一方に、イリアン・ジャヤやスーダンのように、飢餓のため数百人から数千人が死亡するという現実があり、他方に、先進国を中心として、過度の肥満が命を脅かすほどの飽食の現実がある。数百万年の人類の歴史を経て今なお、ひとつの星の上で、これだけ極端な差異が実在するのは、この宇宙でも希有のことに違いありません。しかし、量の過不足よりもっと大きい危険は、「食」を通じて人類全体がじわじわと「汚染」されつつあり、それに対して、何の是正措置も採られようとしていないことです。
初めに量について言えば、先進国といえども決して安泰ではありません。日本が食糧輸入の過半を依存する、代表的な農業先進国アメリカの農業は、日本人の大方の理解とは裏腹に、危機に瀕しているといっても過言ではありません。有名な穀倉地帯グレートプレーンズ(ロッキー山脈東麓の大平原)では、「センター・ピボット」による灌漑が行われていますが、これは、直径1マイルにも及ぶ円形の農場を、ゆっくり回転するアームによって散水する、地下水汲み上げ式の灌漑方式です。
(写真1) 上空から見た「センター・ピボット(center pivot)」(1998年3月27日撮影) ---各円形農場の直径は、1マイル前後。撮影高度の関係で、車輪と駆動モーターが付いた長い散水アームは、かすかな線としか見えない。
問題は、地下の帯水層が基本的に「化石帯水層」であることです。すなわち、この帯水層は、前地質時代に形成されたもので、新たに補給される分は、ごく僅かです。当然ながら、地下水位は、汲み上げに伴って下がり続け、井戸は深く深く掘り進められますが、やがて枯渇することになります。写真でも、明らかに「耕作放棄」されたとみられる「センター・ピボット」があります。こうして、「作物を売るより、水を売った方が儲かる」という事態となります。実際に近年、テキサス、オクラホマ、カンザスおよびコロラドの各州で、灌漑面積が縮小し続けています。このなかで、アメリカの農民は、設備や機具への莫大な借金を抱えて苦しんでいるのです。
水不足は、ここだけではありません。カリフォルニアの農業は、主に12月、1月、2月の降水とシエラ・ネバダ山脈への降雪に依存しており、1992年まで6年連続の干ばつに見舞われました。1993年は一転して洪水に、そして1994年は水不足という具合に、その後も不安定な状況が続いています。1998年の夏、1か月にわたってテキサス、ルイジアナそしてオクラホマを襲った熱波は、156人の死者(8月3日現在)だけでなく、空前の干ばつにより農作物や畜産にも甚大な被害をもたらしました。このような「気象の激烈化」は、今や日常茶飯事となって、アメリカの食糧生産を脅かしはじめました(アメリカが今のところ泰然を装っていられるのは、輸出に回している分が、調整代になっているためです)。
地下水の過剰汲み上げは、世界第1位の穀物生産国である中国や、アメリカに次ぐ第3位のインドでも、深刻な問題になっています。つまり、「各地で地下水が大量に、そして無分別に汲み上げられている」ために、急激な地下水位の低下と水不足が起こっています。そして例のごとく、この事態を招いた行動は、「現在」にしか焦点を当てていないため、生産を将来にわたって持続するための配慮も具体策も、まったく考えられていないのです。そして「気象の激烈化」も、アメリカの専売特許ではありません。その象徴としての「長江大洪水」は、中間報告で、被災面積約20万平方キロ、被災者2億2千万人、死者約3000人、倒壊家屋500万戸、直接の経済損失はGDPの2.2%に相当する1,660億元(約3兆円)という被害をもたらしました。
収穫を増やす方法は、耕地面積と単収(単位面積当たりの収穫量)を増やすことに尽きますが、途上国でも工業化や住宅開発で耕地面積が減る傾向があります。単収の伸びは近年停滞してきています。
一方、需要サイドでは、いわゆる「食の欧風化」が、それ自体で食糧不足を引き起こします。つまり、穀類(全粒)でエネルギーや栄養をとる代わりに、それを家畜のエサにする場合、約8倍の穀類を「消費」することになります(イワシやサバをエサにして、ハマチを養殖する行為についても同じことが言えます)。ファーストフード店などの進出が、その傾向を助長します。「食糧の危機」は「食習慣の危機」でもあります。現在、これが最も大規模に起こっているのが、食糧自給が瀬戸際に来ている中国で、12億の人口が本格的に「欧風化」すると、恐るべき食糧の争奪戦が、世界的に展開されることになるでしょう。
