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Q&A’15c・「ガイア・アセンション」シリーズ
(Q) 小松様
こんばんは。Sです。
いつもありがとうございます。
これからも「永遠の真理(魂の真実)」を胸に、神の息吹とつながり、今を大切に歩んでいきたいと思います。
創造主、スサノオ様より、新たなメッセージを届けて頂きました。
◆天国の扉を開くカギ ⇒ http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
◆メシヤとは―創造主のお言葉 ⇒ http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
どうぞよろしくお願いいたします。
〜感謝を込めて〜
(A) ありがとうございます。
拝見しました。
創造主がおっしゃるように、「メシヤ」や「メシヤに結ばれた者」という言葉だけでは分かりにくいという印象を私も持っていました。「メシヤ」は、今回のスサノオ神のメッセージだけでなく、その前に「光り輝く世界の記憶」の中にもありましたね。
そして私の場合は、〔「マグナダのマリア」のメッセージ〕にある、モナドとしての「マリエッタの側面(イエス/サナンダ)」と「チェルビム」との関係に相当するのかなと認識していました。
多くの方がご存知かと思いますが、「マリエッタ」の側面が地球に転生してくる時にはいつも、それを支援するためにチェルビムたちもやって来るからです。
イエスの時もその例外ではなく、エッセネの多くは、地球に転生してきたチェルビムたちでした。
今回の創造主メッセージでは「観音の本体がメシヤであると思うが良い」とされており、これを表面的にとらえると、かなり意外な感じがします。
しかし「観音:観音菩薩、観自在菩薩)」は多くの東洋人にとって、特に日本人にとっては宗教に必ずしも関係なく非常に親しまれている「諸仏(高次元マスター)」の一人で、その高い見識や人類救済の働きからすれば「メシヤ」と呼ばれるに相応しい存在だと理解できます。
その真髄は、ご存知の「般若心経」と「観音経」に明白に表れていて、いずれも「ブッダ(釈迦)」が、観音の持っている本質を自分の言葉で説明したものと理解しています。
「般若心経」は、観音が数多くの修業を通じて会得した宇宙の根本原理を、簡潔な言葉で表現した哲学的な教典。
そして「観音経」は、通俗的に言えば「観音(信仰)」の「ご利益」を説いたもの、ということになりますが、これを単純に「現世利益の教え」とするのは皮相的な理解と言うべきでしょう。
ブッダは「無尽意菩薩」の質問に対して、こう言っています。
「汝観音の行を聴け(観音の修業や実践活動を、心の目を開いて見聞するがよい)」
この表現からも分かるように、そして「般若心経」と「観音経」の冒頭の言葉:「観音菩薩が深遠な知恵を身につけようと修行を重ねた結果として」(これは「般若心経」の冒頭〔観自在菩薩行深般若波羅蜜多時〕の意訳)からも明らかなように、観音は何度も地球に転生して自身の修業と人類救済の活動を重ね、ブッダの時代にはすぐ近くにいた存在とみられます。
しかし残念ながら、そのことは霧の彼方に霞んで、観音が私たちと同じように何度も地球に転生したことについての正確な伝承や記録は(仏典の記述から推測できることを別として)皆無と言っていいでしょう。
たまたまキャロリン(Carolyn Evers)とリチャード(Richard
Presser)たちのラジオショー(2011年)に「Quan Yin(クヮンイン:観音)」のメッセージがあったので、それを聴いてみました。
それによると観音が主に東洋に繰返し転生した理由は、異なる民族が持つ精神的あるいは感情的な成立ちを見極めたかったからとのことです。
そしてヒーリングの仕事は、人々への奉仕活動を通じて、人々の苦闘に直接触れるので自分の目的にかなっていた。
また学校のような形で、感情をどう扱うか、身体をどう扱うか、また自己の内部にどう入っていくか、バランスをどうとるかなども教えたと言っています。
その過程で、観音自身も様々な相克に直面したが、それを克服すること、そして地球を尊敬し身体を尊敬することも自分の学びだと考えていた、とのことです。
ちなみに、サナンダの「責任編集」ともいえる、エリック・クライン(Eric Klein)の「インナー・ドア(The
Inner Door Volume2)」には、「Quan Yin(クヮンイン:観音)」のメッセージも登場します。
以上のような背景からしても、「観音経」を単純に「現世利益の教え」と決めつけてしまうと、「猫に小判」のようなことになりそうです。
むしろ、仏教が教える「身・口・意」を貫くことが、誰にとっても容易ではないことに思いを致すべきでしょう。
「身」について例えば、雲の上の観音をイメージしながら手を合わせる。
「口」について例えば、声を出して一心に「南無観世音菩薩」を唱える。
「意」について例えば、本心から〔・・・〕を願う。多分これが最も難しく、宇宙の根本原則として「本心から求めてこない者に状況を創って押し付けることはできない」というのがあるので、通り一遍の動作だけでは通じるケースは少ないでしょう。
これが出来るようなら、創造主を心底から敬愛することにつながると思います。
観音についての感想は以上ですが、この時点でなお解消しない疑問があります。
