Q&A’09f1・「ガイア・アセンション」シリーズ

 

【目次】

(09/08) 「疎開」の必要性について

(09/08) 「自分の器(うつわ)」を軽々と超える

(09/08) 「死」は怖くないが「老い」は怖い

(09/07) 「ニューヒューマン」という「神の計画」

(09/07) 「スピリチュアルな能力」を持ちたい


(09/08)
「疎開」の必要性について

(Q) 最近のマシュー君のメッセージのなかで 「”地上が住めなくなり地下世界へ避難する”というようなことはありえません」と書いてありました。

小松さんは以前「地上が住めなくなってシャンバラで癒される」というようなことをおっしゃっていたとおもいますが、このマシュー君のメッセージをどう受け取られますか?

 

(A) 拝見しました。

「シャンバラで癒される」と言ったことはありませんが、2001年頃の展望として、人類の目覚めが遅々として進まないので、ガイアが自力で地上世界の浄化を強行する決意をした場合の可能性として、宇宙の同胞の手助けでシャンバラへ一時的に避難するという見通しがありました。

人類意識のその後の動向やガイアがこの間に達成したものを踏まえると、この必要性は減ってきていると見ています。

次をご覧ください。

「衝撃波」以後の生活は・・Q&A08b1


(09/08)
「自分の器(うつわ)」を軽々と超える

(Q) (省略)

 

(A) 拝見しました。

あなたは、かなり「佳境」に入っておられるようです。これは「注意が必要な領域」という意味ですが。

 

事実というものは、ただ「そこに在る」だけで何の色も付いていません。

それに色を与えるのは人間の先入観や思い込みです。

例えば「オカルト」や「超常現象」などの用語は、元々はイルミナティが、「文明の直線仮定」などと同様に、非物質領域の実在について人々の気付きを遅らせるのに、「便利なツール」として普及させたものでしょう。

あなたの場合も、いつかどこかで拾い上げて、「便利」だから、ついつい使ってしまうようになったと思います。

 

もう一つ大切なことは、この時代の主要な出来事には、孤立して存在するものは何一つないという認識です。

それぞれが独立しているように見えても、実際には全ての出来事はつながっていて、それは地上世界だけでなく、多次元宇宙の全域にわたっています。

真実は、全てがつながった全体像の中だけにあります。

つながりに気付かないで、個々のものを孤立した対象として、いくら懸命に追求しても、決して真実に到達することはないでしょう。

人類の科学や医学が、年とともに細分化されて「専門家」の独壇場となってきたのは、真実を知る者が誰もいないようにするための「彼ら」の狡猾な戦術が背後にあります。

『アセンションへのいざない』は、いくつかのテーマに分けてありますが、それは(最後まで読めばお分かりいただけると思いますが)「壮大な真実」へ導くための便宜上のことです。

その点に気付かなければ、この本を本当の意味で「読んだ」ことにはならず、そこから得るものは限られるでしょう。

 

いま私たちの社会で典型的に見られる状況は、本を読んだりネットサーフィンをやったりして知識を得ることが、先入観の形成のために、もっぱら利用されていることです。そして、十分に先入観が形成されると、今度は評論が「主業」になるようです。

この段階では、たとえ万巻の書を読んでも、そこから得るものは何もないと思います。既成観念の周りに意識をめぐらせるだけで、本当の意味では「読んで」いないからです。

例えて言えば、「進歩の本流」の横道に、みずからループを造って、その中を回転するような在り方になります。

 

また、「人は自分の器(うつわ)を超えたものは理解できない」というのは、一面の真理を表しています。

「理解できない」という居心地の悪い状態を避けようとして、はまりやすいワナは、自己流の解釈を探し出して、その「曲解」に逃げ込むことです。

そんなことをしなくても実際には、どんな場合でも、「自分の器」を軽々と超えることができます。

それは、「まっさらの心」で読んで、そこから受けるものを、ただ「感じる」ようにすることです。

いつもそのようにするなら、「無限の器(うつわ)」を持っているのと同じことです。

この姿勢が持てるかどうかは、進歩するか停滞するかの、致命的な分かれ目になるでしょう。

 

