Q&A’07c・「ガイア・アセンション」シリーズ
頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(07/04) 「ぜいたく病」に浸る(続)
(07/03) いわゆる「教育問題」について
(07/03) 豊かさや成功を追求することに恐怖心や罪悪感がある
(07/03) 「ぜいたく病」に浸る
(07/03) 元素に働きかける(続)
(07/03) 元素に働きかける
(07/03) ケムトレイルが引き起こした変容
(07/03) いまNESARAをどう読むか
(07/03)「ぜいたく病」に浸る(続)
(Q) あれから、ようやく人生のなんたるかを知った気がします。
これからの人生は明るく歩めそうです。
しかし、私には心を狂わせる要素がまだ頭の中に残っています。
そのひとつは、妹を想念で殺してしまったことです。
今から3年前、私の妹は重病で入院しました。
その前々から、「妹なんていなくなればいい」なんて考え続けていたので、自分の侵した罪が怖くなりました(でも、許せないことにそれと同時にうれしかった)。
それから2年・・・・・・・・・・妹は帰らぬ人となりました。
私の罪はいっそう深くなりました。人を殺してしまったのです。
そして、今日もそのことについてどう償ったらいいかうろたえています。
どうかたすけてください。
(A) いい方向に向かっているようですね。もう大丈夫でしょう。
残る課題は、あなたの思い過ごしを捨てることだけです。
自分の生や死に対して支配力を持っているのは、「本人」だけです。
つまり死というものは、「本人」の魂のレベルの選択です。
あなたの妹さんは、立派な理由があって、「自分の死を選択した」のです。
次を参考にしてください。
Q&A'01c(01/09)「死」というものの本質
あなたが思っているように簡単に「殺人」ができるとすれば、人類は大昔に絶滅していたでしょう。
なぜなら、そのような理不尽な意図を持つ人間は、歴史上に多数存在したからです。
次も参考にしてください。
《あなたの地球での旅は、あなたの精神的遺産の一部でもあります。というのは、人の死は意識を破壊してしまうわけではなく、時間の無数のサイクルのなかであなたは引き続き学び、成長し、「いのち」の体験をするからです。
生きることの一部には、どう死ぬかということを含みます。つまり、意図的に未知の恐怖をかいくぐり、意志と意図を使って、あなたの意識を別の現実へ運び、あなたの肉体は丁重に後に残す――ということを、あなたは学ぶことができるのです。
死は、生の一部です。それは決して行き当たりばったりの行為ではなく、むしろタイムリーな合意です。あなたはあなたが思っている以上に、自分の生と死に対して力を持っているのです。(『アセンションの時代』)》
ここに言う「自分の生と死に対して力を持っている」のは、「あなた」ではなく、「亡くなったあなたの妹さん」です。
あなたには(「神」でさえも)、他者を想念で殺せるような力は(宇宙の摂理として)与えられていません。
いずれ彼女と直接交信できる時期が来るでしょうから、「若くして死を選んだ」真の理由を確かめてみるといいでしょう。
その時期を、あなたの努力によって前倒しすることもできます。
根拠のない幻想を抱えて「うじうじ」するよりも、そうした方向の努力をすることもお勧めです(あなたは妹さんに対する態度や思いについて既に十分反省しているので、あなたの認識を切り替えることさえすればカルマは終わりです)。
(07/03)いわゆる「教育問題」について
(Q) 現在ある公立高校の教師をしています。
公立ですから何年かに一度は異動があり、現任校はトップクラスとは言えないまでもそこそこの進学校であり、授業は楽しく、校風も私に合っていて、それほどのストレスはなく仕事が出来ています。
しかし今現在日本では、小学校から大学まで学校の置かれた状況は危機的に見えます。
小学校低学年からの学級崩壊、自殺が後を絶たないまで至ってしまった「いじめ」、大学生まで含めての総体的な学力の低下。
さらにニートやフリーターの増加など枚挙に暇がありません。
高校に限ってみても、中堅以下の学校の大変さは実際に身をもって経験してきたことなので、その切実さは良くわかります。
この状況をどう見るか、何によってそうなったのかの分析、どうすれば改善するかについての提言は多々あります。
が、ひょっとしてこうなったのは誰か(勿論支配者の何者か)が仕組んだからなのだ、とする見方は穿ち過ぎでしょうか?
つまり固定化された新たな階層社会を日本に作るための手段としての教育制度、個人の社会的地位の上昇の(あるいは敗れた者は下降する)ためのシステム、しかもそれは本人(と保護者)の努力によるとする価値一元化の世界、を作り出そうとするある勢力の陰謀なのではないかと。
さらに決定的に欠けているのはインディゴチルドレンという視点でしょう。
割と信頼出来る言説では、今から15から20年前に子供が変わった、といわれています。
現在の学校制度を是認する立場からすれば(もちろん私は仕事をする際はこの立場に立ってするわけですが)、生意気になり、教師の言うことを聞かなくなり、大人と対等の振る舞いをするようになった、わけです。
そしてこの時期と、変わったといわれる子供の性質は、インディゴチルドレンのそれと奇妙に符合します。
とすると、もはや日本の学校は制度疲労を起こしていて、時代にはるかに遅れてしまっているのだといえまいか。
明治以来の日本の学校制度を維持するのとは別の観点で、子供や教育を発想しないといけない事態になってしまっているのではないか、という気がします。
と私見を述べてしまいましたが、今後はどのような方向性で(たとえばシュタイナー教育のようなとか)教育を考えていかないといけないのでしょうか。
また、日々生徒と接する上でインディゴの傾向を持つ子供は沢山います。その時どんな点に留意したらよいのでしょうか。
(A)現在の教育が完璧であるとは決して思いませんが、子供たちの状態の多くは社会の反映です。
次をご覧ください。
「社会の罪」(混迷の星―宇宙から見た地球人類)
教育を問題にする前に、政治の腐敗、企業の倫理破綻、いたずらに消費を煽る行政や商品・サービスのコマーシャルのあり方、マス・メディアの姿勢など、正すべきことが山のようにあるはずです。
子供たちのことを含めて、今日のあらゆる国民的課題を正しい軌道に乗せるには、みんなが「事の真相」に気付くことが先決なのです。
そうすれば、その先の選択は自然に出てくるでしょう。
いわゆる「教育問題」は、政治の貧困に由来する国民的苦難の、氷山の一角です。
