副読本「光へ向かう地球と人類」
第2回 健康についての真実
●医療の肥大化を支えるもの
暗示の威力は医学界ではよく知られていますが、そのネガティブな応用を見付けるのは簡単です。危険な太陽や自然に身をさらさすなとか、実際は毒性の化学カクテルに過ぎないワクチンが必要だとかの、情け容赦のない不吉な警告がそれです。あるいは、毎年のインフルエンザ・シーズン到来を人々の頭に刷り込む、重々しく警鐘的な発表です。
予防接種の対象としている病気は、感染してもほとんどの人は軽く済み、重篤な状態になるのは千人に1人とか、数千人に1人の話です。それにもかかわらず、全国民に「毒性の化学カクテル」を飲ませようとする。これが、予防接種の本質です。
感染して病状が重くなる場合は、栄養状態による免疫力の低下や別の基礎疾患の存在など、個別の事情が必ずあるはずです。
「努力義務」があるとされている「定期接種」の制度は、人間を十把一絡げに扱う西洋医学の発想の延長です(ちなみに、平成11年の接種率は、[62.5%風疹90ヶ月]〜[86.3%ポリオ]でした)。
接種を奨励するために、受けなければ間違いなく発病するかのような言い方をする。接種の前に、ワクチンの危険性のこと、つまり「毒性の化学カクテル」であることを、ほとんど告知しないのが実情でしょう。
しかし、本質が「毒」である以上、その弊害が露呈するのは当然です。
2005年5月30日に、厚生労働省は、年間400万人余りが公費負担で受けている日本脳炎の予防接種の中止を、実施主体である市町村に勧告しました。
すでに1991年以降、このワクチンが原因とされる「急性散在性脳脊髄膜炎(ADEM)」に対して医療費給付が認められたケースが13件あったもので、今回の山梨県の症例を受けて中止を決定したのは、遅きに失したともいえます。
これまでの、日本脳炎ワクチンの接種は何だったのか、また他のワクチンの有効性や危険性はどうなのかが、責任の所在を含めて、真剣に問われるべきでしょう。
【参考】http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryousangyouhanzai/127yobousesshu.htm(予防接種―『罪なきものへの虐殺』への追補)
病気は、今日では巨大なビジネスです。あなた方は、周りで起こっていることを闇雲に捕まえる習慣を見直し始めた方がいいでしょう――例えば、ルールに違反してもいいから、打ちあがったボールにミットを差し出したりしないように。何百万もの人々が、病気や死への様々な段階について恐怖心を抱いて「恐怖のビジネス」に貢献しているのは、心とからだとの繋がりを否定することを教えられてきたからです。
「周りで起こっていることを闇雲に捕まえる習慣」は、上記の予防接種もそうですが、もっと卑近な例では、気象庁の「梅雨入り・梅雨明け宣言」があります。
「宣言」が行われると、「梅雨」が日常の挨拶になり、天候に関係なく雨具を用意したりする。
ところが何年も前から、地球の気象は、日本列島に典型的な梅雨をもたらすパターンを、遠い過去のものにしています。
気象庁が頼みの綱とする梅雨前線は、近年は、東西に日本列島に沿って停滞することはほとんどありません。現れてもすぐ弱まったり消えてしまったり、または南方や北方へ移動したりします。
気象庁は、実益が何もなく実害ばかり多い「梅雨入り・梅雨明け宣言」を行う「権限」を返上して、それぞれの時点での気象の特徴を早めに解析し、予想される影響を推計して、ワンパターンでないアドバイスをするようにすれば、間違いなく、その存在意義が高まるでしょう。
とりあえず私たちは、誰かが設定したパターンや宣言は一切無視して、あらゆることを、事実だけに基づいて自分の感性で判断するようにしましょう。
【参考】http://www.imocwx.com/index.htm(気象の現況を確認)
大部分は実効がなく、費用もかかる医療保険システムを支えているのは、次のような思い込みです――「医療の権威に疑問を呈するとは、自分は一体何様だ?」、「自分は何も知らないじゃないか?」、「現代医学は、あらゆることに答えを持っている」、「健康保険は絶対必要だ――わが身に何か起こったら困るじゃないか?」、「自分のからだは、意のままにならないものだ」。
「健康保険は絶対必要だ」という考えの裏には、医者にかかる「必要」が「絶対」にあるという思いがあるでしょう。その思いが何を生むのかを考えてみた方がいいでしょう(「思いが現実を創る」)。
介護保険についても、もいずれ「必要」になるという思いが、老化や不健康を加速しているとしたら---。
「自分のからだは、意のままにならないものだ」に替えて、「自分のからだは、意のままになるものだ」と意図してみてください。
健康保険料は年初に決まった定額を徴収される一方、個別のケースについては負担感がほとんどありません。
医者もそれに付け込んで、高額医療へ誘導する。患者側にも、「保険を使わないと損だ」という思いが、なくはないでしょう。
そうしたことが、医者や病院、医薬品や医療機器業界、そしてそれに係わる官僚機構を「繁盛」させ、「医療の肥大化」を支えていることは間違いないでしょう。
現代の西洋医学は、からだと心の連携によって治癒に導くというこの前提を信奉していないので、医薬品の猛烈な使用を、ほとんどの病気への答えとしているようです。しかしそれは、からだが本来持っている知性を否定し、それに影を投げかけるのです。別の見方をすると、この医薬品依存の大隆盛は、からだを治すといわれているが実は毒を使っているので、馬鹿げたことです。いのちの問題に対して、このように薬物治療に過度に依存することは、何か非常に重大な事が起こりつつある知らせなのですが、人々はそれに目を塞ぐように薬を求めています。
「実は毒を使っている」ことを確かめるのは簡単です。書店の家庭医学書などのコーナーにある「薬の本」を1冊だけ手に取ってパラパラとページをめくれば、ほとんどの薬剤について、「使用上の注意」や「副作用」などの記述のオンパレードを見ることができるでしょう。
いったん認可された薬が取り消されたり、副作用について警告が行われるのは日常茶飯事です。
【参考】タミフル問題(「人気ブログ」の素性)
・[抗がん剤イレッサの問題]
その典型的なケースは、肺がん用の抗がん剤イレッサ(一般名:ゲフィチニブ)です。
この薬は、アストラゼネカ(AstraZeneca)社(本社イギリス)から、世界のどの国より先に日本で承認申請が行われ、真っ先に医薬品として承認されました(2002年7月5日)。しかも、保険薬価収載が承認され保険適用(2002年8月30日)になる前に、新たにできた「特定医療費制度」適用の第1号として、販売が始められたのです。
ところが、アストラゼネカ社の依頼で東京女子医大で行われた動物実験で、イレッサは「傷ついた肺の回復を妨げる」ことが確認され、その結果が、承認の1ヶ月前に、アストラゼネカ社主催の研究会で発表されているのです。
さらに、アストラゼネカ社から厚生労働省に対して、海外での治験事例も含め、2001年11月までの間のイレッサによる重篤な副作用事例が82例(死亡27人)あると報告していた事実が暴露されました(2002年12月)。これに対して厚生労働省は、「症例を検討し、肺がんという病気の重さを考えると承認を揺るがすものではないと判断した」とコメントしています(クスリによる副作用死は重くないのか?)。
2002年9月頃から、インターネットなどでイレッサの副作用についての情報が増え始め、10月15日には、厚生労働省が緊急安全情報を出しました。またアストラゼネカ社も、副作用による「間質性肺炎(この時点までの日本の死者13名)」についての緊急安全情報を各医療機関に出しました。
イレッサのアメリカFDA(食品医薬品局)の承認はずっと遅く、2003年5月で、厳しい使用条件が付けられています。