このような「物事への基本姿勢」は、一般に信じられているより、はるかに重要な意味を持っています。

私たちは、外から取り込んだものを、自分なりに咀嚼して吸収しますが、その結果を波動として宇宙へ放出しています。

書いたり、話したりしてもそうですが、何も特別のことをしなくても、また顕在意識では何も感じなくても、それは行われています。

これによって、宇宙に対してポジティブに貢献するか、その逆をやるかの違いが出てくるのです。

取り込んだものを歪めて発信すれば、その「歪み」を宇宙にインプットすることになり、概してネガティブな「貢献」になるでしょう。

こうした「歪み」は、全人格的なもので、それを起こさないようにするには、これまで取り込んできた先入観や思い込みを全て捨てて、「まっさら」にするしかないでしょう。

いつまでも後生大事に抱え込んでいると、上に書いた「ループをめぐる人生」になります。

「情報というもの」への姿勢を、根本的に再検討することをお勧めします。

 

(09/08) 「死」は怖くないが「老い」は怖い

(Q) お答えくださってありがとうございました。
あと、芥川賞が取れるって言ったのは、本気の大真面目で言いました。
使える語彙も表現力もあるんですから、アセンションを題材にした小説書いてみたらどうです?
『アミ 小さな宇宙人』とかよりも、よい作品ができると思います。

ここで、話かわって。
貴方は、私に言ってましたよね。
「貴方は死に恐怖している」と。それは、はっきりいってハズレです。
私は死は怖くありません。でも老いるのは怖いです。
中年になるのは厭です。ずっと二十代前半のままでいたいです。
だから、早く肉体が変容して、老の苦しみから逃れたい。

―儚き身 短命嘆き 哀れんで 私は望む 久遠の生命(いのち)

・・・・・。教えてくださいませんか。老いを受け入れるか、克服する方法を。

(A) 拝見しました。

小説については、プランを持っています。

ただし私が書くのではなく、何年にもわたって宇宙の同胞の「教師たち」から教えを受けてきた方が書いた、小説の翻訳出版です。私が何らかの形で関与する予定で、いま交渉が進んでいるところです。

アセンションへのいざない』と、ほぼ同時期に著作が進行していたようで、原著が出版されて間もないですが、採り上げている各主題が、ほとんど共通していることに驚きました。

著者が小説という形式を選んだのは、人類に定着している基本認識とは大きく隔たった「宇宙の真実」を、出来るだけ多くの人に理解してもらうには、それがベターだと考えたとのことです。

邦訳のタイトルは未定ですが、この本が完成すれば『アセンションへのいざない』とのペアで、万人向きの完璧な「地球の新教科書A&B)」が出来上がると考えています。

 

ところで、「死」のことは一般論で言ったつもりでしたが、あなたに関しては「老い」が当たっているようですね。

どちらも、その「思い」が、肉体や宇宙や「神」に与える「効果」は同じです。

私たちのDNAに刻印されている「過去の残滓」が、あまりにも大きいので、人類が集合として「不老不死」のレベルに達することは、大人たちの現在の肉体では難しいようです。それが実現するのは、「古い魂のニューヒューマン」として再び転生してきてから先のことになるでしょう。

しかし前に返信したように、「生老病死」に関係する周囲状況が画期的に変わる時代が、遠からずやって来ることは間違いありません。

おそらくその時点では、「死」や「老い」についての集合としての認識自体が、今とは根本的に変わって、そんなことを誰も「心配」しなくなるでしょう。

そして、「肉体を離れる」タイミングは、それぞれの人が、「この夏に旅行するか、家で過ごすか」の選択と同じ程度に、清々と選んでいくでしょう。

とりあえず、先々のことを、あれこれ心配する「習慣」をやめて、「今を生きる」方が得策だと思いませんか(何かを恐れると、その現実を引き寄せてしまうのが宇宙の仕組みです)。

なお、次も参考にしてください。

からだは年齢と主に老化していく?