そもそも、教育を真剣に考えた上で「教育問題」が政治のテーマになったのではなく、前任者と目先が変わったことをやって見せようとして、無難な材料として選んだだけのことでしょう。
そのことは、就任早々にこれが飛び出してきたことから明らかです。
そこに至るまでに、彼が教育現場を足しげく訪ねて、子供たちの話を聞き、教師や父兄との対話を重ねて、教育について深い理解と高い理念を持っていたと思う日本人は一人もいないでしょう。
そして「教育改革」の、その先の形を整えるのに利用する「御用学者」や「御用有識者」を見付けるのは簡単なことです。
後は、文部官僚たちが、支配力強化のチャンス到来とばかり大喜びでお膳立てをするでしょう。
そして、その経過をマス・メディアが、さも重要なことのように報道する・・・。
不幸なのは子供たち、教育現場の先生たち、そして父兄や国民一般です。
もういいかげんに目を覚まして、これ以上騙されないようにしようではありませんか。それが、日本を覆っている苦難を正す唯一の道です。
問題は、教育プロパーのことではありません。
根底を正さないかぎり、あらゆる国民生活のフロントで、似たような事が現に起きており、今後も起り続けるでしょう。
一方、インディゴの子供たちについては、彼らが、平均的な地球人の大人より遥かに進化した魂の持ち主であることを認識することが大前提です。
この殺伐とした地球へ、あえて来てくれたことに感謝し、敬意を表しましょう。それは、彼らの多くが、いま現在は自分自身の出自や目的についての認識がなく、大変混乱した状態にあるとしても同じことです。
潜在的な素質や傾向は、様々な局面で既に十分発現されているはずだし、いずれは私たちの社会が宇宙社会の一員になるプロセスで重要な牽引力になってくれるはずです。
そこで、インディゴとの付き合い方としては、師弟や親子の枠をはずして、対等な大人として遇することが大切です。
彼らを指導したり教え込むというスタンスを手放して、彼らの話を聞き行動を理解するように努めれば、彼らから学ぶことがたくさんあるはずです。
(07/03)豊かさや成功を追求することに恐怖心や罪悪感がある
(Q) はじめてメールいたします。
私はここ5,6年くらいずっと、いわゆる精神世界や成功法則関係にはまっていました。
書籍を読み漁り、ネットのサイトを徘徊し、セミナーやリーディングを受けたりもしました。
そして陰謀論などにも興味が出てくるのとほぼ同時期に、貴HPと『アセンションの時代』を知り、本当に知っておくべき価値のある情報はそう多くはない、と感じて一時の熱もさめつつあります。
テレビや新聞を見る時間は最小限に抑え、ネットサーフィンもほとんどやめて雑多な波動の情報に身をさらさないようにし、出来るだけゆったりした時間を過ごすように心掛けています。
また自分の体に対するケアを、ないがしろにしないようにしようと思っています。
それは、このHPの情報ほどのパースペクティブでヒト、ココロ、神、宇宙、愛、……歴史や地球外生命体や支配構造やらを含めたまあ“存在のすべて”に迫っているものはほとんど見当たらないのでは、と感じられたからです。
対象の広さと視点の的確さで、他に比肩し得るものはまず見当たらないでしょう。
サイトのほぼすべてのページと書籍『アセンションの時代』を丁寧に読み、内容を消化しているところす。
さていくつか質問があるのですが、お答え頂けると有難いです。
ひとつめは「どうしたら自分の中の恐れの感情を消し去ることができるのか」です。
その恐れとは、「なりたいと表層意識で思っている自分は、本当の魂の求める自分なのだろうか」という恐れと、「成功することや幸福になることに対する恐れ」です。
そもそも精神世界に足を踏み入れたのは学生時代から、人はどのように生きるべきなのだろうか?といったことを考え、問題意識として持っていたことと、仕事を続けていながらも、そしてやり甲斐や意義を感じつつも、どこかでこれが本当に自分が求めている仕事、人生なのだろうか?という思いを拭い去ることが出来なかったからです。
そしてバシャールの言う“ワクワク”=exitingやソースの方法やかなり信頼出来ると思われる複数の個人リーディングの結果や時にはペンジュラムを用いたりして、一応何となく見えてはきました。(勿論これらは手段であって最終的には自分の中の“感じ”を拠り所としています) が、一歩を踏み出すことが何か怖い。
人生も中盤となった今、本気で求めるものへと向かって進みたいのだけれど、それが魂のレベルで見たときに間違った方向へ行ってしまうのではないか、という恐れがあるようなのです。
後者も根っこは同じかもしれません。
「思考が現実を創っている」というシンプルな原則は全く疑うこと無しに腑に落ちます。
世の中に流布しているイメージングやアファメーションやらの成功法則や、アバターのような方法論は結局この原則を実践するためのスキルなのだと理解出来ます。
実際にその幾つかを試したりして欲しいものを手に入れたり、希望を叶えたりもしました。
ですから、明確な意図と、場合によってはしかるべき方法をもってすれば、願望は叶うということ(現実は個人的にも集合的にも現在までの思いの集積)はわかります。
ただそれらは人生を変えるような質のものではなく、あくまで今まで歩んできた路線の範囲内でのことでした。
今現在直感的に、自分が人生の転換点にいるような気がしてならないのですが、求めるものになろうとしたときに、どこかで「何かが望み通りになるかわりに別の予期せぬ不幸がきっとある」「あんたが思いを叶えるとそのことで厭な思いをする人がいるよ」「成功したらその陰で何倍もの失敗者を生んでいる」「地球上には飢えて死んでゆく人が何万人もいるのにあんただけが豊かになって良いの?」「そもそも自分だけが成功や豊かさや幸せを手に入れてよいの?世界は幾多の不幸で満ちているのに」という声がずっと聞こえています。
それで何かこう次の一歩を踏み出すことが出来ません。
成功とか豊かさとか幸福といっても、そんなに大それたことを望んでいる訳ではないのですが、なんだかアクセルを踏もうにもそれと反比例してサイドブレーキがしっかり引かれているような状態で、すごく葛藤があります。
今の自分は、ものすごく辛いとか苦しいとか不幸な状況にあるわけではありません。その意味では幸せであるといえるでしょう。
でも求めたいもの、なりたい自分が、はっきりしないまでも何かある。
単に不幸せではないこと=幸福なんだろうか?もっと幸せになりたい。
しかしそれをはっきりさせようとしたり、目指そうとするとまさに上記のような声が聞こえてきてしまいます。
つまり幸せになることへの罪悪感でしょうか。
過去生の何らかの影響かな、とか豊かさや成功を手にした他人に対する嫉妬や、ああいうことで喜ぶのは恥ずかしい、といった価値付けがあるのかな、との“解釈”は可能ですが、そうした葛藤があるのをどうすることも出来ません。