またヨーロッパについては、アストラゼネカ社自身が、各国に出していた承認申請を取り下げました(2005年1月)。
この間、2003年3月には、イレッサの承認過程を検証する「安全性問題検討会」の委員12人の内11人が、同薬を承認した当事者である「薬事・食品衛生審議会」の委員であることが、国会での質問で明らかになりました。
続いて、2003年5月に厚生労働省が、イレッサの(重篤な)副作用被害者は616例(死亡246人)と発表(推定使用者数2万8千人、副作用発症率2.2%)。
2004年12月にアメリカFDAが、「イレッサは延命効果がない」と発表。
2005年4月に厚生労働省医薬食品局長が、参議院厚生労働委員会で、イレッサの副作用患者数は1555人(死亡607人)と答弁しました。
2005年6月17日にアメリカFDAが、イレッサはフェーズ3の治験で延命効果が認められなかったので、原則として新規の患者には使うべきでないとする警告を出しました。同時にアメリカでは、新規患者のイレッサ使用期限を9月15日とし、その後の運用についての新しいプログラムをスタートさせました。これに対して厚生労働省は、(2005年3月に、日本肺癌学会の新指針に基づいて、新規使用も含めて使用継続を認めたので)「国内での新たな措置は考えていない」とコメントしています。
以上の経過をみれば、まるで、(薬好きの)日本人がモルモットにされているようなものではないでしょうか。
これまでに、イレッサの副作用で死亡した患者4人の遺族が、国とアストラゼネカ社を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしており、裁判が進行中です。
また、同年6月24日には、輸入販売元の日本のアストラゼネカ社(大阪市)が誇大広告を繰り返していたとして、薬事法違反の刑事告発が、患者3人の遺族と「全国薬害被害者団体連絡協議会」から提出されています。
イレッサの技術は、これまでの制癌剤と違って、ガン細胞にある異常な働きをしている分子を見つけてそれを攻撃し、その働きを止めることによってガンを治そうとするものです。これを「分子標的剤」といいます。
おそらく、その新奇性に、メカニズムにしか関心のない厚生官僚が惚れ込んだのでしょう(「世界で最初に認可した見識を誇示したい」などと)。
しかし、「21世紀の薬剤」などと喧伝しても、その方向に先鋭化すればするほど、「心の問題」から遠ざかっていくでしょう。
そしていま、彼ら厚生官僚は、イレッサの落としどころを見失っているようにみえます。
ちなみにイレッサは、これまで36ヶ国で承認されていますが、その副作用は、上記の間質性肺炎だけでなく、脱水状態を伴う下痢、発疹など皮膚の異常、吐き気など多岐にわたっています。
一方アストラゼネカ社は、年間の売上高2兆3000億円の、巨大な先端医薬品会社です。
・[パーキンソン病「治療薬」L-ドーパの問題]
その道の権威者が、あなたのからだのいわゆる不調に対して、診断を確定して魔法のような薬で治してくれるという思い込みは、やがて来る大きな失望を準備するだけのことです。スーパー・ピルは、長期間の健康的な生活への答えにはなりません――情緒的な聡明さと栄養への認識は自信につながり、はるかに良い結果をもたらすでしょう。
多くの医者が、そして一部の患者やその親族が、「スーパー・ピル」のように考えてきた薬の例として、パーキンソン病の「治療薬」とされている「L-ドーパ(レボドパ)」があります。
パーキンソン病は、神経伝達物質のドーパミンを作る神経細胞が変性してドーパミンの生成が不十分になり、手足のふるえ、運動機能の衰え、また筋肉の硬化などが起こる病気です。その神経細胞は、中脳の黒質と呼ばれる部位にあります。
ドーパミンは人工的に合成されているので、それを摂取すればドーパミン不足が解消できそうなものですが、いかんせん、ドーパミンは脳の血液関門を通らず脳に達しないのです。
「L-ドーパ」は化学構造的にドーパミンの前駆物質で、これは血液関門を通過し、脳内でドーパミンに変わります。いわば、脳を騙すわけです。
この薬は、手足のふるえを止めるなど外見上の劇的な効果によって、登場するやいなや、たちまちパーキンソン病の「治療薬」の王座に就きました。
しかし、これによって「治療」を受ける患者は、「やがて来る大きな失望を準備する」ことになるのです。
「L-ドーパ」を飲んでも、元々本来の治療薬ではないので、病気の根源を改善したり進行を遅くしたりする効果はありません。
ふるえが止まったことは、治療が進展していることを意味しないのです。
加えて、「L-ドーパ」を毎日飲み続けると、様々な軽〜中度の副作用に加えて、数年で薬効期間が短くなったり、勝手に体が踊りだす「舞踏病」と呼ばれる不随意運動や、幻覚などの強い副作用に見舞われることもあります。
つまり「L-ドーパ」は、典型的な「対症療法」の薬で、脳の血液関門の存在意義など何も顧慮しない、いわば悪魔的な発明のようなものです。
おそらく人体には、恒常性を維持する必要から、血液関門が備わっているのでしょう。
それを無視して、無理やり脳内でドーパミンを発生させるから、コントロールが効かなくなって、突然ハイになったり、踊りだしたりするわけです。
したがって医者は、副作用を考えると本心は使いたくない。しかし、ともかく一時的にしろ現象が止まるので、「治療の成果」を出すために結局は使ってしまうという薬剤です。
往々にして患者の主体的な判断を狂わせるのは、どんな病気でも同じですが、「悪化するといけないから医者に行くべし」と言う周囲の者たちです。
医者が「悪化させない」手段を常に持っていると漫然と考えているのでしょうが、医療の実情はこの程度のものです。
・[厄介な官僚機構]
誰か他の人に、からだを治して面倒を見る責任を持って欲しいという思いが、揺りかごから墓場までの健康問題を扱う厄介な官僚機構を創り出していますが、その大部分は、人々が心に取り込んだ《条件付けられた恐れ》を基盤にしています。
「厄介な官僚機構」という観察は、たいへん正鵠を射ています。
上記した予防接種やイレッサのケースが象徴的ですが、こうしたことは「揺りかごから墓場までの健康問題を扱う」厚生労働省だけではありません。
彼らは、「国民の《…ここに美辞麗句が並ぶ…》のため」という言葉を多用しますが、実際の動機の大半は、既得の権益を守り組織を維持することです。
予算の規模をキープし、あわよくば拡大するために、効果や現実のニーズに関係なく、何かしら「去年までと違うこと」を行政に追加しようとする。
そのために、学者や専門家の「審議会」を作ってその審議を操縦し、与党の「族議員」を巻き込み、概してシロウトの大臣を手玉にとって、自分たちの目的を達成しようとするのです。
彼らが真の「奉仕の精神」の持ち主なら、現在の客観情勢では、毎年の予算を減額する工夫を競い合うはずですが、彼らが意図することは、その正反対です。
したがって、彼らが「働けば働くほど」国民は苦しくなる構造になっています。
先進国で最悪の、1000兆円近い、国と地方の借金を築いた張本人は、大蔵官僚(現在の財務省)です。
いわゆるバブル経済の崩壊が明白になったとき、各省の予算要求を超える「青天井」の予算枠を用意し、地方自治体に対しても公債を乱発させる仕掛けを用意して、国と同様に「バラマキ行政」をやるように率先して迫ったのが、主計局を中心とした官僚たちです。
彼らは、自分たちが状況を支配していると思ったのでしょうが、残念ながら、時代の潮流を読む力がありませんでした。
バブル崩壊に伴う不況は、かつての景気循環で体験したように、一過性で済むと思ったのでしょう。国や地方がどんどんお金を使えば、やがて景気が上向いて税収が増え、借金は簡単に返済することができると。
しかし、バブル崩壊と相前後して、人々の意識が本質的に変わったので、そうした経済・財政政策が通用しない時代に突入したことは、1年足らずで明白になりました。
