アセンション・オンゴーイング

 

[第1回]旅立ちの時

 

アセンションの進展

 

アセンションについては、魂のレベルでは、すべての人がすでに知っています。この巨大なプロセスの進行を、意識の深い部分で完全に感知しているので、アセンションの証拠を提示することなど、元々必要がないのです。しかし、アセンション情報についての反応には個人差があります。一般に、ポジティブな反応を示す人は、感性によってものを判断する人です。直感が、論理的頭脳の判断に勝ることを信頼しています。一方、ネガティブな反応を示す人は、論理的頭脳が表面意識を強く支配しており、社会で普遍的に認められていない情報を受け入れることを許さないのです(アセンションについては、次を参照してください。本シリーズ第1部『混迷の星』の「アセンションへの道」、第2部『地球人の覚醒』の各章、『時代の分水嶺』の「地球の魂が語る―これからの地球)

 

この社会で最上位に置かれることの多い論理の世界は、実は人に大幅な制約をもたらす「普遍的構造」への捕らわれの世界です。私たちは、自分の直観力を信じる「必要がない」ことを、強く教え込まれてきました。そして、概してそれに従順に従ってきました。この土壌に上に、「普遍的構造」は構築されています。この構造は、人類を自在に操縦し支配するために「でっち上げられたものだ」、と言うと驚くでしょうか。

 

直感は、すべてを知っている魂の知らせです。魂は常に真実を知っているので、直感を外部からコントロールすることは不可能です。それに対して、論理を操ることは極めて簡単です。情報を与えたり与えなかったり歪曲したりすることによって、権力を持つ者が(その裏で地球を実質的に支配している存在たちが)自由自在に操縦できるのです。私たちが後生大事にし第二の天性ともなっている「中核的信条」は、「普遍的構造」のなかで、このようにして醸成されたものです。それは、この社会で、多数の人が良いと信じている価値システムともいえます。両親や教師や社会から徐々に教え込まれ、その意味を深く考えないで受け入れてきました。そして、「世渡り」の体験を通じて強化されたものです。

 

こうして私たちは、直感や感性よりも論理を重視し、新奇な情報や大胆な変革に抵抗する狭隘な世界を、安住の地だと錯覚して生きるようになりました。現実に、地球規模でかつてない大規模な変化が起こっているのに、「中核的信条」は、私たち自身がそれに気づかないことを望んでいるのです。これが、新時代への移行(アセンション)に対して、抜き難い壁として立ちはだかっていることを知っておいてください。

 

ともかく、いまや私たちは、目的(アセンションによる「壮大な帰郷」)への高速道路に乗りました。地球規模の新しい意識場ができつつあり、そこへの「宇宙」からの情報注入が、アセンションをいっそう加速するという循環になってきています。残りは、集合の「中核的信条」を変えていくというプロセスと、それぞれの個人としての行動です。

 

自分の「環境」を創る

 

個人としての課題は、母(地球)の波動上昇にキャッチアップすることです。それには、アセンションを意図しつつ速いエネルギーの流れに適応できるよう、自分自身を変えていく必要があります。この選択をしない人は、次第に体のエネルギー流の梗塞が起こり、肉体の活力を保つことが難しくなってくるでしょう。残念ながら私たちは、上昇どころか波動を低下させる「環境」のただなかにいます。仕事、家庭、趣味のサークル、商品やサービス、情報とマスメディア、居住環境など、日々にかかわりを持つすべてのものが「環境」です。多くの場合、これら「乱気流」に満ちた「環境」の1つひとつとの関わり方を抜本的に変えないかぎり、全体としての「波動収支」をプラスにすることが難しい状況になっているのではないでしょうか。

 

仕事の場で、従業員の立場はたいへん難しいものです。職場の性質や上司など、よほど恵まれた環境でないかぎり、「気(生命エネルギー)」を与える一方で受け取ることは少ないでしょう。アセンションのためには、「気」のロスは大きい障害になります。ロスがあるかないかは、感覚的にわかるはずです。「気」の流出がどうしても避けられない場合は、速めに決断して、より主体性をもって生きることができる環境造りを目指す必要があります。これからの人生のすべてを、アセンション達成のために投じるつもりがあるかどうかです。それ以外は、マイナーなことです。どのみち、すべては勉強であり、プロセスですから。

