HOME ガイア・アセンション/新生地球への道(The Way for the New Earth)〕トップハイライト全容

 

 

Q&A’21e1「ガイア・アセンション」シリーズ

 

(21/05.06) 私の渾身の言葉に心動かされる方々へ ― 国常立大神
(To the individuals who would be moved by my word with utmost effort — the Creator's another Self)

 

(ゆうふぇみあ琴音)

小松様 こんにちは。
いつもありがとうございます。

新たなメッセージを掲載いたしました。

光への融合 国常立大神、クシナダ


どうぞよろしくお願いいたします。

(小松)

拝見しました。

ありがとうございます。

 

国常立大神(くにとこたちのおおかみ)さまの今回のお言葉は、ご自身が「()の 渾身のことば」と言われる通り、いったん読み始めると誰でも、その真実と誠意に満ちた言葉の力に引き込まれるのではないでしょうか。

全文は大きく三節に分かれており[]で区切られていますが、以下では、その全体から6件のテーマを拾い上げて感想を述べさせていただきます。そして引用文については、それぞれが該当する節を〔T,U,V〕のいずれかで表示します。

 

1.私の言葉に触れた者は責務も背負う

 

――そなたが 一歩 二歩 前進の兆しあれば 周りの者 気付く仕組みぞ
まず 吾の ことばに巡り合いし そなたが 問われておるぞ
T

 

前進の兆しあれば 周りの者 気付く仕組みぞ」――この「仕組み」があるので、「読み捨て」で終わらせると、自滅の道をたどることになるのでしょう。これを機縁として、一歩二歩と前進する責務を背負い、その他には道がないと考えたほうがいいようです。

 

――吾のおもいを受けし そなたは 吾とひとつになりて 世を歩くのぞ
そなただけが 歩いておるのではないのぞ
T

 

吾とひとつになりて」――ここでは、「内在の神」が在られると言われる、誰にも共通する本来の姿を、言動において常に意識することを勧められているようです。

 

――吾のおもい 伝えるには
そなたが 光と一体になるつとめ 果たすことじゃ
さすれば 誰そが 耳を傾けてくるであろうが
神 動くぞ
T

 

光と一体になるつとめ 果たすことじゃ」――これについては、前回のお言葉(第一声)で言われた次が参考になるでしょう。

@:生まれたての赤児のように 無邪気な心 素直な疑いない心がよろし光っておるぞ天の国に生まれし 魂のままに 光り 光りておる T

A:今日の日 一分一秒を 心磨きに費やせよただ黙々と 信ずる心を養えよおのが心と一体なる 親元のおもいと つながれよ U

 

さすれば 誰そが 耳を傾けてくるであろうが」――そうすれば、誰かが(必ず)耳を傾けてくる、と言われています。

神 動くぞ」――これも、前回のお言葉(第一声)で言われた「民動き 神動くぞ  神動き 民も動くぞ 相むすばれておるがなそなたも神 神はそなた 一体なりて まわるのぞU」と同じ主旨を言われています。

 

 

2.日本には浄めが必要

 

――この国には 浄めが必要なのじゃ
この国に限らず 地にあるものは 浄めの中におる
吾は 浄め浄めて参る
垢にまみれた 人々の心
その人々から派生せし 多くのあかまみれの物 ことごと
U

 

この国には 浄めが必要なのじゃ」――ここでは、上のパラグラフ全体を通じて、特に日本に焦点を当てて言われているようです。

浄めが必要」ということは、「在るべき姿」から逸脱している状況になっているということでしょう。具体的には、次の3が思い浮かびました。

 

@:古くは縄文時代から近代では江戸時代まで保たれてきた「自然に則した生活様式」から大きく乖離(かいり)して、欧米型の機械文明に急激に傾斜してきたこと。

それは、世界全体に共通する文化的トレンドではありますが、日本ほど短期間に急激な変化を敢行した国は、類例がないと思われます。そして今では、現に見られるモノ中心の枠組みが、人々の意識の面も含めて、社会の全域に深く根を下ろしているという状況があります。

上で「垢にまみれた 人々の心その人々から派生せし 多くのあかまみれの物 ことごと」と言われるように。

 

A:第二次世界大戦で、原爆被爆を含め最も悲惨な体験をした日本は、世界平和のために先頭を切って発言し貢献できる立場にあったはずですが、その実績には疑問符が付きます。それどころか、今では軍事費の金額が世界で第9位(アジアでは中国、インドに次いで第3位)という軍事大国になっています。朝鮮戦争の勃発をを契機に、アメリカの占領政策が豹変したという不運もありましたが。

 

B:狭い国土の中で、建物や道路を含む構築物への投資が際限なく行われていて、その多くは山野の自然破壊に加えて、景観も害しています。また街中でも、野放図に引き回される電線や電柱の類は、ヨーロッパの街の景観とは比べようもなく、「醜い」の一語に尽きます。

 

 

3.病気や貧乏を口実にしないこと

 

――浄めの現われは さまざまな 形をとろう
ゆえに 吾が浄めておるとのおもいに至ることが大切じゃ
病気と 捉えるでないぞ
貧乏と 捉えるでないぞ
そなたが 不足の心で 日々を送っておるからのことぞ
そなたの気持から 生まれておるのぞ
U