それでも彼らは、(時代の流れについて何の見識もない政治家と共に)その後15年以上にわたって、実質的に同様の政策を継続して、借金の山を膨らませてきたのです。
何でもアメリカに追従するという悪い風潮を演出して、日本を殺伐とした社会にしつつある張本人も、彼ら官僚たちです。
そのチャンピオンと言うべきものが、税制を操作することです。
具体的には、法人税の引き下げ(法人軽課)、所得税の累進率の緩和(金持ち優遇)、そして消費税の導入と料率の引き上げ(大衆課税の強化)です。
別の例を挙げれば、「確定拠出型(401k)年金」や「裁判員(陪審員)」制度があります。
前者は、年金資金の運用を労働者の自己責任にして、企業を運用リスクから解放することが骨子です。
しかし、株価の変動や為替相場の不安定で、金融のプロの銀行でさえ、安全確実な投資先は国債しかないと言っている時代です。
労働者が仕事の合間を縫って、企業がやる以上に有利で、リスクが少ない運用ができるわけがないでしょう。
一方、「裁判員(陪審員)」制度は実施はまだ先ですが、その問題点は、裁判がスタートする前に、警察や検察は、マスメディアの習性を利用して、たっぷりと、自分たちに都合のいい「既成事実」を流布させる(現にそれをやっている)ことです。
マスメディアは、それに輪をかけて突っ走ります。何しろ、「事件」が彼らの最大の「ご馳走」だから。
担当案件について、事前に「メディア汚染」され、先入観を埋め込まれている裁判員に、公正な判断を期待するのは無理というものでしょう。
特に、証拠が不十分なケースや、法律の適用の妥当性が争われるケースなどについて、判断が偏向し冤罪(えんざい)を多発させることになる恐れがあります。
以上の2例は、どちらも、日本社会の実情や日本人のセンチメントを顧慮せず、ただ「アメリカの真似」だけしか考えない頭の構造の産物です。
こうした社会で、「汚染」を避け、腹を立てることもなく、自分のスタンスを守り、心身の健康を維持するには、少なくとも、絶対にテレビを見ないこと、そして新聞を読まないことです。
空いた時間で散歩でもしましょう、なるべく自然の豊かなところで。都会にも、公園ぐらいはあるでしょう。
そして、自分の周辺には、ポジティブな想念を放射するようにしましょう。
自分自身や社会そして世界の現実について、望ましい姿を「意図」するようにしましょう。そうすれば、「懐妊期間」があるとしても、いずれ実現するでしょう。
最小限のニュースだけは押さえておきたいと思うなら、1日に1回だけ、例えば「Googleニュース」の項目だけを一瞥すればいいでしょう。
【参考】復刻版『タスマニアの羊(小松英星、1993春秋社)』(1)、同(2)
●病気の目的と真因
あなた方は、からだというものは、はっきりした理由もなく故障するもので、当てにできず信頼できないものだと教えられてきたので、自分のからだを恐れることが身についていると思います。このような観念は、限定的な思い込みの見本のようなもので、からだの中での生命力エネルギーの流れを制限するのです。
病気は内なる戦いで、人々が病気になる幾分の理由は、心や感情面での成長をやめてしまって、宇宙や精神領域との連携やエネルギーの利用可能性を閉鎖するからです。
「生命力エネルギーの流れを制限」したり「エネルギーの利用可能性を閉鎖する」のに最善の方法は、自分の現実を創る力を自分が持っていることを信じないことです。
そして、学校で教わったことを金科玉条とし、社会に出てからの「勉強」を、もっぱらマスメディアに依存すること。---これらは、「限定的な思い込み」の、最大の供給源になっています。
望ましい姿勢は、「宇宙や精神領域との連携」を追求することです。
もしあなたが、からだや人生を癒してくれるマジック・ピルを本気で探しているとしたら、それは、あなたの心の中にあります。病気は、あなたの物の考え方が集中した、感情的エネルギーの梗塞が肉体面に表出したものと理解することができます。換言すれば、感情や気持ちを閉じ込めておくと、ブロックされたエネルギーが肉体の不適切な活動を引き起こして、やがて不健康として表出するのです。
病気の、真の中枢的な問題は、未解決の感情的なトラウマです。気弱な考えを持つことや本物でない人生を送ることは、からだを弱くします。そして、深刻な病気の広範な流行は、ほとんどの人が前世紀を通じて、からだの働きについての制限的な思い込みを受け入れてきたことの直接的な結果です。公平に言って、あなた方は次のように自問してみるべきです――「私の自己認識を操ることによって本当に利益を得るのは、一体誰なのだ?」
「感情的エネルギーの梗塞」や「未解決の感情的なトラウマ」とは、心の中の「こだわり」のようなもので、大きいものも小さいものもあるでしょう。
自分で自覚しているものについては、原因となった出来事を「再解釈」した上で、手放すことができます。---「すべて万全のタイミングで起こっている」、「結局は自分が引き寄せたものだ」、「そのお陰で今日の自分がある」、などという風に。
自覚してなくて、心の奥底で「しこり」になっているものもあるかもしれません。それらは、「意図」によって、一括して浄化すればいいでしょう。
《私は、自分が気付いていない心の奥底のトラウマを、すべて手放すことを意図します》
「本物でない人生」の例は、虚飾や背伸びし過ぎること。これは、絶えずストレスを抱えていることになり、それが免疫力を低下させます。
「前世紀を通じて」世界の国々がやってきたことは、西洋の科学や医学を、社会システムの中核に据えることでした。それによって、「からだの働きについての制限的な思い込み」を、しっかり取り込んできたのです。
文明が進化しているはずなのに、現実には「深刻な病気の広範な流行」が絶えることがないのはそのためです。
前世紀の後半では、国連が果たした役割もあります---「制限的な思い込み」を「普及」させるために。
国連を、あたかも「白馬の騎士」のようにみる幻想は捨てましょう。国連は、第2次大戦の勝者連合の、ご都合機関です。
常任理事国(5国)、特にアメリカは、拒否権をちらつかせながら都合のいいように利用したり、気に入らないことがあると拠出金を支払わなかったり、好き勝手をやっています。したがって、半世紀を経ても、絶対に拒否権を手放そうとしないわけです---もちろん「核」も。
真の国連改革は、常任理事国とそれに伴う拒否権を廃止して、すべての国の完全平等を実現することです。
あなたの「自己認識を操る」例として、血中コレステロールの基準値を操作することがあります。
現在日本では、高脂血症の診断基準として、総コレステロール(以下TCと称す)220 mg/dl以上(LDLコレステロール140 mg/dl以上)が適用されています。
TCについてアメリカの基準は240 mg/dl以上であり、もっと動脈硬化性疾患の少ない日本では、220 mg/dl以上とするのは実情に合わないとの指摘が以前からあります。
5万人を対象とした大規模な疫学調査(J-LIT:2001年2月に結果報告)では、TC200〜280mg/dlの広い範囲で死亡率にほとんど差がなく、最も低いのはTC220〜240のグループであるという結果が出ています。
同時に、TCが高いグループほど心筋梗塞による死亡率は高くなるが、逆にガンによる死亡率は低くなること。そして、ガンによる死亡率が最も低いのは、TCが最も高いグループであることも。
またTCの最低グループ(180mg/dl未満)は死亡率が最も高く、200〜219mg/dlグループに対して、心筋梗塞の死亡率は8倍、ガンの死亡率は2.6倍であることも示されています。
【注】グラフは、下記の【参考2】より引用
同様の傾向は、他のいくつかの調査でも示されています。
