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(22/11.11) 縄文から弥生への大混乱を体験された神々が "新生テラ" 志向をいざなう
(Gods experienced utter Chaos from
Jomon period to Yayoi period recommend to strive for the "New Earth")
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
いつもありがとうございます。
新たなメッセージをお伝えさせていただきます。
・新生テラへの飛翔(19)時代を越えて大調和へと向かう―大国主、女神アマテラス、クシナダ
どうぞよろしくお願いいたします。
(小松)
今回のメッセージを送られた方々は、ほぼ同じ時代を生きておられたようです。
それを ”大国主の時代” ということができれば話は簡単ですが、問題は歴史書に ”大国主” が見当たらないことです。
その辺の事情について、本格的な歴史教本の定番とも言える『詳説 日本史研究』では、本文の中ではなく、「記紀の編纂(古事記 712年、日本書紀 720年)」の項の〔参考〕として、次のように説明しています。その全文を下に引用させていただきます。
『古事記』『日本書紀』の神話
『古事記』や『日本書紀』にみられる神々の物語は、天地のはじまりから始まって、イザナギ・イザナミによる国生み、天(あまの)
石窟(いわや)説話、大国主(おおくにぬし)の国造りと国譲り、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫ニニギノミコトの高千穂(たかちほ)峰への降下(天孫降臨〔てんそんこうりん〕)、海幸(うみさち)・山幸(やまさち)説話、神武(じんむ;ニニギニミコトの孫)のヤマトへの東征などの話から構成されている。
こうした神話は、律令制に基づく中央集権的国家が確立する過程で編まれたものであり、高天原(たかまがはら)の主宰者
天照大神の直系である神武天皇を初代として系譜をつなげ、古代の天皇による国家統治の起源を説いて、それを正当化する性格を持っている。
批判的に検討することによって、そうした神話の中に古い時代の要素をさぐり、神話がその素材・原形から国家的神話へと編成される過程を追求する研究もなされている。
ただし、7世紀後期〜8世紀前期にまとめられた『古事記』『日本書紀』に載る神話は、古代国家が自らの起源を説明した体形としての歴史的意義をもつものであり、古代民衆が語り継いだ多元的な神々の伝承との間にはへだたりがあるとみられている。
ここでは、古代神話への歴史家の観点を識る参考にはなりますが、大国主の実在そのものは棚上げにされている感がありますね。
そこで、別の観点から、お三方が生きられた年代を割り出してみました。
その結論を最初に申し上げますと、縄文時代(10,000BC〜400BC)の最後の頃(晩期;地質学の年代区分)から弥生時代(400BC〜西暦300頃)の後半の頃(西暦147から始まった”倭(わ)の大乱”が女王
卑弥呼(ひみこ)の登場で収まった西暦189以前の頃)にかけて、となります。
その根拠は、今回のメッセージで以下のように言われているからです。
【注】上で ”倭(わ)の大乱”
の年が正確に判明している理由は、中国の歴史書『後漢書』東夷伝に「(当時の日本が)桓霊の間(147-189)、倭国大いに乱れ、更(こもごも)相交伐して暦年主なし」と書かれているからです。このように、文書化され公表されている日本の歴史としては、中国の文献に限られます。
しかし日本でも、現代の発掘調査による出土品や地層の精密な年代測定によって、深い堀や防御柵によって集落全体を囲む”(大規模な)環濠集落”が、この時代に、九州から近畿さらに中部にかけて目立つようになります。その代表が、九州(佐賀県)の”吉野ヶ里遺跡”です。
ちなみに、言葉は持っていても「文字を持たない国」であった日本で、漢字表記が使われるようになったのは600年代から700年代にかけてのことで、片仮名、平仮名が生み出される前の奈良時代(710-784)までは、『万葉集』なども含めて、すべての文書が完全に漢字(いわば当て字)のみで表記されていました。
(女神アマテラス)先に大国主さまがお出になられましたが、本当に、当時を生き抜かれた方々はお辛い時を過ごされたことと、私自身も、神のご計画とは申せ、もう少し何か良い方法はなかったかと思わざるを得ないこともたくさんございます。
ですけれども、当時にいたしますと、精いっぱいであったとゆるしを乞うばかりでございます。
(クシナダ)私も縄文に生きた一人でございますが、大国主さまも、アマテラスさまも縄文の時代から次の時代へと変遷する激動の時を歩まれた方にございます。
女神アマテラスは、この間一貫して天界に在られて、当時の惑星地球・テラを担当されていました。
クシナダは、上で言われるように地上世界の縄文を生きられたわけですが、大国主とは同時期ではなく、今回メッセージの別項でご本人が言われるように、ご先祖に当たるようです。
大国主は、今回メッセージではご自身のことに触れられていませんが、上記しましたように、正式の歴史書には大国主の名前を出さない、という著者(史家たち)の「自己規制?」が働いているようです。
