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Q&A’21d2・「ガイア・アセンション」シリーズ
(21/04.14) 大御神さまの分身の、人類に対する富士山頂からのお言葉−第1声
(The Word of the Creator's another Self to
Humanity from the Top of Mt. Fuji - the 1st Word)
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
いつもありがとうございます。
国常立大神様よりの新たなお言葉でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
(小松)
拝見しました。
ありがとうございます。
今回のメッセージは、大御神さまの分身として地上に降臨された国常立大神さまの、富士山頂から人類に向けて発せられるお言葉の「第一章(Chapter 1)」という位置づけでしょうね。
全体が〔T・U・V〕の「3節」から成っており、それぞれが「7パラグラフ」で構成されています。
その全文が力強い「言霊(ことだま)」で満ちており、国常立大神さまのお言葉が「言霊の幸(さき)わう国」とも言われる日本の地から発せられることと無縁はないように思われます。
取りあえず以下では、〔T・U・V〕の各節から3パラグラフを選んで、私のコメントを述べさせていただきます。
【T】
――神 わかりたくも わからむときは 自然のなりわいを感じとるがよいのぞ
大自然は 神のあらわれじゃ
神の道理の中で 動いておる その摂理が わからんか
わからんようなら わかりたるまで 自然の摂理を みつめよ 感じよ
われらの祈り われらの願い われらの様々なおもい こもっておるぞ
神と人つなぐ 大き役目を 果たしておるのぞ
自然のなりわいから いのちの力 もらえよ
力もろたら 神に感謝つたえ おのが親とおもたら それでよし
〔T-3〕(数字の3は7パラグラフの中での順序です)
「神 わかりたくも わからむときは 自然のなりわいを感じとるがよいのぞ|大自然は 神のあらわれじゃ」「神と人つなぐ 大き役目を 果たしておるのぞ」――「神」というものへの理解は、宗教も絡んで、各人各様なのが世界の実情ですね。しかし本当の神は、人間も大自然も含めて宇宙のすべてを創られた「創造神(大御神さま)」だから、「自然の営み」に現れている精妙な働きを観察するのが理解への近道ですよと言われています。
――われ 富士に降りてより 大き翼広げ 地に力 与えておるぞ
みな わしの庇護のもとにあるゆえ 力抜いて 生きるがよい
力 抜けば 抜くほど われらのエネルギーを取り込めるのぞ
おのが おのがの 力抜くは なかなかのように見ゆるが
それでは われらの息吹が はいらんぞ 隙間つくれよ
〔T-5〕
「力抜いて 生きるがよい|力 抜けば 抜くほど われらのエネルギーを取り込めるのぞ」「隙間つくれよ」――この世界では一般に「頑張る」ことが美徳とされているので、ついつい「自分が、自分が(やらねば)」と力が入ってしまい勝ちになります。しかし、そのような緊張状態では、エネルギーを送ってサポートしてあげようとしても、送り込む隙間が見つからない。「天を信頼」して、「しゃちほこばる」ことなく生きるのが正解のようです。
――身も魂も 浄め 浄めて 天に返るのぞ
こたびの 深き 大き お仕組みは 親神さまの 福の玉のたまものぞ
みなも 福の玉を 抱きしめるがよいぞ
親神さまのエネルギー しかと抱きしめ おのれに取り込めよ
取り込み 取り込み 軽やかな波動となりて
天の御国(みくに)に 立ち返ろうぞ
〔T-7〕
「親神さまのエネルギー しかと抱きしめ おのれに取り込めよ|取り込み 取り込み 軽やかな波動となりて|天の御国(みくに)に 立ち返ろうぞ」――ここでは「軽やかな波動」がポイントですね。この三次元の世界に浸っているうちに、人は気づかないうちに重い、鈍重な波動が身に付いてしまう。しかし、「親神さまのエネルギー」を本気で「取り込み 取り込み」していれば、こちらの世界に身を置きながらも、周波数の高い精妙な波動を身に付けることができると言われています。それには、心構えと日常の過ごし方が鍵になると思われますが。
【U】
――民 集い 親神おろがめ おろがみておりたら 親神動くのぞ
その道理 今の世を でんぐり返す力あるぞ
おろがみて 身魂すべてに 力みなぎるなれば 外に向けて発動するがよし
おのれの内に とどめておってはならん
民動き 神動くぞ 神動き 民も動くぞ 相むすばれておるがな
そなたも神 神はそなた 一体なりて まわるのぞ
おのが胸に響くは 大御神のうつしじゃ
まことの心になりて 腹を割って伝えてくれよ
〔U-2〕
「民 集い 親神おろがめ おろがみておりたら 親神動くのぞ」「その道理 今の世を でんぐり返す力あるぞ」――大勢が集まって、同じ思いを「親神(大御神さま)」に祈るようにすれば、巨大な力が生まれることを知ってほしい。
「民動き 神動くぞ 神動き 民も動くぞ 相むすばれておるがな|そなたも神 神はそなた 一体なりて まわるのぞ」――「民」と「神」とは本来一体なのだから、同じ方向を目指すようになれば、すべてが「好転」する。