いずれにせよ、この先、世界全体として、人口の伸びに食糧生産が追いつかないことは明白で、「食糧の安全保障」を国家目標として追求してこなかった国は、いつ「食糧危機」が訪れても不思議ではありません。その代表が、食糧自給率が先進国最低の41%(穀物自給率は27%)で、世界最大の食糧純輸入国である日本です。日本のこの状況は主に、「食の欧風化」と「農産物貿易の自由化」の流れのなかで、消費者の「無意識の選好」がもたらしたものです。しかし、無定見な行政にもその責任があります。それは、国家目標を掲げて、20年かけて食糧自給を達成した、イギリスやドイツと対比すれば明白です(現在の食糧自給率は、それぞれ105%と106%、穀物自給率は114%と113%)。
いま日本は、アメリカに、食糧の供給保証を要求できるでしょうか。「お門違い」だと、追い返されるだけでしょう。取り引きの相手は、政府ではありません。いわゆる「穀物メジャー」であり、食糧の流通に支配力を持つ「多国籍企業」です。時には、「開発輸入」に精を出す日本の商社やスーパーだったりします。日本は、いわば「農」を「資本」に売り渡したのです。その象徴が、1993年の「ウルグアイ・ラウンド農業合意」です。この合意は、巨額の貿易黒字を生んでいる自動車など工業製品の輸出を守るため、農業が犠牲にされた面があります。しかし同時に、農協や食糧事務所を中心とする古い日本農業の枠組みを守ろうとしたため、コメ輸入の「ミニマム・アクセス」のような不合理な内容を、合意に織り込むことになりました。
経過は何であれ、いったん「城を明け渡した」以上、自作農主義を採り、担い手の中心年齢が65歳前後、しかも7割が「第2種兼業農家(自家農業を従とする農家)」という日本の農家が、「資本の力」に敵うわけがありません(いま、農業法人の株式会社化と抱き合わせで、一般株式会社の農業への資本参加を認めようとする動きがありますが、安易にこれをやると、日本農業崩壊の引き金になる恐れがあります)。例えば、生鮮青果大手の米ドールや穀物メジャーの米カーギルが、日本で販売する野菜やオレンジ果汁の流通システムがあります。これらのシステムは、巨額の投資を伴う、高度の鮮度管理方式によって工業製品の場合のような物流を可能とし、アメリカやブラジルの産物を、鮮度を落とさず、しかも低価格で供給するものです。これに対して、日本の行政は、食糧の自給や安全保障についての断固としたポリシーが無いので、「ウルグアイ・ラウンド農業合意関連対策費」として獲得した巨額の予算枠を、毎年毎年ただ細分化してバラ撒いて消化するだけに終わり、何年やっても、危機の本質は少しも変わらないのです。
どうやら日本の消費者は、自衛策を真剣に考えた方が良さそうです。食習慣から変えていくのが近道です。これまでの経過の逆をやる。つまり、できるだけ国産のもの、それも近場の産品を優先的に選択するようにします。日本は水に恵まれ、「減反政策」でやむを得ず「耕作放棄」したり、花キやハーブに転作した耕地がいくらでもあります。それらを活性化することができるのは、消費者だけです。組織的な行動として、「生協・農協連合」を薦めます。品目と数量を定めて、お互いに長期にわたる購入と供給にコミットするのです。品質つまり「安全な食」を共通のターゲットとして追求するのが良いでしょう。日頃からのコミットなしに、「非常のときはよろしく」という虫のいい考えでは成り立ちません。このためには、生協、農協の両方において、各組合員が組織の一員としての関与を強めることが不可欠となります。
食習慣については、「玄米(胚芽米)」や「全粒パン」を献立の中心にし、これに野菜・豆類・芋類・雑魚・海草を加えれば、必要なエネルギーと栄養のすべてを賄えます(栄養学者が作った献立表は、一切無視してください)。白米や食パンは、精白によって、鉄、カリウム、ビタミンB1,ナイアシンなどの重要な栄養素を削ぎ落とした商品です。また、牛肉、豚肉、鶏肉、鶏卵、牛乳・乳製品のほとんどは、直接輸入または輸入穀物によって飼育された産品で、まさかのときは供給が途絶する性格のものです(輸入穀物の6割強が飼料用で、これが日本の食糧自給率を下げている元凶のひとつです)。このように、個人としての消費者が、すべての「構図」を変える力を持っています。消費者(生協)の選択を、農家(農協)の経営に反映させて、双方にとって望ましいバランスに変えていくことが可能です。
