アセンション・オンゴーイング

 

[第8回2002/04] 「当事者」が語る宇宙と人類の真実(2)

 

 

【目次】

『イナンナの真実(第1部・第17章)』解説

『イナンナの真実』第1部・第17

ヴォルフィー(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

イナンナが語る宇宙と人類の真実(2)

 

『イナンナの真実(第1部・第17章)』解説

 

ここでは、第17章へ話をつなぐために、最初に「前回(第1部・第4章)の解説」を補足します。

 

ある日、グラシー、クラリッサ、マイケルそしてヴォルフィー(次項参照)は、公園の樹間に浮かぶ多数の小型UFOを、大勢の人々と共に目撃します。このような事実についての政府の頑強な否定には、誰もうんざりしていますが、今回も公式の報道はないだろうという思いを持ちます。しかし、たとえ公にならなくても、実際に見た人は、その経験によって必ず変わってくることは間違いない。

 

グラシーの居間に戻った彼らは、それぞれの断片的な情報を持ち寄って、ひとしきり話を弾ませます。様々な異星人――人類の幸福を願う者、支配し操る者、そして単に観察だけで来ている者たちのこと。地球の植民地化と人類のDNA 操作のこと。過去にやったことの償いとして、人類の目覚めを支援している者たちのこと。そして、人間の精神エネルギーを吸い上げて利用している階層があるらしいことなど。しかし、それらは全体として、いったい何を意味しているのか。巨大な謎の存在を感じないわけにはいかない。

 

一方、イナンナとジェーランは、意識体として移動中に、助けを求めてグラシーが呼んでいることに気付きます。ジェーランはイナンナに、「永遠の虚空」に居るテル・ダールのところへ皆を誘うことを提案し、グラシーたち(の意識)を拾い上げるために、グラシーの居間に物質化して現れます。グラシーたちは、アメリカ北西部の、その居間にいながら、瞑想して意識を「永遠の虚空」のテル・ダールの住まいに合わせることになるのです(これは、次元の違う者たちが1個所に集まるための、典型的な手法です)。テル・ダールには、グラシーたちが来ることはわかっていました。そして、彼らが恐怖感を抱かないように真実を伝えるには、どういう手順がいいのかを考えていました。そこで、同じ高次元の意識であるタザタに同席してもらうことにするのですが、実はジェーランの、またヴォルフィーの魂は、いずれもタザタの分身なのです。

 

なお参考として、イナンナの過去生の1部に触れておきます。

イナンナは、シュメール時代の最後の頃、都市国家キシュの高官だったサルゴン(後のサルゴン1世)と恋仲になり、彼を盛り立ててシュメールを征服させ、地中海東部からイランまで支配権が及ぶアッカド帝国の初代の王にさせます。しかし、イナンナ(アッカドでの呼び名はイシュタル)がいつまでも若さを保ったのに対して、サルゴンは普通の人間だったので、やがて老いていくと共に酒浸りになり精神が錯乱していきます。そのうちに飢餓も襲って、帝国は荒廃し、あえなく壊滅してしまうのです。

 

ここに、『イナンナの真実』第1部・第17章の私の粗訳を紹介します。下記のリンクからアクセスしてください。

『イナンナの真実』第1部・第17

 

ヴォルフィー(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

 

どんなに高貴な魂でも、この地球で肉体を持つと何が起こるかわからないという典型的な事例が、大作曲家モーツァルト(1756-1791)です。モーツァルトは、(決して珍しいケースではありませんが)「生存中」には自分の出自(源)と地球への転生の目的を思い出すことはありませんでした。といっても、彼は立派に目的を果たしたし、その人生が(苦難に満ちていたとしても)失敗だったというわけではありません。『イナンナの真実』にモーツァルトを登場させ、イナンナが「本人」から聞いたと思われる話を挿入したことには深い意味があります。

 

