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アウグストゥス人類の前途を語る(アセンション時局’14

[2014711]

 

 

アウグストゥス 人類の前途を語る〕より続く

 

【目次】

アウグストゥスのメッセージ(続)

【解説】

 


アウグストゥスのメッセージ()

 

もっとも重要なことは、耳障りな騒音の中に身を置かないことです。

大音響を出す機器に絶えず曝されることは、心身に非常に有害です。そういう環境で仕事をしなければならないなら、職業を変えたほうがいいでしょう。

それも難しい場合は、仕事の合間に、気持ちを落ち着かせる音楽を聴くのがいいでしょう。

音は、潜在意識への通路です。

平和的で気持ちが落ち着く音楽によって、あなたの感情的側面の成立ち自体を変えることができます。

それらは、たいへん強力な手段だと知っておきましょう。

 

習慣というものは、繰り返しによって簡単に形作られます。

音楽によって自分自身を平和モードに錬成することができるので、あなたが特に楽しいと思うメロディーを、頻繁に聴くようにするのは良い方法です。

そのメロディーを聴いた途端に身体がリラックスするように、自分自身を仕立てることができるのです。

 

光も、魂への別の経路です。音ほどは強力でありませんが。

ソフトな光は、落ち着く音と同様に、リラックスへの近道です。

ロウソクの光もそうです。その場にロウソクがなくても、それが明滅するのをイメージするだけでリラックスするでしょう。

 

あなたの思いを意識的に、からだ中に入り込ませるようにしましょう。

その意味は、あなたの足からスタートして、からだの各部に思いを向けるということです。

眼を閉じて足のふくらみに思いを向け、そこから脚、ひざへと進み、最後には頭へ来るように思いを巡らします。

このように身体に沈み込んでいけば、身体の各部が送るメッセージを感じ取ることができるようになるでしょう。

 

もし身体のどこかに不具合を感じたら、そこに思いを向けましょう。

例えば、ひざが強張ったり痛んだりするなら、そこに意識を集中すれば原因が分かるようになるでしょう。

その原因についてのメッセージを受け取ることができなくても、あなたが不具合を認識し日頃の働きに感謝するだけで、その部分に愛のエネルギーを送ることになります。

あなたは神の分身だから、あなたの思いは、そこに向けて照射される愛のエネルギーになるのです。

それはあたかも抱擁のようなもので、もしあなたが慈愛に満ちた気持ちで誰かを抱擁すれば、その人は純粋な愛だけを感じるでしょう。

 

からだは、あなたが考えている以上に、あなたの感謝を必要としています。

からだの全ての部分が意識を持っています。それら各部を全体として集約したとき、からだは平和と愛を感じるようでなければなりません。

からだは毎日、あなたの為に最善を尽くしているので、それに感謝しつつ愛の想いを向けるようにしましょう。

 

私にとって幸福の秘訣は、それを実践することです。難しいことではありませんが、非常に重要だと思います。

あなたの心身は、平和と満足感によって調和されている必要があるのです。

毎日それを実践すれば、あなたの個性は平穏が主体を占めるようになるでしょう。

心身の平穏を感じられるようになるまで、繰り返し練習することをお勧めします。

 

平穏は、開明への出発点です。

心が平穏であれば、すべての人々との一体性が見つかるようになるでしょう。

人々が幸福になることを望み、それぞれの自由を謳歌してほしいという姿勢を持つことは、「今を生きる」の始まりです。

他者をコントロールする欲望をいっさい抱かず「今を生きる」ことは、あなた個人の人生を前進させる出発点です。

それは小麦からモミガラを外すようなもので、地球が、それを希望する全人類にもたらそうとしている新生活への第一歩です。

 

このシンプルな方法を習慣にすれば、あなた自身の為に前途へのビジョンを開こうとしている、あなたの魂への戸口が開かれるでしょう。それが魂への経路だからです。

あなたの高次の意識は、地球の地平に何があるかを知っています。

あなたは、今回の大変化の期間に、ここにいるように計画したのです。それが偶然に起こることはありません。

この旅路で孤独を感じるのは、あなたが高次の意識につながっていないためです。

 