古典の代表としての『古事記』は、伝承された事実を参考にして書かれた”歴史小説”で、客観性や説得力に欠ける憾み(うらみ)がありますが、ともかく大国主を大きく採り上げています。また、その内容は教科書にも書かれているので、中学生以上の日本人なら、知らない人はいないと思われる人物ですが。
それに関連して、大国主が行われた出雲での”国造り”のことや”出雲王国”の実在(それらの隠蔽〈いんぺい〉)も、現地に残されている多数の事績に照らしますと、たいへん不自然な状況になっています。時間的な”空白(現存している膨大な遺跡や遺品が、いつ誰によって造られたかなど)”の説明がつかないことも含めて。
◆◆◆
以下では、それぞれのメッセージにつきまして要所を引用し、私の感想を述べさせていただきます。
〜大国主神 メッセージ〜
――日本という国は、はるか昔より多くの人種の違う人々が集ってきた所です。
その中で、お互いに認め合うこともあれば、受け入れられない思いもかかえつつ、歩まざるを得ない、そして、横暴な行動に涙を禁じ得ないということもあったわけです。
しかしながら、当時はそこまでおもいが至ることはなかったのですが、そこには、大いなる深甚なる神の想いがあったと申せます。
人間は神の想いがどこぞにあるのか、そこまでのことはわからない中で生を営んでおります。 神が私どもに試練を与え、その試練の中にこそ魂の成長があり、進化の道があるとの想いに至ることは少ないわけです。
がむしゃらに今日を精いっぱい生きる、という道を多くの人々は歩まれておいでになると言わざるを得ないと思うのです。
「人間は神の想いがどこぞにあるのか、そこまでのことはわからない中で生を営んでおります」――これは、大多数の人にとって、該当するのではないでしょうか。したがって、「神が私どもに試練を与え、その試練の中にこそ魂の成長があり、進化の道がある」とまでは思い至らないわけですね。
したがって、何かにつけ「神頼み」が登場することになっているのでしょう。
このことは、次の引用と密接に関係します。
――人々の中に、神が人を困らせるなんてありえない、、、という思いが根強く残り、神に願えば全ては良い方向に道が開かれ、願い事は叶う、という意識があるのですから、、、
この意識改革をするということは、神の本質につながる大切な道のりであろうかと思います。
神にすがり、おのれの想いが成就することを願い続ける限りは、皆さまの心の転換、考え方の転換はむつかしいのではないでしょうか。
もちろん、皆さまご自身の幸ということは必要不可欠です。
そこに立つ、ということがどの様なことなのか、お考えになられたことはございましょうか。
神の分霊(わけみたま)である皆さまです。
神の本質を存分に発揮されておられましょうか。
親愛、 信頼、 道を守る、 思いやり等、幅広くありましょう。
「人々の中に、神が人を困らせるなんてありえない、、、という思いが根強く残り、神に願えば全ては良い方向に道が開かれ、願い事は叶う、という意識がある」――これは、”祭りごと”などにも組み込まれ、この社会の中に広く「蔓延」しているように見受けられます。
「神にすがり、おのれの想いが成就することを願い続ける限りは、皆さまの心の転換、考え方の転換はむつかしいのではないでしょうか」――ここでの「おのれの想い」は、自我のことでしょう。
この件についての真実は、魂のレベルでは”ヒトと神は一体”ということでしょう。”内在の神”とも言われるように。したがって、何事も(自我ではなく)”魂の導き”に従うのが正解と思われます。
――神に近付く、ということは、進化の道、そして波動密度が高まることに通じます。
お一人おひとり、ご自身に合う道、ストレスのない歩み方で良いのですから、波動密度を高める努力をされていきましょう。
大御神さまはじめ、大神さま、私どもに心を寄せてくださることも、密度を高めることにつながります。
一瞬、一瞬をおろそかにすることなく、神を感じてみましょう。
ぼぉーっとしている時、空や自然を眺めている時もあろうかと存じますが、それはそれで、実は神を感じている時なのかもしれません。
私どもも、みなさまを微笑みをもって見つめています。
「神に近付く、ということは、進化の道、そして波動密度が高まることに通じます|お一人おひとり、ご自身に合う道、ストレスのない歩み方で良いのですから、波動密度を高める努力をされていきましょう」――「波動密度が高まる」とは、例えば赤外線よりも紫外線のほうが精妙で細かい波動なので、同じ空間を、たくさん占めることができます。つまり密度が高くなるわけです。換言すれば振動数(波動レベル)が高くなり、神の波動に近づくことになります。
「ストレスのない歩み方」――これも大切ですね。折につけ意識の持ち方を工夫することで、着実に前進することが出来ると思われます。
〜女神アマテラス メッセージ〜
――今現在、私ども神と呼ばれる存在の世界では、大御神さまのもと、ひとつとなり人類を大御神の御元に引き寄せる、人間の本分である神の分霊として、神の御元に立ち返るためのいざないという、かつてない神聖なプロジェクトを遂行すべくひとつとなって動いております。
これまで、さまざまなお役目をにない反目せざるを得なかった現実はありましたが、それらは人類のために創生主が案じたご計画であったと悟り、手を取り合って事をすすめているのです。