(A) あなたは、真実についての誤解と迷妄に満ちたこの世界のあり方から一歩離れて、新しい境地を獲得するためには避けることができない、いわば「魂の遍歴」をされたようですね。
その投資は、決して無駄にはならないと思います。
そこであなたのご質問ですが、せっかく新しい価値基準を追求しながら、論理的思考を展開する段になると、古い価値基準に引きずられて「観念の遊戯」に嵌ってしまったようにみえます。
「恐怖心」という問題があるわけではなく、単に事の本質についての誤解があるだけのようです。
つまり、「豊かさ」や「幸せ」を明確に定義しないまま、暗に物質的に贅沢な生活を「豊かさ」の頂点に置いて物事を考えているようにみえます。
お気付きと思いますが、物質的な状態がどうであっても、自然に則した平和的な生き方の中に、最高の豊かさがあるのではないでしょうか。
物質的な満足を至高のものとして追求すると、結局は身体も精神も持たなくなるものです。それが、現代のアメリカ社会に典型的に現れている状況です。
心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病そして乳癌などの要因になる過度の肥満、つまりBMI(Body Mass Index:体重[kg]を身長[m]の2乗で割った値)が30を超えている人は、アメリカでは30%います(日本では3%しかいません)。
そんな姿を、あなたは求めているわけではないでしょう。
BMIや、1人当り炭酸ガス排出量の比較的好ましいデータが示すような、平均的な日本人の生活水準を維持しながら、地球や地球の生き物への配慮を忘れずに、心の豊かさを追求するのであれば、何の引け目も感じる必要はないでしょう。
「成功する」ということに関しても同様で、最も多くの人に奉仕できる自己犠牲的なあり方が、最も成功した状態と言えるのではないでしょうか。
それを追求する過程で、「敗者(失敗者)」を生んで害を与える懸念などは事実上ありえないでしょう。
以上に関連して補足すれば、100点満点の生き方など誰もできないし、それに価値があるわけではありません。
ボロを出さないことに得点が付くわけではなく、体験を通じて色々ボロを出しながら、その過程から学んでいくことに価値があります。
そこから得られる知恵は、宇宙のすべての存在が共有できるものです。
心配ばかり先立って、結局何も行動しないことは最悪です。
(07/03)「ぜいたく病」に浸る
(Q) 私は高校一年生。青春とうつ病の真っ只中です。
通っている高校で不祥事をおこして只今、自宅待機を言い渡されました。
おかげで人生無明の真っ暗です。
欲張らないから、高校卒業の学歴が欲しいのですが、どうしたらいいでしょうか。
そもそも、こんなことになったのは学校で自殺未遂をおこしたからであります。
その当時、私は学校に蔓延る愚民どもが気に食わず、いつも不満な気分で学校生活を続けていました。
本気で死にたいと思っていました。
皆、死ねばいいとも思っていました。
とにかく、高校生というのは酷い職業です。
部活や勉強をして面白おかしくドンチャンやってりゃ All Ok ですから。明らかに、鬱の人間の来るところではありません。
下品な事を喋るわ、やけに私をからかうわ、思い出すだけで、鶏一匹絞め殺せるほど腹が立ちます。
鬱が直らなかったら自殺するつもりです(というより、あいつらが死ねばいい)。
高校でさえも卒業できない人間なんて一銭の価値もありません。
学校がイヤで通う気がなくなるのなら、社会に出ても働きたくなくなると思います。
(A) 拝見しました。
社会が教え、世間が曲がりなりにも敷いたレールの上を歩まなければならないと思うから窮屈になっているようです。
レール自体が無いとしたらどうしますか? どのみち今のレールは、既にまともに機能しなくなっているし、「廃線」になるのは時間の問題です。
中学卒、高校卒、大学卒そして大学院卒の違いによって、人間の本質的な違いが決まるわけではないし、そんなものを誰も評価しなくなる時代は目前に迫っています。
一方、他者に対する姿勢については、「今、愛なら何をするだろう?」という言葉もあるので参考にしてください。
(Q)返事を下さってどうもありがとうございました。
今後の人生の指針にしたいと思います。
さて、鬱病のことですが。
受験の終わったころから精神科に通い、精神安定剤を飲んできました。今もまだ飲み続けています。
受験の頃はひどいもので、毎日毎日「死にたい」という思いが心を埋め尽くしていました。
あの頃を思い出すたびに「生まれてこなきゃよかった」と、たびたび思い出してしまいます。
全部、親と他人と自分のせいだ。
親なんか心から嫌い。大嫌い。
みんな嫌い。大嫌い。みんな死ねばいい。
自分なんか嫌い。大嫌い。いますぐ死ぬべきだ。
あと、過去の数々のトラウマも鬱を深刻化させる原因になっていて、一向に完治の明を見出せません。
さらには、生きていくことがストレスで、毎日のように「死にたい」と思ってしまいます。
どうか、この病みに病みきった心を救ってください。
癒せないトラウマを癒してください。
わが救い主様(自分で自分を救うものだとわかっていても他人を求めずにはいられない。構ってほしい。心から淋しい。
自分だけ罪や苦しみを背負うのはいや。自分はモーセやヨシュア、ヨハネみたいに重い使命を持っていないというのに。
どうして苦しまなければならないのですか。普通の人生を送らせてください。神よ。
神なんて嫌い。大嫌い。無責任なくせに偉そうなことをいう)。
P.S
よく聞いている音楽は「Komm, susser
Tod」。
不安なの
不安なの
みんなに嫌われる、怖い
自分が傷つくのが、怖い
でも、ヒトを傷つけるのが、もっと怖い
でも、傷つけてしまう
好きなヒトを傷つけてしまう。
だから、ヒトを好きにならない
だから、自分を傷つけるの
嫌いだから
だいッ嫌いだから
(中略)
私は壊れるしかない
無へとかえるしかない
無へとかえろう
無へとかえろう
それは、優しさに満ち満ちたところ
そこは真実の痛みのないところ
心の揺らぎのないところ
無へとかえろう
無へとかえろう
他人のいない無へとかえろう
無へとかえろう
無へとかえろう
傷つく事のない無へとかえろう・・・(リピート)
(日本語原詩より引用)
最近、ユダヤ神秘主義「カバラ」に凝っているのですが、生命の樹と死の樹の関係に悩んでいます。
(中略)
もし現代の多くの人々が生命の樹と逆の方向へと行っているのなら、その人たちは同じ波動レベルの世界にとどまり、もっと下の波動レベルへと落ち、いざ、2012年。でも上の世界に上がるにはもうおそい。ということにはなりませんか?