 

(09/07) 「ニューヒューマン」という「神の計画」

(Q) 『アセンションへのいざない』読みました。
生きている間に、こんなに光と希望に満ちたノンフィクションは読んだことがありませんでした。
分かりやすい文体で、しかも明瞭に、そしてかつ深くアセンションのことを書ききるなんてすばらしいです!
もし小説だったら芥川賞取れてもおかしくないと思います。 
この本はいずれ、イルミナティが崩壊した後に、日本の多くの人に読まれるようになると思います。

ところで質問ですが、

>その変容は2012年までに一挙に起こるわけではなく、その先に何十年、何百年かけて少しずつ進んでいくでしょう。

と、この本には書いてあります。

 

今まで、貴方の情報を見てきて思うのですが、一見矛盾したり、時がたって真実が変化することってありますよね。
2007
年の意味やアセンションの第1波など。
そのなかで一番気になったのが寿命と不老の話題です。

>なお不老のレベルに近づくのは、アセンションに伴う肉体の変容によって〜

>すべてのパラダイムが根本的に変わって、肉体年齢や寿命は各人の選択で決めるようになるでしょう。〜

答えが少しずつ違う・・・・。
どうしてでしょうか。私の読みが浅いだけでしょうか。

まあ、とにかく・・・・。
大いなる目覚めが来てみないとなにもわからないのですが。
でも、知りたい。というわけで、

この3つのうち、どれが一番正解に近いですか?
一、肉体は2012年を転換点を機に、年を取らないで変容していく。
二、肉体は年を取り、死を迎え、そして生まれ変わりながら、変容していく。
三、年を取りつつ死なないが、肉体が変容していく。(いわゆる不死。しかし、最終的には老人になる。)

 

(A) 拝見しました。

アセンションへのいざない』への応援をありがとうございます。

イルミナティの勢いは急速に衰えつつあるので、それを加速させるためにも、「崩壊した後に」ではなく一刻も早く、この本を必要としている人の全員に行きわたることを願っています。

これまでマスメディア情報にドップリ浸ってきた方でも、これを読めば、一瞬で変身すれことができるはずです。

そうすれば、世界に先駆けて日本から、「大いなる目覚め」が間違いなく起こるでしょう。

日本が、「ライトワーカーだらけ」になるでしょう。

 

この本は、内容によって、多くの人が新しい視野を開く手掛かりになると考えていますが、装丁でも、日本人が本に対して持っている観念をぶち破ることになりました。つまり、本の「あとがき」に書いた理由で、カバーや帯など、実質に関係ないものを全て持ち込まないことにしたわけです。

このスタイルは欧米では普通のことですが、日本では、これまでの「本というもの」についての固定観念によって、「これは本でない!」と思う方がいるかも知れません。

しかし、一旦この本を手にしたら、少なくともどこかのページを開くでしょう。そうすると必ず、他の個所も見たくなり、結局は全体を読むことになるはずです。

そして読んだ以上は、それを自分の胸に収めておくことのできる人はいないと思います。つまり、自分でお金を出して買わず、誰かに贈られたとしても、最後まで読むことになる本です。

 

このたび、『アセンションへのいざない』を通じて、より多くの方に「アセンション」を正しく迅速に伝えるために、「普及アフィリエイト」という仕組みを造りました。大いに活用していただきたいと思います。

 

ちなみに、本著では「彼ら」に対して、「イルミナティ」という言葉を使わず「シャドウグループ」と呼んでいます。

その理由は、イルミナティは「光」を意味しており、「彼ら」のあり方は、その正反対だからです。

「彼ら」が「イルミナティ」を自称するのは、魂の奥底にある「光への願望」の現れかも知れません。

 

そこで、あなたのご質問ですが、あなたが提示した3つの選択肢の中には、ピッタリくるものはありません。

アセンションに関係する周囲状況は、時々刻々変わってきています。

未来には常に無限の可能性がありますが、これまでに人類が達成した内容によって、より具体的にその先の展望が提示されるようになるという原理は、いつの時代でも同じです。

 

現時点で私が信頼している新しい重要な展望として、つまり「神の計画」として、「ニューヒューマン」の誕生があります。

それは、「シャドウグループ」の影響が完全に消えた新しい世界に誕生してくる、「別種の」子供たちのことです。

その子供たちは、これまでの「インディゴ」や「クリスタル」と呼ばれる「新種の」子供たちとも違って、「神」から初めて分かれて地球に誕生する、一切の転生体験のない魂たちです。