以上の事実は、このような基準値の設定を特定の学会(特定分野の医者の集団:この場合は日本動脈硬化学会)に任せる危険性が、図らずも露呈する結果になったというべきでしょう。
それにもかかわらず、2002年の見直しの際、日本動脈硬化学会は、基本的に従来の基準を踏襲しました。
TCが低すぎる危険に言及していない点も同じで、「低ければ低いほどいい」という印象を与える設定になっています。
なお今回、年齢が男性45歳未満、女性55歳未満で、高血圧や糖尿病など他の危険因子がない者について、TC240 mg/dl以上、LDL160 mg/dl以上に緩和しましたが、これによっても、基準が不適切であることに違いはありません---上のグラフ参照。
代表的な高脂血症治療薬のスタチン錠(商品名:メバロチン、リポバス等)の売上は、年間2800億円もあり、その7割以上は女性患者からです(多くの女性が、画一的な基準の犠牲になって、不必要に高脂血症治療薬を飲まされていることを示唆しています)。それを処方する医者や病院の収入は、その数倍あるでしょう。
もし基準が、例えば220から240(mg/dl)に改定されたら、日本の高脂血症患者が2000万人から1000万人に減少するという試算があり、それに関係する医薬品や医療機関の売上が激減することは明らかです。
さらに、日本動脈硬化学会を排除して、260mg/dlに改定したらどうなるか、想像してみてください。
「本当に利益を得る」のが誰なのか、これによって見えてくるでしょう。
様々なデータから総合的に判断すると、年齢や性別に関係なく、260mg/dlあたりが最も妥当な基準とみられます。それは、クスリを飲み始める時点という意味ではなく、食事の見直しや継続的な運動に真剣に取り組み始める時点という意味で。
これをやるだけでも、国民医療費の相当な減額と、健康保険税の引き下げを実現させることができるでしょう。
注意してください。ほとんどの医者は、意識的にまたは無意識的に、病人を「製造」して自分の手元に置くことを使命だと考える傾向があります。
もし、少し間をおいて健診を2回やっても、あなたの総コレステロールの値が220mg/dlまたは240mg/dlを超えていたら、医者は「治療域に入っていて、このままでは危ないのでクスリで治療を始めましょう」と言うでしょう。
もしそれを、うっかり受け入れたら、(何も問題がないと思っていた)あなたの健康状態についての「自己認識」が操作され、あなたは「病人になった」と思うようになるでしょう。
そして、その先には、高脂血症治療薬の副作用との戦いが待っているでしょう。
最も使われているスタチン系やフィブラート系の治療薬には、多様な副作用の中でも、横紋筋融解症という重大な副作用があります。これは、骨格筋の細胞が壊れて、細胞成分が血中に流出する病態で、四肢の脱力や痛み、茶褐色尿などの自覚症状があります。
強い意志を持って、医者の申し出を断りましょう。「私はずっと元気でやってきているので、クスリは結構です」と。
そしてそれを、日常の食事や運動に留意するキッカケにすればいいでしょう。
【最近の動向】
日本動脈硬化学会は、2007年4月「脂質異常症の診断基準」を改定しました。
新基準では、総コレステロール(TC)を診断基準からはずし、「LDLコレステロール(いわゆる悪玉コレステロール)」140mg/dl以上を「高LDLコレステロール血症」とするなどの改定が行われました。
「脂質異常症(改訂後の病名)」の診断基準(空腹時採血)
高LDLコレステロール血症 |
LDLコレステロール |
140mg/dL以上 |
低HDLコレステロール血症 |
HDLコレステロール |
40mg/dL未満 |
高トリグリセライド血症 |
トリグリセライド (中性脂肪) |
150mg/dL以上 |
この新基準は、TCを排除したこと以外は本質的に従来の基準値を踏襲しているので、これによって「基準値が適正化された」と見ることには無理があります。
これらのデータとTCとの関係を求める一般式(TC=LDL+HDL+TG÷5)に、上表の境界値を代入すると、「TC=210」となり、従来以上に厳しい(非常識な)「診断基準」がまかり通ることになりかねません。
そもそも、生体にとって不可欠の要素を、悪玉(LDL)と善玉(HDL)に分けて扱うことに無理があるのです。
この考え方の根底には「コレステロール=悪」という幼稚な認識があり、それによって「運搬役(LDL)は悪玉」、「回収役(HDL)は善玉」とされたものでしょうが、生体にとって不可欠のコレステロールが「各組織に運搬されることを制限する」という発想そのものが非常識なのです。
【参考1】http://www2.incl.ne.jp/~horikosi/No129.html(コレステロールは高めがいい)
【参考2】http://www.geocities.jp/m_kato_clinic/choles-cholesterol-01.html(女性の高コレステロール血症の薬剤治療に根拠はない)
【参考3(08.03.29)毎日】(LDLコレステロール:本当に悪玉? 少な過ぎると死亡率上昇、東海大調査研究)
【参考4(08.03.29)読売】(「コレステロール低いと危険」免疫細胞の働き悪く、富山大調査研究)
・[「痛み」の意味]
あなた方の世界では、痛みに焦点を当てた《確信》が無数に見られますが、それは、そうした体験がリアルなものだということで正当化できるようにみえるかもしれません。ところが、痛みや苦痛を実際に引き起こしているのは、その可能性に意識の焦点を強烈に合わせていることそのものなのです。
痛みには、骨折のように、因果関係が明確なものもありますが、例えば乳ガンを心配したり、狭心症や心筋梗塞を心配したりすることが、現実に「リアルな」胸の痛みを生むこともあります。「リアル」だから、「間違いなく肉体に問題がある」とは言えないというわけです(「期待」が結果を生む)。
痛みには、常に核心と目的があります。それは主に、あなたの情緒のバランスが崩れていることを告げる、からだの知的中枢の深部からの、強いシグナルです。溜りに溜まってぎっしり詰まった感情が、からだに大きい負担をかけ、集積した古いエネルギーが、苦痛を伴う肉体的表出の形で解放されます。心痛を抱え込んだままで過去と縁を切ることをしないでいると、あなたのからだは、抑圧された感情の産物を忠実に示すのです。
個別の事象としての、過去を引きずらないことが大切です。
特別な感情を伴う過去のことは、一般化して、例えば「作用のメカニズム」についての学びとする。つまり、手法や法則として保存し、個別の事象としては手放すようにすればいいでしょう。
また、適切な文言を考えて、そのように意図することもいいでしょう。
この活動の結果として、あなたは、鬱積していた精神的・感情的エネルギーをDNAコードから解放し、それに対応して、正に解決を必要としている課題をあなたの人生に引き込むのです。その課題は、あなたの肉体面の現実に表出します。なぜなら、時間のラインに沿って意識の巨大な変容が遂行される際に、あなたの肉体が、あらゆるレベルにおけるあなたの癒しの舞台になるからです。
「この活動」というのは、「この時代!」に銀河宇宙の中心から放射されている特別のエネルギーの影響を受けて、私たちの意識だけでなく、細胞レベルでも起こっている大規模な変化のことです。
それによって、私たちが「意識の巨大な変容」を達成することが時代の要請です。
私たちは肉体を持つ存在なので、あらゆる情報を(ポジティブなものもネガティブなものも)「DNAコード」に溜め込んでいます。そこで必然的に、DNAを純化することが必要になり、それは肉体を「癒しの舞台」として遂行するしかありません。
したがって、「肉体面の現実」に何かが具現すれば、それは変化が進行している証拠で、歓迎するべきことと考えるべきでしょう。