それだとしたら、アセンションは成り立たないのではないのでしょうか。
ぜひともカバラと生命の樹について詳しく教えてください。
よろしくお願いいたします。
独り言
本当に悪魔が存在していないとは思えません。
きっと天使も悪魔もちゃんと存在しているとしか思えません。
日月神示でも、昔の文献をよんでも確かに存在してる気がして、毎日が恐れで埋まって穏やかに暮らせません。
(A) かなり重症の被害意識に囚われているようですね。
どんな状況であっても、自分の現実は自分が創っている(創ることができる天賦の力を持っている)というのは宇宙の絶対的な真理なので、それを認めることが人生を好循環に持っていくための出発点です。
それに付随して、自分が創った現実に対する責任を認める(確かに自分が創ったものだと認知する)ことも欠かすことができません。
心の奥底に被害者意識や自分に対するネガティブな評価があると、あらゆる出来事を「被害者」として色付けすることになります。
つまり、出来事を多面的に解釈したり、より大きな観点から解釈することができなくて、一方的な被害者という狭い認識枠に閉じ込めることになるのです。
《日々いかなる状況に遭遇した時も、あなたはその出来事に自分の見解を投影させて、自分の信念に適うように色づけしているのです。あなたは、どんな時でも現実を解釈しています。(『アセンションの時代』)》
《あなたが何を創り出しているとしても、あなたの信じていることが、あなたのすべての体験の基盤を形作っています。あなたは、自分が触れ合ったり現実を組み立てるのに使ったりしているエネルギーに刻印することができる、あなたの能力を自覚する必要があります。(同)》
ここに言う「信念」や「信じていること」は、「思い込み」とほとんど同義です。
したがって、あなたが抱いている被害者意識を、それが因ってきた個々のケースについて冷静に再評価することをお勧めします。
《何かを人のせいにして怒っている時には、そこに被害者意識があり、これは大体において自分が決定したことに責任を取っていなかったり、個人的あるいは世界的領域のどちらであっても、出来事や事象の多層からなる目的や意味を理解できないでいることの反映です。怒りは行き詰まりを感じた時に誘発されることが多く、起きていることに対して一通りの解釈しかできずに自分を限定しているのです。
あなたが自分の人生の創造者としての責任を否定するときの、背後にある思考や姿勢を少し時間をかけて調べてみてください。
あなたはいつ、どこで、どういうふうに被害者なのでしょうか。自分の境遇を他人や何者かのせいにして、それが正当だと弁護できるのは人生のどういった分野においてでしょうか。いったい誰が、どんなことをあなたにしたのでしょうか。誰があなたに害を及ぼしたのでしょうか。誰があなたを辱めたのでしょうか。それは現世のことでしょうか。別の転生においてでしょうか。
人生は過酷で、不公平で、困難で、残酷だという信念。また人生に答えはなく、自分ではどうしようもなく、満ち足りることもないという信念。さらに人生はいつだって他の誰かが悪いのだという思い込み。そうした信念のほとんどは、その根底に煮えくり返るような怒りの存在があり、それがついには病気をつくることになるのです。これらはあなたを制限する信念や思い込みのわずかな例にすぎませんが、すべてあなたを多次元宇宙の神秘に結びつける生命力エネルギーの流れを閉鎖するものです。(同)》
それでも、「こんな現実を自分が創った覚えは絶対にない」という思いがあるかもしれません。
そのような、顕在意識で認めることに強い抵抗があるケースとしては、カルマ的な因縁や、あなたに必要な体験を魂のレベルで引き起こしている場合があります。
カルマ的な因縁の典型は、あなたが前世で加害者だったケースです。今生では、同じ因縁を持つ魂たちが立場を替えてゲームをやっているわけです。
個別のケースについて、そうした因果関係を明確には解明できなくても、「負の連鎖」を断ち切る簡単な方法があります。
それは、あなたの被害意識の基になっている、すべての対象や出来事を「ゆるす」ことです。
《大いなる勝利を手にするには、物事を決めつけることなく、人生のより壮大な意味を見出して被害者意識を手放すことです。手放すという行為の究極に、ゆるしがあります。ゆるしは、終わりのない罪悪感と非難の閉鎖回路から、あなたを解き放ってくれます。(同)》
ここでの「罪悪感」は主に加害者の立場、そして「非難」は主に被害者の立場です。
カルマ的因縁では、転生のたびに立場を替えて同じ当事者たち(魂たち)が、このゲームを延々と繰り返すわけです。それが、「閉鎖回路」の意味です。
それを、あなたが今生で断ち切り、すべてを癒すことができるのです。例えば次のように。
「私は、私のアセンションの目標に寄与しない全てのカルマを、どんな事どんな人との関係であっても、いま解き放ちます。」
あなたの現状は、狭くて一面的な自己判断をベースにした、いわば「ぜいたく病」に浸っていることを自覚することが大切です。
これは、現代の文明国の比較的恵まれた家庭で、典型的に見られるものです。
仮にあなたの境遇として、お母さんが病弱で、幼い妹や弟たちの面倒もみなければならないとしたらどうでしょうか。
あるいは、どこかの途上国に生まれていて、大人も子供も家族全員が身を粉にして働いて、ようやく毎日を食い繋いでいける状態だとしたら。
もしそうだとしたら、「暗い心を詠んだ詩」を愛好したり、「ユダヤの秘密主義カバラ」に興味を抱いたりする余裕はとてもないでしょう。
また、あなたの想念が、あなたの周辺に与えている影響についても承知しておくといいでしょう。
《身体、思考、感情といったそれぞれのレベルのストレスが、あなたを好ましくない方向へと押しやってしまうことはご承知の通りですが、あなたの個人レベルのストレス要因が、強力で不調和な波動を周囲の土地にも送りつけているという事実も、しっかり考慮する必要があります。(同)》
《あなたが毎日何を選択するかは、あなたの幸福にとって極めて重要ですが、それと同様に重要なことは、あなたの思いが、単に三次元物質世界でのあなたのコースと方向を定めるだけでなく、他の多数の次元の現実にも波紋を広げるということです。(同)》
もう一つ大切な認識は、あなたは、決して快適とは言えないこの地球の状況を十分に承知の上で、そこでの実体験を求めてやって来ているという事実です。
《あなたは、この世に誕生して三次元の人生を始める前に、地球での生活を決める多様な変化要因をあらかじめ検分する能力を持っていまました。特定の精神的風土のなかで、あなた自身の計画や目的や意図がもたらす局面を概観することができたのです。
この結果、あなたは自分の誕生の瞬間と時代を選び、遺伝的血統を選んだのです。その血統には、祖先たちの人生でのたくさんの学びに基づく、さまざまな観点からの刻印が豊富に詰まっています。
そして、現世でのあなたは、あなたのプランを忘れて、人生ゲームでのあなたのバージョンをより効果的に演じています。あなたという独自性に満ちた、みずから選んだ道を探索し、体験するプロセスに完全に従事しているのです。あなたの人世のコースは、あなたを絶えず困難に直面させたり鼓舞したりしていますが、それはあなたの能力を発達させるという大切な目的を持った旅だからです。あなたは、みずからの生物学的身体を働かせる方法を学びながら、実際は万物の本質について学んでいるのです。(同)》
