徹底的に」追求すると、誰でも「アセンション」という認識に到達します。私の場合、25年間、さりげなくオフィスの仕事をこなしながら、これをやってきましたが、「アセンション」について確信したのは比較的遅く、1996年に入ってからです。その後2年間、この事実をどう伝えるかについて模索しました。

その結果たどりついたのが、この「ガイア・アセンション」シリーズという構想です。陸上競技の三段跳びに例えると、「シリーズ第1部」は助走です。「シリーズ第2部」の、「クロップ・フォーメーション」はホップ、「フォトン・ベルト」はステップ、そして「アセンション」がジャンプです。三段跳びと違って、このジャンプは、着地することのない飛翔です。

イエス・キリストがやったような、個人の単独のアセンションと違って、今回のアセンションは、太陽系の「フォトン・ベルト」への進入を契機として、地球とともに地球の全生命が、集団でアセンド(上昇)します。本質には違いがありませんが、区別する意味で私は、「ガイア・アセンション」と呼んでいます。

アセンションは、個人の経験の場として、「3次元(現在の地球と同レベル)」か「5次元」の、どちらかを選ぶことを迫ります。どちらか一方が、他方より優れているということはありません。「好み」の問題といってもよいでしょう。地球(ガイア)がアセンドすることはほとんど間違いありませんので、前者を選んだ場合は、地球での生を終えたあと、宇宙に無数にある、3次元レベルの別の星に「転生」することになるでしょう。

ここで、「アセンション」を初めて耳にする方のために、「ガイア・アセンション」の要点を列記してみます。

少し補足しますと、次元とは、音のオクターブのようなものです。オクターブがひとつあがる毎に振動数(波動)が2倍の、上位の次元に移ると考えてみてください。人間の耳が捉えることができる「可聴域」があり、それより高い振動数の音は聞こえませんが、現実に存在しないわけではありません。可聴域や声域には個人差があり、訓練によって、可聴域や声域を広げたり、高くしたりすることができます。「可視光線」の振動数や紫外線以上の振動数についても、同じことがいえます。光学望遠鏡でとらえることのできない天体が、電波望遠鏡でとらえられることがあります。それらの天体は、人間の眼に見えなくても実在しているのです。

なぜ4次元を飛ばして、5次元にアセンドするのか、と思われるかもしれません。地球に関して4次元は、肉体を去った魂が「転生」のために待機している領域で、5次元以上のように「覚醒した」領域ではなくて、3次元の延長のようなものです。ただし厳密に言えば、4次元以上は、時間と空間の概念が3次元とは決定的に異なるという、共通の特徴があります。

これまで、このような情報になじみがなかった方は、ついて行けないと思われるかもしれません。理解を難しくしているのは、おそらく、情報の内容よりも、新しい情報に対する姿勢の問題です。人は、新しい情報が、自分の「教え込まれてきた考え」に合わなければ、それを、事実でないものとして片付けてしまう傾向があります。マインドでなくハートで、論理でなく感性で、読み取ってください。

人類の歴史のこの時点において、これ以上重要なことは他にないと思いますが、いかがでしょうか。もっと重要なことが他にある、と思う方には、それらを列記して比較検討してみることをお勧めします。

さあここで、選択してみてください。「あなたは、今回の大波に乗って、アセンションを達成したいと思いますか?」「はい(Yes)」または「いいえ(No)」。「もっと自分なりに探求して、その上で意思を決めたい」という方は、とりあえず「はい(Yes)」としておいてください。しかし、あなたが知っている世界は瞬く間に変化するので、急いで探求して早く決断するのが賢明です。一方、「今の地球のような文明の在り方が好きだ」「関心がない、無視する」という方は、「いいえ(No)」を選んだことになります(将来何かのキッカケで、「はい(Yes)」に戻ることは、まったく自由です)

アセンションを選ばない方は、世の中は今まで通りには動いていかない事実を、つまり「現実の崩壊」を、身をもって体験するでしょう。その選択が「間違っている」ということはありません。魂が、いっそうの3次元の経験を求めている場合や、何か大きいカルマを清算するために、その選択をしている場合があります。たとえ親族や親しい友人でも、無理に引き入れようとすることは、大局の利益に反することになります。