個人として自衛するのに、たとえば「定年帰農」という道があります。別に定年を待つ必要はなく、若者ならなお歓迎されるでしょうが、「全国新規就農ガイドセンター(東京・有楽町)」や各都道府県の「農業会議」にある「農地利用相談センター」などで情報を集め、「就農準備校」を経て、本格的に農業を始めるわけです。これは、金銭の大小でしか物の価値を判断できない人には、まず無理でしょう。そこまでいかなくても、各地にある「市民農園」で、まず「橋頭堡」を確保する方法があります。ロシアの極東地区で定着している「ダーチャ」は、別荘(借り別荘)の庭で週末農業に励むというものです。これは、一石二鳥の効果がありそうです。
このように、自ら手がける農業では、有機肥料・無農薬の完全にクリーンな作物を手にする余地があります。ただ、実際にこれをやってみると、あたり一円の地上・地中の虫たちに、集中的に「愛される」ことになるでしょう。虫たちが求めるものも同じなのです。かつては、水田に足を入れると、ドジョウがツンツンと触れてきたし、夏の宵には日本中どこでも、ホタルの乱舞が見られたものです。戦後の農業を席巻した「排除の原則(邪魔物は殺せ)」によって、人間の近視眼的な都合だけが優先されました。今やあらゆる農地が、農薬漬け、化学肥料漬けになっています。土壌の微生物相が破壊されて農薬分解速度が落ち、残留農薬が年々増えた結果、農地のありふれた生命にとって最悪の環境となり、また農法自体も限られた方式しか採用できない土壌となったのです。農業指導を行う農協自身が、農薬や化学肥料の販売を手がけたことが、この流れを加速しました。
具体的にみると、農作業や作物の流通、保存の全過程で、土壌や種子の消毒、除草、殺虫、殺菌、防カビなどの目的で、ありとあらゆる農薬が使われています。収穫後の農薬の使用は、「ポスト・ハーベスト」と言い、輸送や保存の期間に応じて使用されています(輸入品に多いですが、それだけではありません)。その結果として、残留農薬がまったく検出されない農作物は事実上皆無と言ってよいでしょう。日本人の主食の、米でさえ例外ではありません。肉類、卵そして牛乳・乳製品では、飼料から取り込まれたもののほかに、投与されたホルモン剤や抗生物質が含まれます。それらの全リストを一覧でみると、「拒食症」になるのではないかと思うほどです。言うまでもありませんが、農薬は基本的に、生命にとっての「毒物」です。
田畑の「汚染」は、川を汚染し、海の汚染に繋がります(すべてが農薬に由来するわけではありませんが)。それらを沿岸の魚や貝類が取り込み、食物連鎖を通じて、海の生命全体に広がります。ちなみに、沿海魚から典型的に検出される物質は、PCB、DDT、有機水銀、ディルドリン、ダイオキシン、クロルデン、TBTO、TPTなどです。貝類では、PCB、DDT、有機水銀、ダイオキシン、TBTO、TPTなどです。このうち、TBTOとTPTは、有機スズ系の化合物で、養殖用魚網や船底に藻類や貝類が付着するのを防ぐ為の、防汚剤として使われます。当然、養殖魚には高濃度で含まれ、「奇形ハマチ」の原因とされています。このほか養殖魚には、各種の抗生物質が投与されています。これらすべてを、食物連鎖の頂点に立つ人間が、最終的に取り込むという循環になっています。このように、「食糧の危機」のなかで最大のものは「食糧の質の危機」です。
当然ながら、食品としての安全の観点から、こうした薬品の使用についての基準が問題になります。これについては、ローマに本部がある”CODEX Alimentarius(コーデックス・アリメンタリウス)委員会”が、食品についての国際規格を定め、それを加盟各国が採用するという習わしになっています。そして、まだ十分な知見を持たない国は、CODEXの「科学者」の「指導」を受けられるということになっています。ウルグァイ・ラウンドに先立って日本の厚生省は、農薬残留基準値を設けていた26農薬に34種類を追加し、1992年には更に20種類の残留基準値を決定しましたが、ジャガイモの発芽防止に使われるIPCをアメリカ同様に以前の1000倍に、小麦に使われるスミチオン、マラソンも以前の50倍に「改悪」してしまいました。
CODEXは国連の機関を標榜していますが、どうしてこういう「ケッタイな」名前が付いているのでしょうか。実は、CODEXは、その由来からして業界団体であり、国連のFAO(食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)が、それのスポンサーになっているに過ぎないのです。その性格は、委員の構成にも現れています。1991年のデータでは、企業代表140人に対して、政府代表は、105人にすぎません。コカコーラは18人、ユニリーバは9人、モンサントは8人の「科学者」を送り込んでいます。制定される規格が、自社の企業活動を阻害しないように誘導し、監視するという役割です。アメリカのオルブライト国務長官は、1998年1月3日の上院小委員会の冒頭説明で、「CODEXは、年600億ドルにのぼるアメリカ農産物の輸出を促進するような、品質や安全の基準を採る」と、明言しています。CODEXへの支出も含まれる国務省の予算を通してもらう為に、本音を表明したのでしょう。アメリカが官民で派遣している委員の数からすれば、その通りにできるでしょうが、そのアメリカの実状はどうでしょうか。