《あなたは、地球という惑星で「大いなる精神的覚醒」を起こしている人類を含めた「意識を持つ存在たち」の役割に対して、あなたならではの独自の観点から貢献するために、いまこの時期、この場所にいることを選んだのです。(同)》
そこで、以上の認識に立って、次の全部または一部を、あなたの当面の課題として取り組むことをお勧めします。
1.家庭内の仕事を分担する。例えば、掃除や洗濯あるいは家計の管理の責任を持つ。
2.安全でリーズナブルな価格の食材や食品の入手方法を研究して、実際に調達を担当する。
3.これだけは誰にも負けないという料理のレシピをマスターして、食卓に載せる。その数を、順次増やしていく。
4.自宅の庭やベランダで植物を育てる。
5.放送大学の適当な科目をいくつか選んで勉強する。近くに「学習センター」がなければ、放送を受信して学ぶ(教科書は市販されている)。
6.地元自治体の公民館などが主催している勉強会やスポーツまたは趣味のサークルから適当なものを選んで参加する。
7.YMCAなどのコースに参加して英語を磨く。または、ラジオ講座などで他の外国語を勉強する。
8.地元で活発に活動しているNPOから適当なものを選んで、労力を提供する(役所で紹介してもらう)。
9.適当な店などを選んで、パートやアルバイトをする。
10.近くに自然の豊かな場所を見つけて、折に触れ出掛ける。
11.安全なコースを選んでサイクリングをする。
12.旅に出る。
http://www21.0038.net/~gaia-as1/qa06g.html#escape(参考)
この場合、気の向くままに、あちこちと渡り歩いてもかまいませんが、1つひとつの体験を決して否定的に評価しないことが大切です。
プロセスを含めて、すべての体験が実際に貴重なものだからです。
このようにして、あなたの「地球生活」にある程度自信が持てるようになったら、復学を申し出ることも選択肢として否定する必要はありませんが、そのことはもはや本質ではありません。
どの道すべての人が、遠からず、「事の途中で」これまでのレールから切り離されて、予想だにしなかった新しい現実に踏み込むことになるからです。
そこで、いま現在の心構えとして、持つべきことは次のようなことです。
《自分が生きるに値する人生について、考えたり感じたりしてみてください。見晴らしのよい別の地点から今の時代を振り返った時、現世でのあなたの人生のどこに注目が集まるでしょうか。今この転生でのあなたの性格を二千年後の未来から、あなたはどのように見るでしょうか。時間のラインに沿った癒しに、どのようなあなたの貢献が見えるでしょうか。(同)》
《あなたの務めは、特に自分の身体に関して自分自身をはぐくみ、ポジティブで生き方を高める姿勢を発達させることです。あなたは自分の人生に責任を持たなければなりません。そして今という時の一瞬一瞬が、豊かさと繁栄のなかで活躍しているあなたの未来と現在とを結びつけて、限りない潜在的な可能性を提供していることに気づいてください。(同)》
ここに言う「今の時代を振り返った時」や「豊かさと繁栄のなかで活躍しているあなたの未来」は、何千年何百年も先のことではなく、実際には、せいぜい10年先のことになるでしょう。
それほど貴重な時々刻々を、いま私たちが歩んでいることを忘れないようにしましょう。
(07/03)元素に働きかける(続)
(Q) はじめまして。
Q&Aで元素に話しかけた方のお話があり、今日とてもシンクロしてたので、どうしてもメールを送りたくなりました。
数年前から小松様のページで学ばせていただいています。
パリで勉強を続けながら演奏家として活動しているものです。まだほとんど学生ですけど。
パリでもケムトレイル結構見かけます。
自らが空気清浄機になるというメッセージに私もとても共感して、元気づけられました。
私は回りを浄化します。私の周りは安全です。
とか、色々言ってみたりイメージしてみたりしています。
体に悪い空気を吸っても、その害を受けない決意をして、さらに良いものに変換する意図を持つというのは自分自身の安心感を大きくするし、実際に効果があるのですね。
そして、ちょうど私もケムトレイルの散布物たちに、
「あなた方の本質は光です。
だから、あなた方を撒こうとしている人たちの意図に従う必要はないので、どうか私たちに、すべての生き物に、影響のない形で自らを変容させて調和をもたらす存在になってください。
私は、あなた方の変容を助けられるように愛を送ります。」
などと、心の中で話しかけたりするようになっていました。
やっぱり私もケムトレイルを見かける回数が減りました。
今日の雨の後の青空には全くなくて不思議でした。
安心感と更なる手口が隠されているのでは?という疑問とが湧いて来たので、彼らは別の手口でまた何も知らない人々に害を与えようとするかもしれません。
でも、そんなものに害されず、私の周りは安全です。と強く意図しました。
今、どのぐらいなら私は自分の領域は安全ですと言い切れるか・・・というととても狭いです。
自分自身の周りや持ち物、親しい間柄の人たちに限られる気がします。
でも少しずつ広げて行けば、地球サイズになって・・・
そういう意図を持って生きている人がきっと他にも居るから、みんなの安全圏が重なりあって、もっと良くなって行くかな〜と想像していました。
そしたら、元素のお話を書いていらっしゃったのでとても嬉しくなりました。
私も少しずつ自分の領域の波動レベルアップを強力にして範囲を広げて行きたいです。
それを演奏している時に、より強力に行えるようになりたいといつも思っています。
(A) パリでもケムトレイルが日常のことになっているのですね。
最近分かったことですが、旅行会社などによって毎月大量に発行される海外旅行のパンフは、ケムトレイル写真の「宝庫」になっているようです。
例えば、北イタリア・リビエラ海岸のポルトフィーノやエジプト・アブシンベル神殿の写真です(ドイツの友人が送ってくれたカレンダーにも、ホーヘンシュバンガウ城の上空にケムトレイルが写っていました)。
NATOをはじめ各種の安全保障条約によって、米軍は隠れ蓑を確保し、各国は「安全」を配給してもらう仕掛けになっているのでしょう。
こちらでも、散布パターンやトレイルが消えていく速度などを様々に操作して「ケムに巻き」ながら散布を続けているようですが、今では「ご苦労さん」という感じです。
ケムトレイルについての正しい認識が多数の市民に浸透して、あなたがおっしゃるように、「体に悪い空気を吸っても、その害を受けない決意をして、さらに良いものに変換する意図を持つ」人が増え、
またケムトレイルの散布物たちに対して「あなた方の本質は光です。だから、あなた方を撒こうとしている人たちの意図に従う必要はないので、どうか私たちに、すべての生き物に、影響のない形で自らを変容させて調和をもたらす存在になってください。私は、あなた方の変容を助けられるように愛を送ります」などと話し掛ける人が増えてくると、その影響は、実際にケムトレイルの効果がなくなるだけに止まらないでしょう。