 

家庭という環境では、家族の全員がアセンションについて共通の認識を持ち、そろってアセンションを志向することができれば理想的です。実際には、この条件にかなうケースは少ないでしょう。家族というものを硬直的に考えないことが必要です。もともと結婚という習俗は、独占欲と執着に満ちた地球人類のために「必要悪」として案出されたものです。また、この地球では、子供に対してさえ「私有物」の観念があります。これは、宇宙での普遍的な姿ではありません。

 

多くの場合、家族のメンバーは、転生前(過去世)のカルマ(約束や因縁)よって集まってきています。つまり、昔の「ダンス」の延長戦をやっているわけですが、今はすべてのカルマへの拘束を解き放つ時です。家族という枠組みは、ある段階まではそれなりの意義がありますが、その意義が変ることなく続くものではありません。カルマを越える建設的な意義が、なお残っているかどうかを見極める必要があります。それによって、フォークの分岐点から先は、別々の道を歩むこともあるでしょう。

 

家庭での問題は、アセンションへの認識だけではありません。あなたが12歳以上の「大人」で、あなたの一挙一動に注文がつく環境にいるとすれば、あなたのスピリチュアルな成長は重大な障害に直面しています。あなたが、個々の「注文」をはね返すだけの精神的な強さを持っていれば、そのコントロールに順化した「サイボーグ人間」になる恐れはありません。しかし、「おせっかい」が入る度に、あなたの波動が乱されるわけで、その乱れが上昇の妨げになります。あなたが何かにつけ《これをしたら、しなかったら、買ったら、注文したら》「何と言われるだろう」という考えが頭をよぎるとすれば、同じことです。

 

その状況を回避するには、環境を変えるしかありません。なぜなら、「おせっかい屋」というものは、善行を積んでいるつもりでやっているから始末が悪いのです。実際は、自分の流儀に合うよう周りのすべてを整えないと気が済まないという気質を持っており、また人を信頼することができないので、事々に口を出すことになっているわけですが---。あなたがその環境に居ると、あなた自身もその「無意識の加害」の「能力」が身について、別の機会に「行使」するようになるので注意しましょう。この宇宙では、他者を加害するのでないかぎり、あらゆる自己表現が許されており、すべての「人生のダンス」が宇宙への貢献です。どれが良くてどれが悪いということはありません。「おせっかい屋」には、この真理がどうしても理解できないのです。「加害(おせっかい)」と「愛(無条件の受容)」との区別がわからないのです。

 

趣味のサークルなどでも、「気」の収支に注意する必要があります。何ヵ月、何年やったなかで、達成感があったのかどうか、進歩や成長が感じられたかどうか、メンバーとの間で心が通じていたかどうか、魂の交流ができる場であるかどうかなどを見極める必要があります。例えて言えば、あなたが投げた球がきちんと受け止められ、確実に返球されているかどうかということです。もしそうでなければ、あなたは一方的に「気」を流出させています。そのサークルとの付き合いのなかで、ふと感じる無力感、むなしさがそれです。それは個々のメンバーの問題ではなく、組織としての在り方が、あなたにマッチしていないことを意味します。

 

たかだか趣味のことだから大げさに考えなくていい、と思うのは大間違いです。アセンションのためには、「気」の一方的な流出は絶対に避けるべきです。楽しく活動しているつもりでも、十年一日のごとく同じところをぐるぐる回っていることがあります。それを、何年も続けた場合に失われる「気」の大きさを考えましょう。 「私にはこれしかない」と思うかもしれませんが、それを手放しても、失うものは何もありません。無価値なもの、前進の妨げになっているものを手放して、生命エネルギーの流出をストップさせるだけのことです。魂の障害物を、あなたの人生から取り除くわけです。そこを離れても、創造的な自己表現の可能性は、いくらでもあります。あなたはオールマイティーの「神」だから、どんな状況でも自在に手繰り寄せることができますが、古いものにしがみついているかぎり新しいものはやって来ません。

 