それは、〔「メシヤ」=「降臨する救世主」〕と理解するかどうかという点です。
観音は東洋では広く知られていても、欧米やイスラム圏ではなじみが薄いので、全人類に共通する「救世主」とは考えにくい面があります。
そこで、次の2つのケースが考えられます。
(1):それぞれの民族や宗教圏に応じて、複数の「救世主」が降臨する。
(2):救世主に至るのに2段階あって、第1段階として複数のメシヤ(高次元マスター)の役割があり、それを受けて第2段階として全人類共通の「救世主」が降臨する。
私としては今のところ「複数の救世主の降臨」はそぐわないので、(2)のケースかなと考えていますが。
(Q) 小松様
こんにちは。Sです。
この度も深いご見解をお寄せ頂き、「Quan Yin(クヮンイン:観音)」のメッセージもご紹介下さり本当にありがとうございます。
「観音の本体」ということについて、「救主降臨」のビジョンの中に、
玉の中から 観音さまのような 白いお衣姿の神さまが現る
その神さまが 立烏帽子 金色のお袴姿になられ
地上に降り立たれた
という場面がありましたが、
メシヤ―観音の本体―「観音という仮面を脱ぎ 立烏帽子 金色のお袴姿で降臨されたお方(今は明かされていない)」
ということになるようでございます。
「観音の働き」については、小松様が『その高い見識や人類救済の働きからすれば「メシヤ」と呼ばれるに相応しい存在だと理解できます。』とおっしゃるように、私達も理解させて頂いております。
そして、『サナンダの「責任編集」ともいえる、エリック・クライン(Eric Klein)の「インナー・ドア(The Inner Door Volume2)」には、「Quan Yin(クヮンイン:観音)」のメッセージも登場します』とご案内下さいましたが、以前にご案内頂いた、「クリスタルの階梯(The Crystal Stiar(1990年)の邦訳本)」の方にも興味深い記述がございました。
サンジェルマンが次の問いにお応えされるという箇所になります。
Q.私には観音からの働きかけがあると言われました。これは本当なのでしょうか。
A.観音は偉大な力を持った教師です。とても美しく輝いたきわだった存在です。
集約された働きを持ち、力強い光そのものです。
…以下省略
―エリック・クライン著「クリスタルの階梯」より転載
「観音経」にも"三十三応身"とありますように、あらゆるものに応じて円転滑脱、自由無碍にお働き下さるようでございます。
そして、「観音様の部下は何億もいらっしゃる」との事でございまして、世界的な救済にもひろがるように推察されます。
神仏の世界には人智の及ばないことが多々あるようでございますが、観音様という存在は「観音の本体」であるお方が、
「時が至るまで高い御位から次元降下されて、仮面を被り、救いの為にお働き下さっていた存在」
であるとのことでございます。
「メシヤ」として本来のお働きをなされる時節を迎えられたことから、今や、「観世音菩薩」という御名は「メシヤ」という御名に含まれているため、観音様の姿をイメージしながら、「メシヤ」の御名をお唱えさせて頂けることをお示し下されたようでございます。
イエスの時代にその活動を支援される方々〔チェルビム〕がいたように、今の時代にも、メシヤ〔救世主〕の救いのお働きを支援させて頂くという使命を与えられた魂が多く転生してきているかと存じますし、"人間は神の代行者"という観点からしましても、「メシヤに結ばれた者として、すべてのものと共に天国へ立ち返らせていただきます」等の他者の救いや慈愛の心が込められた意思表示をさせて頂くことが、大切なお役目として、示されているように思っております。
仏教の教える「身・口・意」という業について、この度、初めて学ばせて頂いたのですが、
◇「身」については神々さまのメッセージの中でも
「平身低頭」「額づき」とありますし、これは「身」について教えて下さっているように考えられます。
◇「口」について
「おもいを神に合わせ
多くの者達 先祖と共に 救い主に結ばれた者として 天国に立ち返らせていただこうぞ と
声を大にして 日々 意思表示させていただくことが大事ぞ
神は "素直が一等" と申しておる」―クシナダ様
◇「意」について
「おもいを強く発することぞ」―クシナダ様
「ひとにぎりの者達であれ そのおもいが強く光あるものであれば
テラをつらぬき 人々の心をつらぬき 魂を新生する光となるであろうこと」―主の大神様
とありまして、とても大切な行いであることが感じられます。
例えば、正座をして、礼、手を合わせて、観音様のイメージと共にメシヤの御名をお唱えさせて頂き、祈るといった流れで、意思表示をさせて頂いております。
「メシヤという御名はまことに尊い救いの御名である」 とのことでございます。
私たちが "観音" と伺って、脳裡に浮かびましたのは、法隆寺・夢殿の "救世観音" でした。
聖徳太子の等身の像といわれているそうですが、何かここに謎があるようにも思っております。
いつもお力添えを頂き、ありがとうございます。
少しづつ、メシヤについての真実を明らかにして下さり、創造主 主の大神さまに心より感謝いたしております。
(A) ありがとうございます。
これでかなり謎が解けてきて、この先の日々を過ごす指針が明らかになったように思います。
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