物語の中では、グラシーのアストラル・トリップ(幽体旅行)の途中で出会ったモーツァルト(の霊)が、アメリカ北西部にあるグラシーの住居にやって来ます。もともとグラシーはモーツァルトの音楽が好きで、彼を深く尊敬していたのです。モーツァルトは、始めはグラシーの体を「借りて」ピアノを演奏してみせたりしていましたが、ある日、泥酔して路傍に倒れていた失業者エド・ロス(の魂)と交渉して、「ウォーク・イン」としてエド・ロスの肉体を持ちます。エド・ロスの元の魂は、この際エド・ロスの肉体を離れて、別の生き方を探ることに異存はなかったのです。

 

ウォーク・インは、受胎した肉体に魂が宿る通常の転生と違って、幼少時の周囲環境に魂の純粋性が害されることが少ないので、本来の覚醒状態を維持したまま地球人としての人生に入ることが出来ます。進化した魂が、地球での活動をスタートさせるのに最も便利な方式ですが、「交渉」が成り立つような適当な「相手」を見付けることが前提になります。それは例えば、(魂の選択ではなく自我・表面意識に強く支配されて)自殺しようとしている人です。そして、めでたくウォーク・インになった後は、当然「人が変わったように」なるので、周囲と同化していくことが課題となりますが、これは克服できないことではありません。いずれにせよウォーク・インは、現代の地球で決して珍しい存在ではありません。あなたの身近にも、ウォーク・インがいるかも知れません。

 

ついでながら、ここで注意するべきことを2つ挙げておきます。第1に、この世界には、突然「人が変わったように」高尚なことを言い出して、神への奉仕や幸福の実現のためなどと称して、何かと迷っている人々を「商売のタネ」にしている者が、有名・無名を問わず多数いるということです。これらは、現代社会の混迷状態に乗じた、ウォーク・インの「まがいもの」です。第2に、ウォーク・インと憑依(ひょうい)とは「似て非なるもの」です。前者は、あくまでも合意に基づく魂の「入れ替わり」ですが、後者は、本来の魂の承諾なしに、勝手に入り込んで「居候(いそうろう)」するものです。

 

さて、モーツァルトは、18世紀の自分の人生を、どう語っているでしょうか。

グラシーに「生前なぜあんなに飲んだの?」と聞かれて、モーツァルトは「淋しかったから」と答えます。さらに、次のように。

l  神童と言われ、王侯貴族にもてはやされたが、神童の意味すら知らなかった。ただ、自分が出来ることは知っていて、人に愛されることを望んでいた。

l  子供の頃は、演奏と練習がすべてだった。

l  父(レオポルド)は、厳しく仕事を課す監督者で、すべての判断を父に依存していた。

l  あらゆる事を、父が私の代わりにやったので、自分で判断して実行する力は、まったく成長しなかった。

l  父に死なれた時、それを学び始めるには手遅れだった。

l  コンサートの後はパーティーと決まっていて、私はケーキやワインを腹いっぱい詰め込み、宮廷の美しい女性たちにおぼれていった。

l  それらの巨大な宮廷は寒かったから、余計に飲むことになった。

l  年とともに、孤独が痛みになっていき、耐えられない憂鬱を感じるようななった。

l  その、決して和らぐことのない痛みは、酒でも女性たちでも癒されることはなかった。そしてついに、音楽でさえも。

l  たまに、音楽が痛みから引き離してくれ、わずかの時間、荘厳な別世界に居るように感じることがあった。そこの光から離れて孤独に戻りたくないと願ったが、音楽が終わるといつも自分のからだに戻っていて、借金のつけ、不機嫌な妻(コンスタンツェ)、そしてどうしようもない無力感に囲まれていた。

l  宮廷には、私の才能をねたむ男性の敵が少なくなかった。とうぜん私は女性の方に傾き、誘惑しては裏切ることを繰り返した。

l  そして私は、強迫観念に駆られるように、飲んではギャンブルに入れ込み、すべてを失っていった。

l  やがて私は病気になり、永くそれと苦闘することになった。

l  私が極貧者として扱われるようになると、妻は恐怖に駆られ、自分を見捨てた私を憎んだ。

l  ついに私が死んだとき、2人の男が、貧民の墓のすでに腐敗しかけている死体たちの一番上に、私の体を無雑作に投げ込んだのを覚えている。そして、分解を速めるために、私の上に石灰を撒いたのを。

l  その場に、私の死を惜しむ何百人もの友人がいるなどということはなく、借金取り以外は、かの偉大なモーツァルト、放蕩の天才を、恐るべき速さで忘れていったようだった。