商品やサービスに関しては、テレビのコマーシャルや新聞の折り込み広告の「毒」に注意しましょう。欲望を植付け肥大化させるように様々な工夫が凝らされています。それらのすべてを買う余裕がないとしても、少なくとも「毒」は取り込んで心に刻まれます。それが、エネルギーの梗塞になります。「解毒」の最も簡単な方法は、気になるものを全部買ってしまうことです。そして、使う当てのないものがほとんどでしょうから、バザールやガレージセールで処分するわけです。もちろん、初めから「毒」を取り込まないことが、もっと賢明なやり方です。環境創りの視点で、自分なりのシステム、スタイルとして確立することがポイントです。

 

いわゆる「精神世界」も、今は混迷の極にあります。これまでのように経済主体の考え方では駄目だ、というところまでは共通認識になってきました。しかしその先の道筋が見えず、何か頼りになるものを求めようとする人が増えています。それに乗じて、様々なビジネスが跋扈しています。その多くは、何かしらスピリチュアルな装いをまとったモノやサービスを売りつけようとするものです。これに対して、すべての答えは自分の内側にあるのだから、基本的に人はモノやペットによって癒されることはない、ということをしっかり頭に入れておきましょう。いかがわしいセミナーや講演会、あるいは新興宗教のハシゴをするのも同じことです。また本や雑誌、そしてこのページのようなインターネットの情報も鵜呑みにすることは危険です。頼りになるのは、あなたの心眼だけです。

 

同様の環境創りのなかで、メディアとの付き合い方も無視することができません。情報のほとんどをマスメディアに依存し、判断の大半を論理的頭脳が行なっている方は要注意です。ニュースは常に、一定の印象を与えるように選別され加工されています。殺伐とした「事件モノ」に大きいウエイトが置かれるのは、自分が当事者でなくてよかったという人々の安心感に迎合するためですが、結果としてあなたは、必要以上に恐怖感や不安感を取り込んでいます。それは、波動の乱れになります。

 

ニュースを追いかける習慣を止めてみると、それらが魂の栄養ではなかったことがわかるでしょう。相も変らぬ政治・政治家の右往左往、官・民の景気景気の大合唱、世界各地の民族・宗教をめぐる果てしない血の争い---これらに耳を傾ける必要はまったくありません。外から何の情報も入れなくても、あなたの魂はすべてを知っているから心配要りません。ただ、世界各地で起こっている地球変動の局地的発現(浄化過程)や自然界の異変には注視したいのですが、これらについての報道は極度に矮小化または無視されています。

 

出版界も、大いに乱れています。全般的な需要の退潮と激しい競争のなかで、セックス、ゴシップ、バイオレンスなどセールスに結びつくものなら何でもありの状況です。とりわけ、社会の混迷をいっそう煽り立てるようなものが好まれる傾向があります。それは、目標を失った人々にとって、後に何も残らなくても、読んで(飲んで)いる間だけの清涼飲料として求められるからです。そこで、二匹目のドジョウを求めて、同じ著者の同じトーンの著作が、繰り返し登場する状況もあります。これは、出版業界の悲しいサガです。視聴率で縛られるテレビ業界も同じです。コマーシャリズムは耽溺の1つの形態で、間もなく消滅する運命にあることを知っておいてください。

 

さて、自分自身のために新しい明日を創る、それも単に生きるためでなく「上昇(アセンション)」するために---この探索のなかで大きいウエイトを占めるのが、居住環境です。その要点は、都会的な “dolce vita (甘い生活)” から離脱して、自然に近づき自然のリズムの中で生活することです。晴耕雨読がお勧めです。過疎地の土地つきの空家を借りるのもいいでしょう。自分が食べる分の耕作については、何の制約もありません。山間部の廃屋から、平野部の休耕田へ通うことなども考えれば、選択の幅が広がるでしょう。今のところ、そのような適地が不足する恐れはありません。

 

生活費はごく僅かで足りるでしょう。これにはいくらでも工夫の余地があり、そこにまた楽しさもあるものです。食事の基本は玄米食です。玄米には、糖質のほかに、脂質、タンパク質、カルシウム、カリウム、ビタミンB群、ビタミンE、鉄、マグネシウム、亜鉛、銅などが白米の1.3倍から5倍含まれており、食物繊維も約4倍あります。これに多少の野菜と煮干しやワカメを加えて雑炊にすれば、完璧な食事になります。要諦は、炊く前に一昼夜前後、水に浸して室温に置いておくことです。これによって「発芽玄米」のメリットが得られ、水加減さえ調節すれば白米と同じように炊けます。そして良く噛むことです。それによって少量で足りることになるので、多少値段が高くても無農薬の玄米を調達します。食事としてこの他には、季節の果物が少しあれば足ります。