そうであっても、「シャドウグループ」の影響下で生きてきた両親から生まれることに違いはないので、生誕後に、何段階かの「アップグレード」によって、心身ともにピュアな子供に育て上げていくことが予定されているようです。

その「アップグレード」は、『アセンションへのいざない』にあるベティの体験のように、宇宙の同胞たちの「招待旅行」を通じて行われることになるでしょう。

「ニューヒューマン」が誕生し始める時期は、今から20年前後先のことになるようです。

 

この新しい構図ものとで、大人たちの役割はどうなるかということが、あなたの質問に関係します。

そのベースラインは、大人たちの仕事は、「今生では完結しない」ということです。

大人たちは、過渡期において、この地球に新しい世界を造り上げるのに重要な役割が期待されています。新しい世界の創造は、あくまでもライトワーカーである一人ひとりの市民が立ちあがることによって実現します。

新しい世界では、ヒトのDNAレベルの変容はかなり進展しており、心身が受ける社会的ストレスも極めて少なくなり、宇宙の同胞たちから移転する新しい医療技術やノウハウも浸透して、すべての人が「生き返った」ようになるでしょう。

同時に、思いによって自分の現実を創造するという「エンパワーメント」を皆がマスターすることになるので、肉体に関しても、人類の現状とは比較にならない状況になることは容易に想像できると思います。

 

しかし、その先の様々な時点で大人たちは、いま持っている「肉体という衣」を脱ぎ捨てて、「精神領域にある休息所」に移ることを選ぶようになるでしょう。

そしてほとんどが、新たな展望と目的を持って、「古い魂のニューヒューマン」として、再び地球に転生してくることになるでしょう。

この、「古い魂のニューヒューマン」が、かつての二極性が支配的だった地球生活で獲得した「知恵」は貴重なもので、新しい地球でも切実に必要とされるからです。

一方、「シャドウグループの魂たち(べリアルの子ら)」が、再び地球へ転生してくることは、(『アセンションへのいざない』の表紙で見るような新しい地球の光によって)完全に阻止されることになっています。

 

ここで注意しなければならないことは、あなたのご質問のような関心が、いわゆる「肉体の死」というものへの恐れから生じることです。

誤った幻想でしかない「死への恐怖心」は、「神」に対しても、大きな苦痛を与えていることを知っておきましょう。

戦争や殺人など利己的な行為による、被害者の苦しみも同じことです。

「神」が全てを受入れるというのは、個々の「人」に対することで、「行為」に対しては別なのです。

 

(09/07) 「スピリチュアルな能力」を持ちたい

(Q) HPの更新いつも楽しみにしています。

くだらない質問だったら申し訳ありませんが、少し教えて貰いたいことがあります。

 

スピリチュアルとかと呼ばれている能力は、本来だれでももっているものという認識です。

その中で、ずば抜けて能力が高い人とそうではない人がいるのはなぜですか?

 

実は、知り合いでそういう方がいます。
その方は以前は会社員で働いていましたが、今はヒーリングを行ったり、エネルギーを読んでのカウンセリングなどをやり始めました。


価格は良心的なもので、知人のみしか受け付けていません。

私はどうしてもその方への不信感がぬぐいきれません。
その方は「ヒーリングを通して地球に奉仕できてうれしい」とよく言うのですが、本当に奉仕であれば無償でやればいいと思うのです。

能力をお金の為に使うのは、カルマをうむのではないのでしょうか?
どう思われるのか教えて頂きたいです。


そうは言いつつ・・私は、そういう能力のある人が正直うらやましいです。
能力があるからといってこの3次元が楽に生きられるとは思っていません。
そこは勘違いしないようにしています。


ですが、自分で自分のことをもっと深く理解したいと思った時に、そういう能力があればどれだけいいかといつも思います。

自分の魂がどこから来て、どんな目的でこの物質世界を生きることを選んだのか。
親を選んだ理由、兄弟を選んだ理由、…ほかにもあげればきりがありません。
能力のある人にお金を払えば知ることができるかもしれませんが、自分で自分のことを知りたいと思います。

こういう気持ちは何か考え違いをしてますでしょうか?
どうか教えてください。

 