私たちが支援しようとしているのは、あなたが、あなた自身の高次の意識につながることです。

それさえできれば、あなた独自の方向に向けて生きていくことができるでしょう。

あなたの魂は、過去生の全体験を保持しています。したがって、あなたの過去につなげて、あなたの失敗や強さを知ることができます。

他の誰も、その情報を、あなたに知らせることはできません。

それがあるから、イエスは、自分の内部に分け入って神の国を見つけるように忠告されたのです。

 

この変化の期間に、どこへ行くかは、あなたの決断次第です。

あなたの未来を、どのように生きるかは、あなたの選択です。

私たちが望むことは、あなたが、あなたの内部に分け入る方法を学んでもらうことだけで、その戸口を見つける機会を提供しているわけです。

 

それが、私たちが考えている支援で、あなたの手を取って方向づけしてあげています。それが全てです。

その先は、あなた自身で出来ることで、あなた自身が助言者になれるでしょう。

これまで人類は、いつも他者に目を向けて進路を示してもらうことばかり求めてきました。――宗教的または政治的な指導者であれ誰であろうと。

私達が言っているのは、あなたは既に、十分に自分自身の助言者になれるほど強大な存在だということです。

もしあなたが、自分の魂の望みを汲み出すのに必要な、十分な学習基盤を持っているなら、他には何も要らないでしょう。

 

あなた方が新次元の自由を志向するなら、前途では支配や管理や統制とは無縁になるでしょう。

あなた方のために、それを希望しています。

私たちは、必要とあれば折につけ戻ってきて、アイディアを差し上げるつもりです。

私たちは、人類と高次の精神階層との間の連結役で、声の配達人の役割を喜んでやっています。

 

ある時、イエスはこう言われました――「あなた方はその実で彼らを見分ける」

そのように私たちを評価してください。私たちが求めるものは何もありません。

私達が望むことは、あなたが誰かに従うのではなく、あなた自身の魂が示す方向に正しく進むことで、それが確かに自分の魂の導きであることを明確にすることです。

それで私たちは、あなた自身の神性から来る声を聴く方法をお話しているわけで、その声は、かつてあなたが神とのつながりを持っていた時の体験から来るものです。

 

そのように、あなた方がもっと直接的に、創造の力を認識していた時期があります。

その能力を、過去に受けた重圧や死の体験または死への恐怖が原因で、手放してしまったのです。

あなた方は意識の深い部分でそのような記憶を持ち運んでおり、どこかの時点で、それらの泥さらいをすることになるでしょう。

それらの記憶が癒しを求めて浮上し始めた時、私達が再び現れることになるでしょう。


【解説】(小松)

 

古代ローマという時代

奇しくも今年は、AD14年の8月(August)にアウグストゥスAugustus)が逝去してから、丁度2000年の節目の年に当たります。

その辞世の言葉は「人生という喜劇を演じ終えた私に、どうか拍手喝采を」という主旨だったようですが、この言葉には、「共和制復帰/実質は帝政」の「皇帝」に就任する前に、すでに自分の今生での使命に気づいていて、足かけ41年の在任中に最善を尽くした人の充足感が詰まっているように思います。

この2000年を通じて人類は進歩したでしょうか。途中にアメリカ独立(1776年)という偉業がありましたが、その精神もいつの間にか雲散霧消して、どん底まで来てしまったのではないでしょうか。

アウグストゥスの治世が傑出しているだけに、その感を深くします。

 

ともあれ、古代ローマと現代とは驚くほど共通点がありますが、古代ローマ独特のものも少なからずあります。

時代背景への理解への一助として、〔カエサル―アウグストゥスの時代〕を中心に、そのいくつかを列挙してみます。

政治と軍事は不可分で、政治のトップは軍役にも従事(戦争を仕掛けるなら、自ら先頭に立ってこそ信頼される)

社会の第一線で働き始める年齢が極めて低い(それでも「史上最高」のカエサルの読書量:知識の吸収だけの為に学校で十数年も費やす「無駄」がない)

制度的なものとしての奴隷の存在(「戦利品」という性格)

広報の手段はあったが、マスメディアという「怪物」は存在しない(「怪物」が人心操縦のツールになるという状況がない)

公的な分野で男性中心の社会(最高レベルの女性ですら「内助の功」に徹した:アウレリア、コルネリア、リヴィア)

 

アウグストゥス――イエスとの接点

イエスの生誕はBC4年とみられますが、公の場で宣教活動を開始したのは30歳の時(AD26年)なので、両者の接点はなかったとみられます。ちなみにイエスの宣教は、3年間だけで終わっています。