アメリカの畜産業者は、食肉用に去勢したオスの子牛に、耳のインプラントを通じて、持続的に女性ホルモンを投与します。それは、合成ホルモンであったり、エストラディオール、テストステロン、プロジェステロンなどの天然ホルモンであったりします。少ない飼料で、良い肉を採るのが目的です。当然、これらのホルモンは、その肉を食べた人間にも取り込まれます。欧州連合(EU)は、1989年に、こうしたアメリカの牛肉を輸入禁止にしました。日本は天然ホルモンに限り国内での使用を認めており、輸入については合成ホルモンが主に使われているにもかかわらず、残留値が基準以下ということで認めています。なお、EUは、アメリカが承認している遺伝子工学によるウシの成長ホルモン(rBGH)の使用も、1994年に禁止しています。ところが、1995年7月に、CODEXは、秘密投票で食肉への成長ホルモンの投与を承認しました。そのような「合意」を、各国の官僚が、農業白書、健康白書あるいは標準化白書などで「成果」として謳いあげ、「国際基準に適合しているから安全だ」という流れを作っています。
また、アメリカの輸出用小麦、米、大豆、トウモロコシには、アメリカでも許されていない有機リン系農薬レルダン(神経障害を引き起こす可能性のあるもの)が、直接混ぜ込まれています。更に、アメリカが輸出するレモンやグレープフルーツには、DP(ディフェニール: 肝臓障害)、OPP(オルトフェニルフェノール: 発ガン性)、TBZ(チアベンタゾール: 催奇形性)の3種類の防カビ剤が 散布され、加えて臭化メチル(発ガン性)で燻蒸されています。臭化メチルは、日本でも使われていますが、オゾン破壊係数がフロン類に匹敵する物質で、国際的な規制対象になっています。
結局、これらは総じて、どういうことになるでしょうか。人間が限りなく「汚染」され続けるということです。地球人類は、絶滅種や絶滅が近い種のリストを作って危機感を深めていますが、「人間という種」自体は大丈夫でしょうか? 1992年に、コペンハーゲン大の生殖生物学者ニルス・スキャケベク教授が、「この50年で精液中の精子数が半減した」と発表しました。その後、パリにあるコシン病院のピエール・ジュアネ教授が、1973年から92年までの1350人分の記録を分析して、「精子数が、70年代の8千9百万/mlから、90年代には6千万/mlに減っていた。提供前の禁欲期間が同じ条件の人に限ったら、20年で1億から5千万に半減していた」と報告しています。また、英国医学研究評議会・生殖生物学センターのスチュワート・アービン博士も、1984年から95年に提供された577人分の精液を提供者の生年別に分析した結果として、「70年代に生まれた人は、50年代に生まれた人に比べ、運動能力のある精子が24%も減った計算になる」と、1996年2月に報告しています。
ヒトの精子数については、その後もさまざまなデータが報告されています。「減っていない」とする報告も少なからずあります。これからも「学者」の背後にある利害関係によって、甲論乙駁が続くでしょうが、そもそも人間の精子数が問題になること自体が、予想外のことではなかったでしょうか。
ここまで来たのは、みんなで「頑張った」おかげです。企業経営者は「資本の論理」に忠実に、化学者は「排除の原則」による画一的な解決法を指向して、農業者と農業団体は「目先の効率と収益」を第一義として、消費者はひたすら「流通革命」の「恩恵」を求めて、政治家や官僚は「自国の利益」と「国際協調」と「政権の維持」を天秤にかけながら。すべて自分の「意志」に従ってやった、と堅く信じているはずです。ところがそれが、「人間という種」の絶滅を図る遠大な計画の一部であり、「自分の意志」だと思ったものは、実は「別の意志」が仕掛けた巧妙なトリックであり、彼らの「筋書き」に無意識のうちに「協力」しているにすぎないとしたらーーー。今のところ、その遠大な計画は、滞りなく順調に進んでいると思いませんか?
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