「(かつてない神聖なプロジェクトを遂行すべく) ひとつとなって動いており」、「手を取り合って事をすすめている」――これは天界では以前から当然の事として行われていたかと思っていましたが、必ずしもそうではなく、「さまざまなお役目をにない反目せざるを得なかった現実はありました」とのこと。納得させていただきました。
――大御神が発動されしプロジェクトは、ようやく世界を席巻する所まで漕ぎつけております。
この大いなる大プロジェクトが成功への切符となりますよう、私どもも更なる和合を図り、深甚なる愛をもって取り組ませていただきたいと思っております。
どうか よろしくお願いいたします。
「ようやく世界を席巻する所まで漕ぎつけております」――これは素晴らしいことですね。私たちには今のところ、その一端しか見えていませんが、「大御神が発動されしプロジェクト」は、当然ながら人類全体に関わることですから。
〜クシナダ メッセージ〜
――私も縄文に生きた一人でございますが、大国主さまも、アマテラスさまも縄文の時代から次の時代へと変遷する激動の時を歩まれた方にございます。
特に大国主は、大切なお役目の中、非業な時を過ごさざるを得なかったわけでございますので、そのお心はいかなものでございましたでしょう。
私も共にその痛みを分かち合い、神にお返し申し上げ、この新時代にふさわしい心魂の持ち主になるべく精進いたしております。
調和と愛の時代であった縄文の人々の心根は、日本人のルーツの中にかすかな炎の種として残っており、その炎が再び燃え上がるのではないかと期待しております。
「特に大国主は、大切なお役目の中、非業な時を過ごさざるを得なかったわけでございますので、そのお心はいかなものでございましたでしょう」――「非業な時を過ごさざるを得なかった」というお言葉からは、真実は『古事記』などに書かれている「国譲り」の”物語(条件付きの平和的な譲渡)” ではなかったことを、示唆されている印象を受けます。
ちなみにアマテラスは、今回のメッセージの冒頭で次のように言われています。
『古事記』が完成したのは、712年であることに留意しましょう。
(女神アマテラス)地球にお住まいのみなさま、こんにちは。 私はアマテラスと申します。
かつては、太陽神なる信仰の対象のような形で迎えていただいたこともあり、たいそう恐縮いたしております。
私自身は、さほど崇められると言えるような存在とも思っておりませんでしたし、また、こうした信仰というものは後付けが多いように思わせていただいております。
――いつの世も権力欲に支配され、人民の苦しみの上に成り立っておりました。
それもこれも、戦さという生死をさまようほどの中で、ある意味、新技術も生まれるという、私どもからしたら皮肉な結果がついて回っております。
そして、そこには神の大いなる物質文明の進化の道が仕組まれていたのです。
何というお仕組みでございましょう。
そこに思いを馳せますと、得も言われぬ慟哭が押し寄せ涙ぐんでしまいます。
人々の涙と共に、今現在の文明があるとも言えるのですから、、、
「戦さという生死をさまようほどの中で、ある意味、新技術も生まれるという、私どもからしたら皮肉な結果」――確かに、この惑星地球での人類の歴史は、戦乱に彩られていますね。世界史教本の大半は、戦闘・戦争の記録で埋められています。特に第1次世界大戦の頃からは戦争のための技術開発が高度化してきて、そのオコボレが民生に回っている状況と思われます。
それは、表面的には顕著に見えないとしても、日本を含む主要国の軍事費推移を見れば、世界各国の市民が安心できるレベルでないことは明らかです。
(http://www.garbagenews.net/archives/2258869.html)
――いつの時代も、人々の心は画一的には参りません。
ですから、強要したり、責めとがめといった感情を持たないよう過ごしたいものと思います。
あせりも良い結果にはつながらないでしょう。
ではどの様に行動するのか。
そこが皆様の工夫のしどころでございましょう。
相対する方の性格や心情、環境に合った捉え方の中で物事を進めてゆくわけです。
一律というわけには参りませんでしょう。
諸事情のある中ではありましょうが、一歩一歩新生テラへの歩みは滞ることなく進んでいるわけです。
ここでは日常生活の、特に”対人関係の叡智”が述べられていますね。
「強要したり、責めとがめといった感情を持たないよう過ごしたいものと思います|あせりも良い結果にはつながらないでしょう」――ついつい「強要」や「責めとがめ」をしてしまわないように注意しましょう。
「あせり」は上にも関係しますが、どんな状況でも、あせってやっても普通に落ち着いてやっても、所要時間や出来栄えに違いはないという経験は、多くの方が持っておられると思います。。
「相対する方の性格や心情、環境に合った捉え方の中で物事を進めてゆくわけです|一律というわけには参りませんでしょう」――これも非常に大切なことですね。そのためには、”我が事”への関心と同等か、それ以上の関心を”相手の方の心情”に寄せる習慣を持つ必要がありますね。
”自己中心”は、対人関係で良い結果を生まないということでしょう。
※※※
今回のメッセージの全文は、次をご参照ください。
・新生テラへの飛翔(19)時代を越えて大調和へと向かう―大国主、女神アマテラス、クシナダ
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