なお、時間の本質として、すべては「現在」に存在するので、現在の浄化活動は、過去にわたる「時間のラインに沿って」すべてを癒すことになるのです。からだのマネジメントの重要性は、この点にあります。
明白な意図または信念によって、あなたは自分が指令することを、どんなことでも結局は現実化させるでしょう。あなたの指令の多くは、その実益に関係なく、完全に意識して選ばれます。その他の指令は隠れていて、潜在意識や無意識の心に蓄えられており、タマネギ畑やジャガイモ畑のように見慣れた古くからの家族の思い込みは、あっさりと受け入れられ、異議なく忠実に保持されるのです。ネガティブな姿勢を取り込むことによって家族の制約を伝承することが、世代を通じて似たような家族病を引き起こします。「母がこれこれの病気にかかったから、たぶん自分もやられるだろう」というのは、他者の課題や制約を、自分のものとして取り込む実例です。あなたのDNAは、たくさんの潜在的なパターンを保持しているので、あなたの心的な遺産を賢く選ぶべきです。洞察は観察から生まれます。あなたは、家族の混乱した遺産を超越して、もっと発展的な体験を持つようにしましょう――制限的な思い込みの由来を認識しながら。問題の核心をとらえることができれば、痛みや分離のパターンを、あなたのエネルギー場から解き放つことができるでしょう。
誰でも、多かれ少なかれ、各家庭が歴史を通じて継承してきた、いわば「文化」の影響を受けています。
そのような継承された「思い込み」には、きちんと検証されていないものがいっぱいあるでしょう。
それらが、無意識のうちに、あなたの現実創りに「貢献」している可能性があります。
「DNAは、たくさんの潜在的なパターンを保持している」ことは事実ですが、それらを選択的に「使用」し、あるいは無用のものを浄化し解き放つことができます。
あなたのからだは、あなた自身とあなたの血統上の親族の、全ての体験の――今生とそれを超えた生の、喜び、痛みそしてトラウマの――保管容器です。
苦痛や怒り、あるいは傷や死のトラウマなど癒されていない問題が、過去生から持ち越され、からだの不可解な痛みや慢性の痛みをもたらすことが多くあります。あなたの遺伝子のパターンは、あなたの遺伝血統での出来事に加えて、あなたの様々な転生体験の記憶も保持しているのです。
DNAが血統に繋がる肉体的な形質の「保管庫」であることは、地球の教科書が教えることで、また認識の限界でもあります。
実際には、DNAは、あらゆる情報の「保管庫」で、それらの情報の中には、「血統上の親族の、すべての体験」が含まれており、その体験とは、血統に繋がるすべての親族の「今生とそれを超えた生(つまり、それぞれの過去生)の、喜び、痛み、そしてトラウマ」まで含まれているというわけです。
当然ながら、あなた自身の「様々な転生体験の記憶」も保持されています。もちろんそれらは、あなたの今生での遺伝血統とは何の関係もないものです。
子供が、血統上で近い親族の誰にもない独自の風貌や性格を持って生まれてくるのは、「様々な転生体験」で築き上げた「魂の本質」の表出です。
すべては波動で、波動がDNAを創るのです。血統に由来するのは、DNAの構成要素の一部分に過ぎません。
・[DNA解明の現状レベル]
遺伝子の研究は、近年急速に進歩してほとんど解明し尽くされていると思っている方もいるかもしれませんが、とんでもありません。人類の科学は、ほとんど何も分かっていないのです。人類による遺伝子操作の危険性は、この点にあります。
現時点で分かっているのは、この程度のことです----ヒトのDNAを大きく2つの領域に分けています。約30%を「遺伝子領域」と呼んでおり、そのうち約3%は、タンパク質の合成、つまり肉体的側面に関係しているので、この部分の解明はある程度進んでいます(「エクソン」と呼んでいます)。残りの27%はタンパク質の合成に関与していないので、何のために存在しているのか分からず、「イントロン(介在配列)」と名付けていますが、時には「余分なもの」「厄介もの」「負の遺産」などと呼んでいます。残りの約70%を「非遺伝子領域」と呼んでおり、52%を「偽遺伝子とスペーサー」、18%を「繰り返し配列」という風に分類していますが、いずれにしても、その存在意義が全く分からないので、全体を「がらくた(junk)DNA」などと呼んでいるのです。
DNAについて、肉体(タンパク質合成)に関係しない要素を、「厄介もの」「偽遺伝子」「ジャンク(がらくた)」などと呼称すること自体が、科学者たちの迷妄の深さと傲慢を象徴しています。----彼らは、大腸菌のような原始的な生物のDNAには「厄介もの」がほとんどなく「エクソン」だけが(きれいに)連なっており、高等生物ほど「厄介もの」が多くなる理由が全く理解できなくて、本心は困り果てているはずです。
結局、ある程度その機能が解明できているのは、「エクソン(約3%)」の部分に過ぎません。
ヒトを肉体だけの存在としてとらえる姿勢を変えない限り、DNAの本質に迫ることはできないでしょう。
ところで、先に出てきた「時間のラインに沿って」癒すことの重要性は、私たちのDNAに「血統上の親族の、すべての体験」が具現されていることを考えると理解できると思います。
● 心と健康
あなたが信じていることのすべてが、あなたの健康に強い影響力を持っています。それは、あなたが、あなた自身や世間一般のことをどう感じるかが、あなたの肉体の機能や運用管理するシステムに直接的に影響するからです。覚えておくべきことは、あなたが感じることは、常にあなたが信じていることに繋がっているという事実です。つまり、あなたがどう感じるかは、あなたが信じていることの結果なのです。
あなたは、あなたの肉体の責任者で、あなたの健康状態は、あなたが思うこと、感じること、そして感情など、あなたの内なる世界の直接的な反映です。
本質的に、健康は心の状態です。あなたが持っている個人の力を効果的に利用する方法は、あなたの人生には固有の意味がいっぱいあり、すべて起こることにはもっともな理由があると確信することです。健康は財産で、優れた健康の鍵は強力な免疫システムです。そして、強い免疫システムへの単純な鍵は、満足感です。現に進行している人類の意識の変容過程は、あなたの健康と癒しに対して個人的な責任を引き受けることを求めています――あなたのからだと人生に最終的に責任があるのは、あなた自身だからです。
アセンションのプロセスで、地球と地球人類には、宇宙の雛形としての役割があり、期待があります。
私たち1人ひとりの癒しは、自分の過去生や血統に繋がる全親族の癒しになるだけでなく、宇宙の雛形としての地球全体の癒しを経て、宇宙全体の癒しにつながるという構造になっています。幾層にも複雑に絡み合った、たいへんな事業が進行しているわけです。
そのように重大な意味を持つ癒しの「舞台」が、私たちのからだです。
こうした観点からみると、いま、自分の「からだのマネジメント」に責任を持つことの重みが、理解できるのではないでしょうか。
けれども、そのために実際にやることは難しいことではなく、「満足感」が「単純な鍵」になる、という程度のことです。
自分のからだに対して心からの愛と感謝の気持ちを持つことは、きわめて価値のある、元気付ける信号を含んだ肯定的なメッセージを伝えることで、優れた健康状態をもたらします。これに対して、不幸や絶望、孤独感、無力感、否定、怒り、憤慨、嫉妬、貪欲そして怒りなどの感情に浸ることは、否定的なメッセージを伝えることになり、からだの物理的機能の不調和を促進します。否定的な態度は、否定的な結果をもたらすのです。怒りや嫌悪は、からだへ流入しようとする生命力エネルギーを塞ぐので、最も実害の大きい感情です。愛を与えまた受け取る能力は、それが持つ光輝のたくさんの色合いの中に、癒しへの真の鍵を持っています。なぜなら、それは、最も元気付け肯定する感情表現の形だからです。