つまり、ケムトレイルが恐怖や怒りの対象でなくなれば、一事が万事で、人々の恐怖心をベースにした「彼ら」の支配構造そのものが、急速に萎えしぼんでいくでしょう。
同時に、「みんなの安全圏が重なりあって、もっと良くなって行く」ことも間違いないでしょう。
【関連】旅行パンフに現れたケムトレイル(ケムトレイル・フォトギャラリー07)
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(07/03)元素に働きかける
(Q) はじめまして。
ケムのことをはじめ知ったのは、Pさんのブログでした。
そこで、小松さんのHPを知りました。
その中に、汚れた大気を自分が吸ってフィルターとなり浄化する人がいることを知って、私は、胸が震えて涙がとまらなかった。
私のブログの全文を小松さんにも知っていてほしいので、メールする事にしました。
****【3月2日の日記】****
2月19日の夜、ケムの無害化を元素に働きかける設定をしました。
前は、見える空にだけしてたんですが、
19日は、あまりにもヒドく、デパート屋上へ出向き空を見渡しました。
涙がでた。。
そして、心に怒りを覚えました。
でも、その怒りも一時間と保ちませんでした。
ケム撒きの飛行士の心の声をきいてしまったんです。
スマナイ‥ モウシワケナイ‥
子供が、家族が、自分も生きていけないんだ‥
すまない‥
彼の心は泣いていました、苦悩していました、葛藤していました。
そうだったんだぁ‥
私は、そんな彼をとても愛おしく思った
彼もまた神聖な魂を宿す存在。
ありがとう、ありがとう
愛しています、愛しています
何度も何度も、そう彼に語りかけました。
やがて彼が、私の思いに包まれているのを感じました。
そして、夜
家中の明かりを消して、小さなキャンドルを灯し、お風呂に入りました。
生まれたままの姿でお湯につかり、瞑想〜
お風呂は、ものが少ないので、キャンドルの小さな明かりで元素がよく見える。
両手で元素と遊んだり、キスしたり(笑)感謝したりして、とてもリラックスした時間を楽しみました。
そして、地球大気のケムの無害化を設定しました。
翌日、空を見上げた
そこには、ケムがあった。
神様の声がきこえた。
ただ信じていればいい‥と
うん、そう心でつぶやいた。
しばらくして、また空を見上げた
そこには、もうケムはなかった。
よかった‥そう思った時、自分が13番目に設定をしたと知りました。
軍隊に、ケム撒きを命じた存在に心でこういった。
もう無駄ですよ、いくらやっても無駄です
大気を調べなさい、と。彼は、私の声にハッとしたのを心でとらえた。
また、全ては繋がっている証明を私は知ることになった。
次は、あなたの番ですよ!
近頃、体が軽〜い!
大気もクリアーで気持ちいい♪
カルマは、愛でしかとけないんもんね。
私にとって、これをここに書くのに、とてつもなく勇気がいりました。
こわくて、こわくて、何度も書いては消しました。
結構、びびりっ子なんです。
でも、書いちゃいました。
****【引用終わり】****
軍にケム撒きを命じた、おじさんが、紺色のようなジャケットを着てオフィスで椅子に腰掛けデスクで書類か何か見てた。
全体が薄ぼんやりだったので顔はわからない。
心で最後に、大気を調べなさい、といったときにパッと映像が見え、彼も私を見たので、たぶん幽霊か何かに見えたかもしれない。(笑)
真我は無敵の怖いもの知らずだと、よくわかった。
今後の空や、彼らの動きも気になります。
私は、ただ信じています、ケムを無害化する元素の働きを。
(A) タイミングいいレポートをありがとうございます。
あなたの、「私にとって、これをここに書くのに、とてつもなく勇気がいりました。こわくて、こわくて、何度も書いては消しました。結構、びびりっ子なんです。」という文章には、実感がこもっています。
しかし、本当にビビッているのは「彼ら」の方でしょう。
「彼ら」の現状は、人類への支配力を失うまいとする「悪あがき」の最終局面で、アセンション時局’07a(07/02)「時代の真実」に書いた通りの状況でしょう。
《「逃亡先」の探索は、今や「彼ら」の火急のテーマでしょう。
しかし、「彼ら」が既に保有していると言われる宇宙船で地球を脱出したところで、宇宙を放浪して命脈が尽きる以上のことは出来ないでしょう。
みんなで、哀れな彼らに愛を送って、地球にとどまって一緒に新しい世界を創るように誘ってあげようではありませんか。
そして、新しい世界を創る責任は、あくまでも私たち地球人類が負っていることを忘れないようにしましょう。》
ここに言う「彼ら」には、前線の兵士たちはもちろん該当せず、関連する様々な組織の上層部一握りの連中しか含まれません。
アフガニスタンやイラクでもそうですが、徴兵制のないアメリカの志願兵の多くは、「格差社会」アメリカでの貧しい家庭の若者たちで、生活のしがらみを考えれば、命令に従う以外の選択肢が持てる状態ではないでしょう。
けれども遠からず、そうした組織の中の勇気ある人々による「下克上」が、表舞台に登場するのを目の当たりにする時が来るでしょう。それは、アメリカだけにとどまらないでしょう。
これが、人類の問題を、(「神」や「宇宙人」によってでなく)主体的には人類自身の手によって、平和的に解決するプロセスになるでしょう。
一方、あなたの「ケムの無害化を元素に働きかける設定」というのは、なかなかユニークでいいと思います。
私たちは誰もが「驚異的な力を持つ創造者」だから、そのことを信じさえすれば、地球と人類に寄与する多様な取り組みが出来るというヒントになります。
(Q) お返事ありがとうございます。
元素に働きかけるには、自分の心を愛と喜びで満たし、不安や恐れ怒りなど、一点の曇りもない状態でないと元素の働きが荒かったり不安定になります。
これは、とても重要です。
それから、私の領域を広げるのに、小松さんの紹介されていたものをヒントにアレンジして唱えてます。
「私のアセンションに寄与しない存在は、私の領域から立ち去りなさい!」
すると、体のコリがなくなって、体が楽になりました。
生き霊とか何かが離れた感じがしたので、閃きました。
「私のアセンションに寄与しない存在は、私の領域から立ち去りなさい!」
「私の領域は、この住まいです!」
すると、家の空気が何だか気持ちいいんです。
それで、私の領域を直径50メートル、500メートル、日本と広げていきました。
2月には、「私の領域は地球です!」と宣言するようになりました。
何だか、私の体も地球も軽くなった感じがしたんです。
これと同じように、ケムの無害化を元素に働きかける範囲を広げてゆきました。
私が見渡す限り、ケムはもう無いです。
鳥や蝶々の飛び方も軽くなりました。
大気も澄んで美味しいです。
今は、もう空をみて幸せいっぱいです♪
鳥さんも、以前のように私を呼ばなくなりました。
「外に出て、太陽を見て」といわれ、太陽瞑想をし、私が太陽と繋がったら、どこかへ飛んでいくんです。
自然は偉大なマスターだ!