 

死後のモーツァルトは、強い力にぐいぐい引かれるように移動して、突然目の前に燦然と輝く存在が立っているのを見出します。その存在は、自分をタザタと名乗り、「わたしあなただ」と告げます。そしてモーツァルトは自分が、人類の意識向上のために献身している大きいソウル・グループ(霊団)の一部で、音楽によって地球の波動に活力を吹き込むという、つまり聴く者すべての意識を向上させるような想像を絶するピュアな音楽を人類に届けるという、特別の使命を持って地球に転生したことを知らされ、また思い出します。そして、将来開発される放送システムや電子メディアによって、世界中でその音楽が聴かれるようになるだろうと知れされるのです。タザタは、その使命のために、自分の本質の一部を、地球の時間へ表出させることを志願したわけです。

 

モーツァルトの生涯を描いた『アマデウス(Amadeus)』は、クラシック音楽のファンでなくても必見の映画です。初めての人は、「世の中にこんな映画があったのか、どうしてこれまで気付かなかったのだろう」と思うことでしょう。ビデオやDVD160分ほどの大作です。

 

イナンナが語る宇宙と人類の真実(2)

 

以下は、『イナンナの真実』の第2部から、イナンナが人類に何を伝えようとしているかを、かいつまんで列挙したものです。原著のページ順に配列してあり、各項目の内容による分類・整理は行っていません。

 

l  人類を「見えない牢獄」から解放するために(情報の隠蔽と操作によって、当の人類には自分たちが閉じ込められている牢獄が見えない。そんなことになっているとは思ってもいない状況がある)

l  はるかに進化した地底の住民(暴虐や戦争などの幼稚な行動には、もはや興味がないレベルに達している)

l  教師の派遣(地表の特定地域の住民たちに、地底世界の教師たちが、倫理、天文、ヒーリング、基本的なサバイバル技術、そして農業の基本などを教えたこと)

l  最も大切な教え(地球との合一、つまり自然と一体になること)

l  すべては1つだが、両極性が分離・分裂を見せる(光と影、男性と女性、善と悪、ポジティブとネガティブなどが、私たちの世界のホログラム的現実を形作り、実際は幻覚に過ぎないものを、リアルなものと認識させる役割を果たしている)

l  他者の認識をコントロールしたり干渉したりする必要はない。単純に物事の循環に任せられる人は賢明だ。(進化のプロセスを経て、最終的にはみんな同じ場所で出会うことになるのだから、それまでは、各人がそれぞれの劇を演じるのに任せるのがよい)

l  思考が現実を創造するのなら、時間や距離は思考に過ぎない(意識を変容させて高い波動を獲得すれば、時間や距離あるいは特定の場所というものは消滅する。それを納得するには、まず「思考が現実を創る」ということを納得した方が手っ取り早い)

l  生命の起源は根本創造主の遊び場の中だったと認識(生命の起源についての最も基本的な認識)

l  からだは、ホログラムとしてのあなたの乗り物(からだは、各人の記憶と思考を、DNAを媒介にして表現したもので、あなた方の本質ではない)

l  皆さんはすべて同じソース(源)から来ている(からだを持っているために、それぞれが別々のもので独自の表現を持っているように見えるが、根源をたどると1つになる)

l  人生とは、神の心にあるあらゆる潜在的可能性を、行動として表現したもの(人生についての根源的な定義)

l  1つの司令塔からマスメディア・電子メディアを張り巡らせるという思い付き(それによって、人類を縛っているワナを強化させることができる、というアヌンナキのアイディア)