言い古されてきたことではありますが、いつもポジティブな想念を抱くことが健康の鍵で、その最高のかたちが「愛」だというわけです。
● からだのメカニズムを知る
すべての病気は各人に固有のもので、人生に対する感情的な反応を、自己のある部分から他の部分へ伝えるポジティブな機能を実際に持っています。からだの内なるメッセージを理解するには、からだの天賦の知性に深い敬意を持つことが必要です。そして、思いや感情の力によって自分自身を癒すことができることを否定するなら、すべての不健康という体験について、真の有用性や意義は失われることになります。
大きいものでも小さいものでも、すべての病気の背後には重要な意味があります。あなたのからだは、あなたの態度の生物的フィードバック・システムだからです。エネルギーを扱うことは、《あなた》と《あなたの感情的な自我》との関係を扱うことに係わります。特定の健康状態の目的を理解する基本は、自分の感情を調べることです。不健康がたまたまやって来る、ということはありません。様々な選択を通じて、からだの内部地勢の舞台造りに最終的に責任を持つのは《あなた》です。そして、あなたの状態について、型にはまった医学的レッテルやカテゴリーだけを無神経に受け入れると、あなたは、からだの自然治癒過程を制限することになります。からだは単に、あなたの内なる感覚や指令に反応しているに過ぎないのに、それを認識して受け入れることをせず、「思いがけず(病気に)つかまってしまった」と信じることは、からだが持っている知性の目的や力を否定することになります。
西洋医学の根本思想は、現象に対する共通項を見付けてパターン化し、それを薬など物理的な手段によって改変しようとすることです。したがって、個人的な特性を限りなく抹殺することを追求します。私たち自身も、いまやその思想にすっかり染まってしまい、何かあると原因となるパターンを、(家庭医学書などを紐解いて)自分でも発見しようとすることが習い性になっているのではないでしょうか。
そして、病院へ行ったら、「型にはまった医学的レッテルやカテゴリー」つまり医者が言うことを、「無神経に受け入れる」ことになり、薬などに頼る結果になっているでしょう。
病気を、完全に自分固有のものだと認識しないかぎり、真の癒しはなく、逆にそれに気付きさえすれば、自分で治すことができます。
「内部地勢の舞台造り」とは、からだの恒常性を維持すること、簡単に言えばトータルなバランスを保つことです。
それは、「様々な選択を通じて」、つまり食事や運動、心の持ち方など、日常のあらゆる局面で何を選択するかによって、実現されるものだというわけです。
あなたの細胞は、集合的にまたは個別に、からだの機能を維持する方法を知っていて、何か問題があれば、からだがそれを知らせるのです。すべての病気には、それに痛みが伴う場合も同様に、核心と目的があります。あなたのからだは、あなたの自己に対する所信を、忠実に反映していることを覚えておいてください。自己憐憫、疑い、あるいは心配などの感情は、頼りなさと無力感で満ちたメッセージを各細胞に送り、その結果として、細胞はその合図に協調して反応し、その命令に従うのです。
あなたの細胞、分子、原子、そして素粒子たちは、すべて知性を持っています。彼らの集合的な役割は、あなたの指令に応えることなので、お互いに連絡を取り合うのです。
からだは、あなたに逆らって働くことはありません。しかし、もしあなたが自分自身を卑下したり非難したりして、からだに逆らって働けば、からだはあなたの最強の指令に従うでしょう。
私たちのからだの、個々の細胞が持っている知性、そしてそれらが、からだの機能を正常に維持するために、また「主人(私たち)」の意図を忠実に実現するために、お互いに連絡を取り合い協調して働くということ---このような所見は、私たちの教科書に書いてないので、俄かには信じられないかもしれません。
しかし、「創造の目的」を考えれば、それは当然のことでしょう。そうでないように人体を創ることなど、到底考えられないことではないでしょうか。
私たちがコンピュータを設計するにしても、個々の部品やソフトに「知性(つまり機能)」を持たせ、相互に信号のやり取りをしながら全体が連携して働くようにします。自己診断や修復の機能も持たせます。そして最終的には、どんな内容であっても、「主人(オペレータ)」の意図に忠実に従うように造ります。
コンピュータの設計者のレベルの私たちの知性を、はるかに超越した知性が人体というシステムを設計したことを考えれば、上記のことは、たいへん自然なこととして了解できるでしょう。
あなたのからだは自己治癒システムとして設計されていて、知性を持っており、適切な休養と栄養があれば、健康をもたらすために必要なものは何でも造ることができます――態度と行動の両面を変えることを前提として。からだへの愛や感謝の欠如は、不適切な食習慣や、最適の健康状態を助長する活動そのものに概して無関心であることに表わされるでしょう。繰り返すようですが、あなたのからだは、普通の状態ではあなたに逆らって働くことはありません――あなたの考えや思い込みに、忠実に反応するように創られているのです。からだは、あなたが自分自身に与える愛のエネルギーのもとで元気になります。あなたは、あたかも、あなた自身の愛に値し、人生に値し、人生は生きるに値するかのように、確言し行動するべきです。この確信には、他のことでも同じですが、責任を持って関与する必要があり、そうなることを本当に望むべきです――他の何よりも、自分が欲しいと願うものを創造するように、望むべきです。
あなたの思いや感情が、エネルギーを駆動するのに絶大な力を持っているとしても、物質レベルでは、肉体のシステムを扶養し続けるために、各細胞は優しく愛情のこもったケアを必要とします。各細胞、血液供給、そして各器官はいずれも、あなたが食べる食物、飲む水、呼吸する空気の質、そして浴びる太陽光の量に影響されます。日常の飲食物が健康的であればあるほど、そしてからだのシステムにたくさんの酸素を取り入れれば入れるほど、あなたの細胞はますます活気に満ちてきます。からだは非常に適応性があり、様々な有害エネルギーを効果的に転換させることができますが、それでもあなたの生物学的システムは、特定の支援態勢のもとで最も活力を持つのです。自然は、最良の生命維持エネルギーを供給してくれるので、あなたの感性を養うためにも、もっと自然に浸る時間を持つようにしましょう。また自然は、比類のない美の贈り物に加えて、宇宙エネルギーに満ちた食料や酸素を造る、植物や樹々をはぐくんでくれます。
自分の肉体に対する私たちの意識のあり方が、健康を維持するのに極めて重要だというわけですが、同時に、からだは物理的システムつまり物質的存在である、という側面も無視することができません。
意識(気持ち)だけ高く持っても、物理的なサポートが十分でなければ、からだは万全の機能を発揮することができないのです。
その一環として、「浴びる太陽光の量」が、特に「この時代!」では重要です。そして、「自然に浸る時間を持つ」ことも。
注意しましょう。当局や医学界、そしてマスメディアが、「紫外線の害」を強調することを通じて、「太陽を毛嫌いさせる」大キャンペーンを張っています。
ちょっと陽に当っただけで、誰でも皮膚ガンになるような言い方をします。
彼らは、日焼けは皮膚の表面をメラニンで覆って必要以上の紫外線に当らないようにする正常な反応であること、そして皮膚には修復機能があることを、積極的には教えません。
紫外線と可視光線をゴチャマゼにして、ともかく太陽を悪者にしています。
母子手帳の記載も、以前とは逆転して、子供をなるべく陽に当てないように変更されています。
そもそも、ビタミンDの生成には、(可視光線でなく)紫外線に当たることが必要なのに。
もちろん、季節や目的(スキーや登山、そして海水浴など)に応じて、適度の紫外線防御をすることは望ましいことです。