 

これまで上げ膳据え膳でやってきた方でも、キャンプ生活ぐらいはやったことがあるでしょう。その延長でやれます。3食同じものを食べるわけですが、どのみち食べることは人生の目標ではありません。アセンションを達成すれば、食事は趣味の1つとして、かすかに残るだけになります。とりあえず「ご馳走」は、週に1回、月に1回、1年に1回と、メリハリをつけて楽しめば十分でしょう。

 

現在の社会の枠組みで、多少の収入を確保するためには、いわゆるフリーター的なもの、または個人でやれる仕事がお勧めです。終身雇用に慣れ親しんできた方には違和感があるかもしれませんが、どのみち古いパラダイムは音を立てて崩れていきます。「定職」を確保したつもりでも、いつの間にか「不定職」に変っているでしょう。そして何よりも、「所属」は「拘束」です。完全なフリーハンドを維持することが、「飛び立つ」ためには有利です。これからは、アセンションだけを人生の目的にするべきで、それ以外は手段またはプロセスです。

 

人とのつながりを考えればコミュニティーということになりますが、例えば業者が開発した、都会から遠く離れた土地・家屋に、共通の目的を持たない人々が集まってきた場合はどうでしょうか。おそらく、思い思いのライフスタイルの追求がエゴのぶつかり合いとなって、とてもスピリチュアルな連帯は期待できないでしょう。

 

アセンション・コミュニティーは、メンバーの認識のレベルが、ある程度そろっていることが前提になります。そこへ行くプロセスのひとつとして、お勧めできるのは「クラインガルテン(滞在型市民農園)」です。滞在できるように、「ラウベ」という簡易宿泊施設がついています。とりわけ有機農法を条件にしたものは、経験や情報を交換するなかで、ポジティブな連帯が自然に生まれてくるでしょう。このような施設は全国にいくつかあり、いまやブームと言ってもいい状態です。しかし、理念もなく見よう見まねで始めた施設は、ただ烏合の衆を集めて金儲けの種にするということになりかねません。利用条件にもいろいろあるので、見極めが必要です。

 

クラインガルテンの理想は、そこを「自然農(自然農法)」の拠点にすることです。不耕起・無肥料・無農薬を特徴とする自然農は、自然界のすべての生き物との共生を根本としており、自然(地球)に対する姿勢が、アセンションの理念と共通しています。したがって何の理屈も要らず、そのままアセンションの実践になります。耕作方法は、これまでの農法の対極になりますが、ある程度確立されつつあります。ただ、それぞれの土地の土壌や気象に合わせた工夫が必要となるので、仲間内の紐帯だけでなく、有機農法や自然農を志向する地域の農家との、ポジティブな連帯に発展することも期待できます。今のところ、この条件にかなうクラインガルテンは見当たりませんが。一方、住みこみで自然農をやってみたい方を受け入れる農場は実在しており、多少制約が伴うものの、若い方の体験の場として適当ではないでしょうか。

 

以上が、これからの行動のためのヒントです。実際にあなたがどう動くかは、あなたの状況や判断によります。もしあなたが、変化の必要を感じながら、行動を躊躇しているとすれば、たいへんもったいないことです。変化を恐れることはありません。宇宙は、1つの行動につれて次の道が開ける仕組みになっているからです。また孤独もありません。これからは、個別の「きずな」よりも「全体(すべて)とのつながり」が大きく浮上してくるので、実際に孤独でいることは不可能です。また、心の梗塞ほど大きい梗塞はありません。それを破るには、物理的現実を変えるのが、もっとも手っ取り早い方法です。

 

あなたに関係するすべての状況の主役はあなたです。無数の可能性のなかで、あなたにとってもっとも望ましいものを自由に選択できる立場にいます。現在の「環境」で望ましい態勢が確保できていないなら、行動することを重々しく考えず、とりあえず「単身赴任」または「短期/中期/長期出張」という感じで、軽々と「旅立つ」のがいいでしょう。あなたがすでに上記のような「環境」を確立しているなら、移動を伴わない「精神的旅立ち」がふさわしいでしょう。

 

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