以上は全体として、「伝える」ことの重要性を強調されています、「外に向けて発動するがよし|おのれの内に とどめておってはならん」と。
――天地に響き渡る鐘を鳴らし 伝えおる
われらが そこまでして 伝えておるのじゃ
民動かず どうすのじゃ
われらのおもい知りたれば 立ち上がるのじゃ
迷うておる時では ないのぞ
多くの民に 伝えるのじゃ われらと共にな
われらも 時移さず動いておるぞ そなたと共に
夜も日も 隈なく飛びまわっておるぞ その槌音 聴こえぬか
よう聞き耳たてて 聴いてくだされよ
心の臓に 刻み込んでくだされよ
〔U-4〕
「天地に響き渡る鐘を鳴らし 伝えおる|われらが そこまでして 伝えておるのじゃ|民動かず どうすのじゃ」――これほどまで熱意を込めて言われる背景には、私たちの前途に何があるかを熟知されており、知っていて適宜対処するのと、何も知らない(知っていても何もしない)まま日々を送るのとでは、「天と地ほどの違いが出る」ことを見透されているからでしょう。
「迷うておる時では ないのぞ|多くの民に 伝えるのじゃ われらと共にな|われらも 時移さず動いておるぞ そなたと共に」――誰でも、多くの方々にご縁を頂いて今日に至っているはずです。いま伝えてあげれば、先々で必ず「あのとき教えていただいたお蔭で今の私がある」と感謝されることは間違いない。したがって「迷うておる時では ないのぞ」と釘を刺しておられるのでしょう。
上で引用した〔U-2〕でも、「おのれの内に とどめておってはならん」、「まことの心になりて 腹を割って伝えてくれよ」と、《自分だけが知っていればいい》という姿勢を戒められていましたね。
――さっぱりと 胸にある焦燥を脱ぎ捨て
今日の日 一分一秒を 心磨きに費やせよ
ただ黙々と 信ずる心を養えよ
おのが心と一体なる 親元のおもいと つながれよ
おのを信ずる その内にある 大御神を信じることじゃ
この道に いざない続ける 親神のあたたかさに いだかれるがよいぞ
〔U-7〕
「今日の日 一分一秒を 心磨きに費やせよ|ただ黙々と 信ずる心を養えよ|おのが心と一体なる 親元のおもいと つながれよ」――この世界の、いわば「瑣末事(さまつごと)」に気をとられ、時間をとられているうちに、簡単に一日が終わってしまうことは誰でも経験しているのではないでしょうか。それに対して、意識して毎日「一分一秒を 心磨きに」充てるようにするのとでは、数か月の間には大きな違いになるでしょうね。
これについては、後出の「己にあるもの みな 手放し 手放し(V-6)」が参考になります。
【V】
――宇宙同胞は わかりておるぞ
動植物も わかりておるぞ
人間はと申すに ちと わかりたるもの 微少じゃが
槌(つち)打ち鳴らし 鐘響かせて 知らしておるがな
こたびの 吾(あ)の 地ならし始まると びっくりせなおさまらんぞ
改心せな 生きてゆけぬ時 くるぞ
〔V-2〕
「宇宙同胞は わかりておるぞ|動植物も わかりておるぞ|人間はと申すに ちと わかりたるもの 微少じゃが」――「人間(人類)」は、自然から離れるにつれて「わからなく」なったということでしょうね。日本では、縄文時代はもちろん、江戸時代頃までは自然に即した生活様式や考え方が活きていたと思われます。
「こたびの 吾(あ)の 地ならし始まると びっくりせなおさまらんぞ|改心せな 生きてゆけぬ時 くるぞ」――これはもちろん、単なる脅しではなく、現実に起こることをご存知の上で言っておられるのでしょう。「神 嘘つかぬぞ(U-6)」とも言っておられますね。
――猶予の時は すぐそこまでぞ 気付けよ 気付けよ
警鐘 鳴らすうちに おのれの本分に立ち返れよ
世界中に聞こえる槌音 鐘の音にいたしておるぞ
われらは 一人残らず 迎え入れたいのぞ
髪ふり乱しての 活動をしておるのぞ
そなたらも 腰落ち着けんと 動ける時に動けよ
神心 まくばれよ
神心 まくばるなれば そなたの身魂輝き増すのぞ
われらにも びんびん 響きてくるのぞ
〔V-3〕
「猶予の時は すぐそこまでぞ 気付けよ 気付けよ|警鐘 鳴らすうちに おのれの本分に立ち返れよ」――大御神さまが分身を地上に降臨させられるという「大決断」をされたからには、これまでの経緯とは一切関係なく、「事態は急進展する」と考えられます。したがって「猶予の時」は僅かしかないと言われるのでしょう。
「おのれの本分」が何であるかを改めて確信するベストの方法は、「今回のお言葉の全文(新たな天地開びゃくの鐘が鳴る― 国常立大神)」を精読して汲み取ることと考えられます。
「そなたらも 腰落ち着けんと 動ける時に動けよ|神心 まくばれよ」――のんびりしていないで、行動することを勧められています。特に「神心」つまり神のお考えを、「誠意をもって皆に知らせる」ことを。
――己にあるもの みな 手放し 手放し
われのふところに 飛び込むもの あらたな生命 授かるぞ
永遠の生命 授けるぞ
〔V-6〕
「己にあるもの みな 手放し 手放し」――「自己(中心)」の考えにしがみ付かず、現に取り込んでいる楽しみ事などに耽溺(たんでき)せず、むしろ「それらを次々と手放すこと」を勧められています。それらは「心身の浄化の妨げ」になり、「われのふところに 飛び込む」道を閉ざすことになるからでしょう。
※
以上について、メッセージの全文は、こちらをご参照ください。
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