皮膚の露出部に、オリーブオイル(エキストラ・バージン・オイル)を薄く塗ることをお勧めします。
あなたがどんな信条を抱いているとしても、いわゆるファーストフード、脂っこい揚げ物、化学添加物を含む加工食品、砂糖の代替品、そして炭酸飲料などを日常的に摂ることでは、あなたの細胞に最善の機能を発揮させるのに必要な栄養は、ほとんど得ることができません。また、「いい思いを抱き」さえすれば、栄養的に貧弱なものを食べ続けていても、からだは健康でいられるという思い違いをしないでください。物質界の法則にも留意するという、現実的な姿勢を持つべきです。シャワーを浴びることもしないで、清潔でいられるでしょうか? からだは、あなたが食べたものの質と量を、利用し処理しなければなりません。そして最終的に、もしあなたがヘドロを限界まで取り込んだら、からだのシステムは詰まってしまい、機能しなくなるでしょう。
免疫機能を強化するには、賢く食べることが大切です。生の食品に含まれる重要な栄養は、あなたの細胞を養います――穀類、ナッツ類、そして生の果物や野菜は、pHのバランスを整え、からだをアルカリ性にします。生の果物や野菜のジュースも、同様にアルカリ性にし、エネルギーを迅速に供給する働きもあります。アルコール、肉類、コーヒー、チョコレート、酒などは――甘いキャンディーなども同じですが――からだを酸性傾向にします。そして、体が酸性に傾き過ぎると、病気が起こりやすくなります。感情面のあつれき、例えば心配事、疑念、慢性的な不安、怒り、憤慨、嫉妬、そして復讐心なども、からだの化学バランスを酸性傾向にします。からだの消化器系統をアルカリ性に維持することは、最善の健康への最も現実的なアプローチです。pHのアルカリ性は、体重のバランスを整え、また病気に対する生来の免疫性を創って、からだの内部地勢のバランスを整える働きもあるのです。
手のひらで食べものを強化することもでき、それはもちろん、たいへん強いエネルギーを満たすことです。両方の手のひらを軽く押し合わせてから、手を開いて手のひらを食べものにかざします。目をあけても閉じてもいいですが、声を出すか黙ったままで、これから食べるものに心からの感謝を捧げます。同時に、食べものに対してだけでなく、それが食卓に上るまでに係わったすべての人に敬意を表明します。そして、その食べものが、健康と活力、そして清澄な心に向けて、あなたのからだを調和させてくれるように頼みます。このようにして、健康になるために食べて、食べものをクスリにすることができるのです。
最良の食品でも、それがよく消化吸収されるには、感情が大いに関係します。怒っている時に食べることは、食べものが十分に分解されないので、健康的ではありません。怒りは、消化吸収と同化を妨げる、状況を操作し支配するエネルギーです。したがって、怒りを覚えたり、操作や支配しようとする状態の時は、まずは水かハーブ茶を大量に飲んで、感情的にバランスが取れてから食べるようにするのが最善です。
「食」の重みとは、肉体という物理的システムをサポートするために「物質界の法則にも留意する」ことが重要だ、ということだけではありません。
「この時代!」において、ヒトのからだが「癒しの舞台」になっており、食べることは「癒し」に直結するのです。
食べること自体が、アセンションへの重要なプロセスです。それも、上に細かく説明されているように、「賢く食べる」ことが大切です。
【参考】アセンション・オンゴーイング[第11回] 何を食べればいいのだろう(私の選択)
● 癒しの真髄
あなたがここにいるのは、自分で自分の現実を創るという新しい考え方に目覚めて、よく知られている不快な軌道にあなたを留めて置こうとする、内部プログラミングを覆すためです。あなた独自の心配の種を見付け出して、それを、あなたのエネルギーの場から解き放ちましょう。制限的な思い込みや態度は、生活の質を低下させます。未知のものを恐れる感覚は、「私はいつも安全だ!」という肯定的宣言に置き換えることができます。買い物のリストを作るように、確信に満ちた態度で、自分が創りたいものを書き留めましょう。人生は、広大な勉強の機会です。自分の意志の力を主体的に支配するようにして、古い習慣や考え方のパターンから自由になりましょう――それには、あなたを次第に弱らせていく、消耗するような心身の活動をやめることです。自害行為をやっている自分を折よく捕まえたら、あなたの新発見に、ほくそ笑んでください。そして、物質界でエネルギーの扱い方を学ぶことが、あなたがここにいる主な理由の1つだということを思い出してください。
「内部プログラミング」とは、「ヤミの勢力」につながる国際的な組織によって、人類を自由に操るために埋め込まれた、すべての人類の心の奥底にある観念または思い込みのことです。私たちの現実が、それだけのスケールで操作されていることについての、「彼ら(すばる意識)」の観察を示しています。
「あなたがここにいる」目的は、むろんお金や名誉のためではなく、世俗的な意味で成功するためでもありません。
それらは、「古い習慣や考え方のパターン」に染まることで、そのために「消耗するような心身の活動」をするのでは、何のために地球の「この時代!」に生まれてきたのか分からないことになります。
そのような「自害行為」をやっている自分に折よく気付いたら、しめたものです。「ほくそ笑んでください」というわけです。
現に地球で肉体を持っているすべての人にとって、今生での最大の目的は---「人類意識の巨大な変容」に参画し、その一翼を担うことです。
その一環として、「物質界でエネルギーの扱い方を学ぶこと」がありますが、それは、「確信に満ちた態度で、自分が創りたいものを書き留め」ておいて、「意図」によってそれを現実化させる体験を積むことです。
現実は流動的なもので、時間と空間は、観察者の知覚に応じて自在に変化します。この場所で《いま》、あなたの事実認識が変化すれば、それは実際に時間のライン上を、さざ波を立てて進みます――あなたが意識の新しいコードを選んだことを告知しながら。これこそ、《時間のライン上の癒し》が起こる仕組みなのです。
《時間のライン上の癒し》のことは前にも出てきましたが、事実認識を《現時点》で変えれば、「時間のライン上」のすべて、つまりあなたに係わる過去のすべてが変わる(癒される)のです。
私たちの現実は、そのように「流動的なもの」です---過去の現実でさえも。
自分が「どうして」これを創ってしまったかを問うことは、あなたの脳波の周波数を変えて、あなたの宇宙意識への回路を開くことになります。何事についても、より大きい意味を追求するようにすると、からだに自然に備わっている自己治癒力のバランスが確立します。そして、より大きい構図では、実在する世界の遊技場において、すべての癒しは再解釈です――自分の信じていることが我が身に起こったことに関しての。
表面的に失敗とみえることでも、観点を変えると、それは現在のあなたにとって必要なプロセスで、大きい学びになっていることが多いでしょう。
何しろ宇宙では、「無駄なことは1つもなく」「すべては完璧なタイミングで起こっている」のですから。
したがって、「何事についても、より大きい意味を追求」することによって「再解釈」した上で、解き放つようにすることが大切です。
覚えておくべきことは、あなたの主観はあなたの思い込みに由来することです。そこで、あなたの思い込みを調べて、あなたの人生を形造るのに使われた素材を確認しましょう。毎日の人生で、あなたの思い込みがもたらしたものを捜し出すようにしましょう。自分のからだについて、どう感じているかを、よく考えてみましょう――家族、友人、親戚、仕事、食べもの、お金、セックスそして宗教などについてと同様に。あなたが、生命力エネルギーを、どのようにして塞いでいるかを見付け出すには、どんな状況でも、自分がどう感じるかを素直に認めることが大切です。あなたは、抵抗したり抑制したりしていないでしょうか、思いを外に出すことをしないで、被害者意識、憤慨、嫌悪、羨望、嫉妬、恥、怒り、罪悪感または心配事などについての深い思いを、我慢し、胸に納め、あるいは隠したりしていないでしょうか? もしあなたが、あなた自身のいわゆる毒を名指しできたら、しめたものです。これは、少しふざけた言い方かもしれません。しかし、あなたの毒を名指しすることによって、自害行為をやっている自分を見つけて、プログラムを変えることができるのです。