と思います。
(A) ケム無害化は、地球と人類への大きい貢献です。
そしてあなたは、あなたが住まう波動域を上げることに成功されたようですね。
人類が65億人いれば、それぞれ独自の波動域が65億あって、かなりの部分は重なっていますが、そうでない部分もあります。
《あなたが創る現実は、たとえ同じ街路に住んでいるとしても、あなたの隣人とは同じでないかもしれません。現実はトリッキーなもので、それを創ることも同様です。そして力は、もっともトリッキーなものです。そして、友よ、力を避けることはできないのです。あなたと力は万物の一部であり、あなたは力そのものです。(『アセンションの時代』)》
今回のような「マス・アセンション」では、各人が自分の波動域を上げていき、やがてそれらを融合して統一的な場を創ることになるので、あなたのやり方は大いに参考になると思います。
残念ながらこの世界では、メディアの世界にドップリ浸って、(それと知らずに)その背後にいる「彼ら」の操縦に身を預けている人が多数を占めています。
実生活では、そうした人たちとも折り合いをつけながら前進しなければならないという難しさがあります。
しかしこの状況は、人類の「大いなる目覚め」によって、がらりと変わるでしょう。
そして今年が、人類の歴史に残るその年になるでしょう。
(07/03)ケムトレイルが引き起こした変容
(Q) 驚くべき反響ですね。
Q&A拝見しております。本当に驚くべき変化です。
ケムトレイルを契機に与えられた(思い出した)「実は、自分が全知全能である」というメッセージは、多くの方々に変容を引き起こしてくれたようですね。
私自身も、自分が全知全能完全無欠であり、「歩く空気清浄機」になれる(望めば何にでもなれる!)ことを教えてもらってからというもの、全く別人のようになってしまいました。
外見はともあれ、内側ではまさに驚愕の自己変容が進行中といった感じです。
面白いことに、ケムトレイルと同じように、私のこの内なる変化に気づく人は誰もいませんが、しかし、この変化は劇的です。
おそらく多くの方も同じなんだろうなと察します。
特別に何をしなくても、次第に「内なる変化」の波が遍く広がっていくところを想像すると面白いですね。
宇宙の不思議、生命の不思議に心動かされます。
この慌しい世間の中では、「何かをする」よりもむしろ「何もしない」ことのほうがずっと価値があると最近強く思います。
メッセージにあったように、「自己犠牲のすばらしさ」を深くかみしめ、誰にも気づかれぬように、少しづつ実践するほどに、言葉にならない高揚した飛翔感、幸福感に打ちのめされます。
一体、今までの自己保全はなんだったのか・・。
自己保全のつもりの努力の数々は、結局何の保全にもなっていなかった・・。
自己保全は魂を萎えさせる。
自己犠牲は魂を奮い立たせる
ケムトレイルは、肉体と自己を同一視する人にとっては、まさに緊急かつ深刻な問題でしょう。
今すぐにでも大騒ぎして、なんとしてもケムトレイル散布を中止させなければなりません!
そうしなければ私達皆が猛毒を吸って大変なことになってしまう!
この不安は至極当然ですね。なにしろ、この肉体がすべて、なのですから。
あるいは、それは直視するにはあまりにも恐ろしいことだから、そういう「怪しげなこと」は一切起きていないことにして、心を閉ざし続けるしかないのでしょう。
それにしても、これらの選択肢は苦しいですね。
一方、自分は肉体ではない、もっと大きくて広くて、限りない果てしない生命そのものだ、と信じて疑わない人にとっては、自分を拡大解釈する絶好の機会となるのでしょう。
散布したければどうぞご自由に。私が全部吸い込んでしまうので無駄だとは思いますが・・、と悠然と構えていられます。
なぜなら、完全にケムトレイルも散布機も兵士たちもそれらを指揮する闇の権力者たちも、私の無数のポケットの内のひとつに隠されている、大事な大事なお人形にすぎないからです。
もし私が全知全能であるならば、自分の可愛らしい操り人形に操られるわけがありません。
結局、私が、すべてを創り出したのだから、当然にすべての責任は私にあったのでした。
これだけでも驚くべきことですが、さらに驚くべきは、これが、地球上に存在する65億人以上のひとりひとりの真実である、ということです。
65億の宇宙がこの小さな星に互いに重なり合っている!
なんということでしょう! なんという発想でしょう!
私たちは、各自、それぞれの特有の宇宙を無数に創造してきた根本創造主だったのでした。
もう一度言わせてください・・。なんということでしょう! なんという発想でしょう!