(A) 拝見しました。

おっしゃる通り「スピリチュアルな能力」は誰もが持っています。つまり、すべての人が霊能者です。

違いが出るのは主に、それに気付いているかどうか、それを信じて効果的に使っているかどうかでしょう。

その「魔法的な」能力を使って、誰もが実際に「自分の現実を自分で創っている」のです。

残念ながら多くの人は、マスメディアなどからネガティブなイメージを取りこんで、日々に「恐怖心」を更新しながら、ネガティブな自分の現実の創造に「励んで」います。こうした状況を、私は「ネガティブ創造のマジシャン」と呼んでいます。

結果がどうであれ、能力を持っており、それを「活かしている」ことに違いはありません。

 

ヒーリングの能力は、その「魔法的な」能力の一部です。

そして、自分に対する最高のヒーラーは、自分自身です。他の誰もできないことを、自分なら、自分に対して行うことができるのです。

例えば、何かの病気で、医者に「手術が必要です、他に手段はありません」と告げられた時、その通りだと思って医者に任せれば、そのコースに乗ることになるでしょう。そして、完全な治癒はなく体に何かのダメージを受けて、それが尾を引くことになるでしょう。

あるいは、「いわゆるヒーラー」を訪ねて、ヒーリングをやってもらえば、ある程度は軽快することがあるかも知れません。それには、多かれ少なかれ「プラシーボ(プラセボ:偽薬)効果」も伴うものです。医者の場合と違って、結果についての見通しが得られることは少ないと思いますが。

それよりも、「待てよ、自分の体だから自分で治せるはずだ」と確信して、その方向に進むことを決心するなら、「からだ(細胞や器官や組織たち)」は、その方向に向けて最大限の努力を始めるでしょう。からだは、「あなたという主人」の意向に沿うことを使命としているのです。この「命令」を出すことは、医者やヒーラーが決してできないことです。

あなたに必要なことは、「考えを変える」こと、ゆるぎない確信を持って、ネガティブな想念を一切排除することだけです。

 

一方、誰でもカウンセリングの能力を持っており、カウンセラーになることができます。

ここで違いが出るのは、他者に対して「深い関心(思いやり、同情)」を抱くことができるかどうかでしょう。

いつも自分のことで頭がいっぱいになっている状況なら、とりあえずカウンセラーはあきらめた方がいいでしょう。

 

「能力をお金のために使う」ことは、この社会で誰でもやっていることですね。カルマとは関係ありません。

実際には、自分の時間と能力によって何かの社会的な寄与をして、その対価として、お金という交換手段を得ているわけですが。

与えるものと受け取るものとのバランス(授受のバランス)は非常に大切なことです。

これはエネルギー的なことなので、労力やお金のやり取りだけでなく、例えば感謝や称賛のエネルギーが対価になることもあり得ます。

しかし社会の現状では、例えばヒーリングやカウンセリングに対して、お金を対価として支払うのが、双方が最も収まり易い形ではないでしょうか。これが一方通行だと、受ける側も気分的に落ち着かないでしょうし、カルマの原因にもなります。

 

「地球に奉仕できる」かどうかは、別の話です。

それは生き方や仕事のやり方の基本的なスタンスにかかわることで、ヒーリングなら地球に奉仕できて、他の仕事は奉仕できないということはありません。

これは、誰にとっても難しい課題で、自分の1ヶ月の生活を省みて、「地球に奉仕できた」と言い切れる人は少ないと思います。つまり、軽々しく言えることではないということです。

 

本当の自分を知りたいなら、他人に教えてもらうより、もっと自分で自分を「見る」ようにすることをお勧めします。

人のことばかり気にしていると、自分が見えなくなると思います。

誰でも、地球に転生してくる前に決めた「今生の目的」がありますが、(多くの人がそうであるように)それを思い出せなくても、傾向として少しずつそれに近づいていくものです。

自分自身をよく見るようにすれば、ぼんやりとでも分かってくるでしょう。

お金を出して、誰かに教えてもらうのが近道ということはありません。

いわゆる「自称・霊能者」のほとんどは、低層レベルにつながっていて、(本人が信じていることとは逆に)そこから有益な情報が得られることはないと考えてください。

 

あなたに必要なことは、もっと自分を信頼することです。

 

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