健康に関しては、やはり自分のからだについての「思い込み」の影響が最も大きく、それはいつかどこかで取り込んでいるはずですが、まるでからだの一部のように意識の奥底に鎮座していて、取り出すのは簡単ではないでしょう。
しかしそれらは、自己加害する「毒」なので、何としてでも見つけ出して、順次解き放っていく必要があります。
自分が希望する現実を造るには、望ましい結果についての、明白で詳細なイメージを創ることです。仮に、あなたが病気だとすれば、短期間で、容易に、そして快い治癒過程を経て、完全に回復することを固く決意するべきです。驚くべき一連の好都合な出来事によって、すべてがうまく運ぶというアイディアを自分のものにしましょう。新しい行動様式を学ぶ鍵は、想像力、視覚化、意志力の活性化、期待感の保持、そして肯定的態度の強化です。あなたは、必ず結果を期待するべきで、そうでなければ何も出て来ないでしょう。想像力を創造的に使って、それに行動が伴えば、結果が出るでしょう。あなたのからだが、今は具合よく機能していないとしても、態度を変えることによって自分自身を癒すことができる力を、あなたは持っています――これは、自己憐憫に気づいてそれを自己受容に変えること、また恐れを希望に、怒りや心痛を許しに変える程度の、簡単なことです。
ここで大切なことは、軽い「ノリ」です。決して「大変なこと」と思わないことです。
その鍵は、「確信」と「イメージ創り」でしょう。
ここにある、「新しい行動様式を学ぶ」とは、この節の初めに出て来た「物質界でエネルギーの扱い方を学ぶこと」と同義です。
「それに行動が伴えば」の意味は、いいと思うことを着実に継続的に実行すること。それには、例えば、生活のリズムを保つことや、入眠前に実現したいことを「意図する」ことも含みます。
● 健康への宣言
「私は健康です。私は、自分が変化することに対してオープンです。私は自分を癒しており、同時に私の血統の中に間違って嵌め込まれた意図を癒しています。私は、自分のエネルギーを変質させています。私は、混乱や絶望のすべてのパターンを解き放っています。私は大いに感謝しています――私が知っていることすべてに、思い出す喜びに、そして癒す勇気に。私が自分を癒すときには、時間のラインの上のすべての関係を癒します。」
「私はいま、活力に満ちた健康な存在です。私は、自分を変えることに伴う、責任と義務を受け入れます。私は、人生を解釈する新しいやり方を、自分のものにする用意があります。私は、私に力を与えてくれる多くの方法や技法を学ぶことに、うきうきしています――それらは、自分の肉体を機能させるものであり、あらゆる瞬間に万全の健康状態を体験させてくれるものだからです。私は、毎日のように、毎年のように、さらに10年や千年はもとより、時間の全回廊を通して、より良い姿を取り入れています。私は、私の「いま」がすべての《いま》に広がっていることを理解しており、いのちの物質的および非物質的側面について、もっと知るように努めます。私は、私の究極の責任は、私自身と地球のすべてのものを通り抜ける宇宙エネルギーの力を扱うことだと理解しており、その最初の責任と義務は、自分の肉体を愛し気遣うことだと理解しています。」
上の2つの宣言は、これまでの《おさらい》のようなものです。
ここで、「私の血統の中に間違って嵌め込まれた意図」とは、先祖が取り込んだ「思い込み」や人類をコントロールする存在たちによって埋め込まれたものなどですが、由来が何であれ、すべてを一括して癒し、解き放つのです。
「時間の全回廊を通して、より良い姿を取り入れています」の意味は、自分が時々刻々進化しているので、健康状態、風貌や体形、意識や波動など、自分に関するあらゆるものが、瞬間ごとに前よりも良くなっているということです。
「私の「いま」がすべての《いま》に広がっている」の意味は、時間の本質としては、過去も未来もすべて現在に同時に存在するので、私が「いま」行う意識の変容(つまり癒し)が、自分の過去生や血統上の親族のすべての《いま》を同時に癒すことを指します。
「すべてのものを通り抜ける宇宙エネルギーの力を扱う」の意味は、元々宇宙に遍満しているエネルギーがあり、それに「この時代!」に銀河中心から送られてくる特別のエネルギーが上乗せされているわけですが、それらを自在に操れるようになれば、この物資次元で何でも望みのままに創造することができるようになります。人類のコースはその方向に進んでいるわけですが、まずは「癒しの舞台」としての肉体を気遣うことから始めなければならないということです。
以下で、いま人類が置かれている立場を確認しておきましょう。
覚えておくべきことは、あなたは、何千年にもわたって蓄積されてきた、エネルギーの大波の先頭にいるということです。そこで、あなたに関係する多くの存在たちが、別の時間のラインや別の現実からやって来て、あなたの観点からの《現実ゲーム》を理解しようとして、あなたに投資しているのです。それをマスターするのに、時間のライン上のあらゆる存在たちの中で、あなたは最高の機会に恵まれています。そして、あなたにとっての最大のチャレンジの1つは、あなたの肉体を機能させる方法を学ぶことです――なぜなら、あなたの観点からは、あなたの肉体は多次元宇宙を航行する乗り物だからです。
私たちが必ずしも明確に認識していない、私たちの強み、そして特権は、《この時代!》に《地球》で《肉体》を持っているということです。
それは、全宇宙のすべての存在が憧憬する得難い体験です。
そこで、「別の時間のライン」や「別の現実」から、つまり私たちの世界の過去や未来からはもちろん、私たちの世界と並行する別の宇宙(平行現実)や様々な非物質界から、「多くの存在たち」がやって来て「あなたに投資」しているというわけです。
「投資」の仕方は様々で、典型的には、あなたに縁のある魂が、あなたの肉体に入り込んで、あなたのアセンションをサポートしながら、自らも、宇宙で未曾有の大転換を体験しようとすることです。それらの魂の多くは善意の存在なので、肉体に入るとしても、いわゆる憑依とは違います。
「投資」の別の形は、肉体には入らず、あなたの近くで、あなたの意識の変化や行動を観察しながら、そこから学ぼうとするものです。
しかし、何といっても、「現実ゲーム」をマスターするのに「最高の機会に恵まれて」いるのは、肉体の持ち主である《あなた自身》だというわけです。
それだけに、「肉体を機能させる方法を学ぶ」ことが、この上なく重要なことになります。
その学びの究極では、例えば、非物質界を含む多次元宇宙へ自由に「航行」することもできるようになるでしょう。その場合、肉体という根拠地があるから安全に行き来できるわけで、そうでなければ、(今の私たちの進化の段階では)宇宙の迷子になってしまうでしょう。
善意の意図を持つ《魂たち》を積極的に「招聘(しょうへい)」して、彼らのサポートを受けるのは有意義なことです。
あなたがしっかりしていれば、多すぎて混乱するということはありません。「多々益々弁ず」です。
《私は、アセンションをサポートする適切な魂を受け取ることを意図します》
《私は、私の先祖たちが私の人生のダンスに参画し、私のアセンションをサポートしてくれることを意図します》
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