不幸にして情報がなかったために、選択の機会を逸してしまう人もあり得ます。土壇場での選択は、適正に行われる可能性が少なく、またアセンションには、それなりの予備知識や準備も必要です。少なくとも情報としては、できるだけ広く知らせることが望まれます。「それほど重要なことなら、政府が、マスメディアを通じて知らせるだろう」と思うのは「ナイーブ(ノー天気)」過ぎます。「宇宙の知的生命体」や「フォトン・ベルト」の情報と同様に、或るルートで既に知らされており知っている情報を、握り締めて放さないのです---先の展望もなく、当事者能力もないのに。事実を隠蔽させる力が、今この地球で、支配力を持っていることを承知しておいてください。

さて、太陽系はフォトン・ベルトへますます深く進入しており、アセンションのプロセスも開始しました。地球人類は、逆行できない道を進んでいます。どんなに鈍感な人でも、この状況をはっきり自覚するのに3年は要らないでしょう。いま人類は、アセンションの準備をしながら現実世界ででも生きていくという、特殊な状況におかれています。

大量アセンションといっても、その準備は、一人一人の個人が行うことにかかっています(しかし情報は、できるだけ多数でシェアし、共同でできる準備活動にもトライしたいものです)。その中核をなすものは、心とからだの浄化であり、癒しです。直ちに始めるべきことは、人間が宇宙に放出している4つのエネルギー、思考、言葉、感情、行為の出口に十分注意して、それらの浪費を慎むことです。また、波動レベルを引き上げるための、手段やテクニックのうち、自分に合うものを選んで実行することも勧められます。周りの人のネガティブな波動に巻き込まれて、エネルギーを奪われそうなときは、愛を投げかけて、そこから遠ざかるのが賢明です。

また、たいへん重要なことは、過去1万年の歴史のなかで、心のなかに埋め込まれ、人類の体質そのものにまでなってしまった、基本認識の誤りを是正することです。

「箱」の外へ

大都市には田舎にない仕事があり、さまざまなサービスも提供されています。娯楽の機会も豊富です。それらが価値があるものだという考えが、大都市への人口集中をもたらしてきました。一方で集中の弊害が指摘されながら、集中というマスの引力が、更なる集中をもたらすという循環は、まだ止まっていません。こうして、ますます自然から、大地から、遠ざかる生活が主流になってきました。この事実は、大量アセンションの実現に対して、重い課題をつきつけています。

大地を踏むことは、それ自体が癒しです。森の中や海辺にいることは、さらに大きい癒しです。ほとんどの人は、現在の生活パターンにはまっている限り、この「無償のヒーリング」を受ける機会は少ないでしょう。積極的にパターンの殻をぶち破り、居室やオフィスの「箱」の外に出で、大地を踏むことを心がける必要があります。それを、生活の一部に組み込むことができれば、理想的です。

目線をすこし上げて、毎日空を見るようにしていると、新しい発見があります。空の色や雲の形に注意します。見たこともない色調やパターンが見られるでしょう。特に日没の頃はお勧めです。記憶の中にある、空や雲の姿は変わりつつあります。これは、フォトン・ベルトの効果です。

手放す

アセンションするとき持っていくものは、自分のからだだけです。人類は、長い間、この世において、「達成する」「成功する」「名誉を得る」などの、「しなければならない妄想」に執りつかれてきました(本当は、「神である自己」を思い出すこと以外は、何もしなくてよかったのに)。それらの「妄想」の「成就」への思いが強ければ強いほど、心情的にそれから抜け出すことが難しくなり、アセンションの妨げとなります。

過去のものであれ、現行のものであれ、地位、名誉、成績、業績、勲章、成功、お金、財産、モノ、支配、人間関係、ペット、嗜好など、あらゆる執着の対象を、一つ一つ切り離していく必要があります。明日からペットを飼わないということではありません、愛と執着とは別物です。責任をもって愛を注ぎながら、なお執着しないというスタンスです。徹底的にこれをやっても、実際には、失うものは何もありません。「痛み」「怒り」「怖れ」「被害者意識」「恥」「強欲」などの感情は「失って」しまいますが---