 

浄めの現われは さまざまな 形をとろう」――例えば、昨今の「季節外れの荒天」も、「浄めの現われ」かと思われます。

「春らしからぬ春」のあと、気が付けば「立夏(55)」が来ている。健康を維持するためには、この先も、従来の四季イメージに頼らず、日々の気温などの変化に応じて臨機応変に、服装や寝具を変えるのが賢明と思われます。

 

病気と 捉えるでないぞ貧乏と 捉えるでないぞ」――これらは、口実として「大手を振って」使われる状況がありますね。しかし実際には、自分の「想い」が引き起こしている。確かに、「想いが現実を創る」という経験は、多かれ少なかれ誰もが持っているのではないでしょうか。

 

――病は気からと 申すではないか
浄めのあとは 良き様になるのじゃから 感謝の心を全面に押し出し
喜を呼び寄せるのじゃぞ
喜べば 喜びごとがくるのぞ
喜びごとに なってゆくのぞ
U

 

喜べば 喜びごとがくるのぞ」――これは金言ですね。

 

 

4.自己中心から脱却し周りへの配慮を優先しよう

 

――調和の心を 身につけること 大事ぞ
人よかれの心
おのれの心を 一歩 控えて 歩むこと大事ぞ
相手の心を 常に先へ先へとすのじゃ
おのが おもいは 吾が存じておるゆえ 良き様に はからうぞ
誰そにも おもい違いは あろうがな
おのが一番という おもいもあろうがな
U

 

おのが おもいは 吾が存じておるゆえ 良き様に はからうぞ」――有難いお言葉ですが、その前提として、「おのれの心を 一歩 控えて 歩むこと」そして「相手の心を 常に先へ先へとすのじゃ」が、満たされている必要があると思われます。

 

 

5.すべてはつながっている

 

――吾は 富士に降り立ち 富士におるだけでないのぞ
そなたの内にも 常におるのぞ
外向きの吾 内向きの吾 両方おるがな
内向きの吾 だいじぞ
そなたの命ぞ
内なる神と申すもの 吾だけでないぞ
大御神がござる
高次の神々もござる
大自然も 大宇宙も そなたの内にござる
物事は広く 深く 受けとめな らちゆかむ
大御神がござるとは そうした事なのじゃぞ
つながらぬものなど ないのぞ
そなたと一つとは そういうことじゃ
みな そなたのうつしと言えるのぞ
そなたのあり様が いかに大事か わかりてか
V

 

大自然も 大宇宙も そなたの内にござる」――「内在の神」として、「大御神がござる(おられる)」。

そして「大自然も 大宇宙も大御神さまの手の内にあるので、「そなたの内にござる」という「つながり」になるのでしょう。

 

みな そなたのうつしと言えるのぞそなたのあり様が いかに大事か わかりてか」――これは、実に驚くべき観点ですね。「つながらぬものなど ないのぞ」も、同じ主旨でしょう。

 

 

6.自然の中にすべてがある

 

――野の花 木々 澄み渡る大空
道端の草ぐさ 小鳥のさえずり
ふれあう 心の旅路に出かけておるか
心を澄まし 向き合えば そこに 吾はおるぞ  大御神もおるのぞ
そなたの澄みきった心の内に わらわの純粋な心が よみがえるのぞ
無心になりて ただ ただ 大自然とひとつになりてくれよ
心をあずけてくれよ
そのまま 夢の国に 入りても よいのぞ
軽やかな 穏やかな やさしいそなたを発見できるぞ
無になりて 自然にとけこむ時 多くつくれよ
大事なことぞ
T

 

心を澄まし 向き合えば そこに 吾はおるぞ  大御神もおるのぞ」――これは、前項で言われた「つながらぬものなど ないのぞ」と同じ主旨でしょう。

 

無心になりて ただ ただ 大自然とひとつになりてくれよ心をあずけてくれよ」――街中に住んでいても、自宅の小さな庭でも、近くの公園でも、環境としては実現できるでしょう。

大切なことは、その心構えと思われます。

 

 

私の感想は以上ですが、いったん無心に返って次の全文を通読されるようお薦めします。関連して送られたクシナダ メッセージも含めて。

 

光への融合 国常立大神、クシナダ

 

そして全文を読み終えると、これまで時間と労力を投じてきた他の関心事はすべて霞んでしまって、ここまでの歩みは何だったのかと考え込むことになるかもしれませんね。

しかし誰にとっても、それらは現時点に至るために必要な体験であり学びだったのでしょう。

そして前途には新時代につながる光に満ちた道が開けているわけですから、そのことに感謝しながら、その道を嬉々として歩んでい行こうではありませんか。

今回のお言葉で「喜べば 喜びごとがくるのぞ喜びごとに なってゆくのぞ」と言われるように。

 

 

【関連】

大御神さまの分身のテラ降臨と活動開始に寄せて クシナダ、サナンダ

大御神さまの分身の、人類に対する富士山頂からのお言葉−第1

このテラを救うため大御神さまは分身として富士の頂上に降臨された

 

 

[このページのトップへ戻る]
[
Q&Aハイライト全容]

[トップハイライト全容]

[ホーム]

Copyright© 2021 Eisei KOMATSU