l  からだの原子の回転が加速して、細胞構造の波動が上がる(集団でのチャンティング[特殊な歌の唱和]の効果のこと)

l  教師は遅かれ早かれ暴君になる(真実がドグマになると真実であることをやめる、という経験則がある)

l  みんなが自分の真実を持つ(その探求が人生の冒険)

l  恐れが自分を加害する(最も深い意味で人生はダンスなのだ、宇宙のゲームなのだ、ということを忘れてしまい、恐れに自らを蹂躙させてしまう状況のこと)

l  人々は記憶力を失い、ますます書き物に頼る(波動の低下につれて記憶能力も低下し、本来は必要でなかった権威付けられた粘土板、パピルス、そして紙などの記録媒体に頼るようになり、権力を持つ者が自由に情報を操作できるようになった。それを、地球の考古学者・歴史学者は進化の証拠だと「サカサマに」とらえている)

l  3次元の幻想の波動で真実が覆われる(皆が自分の出自[]を忘れ、根本創造主へのつながりを失い、迷妄状態に陥ったこの世界の状況のこと)

l  偽の価値の追求(清廉より貪欲が尊ばれ、男も女もお金の追求に没頭する)

l  海生動物の免疫劣化(人類の経済優先の生き方が海洋まで汚染させ、海生動物の大量死が見られるようになった)

l  科学者たちは正常な判断が出来なかった(個人的成功、栄光そして力を求めるあまり、アヌンナキの配下の者が提示した圧倒的な先端技術に夢中になり、彼らとの取引に応じてしまった)

l  人間への干渉の許可を、人間からもらった(「要請されないかぎり干渉してはならない」という宇宙法則の抜け道をアヌンナキは見付けた。つまり、科学者たちとの取引条件に、人間のアブダクションと遺伝子実験への許可を織り込んだ)

l  信憑性を低下させる組織的な手順UFO目撃やアブダクション情報に対して、軍の中枢は大々的な隠蔽システムを構築した。それでも洩れてくる情報については、その信憑性を失わせる組織的な手順を造った)

l  どの次元の者も同時に集まることができる(時間というものは実際には存在しないのだから、どの時代の者も同時に1箇所に集まることができる。それが多次元宇宙の本当の姿だ)

l  現実と見える世界は、不可視界に浮いている(いかにリアルに見えても、深遠な現実などというものはない。現実と思っているものは、高い視点から見ると非現実だ。したがって、一過性の幻想にしがみつく理由はない)

l  人は、自分の波動が反映されたものを見る(現実として受け取るものは一様ではなく、人によってさまざまに解釈できるヴァリエーションの1つに過ぎない)

l  征服者たちは、みすぼらしく哀れな文明の廃墟を見た(アメリカ大陸にやって来たスペインの征服者[コンキスタドール]は、金より価値があるものは考えられなかった。したがって、太古の文明の偉大さを理解することが出来なかった)

l  自由に表現する個性的な魂と交流するのがずっと楽しいのに(進化した存在から見ると、どうして他者をコントロールするのかわからない)

l  シフトが来てベールが上がると、かつてのように見える(他の多様な次元世界を隠していた覆いが取れると、心のビジョンに意識を開く勇気を持つ者には、太古の人々が見たように、それらが見えるようになる)

l  意識の変容が遺伝子を癒し、潜在DNAの多くを活性化する(アルコール漬けになっていたエド・ロスのからだに、覚醒したモーツァルトが移った後の、からだの変化のこと)

l  自由意思の宇宙は次に何が起こるかわからない(それだからこそ魅力的だ)

l  地球は、人類の現実体験のために、ホログラフィックな舞台を用意した(したがって、人類の人生のダンスもホログラムなのだ)

l  脳の使っていない部分を開くことは人類次第(外からDNAをいじることは、もうしないことになったので)

l  永遠の虚空で辛抱強く待っていた偉大な存在たちが(先進情報収集器[これから生まれてくる地球の子供たち]の中に入って、新たな表現を楽しむ時が来た)

 

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