(A) 大筋として、なかなかユニークな捉え方で、間もなく人類が手にする共通認識に近い「新発見」だと思います。
実際には、既に知っていたことを「思い出した」ということでしょうが・・・。
人類の「内側」での驚異的な変化の進行は、私たちの目には見えなくても、宇宙からは明々白々に見えているようです。
《異なる次元から来ている存在たちが、なぜこれほどまでに、あなた方の世界に注目しているのかには大きな理由があります。また、あなた方の世界を支配統制したり操作したりしている勢力が、なぜこれほどまでに、あなた方の注意を逸らし、あなた方の思考を微妙なニュアンスに至るまで管理しようとするのかにも大きな理由があります。それはあなた方に、自分の内側で何が起きつつあるかを悟って欲しくないからなのです。(『アセンションの時代』)》
明らかにケムトレイルには、こうした変化を加速させる役割があるようですね。
ネガティブであれポジティブであれ、「宇宙には無駄なことは何一つない」という真実の証明のようなものです。
一方、肉体についての認識は、間違いのないように注意する必要があります。
今回のアセンションでは、できるだけ多くの人類が現在の肉体を持ったまま高次元(5次元)にアセンドすることが期待されているので、からだへの配慮が、これまで以上に大切になります。
これについても、『アセンションの時代』が大いに参考になると思います。
また、《「何かをする」よりもむしろ「何もしない」ことのほうがずっと価値があると最近強く思います》というのは、近年の日本政治の茶番劇を連想させます。
もちろん、あなたの本旨は「何もしない」ではなく、(自己犠牲を)誰にも気づかれないように少しずつ「実践する」わけですが。
(07/03)いまNESARAをどう読むか
(Q) 先日の「アセンション時局『時代の真実』」の中に記述されていた「イルミナティ」について、やっとHP上で固有名詞が公表されたことに、胸のつかえが降りた気がしました。
多くの人が、このHPの中でこれまで繰り返し述べられていた、アヌンナキ由来の「影の支配勢力」が、自分から遠い位置にある実態のわからない組織なのではなく、まさに実生活に組み込まれた根深い組織であること(銀行や保険会社、製薬会社や、その他アメリカのFRB等政府組織として組み込まれている等)を、実際に自分で確認できるという点で、非常に価値のあることだと思います。
(私自身もこの事実を知ったとき、あまりのショックを受け、まさに「世界は見えたとおり展開しているのではない」という言葉がぐるぐるぐるぐる頭をかけめぐりました。
でも、この事実を認識してから、これまで実態のなかった世界というものが、まさに自分たちの意思で変えていけることできるものだという感触をもつことができました。)
さて、今日は小松様も承知のことと思いますが、NESARAについてです。
この件についての小松様の見解をぜひ伺ってみたいと思っております。
興味関心のないテーマでしたならば、このメールは破棄してくださって結構です。
ちなみに私自身は、これが施行されるときが、まさに直接介入そのものの時期なのかな・・と感じています。
そして、その施行時期が今年なのではないか、とも感じております。
(2007年に何かが起こる、という胸騒ぎをかなり前から感じているので)
参考までに、NESARAについて簡単にまとめたものを下記に抜粋します。
『NESARAは”National Economic
Security And Reformation Act”の略です。
2000年3月9日にアメリカ合衆国議会を秘密裏に通過し、同年10月10日に時の大統領クリントンによってサインされ、公表され次第、法として効力を発揮します。
しかし、その内容が現在の陰の政府にとって容認できないものであったため、厳しい緘口令がしかれ発表を伸ばしに伸ばしてきたわけです。
NESARAの内容は広範囲に及びます。たった5パーセントの人間が95パーセントの富を独占している現状を正すため、実体経済から乖離した今の貨幣制度を廃し貴金属を裏づけとした準金本位制にもどす。
元来違法な存在であるIRS(内国歳入庁)とFRB(連邦準備制度理事会、連邦準備銀行)を廃止し、同時に所得税を撤廃、財務省に権限をもどす。
などの経済的改革とともに、軍事的行動の終結。フリーエネルギーなどの隠匿技術の公開。異星人の方々の存在の公表。
など陰の政府によって公にされなかった事実の、一体的ディスクロージャーを一挙に進める法案も含まれています。』
(A) NESARA(ネサラ)のことは、2003年の「Q&A」で採り上げたことがあります。
Q&A’03g(03/11)シリウス系の情報
その頃から現在までは、シェルダン・ナイドル(シリウス)は、NESARAにはあまり言及していないはずです。
NESARAの問題点は、その情報が(あなたの「要約」が示すように)本質の部分から切り離され尾ひれが付けられて、ネットなどを通じて一人歩きしたことによって、ひたすら「お金の分配」を待ち続けて何も行動しない若者を世界中で大量に造ってしまったことです。
そうした若者たちは、この地球で今を生きることをせず、みずからの意図(天賦の創造力)によって望ましい現実を創造する努力もせず、ひたすら「その時(誰かが創ってくれる、ばら色の未来)」を待ち続けるようになったわけです。
その多くは、アセンションの本質的なことについては、何の関心も持っていないでしょう。
明らかに、情報を流した宇宙の存在たちは、人類の抜き難い「他力本願根性」について読み違いがあったようです。
多年にわたって「馴致」されてきた人類の持つ基本的な性向は、善意だけで通じるような生易しいものではないのです。
情報を流すタイミングと手順が適切でなかったことを、今では身にしみて感じているはずです。
こうして、彼ら自身も勉強しているのです。
以上のような状況にもかかわらず、NESARAの精神が消えてしまったわけではありません。
むしろそれは、水面下で力を蓄えながら、表舞台に登場する日を今か今かと待っている状態と言ってもいいでしょう。
そのタイミングは、アセンションに根差した人類の「大いなる目覚め」と完全に同期している必要があります。
これに関連して昨年末に、レオ・ウォンタ(ワンタ)のことにも少し触れました。
Q&A’(06/12)すべての既存政治家の「目」はなくなる
一方、今年になって、彼のことが次のサイトで紹介されているという連絡を受けましたが、
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/156.html
残念ながら、本件に限ったことではありませんが、「アセンション」という視座を欠いているので、多岐にわたる膨大な情報にもかかわらず、何の結論も導くことができないで終わっているようです。
そしてこれを、「奇怪な情報」として、みずからのホームページで紹介している「一流ジャーナリスト」もいるようです。
こうした日本の状況から察知できることは、インターネット上で紹介されている断片的な翻訳情報に、多数の日本の「ネットサーファー」たちが群がる傾向です。
しょせん断片は、どこまでも断片で、そこに本質に関わる重要な内容が正確かつ系統的に紹介されているわけではないので、「サーフィン」を愛好すればするほど、混乱に陥ることは間違いないと言えるでしょう。
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