ついでに、すべての「自己限定」「自己否定」「自己懲罰」「他者非難」「他者否定」なども、捨ててしまいましょう。これらも執着の一種ですから。

こうして最後に残るのは、「魂が喜ぶことだけをやる」ということです。宇宙が、何かの形で、必ずそれをサポートしてくれます。やって楽しくないことをやるのは、人間に与えられた使命ではありません。母親は、楽しいから幼児を慈しむのです。政治、経済、産業、科学技術などの分野で、「やろうとして」やってきたことが、地球や地球の生命に何をもたらしたか、考えてみてください。

コントロール(人を管理する)---最大の罪悪

「善行」のつもりでやってきたことが、「最大の罪悪」などと言われると、びっくりするかもしれません。物質中心の地球の文明では、さすがに、「人の肉体を犯す」ことの罪悪感については、明確な認識があります。しかし「人の心を犯す」ことについては、「善」や「愛」や「良いこと」をやるという理屈付けで、堂々と行われています。

人は皆、体験を通じて学習するために、この世に生まれてきています。「失敗」は、魂の成長のために、最も価値があるものです。「失敗」するためには、すべてにおいて、選択の自由がなければなりません。先回りして、「失敗から学ぶ機会」をことごとく封じ込められると、魂は成長することができません。これは、人間関係に広く見られますが、特に親子の間で典型的に見られる《失敗》です。あなたの教育が最高に《成功》したと思ったとき、実はあなたの「流儀」の、ステレオタイプをこの世に送り出したに過ぎないことになるのです。

相手に対する責任を引き受ければ引き受けるほど、あなたは相手に対して権力を持つことになります。あなたは良い気分になるかもしれませんが、反面、依存を助長しています。これは権力欲、そうでなければ単なる自己満足です。それによってあなたは、深甚なカルマを積み上げ、アセンションへの、逆方向の努力をしていることになります。あなたが「介入」する前にやるべきことは、助けた結果、相手が成長するか退行するかを見極めることです。

逆に、あなたが、コントロールのターゲットにされる立場にいるとしたら、あなたも、カルマの形成を容認したという、カルマを背負い込みます。愛を投げかけて、その場から立ち去ること、そうなりそうな機会を避けることが、ベストの対処法です。

「コントロール劇」の根底には、「愛」についての誤解があります。地球では、「愛」は、「する」ものであり「される」ものだと教えられてきました。流行歌の歌詞に、五万と見られます。宇宙の原理では、「愛」は、単に相手の有りのままを受け容れることです。無条件の受容です。すべての魂が同等であり、それぞれが独自の体験と創造と表現を求めて生きているとすれば、これ以上にふさわしい定義はないことが分かるでしょう。

「愛」を、「しよう」とするから、むやみに言葉や行為を乱発することになります。本当の「愛」があれば、言葉は要らないはずです。言葉を多発すればするほど、お互いを思いやる時間は減ってしまいます。相手に対する最大のプレゼントは、あなたを必要としないだけの力と強さを与えてあげること。そして、どんな理由にしろ、相手があなたを必要としなくなる状態を、造ってあげることです。

テレビの罠

アセンションから遠ざかるには、苦労は要りません。テレビにかじりつくことです。

一般に、テレビなどのメディアが与える影響力については、よく認識されているようですが、メディア自体に影響を与えている力については、どれだけの人が自覚しているでしょうか。或る勢力のマインドコントロールによって、映画やドラマなどの番組が、3次元の波動レベルに視聴者を引きつけるように製作されています。暴力、戦争、サスペンス、恐怖、軋轢などの世界です。そういう傾向を好む人間の「育成」の成否は、「彼ら(地球を実効支配している連中)」の死活問題です。

ナチス・ドイツが実用レベルまで完成させたマインドコントロールの技術が、「戦勝国」に渡り地下に潜って、その後50年のエレクトロニクスやソフトウェアの技術進歩を取りこんで、どれだけ高度なものになったか想像してみてください。「彼ら」が地球人の「科学者」を使って、その技術を発展させ、利用しているのです。それと知らずに、私たちの思考や想念や感情が、影響を受けている可能性があります。

テレビに夢中になっているとき、特に上記のような番組の場合、人間は軽い「トランス(恍惚)状態」にあります。このような人間のエネルギーフィールドに取りついて、「気」を吸い取るわけです。ターゲットにされた人は、一人で二人以上を養っているようなものです。「無気力」が支配的になるのも無理はありません。ビデオゲームでも何でも、「時間つぶし」で何かをやろうとすることは、要注意です。自分の魂が本当に喜ぶことを、発見する必要があります。すぐに見つからなければ、戸外や公園を散歩する方がまだ安全です。

コンピュータやパソコンを仕事などで使う人は、それなりの対応が必要です。私は、電源の差し込みプラグのプラスチック部分に、#24(0.55ミリ)の銅線をぐるぐる巻きにしています。全長50センチ〜1メートルです。こうすれば、或る程度、電子経路からの侵入を防ぐことができます。もっと根本的には、「スキ」を絶対に作らないこと、そして波動レベルを上げる努力をすることです。

瞑想が近道

アセンションへの準備として、最も簡便で、効果的な手法が瞑想です。それに、「実利」も沢山あります。私がそうでしたが、瞑想の意志があっても、一日の現実の生活のなかで、適当なタイミングやキッカケがつかめなくて、ずるずると先延ばしになってしまう方が多いのではないでしょうか。しかし、あまり大げさに考えなければ、現在の生活のパターンを変えないで、すんなりと取り入れることができます。どれが正しいやり方ということは、ありません。下記を参考に、あなた独自のやり方を編み出してください。

瞑想と呼吸法は、表裏の関係にあります。両方を合わせて、行わない手はありません。毎日確実に実行するには、就寝前に寝床でやることです。呼吸法は、いわゆる「丹田呼吸法」がよいでしょう。丹田は、へその下915センチメートルのところにあります。呼吸につれて、その部分が大きく波打つ感じです。座ってやる場合は、自分にとって、最も楽な姿勢をとります。寝ながらやってもよく、この場合は、両膝を立てて、膝と膝を合わせて足を開くと楽にできます(冬はこれでは寒いので、例えば座布団を二つ折りにして太ももの下にあてがうと、姿勢が定まります)。なお、通勤や通学の乗り物の中でも、これはできます。

くつろいだ気分で、口を閉じて、息を大きく吸います。このとき、頭頂から宇宙のエネルギーを取り入れて、それが全身にめぐることを意識します。そして、呼吸を止めます(「クンバク」といいます)。吸う息とクンバクは、ほぼ同じ長さでよいでしょう。その2倍の長さで、息を吐きます。このとき、丹田をぎりぎりまでへこませるようにしてください。両手は、軽く開いて手のひらを上にしておくとよいでしょう(手のひらのツボ「労宮」は、頭頂の「百会」と同様に、エネルギーのポータル[出入り口]です)。これを、毎日最低15分やるようにします。雑念が起こってきたら、呼吸に意識を戻すようにします。そのまま眠ってしまってもかまいません。

特定の目的をもって瞑想する場合は、クンバクのとき、それを意識のなかで唱えます。常に、現在形の肯定的な表現をして、それが実現した状態をイメージします。これは、高次元の時間の性格と関係します。たとえば、「私は健康だ」「私は満たされている」など。もっと具体的であれば、なおよいでしょう。何も感じなくても、間違いなくすばらしい体験をしています。心身への効果は、短時日で自覚できるでしょう。一人一人が癒されることが、出発点です。

地球全体への癒しは、「私をエネルギーの経路として、地球とその全生命に、癒しのエネルギーを流してください」と、宇宙の「神」に頼みます。いま地球は病んでおり、このような形での参画が、きわめて重要であるようです。

瞑想を継続して、それが深まっていくにつれ、心身の浄化とともに、波動レベルの上昇と肉体のDNA構成の変換が始まり、アセンションへ一歩前進するでしょう。

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