いわゆる「正史」でイエスが「行方が不明」とされている期間は、インド(ヨギ)やブリトン(ドルイド)での修行時代で、まだ「世に出ていない」ので、この期間でも両者の接触は考えられません。

ちなみにローマ世界でキリスト教が公認されたのは313年(コンスタンティヌス帝)で、それまでは概して迫害される時代が続いています。

 

3年間だけのイエスの宣教活動で、キリスト教が「世界最大の宗教」になったのは、使徒や宣教師の活動もさることながら、イエスの元の教えに人々の心に響くものがあるからでしょう。

残念ながら一般に手に入る新約聖書は、イエスがヨセフとマリアの子として生誕した経緯、妻であり同志であるマグダラのマリアの役割、二人の間に生まれた子供たち(3人)のこと、イエスが「復活」後にマグダラのマリアや同志たちと共にガリア(フランス)に逃れ、そこで死亡し埋葬されたことなどが、隠蔽または改変されています。(《「マグダラのマリア」のメッセージ》参照)

それは、イエスを徹底的に神格化しようとした指導者たちの思惑によるものでしょう。

 

それでも、新約聖書の中核とみられる、ヨハネ、ルカ、マルコ、マタイによる四福音書を(大幅に改変された冒頭部分を無視して)読むと、主題はそれぞれ重複していますが、イエスの教えの真髄が伝わってきます。

一方では教会が、正しい教えを広めるだけでなく、指導者たちが不正な(イエスの教えとは正反対の)メッセージを出し、それを受けて宣教師や信者たちが「異教徒」を徹底的に弾圧し大量殺戮さえ行った歴史があります。

特に「新大陸発見」後の中南米の歴史は、「エセ宣教師」たちによる異教徒に対する徹底的弾圧の歴史という側面もあります。

 

カエサルの遺言状

カエサルが死の6か月前(45BC9)に書いた遺言状で、重要な項目は次の3件です。

1.カエサル所有の資産の4分の3は、ガイウス・オクタビウスとアティアの息子、オクタヴィアヌスに遺す。

2.第1相続人オクタヴィアヌスが相続を辞退した場合の相続権は、デキムス・ブルータスに帰す。

3.第1相続人オクタヴィアヌスは、相続した時点でカエサルの養子となり、息子となった彼はカエサルの名を継ぐ。

 

まさに見事に、自分の「ローマ人の実孫および実子」を、第1および第2相続人に指定しています。

これだけではデキムス・ブルータスには「実利」が無いように見えますが、カエサルが準備していたBC44年度からの人事案の中で、最重要な北伊属州(現在のフィレンツェより北のエリアで、トリノ、ミラノ、ボローニャ、ヴェネツィア等が含まれる)の総督にデキムスを指名しており、その案は(カエサル派と暗殺者側との妥協の産物として)カエサルの死後も活かされて、実際に彼は北伊属州に赴任しています(それに加えてカエサルは、BC43年度の執政官にデキムスを指名していましたが、デキムスの死により実現していません)。

 

これを見て、オクタヴィアヌス以外の全てのローマ人が、アッと驚いたことでしょう(カエサル暗殺の主役の一人と目されるデキムスは、別の意味で愕然とした)。

両相続人には(人々の認識としては)カエサルからの血のつながりは見られない(知られていない)。

オクタヴィアヌスはその時点では18歳で、「遠縁」と認識されていたが、政治でも軍事でもほとんど実績がなく無名に近い存在。

デキムスはカエサル軍団の将校の一人として知られており実績もあったが、軍事ではカエサルの右腕と目されていて縁故関係も明白なマルクス・アントニウス(38歳)がいた。

自他ともに認める実子なら、クレオパトラの間に男児カエサリオンがいた。

 

オクタヴィアヌスの傑出した実績を見て、後継者選びは「カエサルの炯眼」などと囃し立てるのは、後世の史家の後付けの話しで、カエサルは普通の人と同じように「血のつながり」を重視したのでしょう(自分の「今生での使命」には、最後まで気づいていなかったようです)。

したがってカエサルは、オクタヴィアヌスとの間で、「二人だけの約束」を取り交わしていたのです。

 

カエサルが殺された時点で、次は私の番だと分かっていました。その前に私たちは、彼と私は、彼がどうのように私につながる道を造るかについて会話があったのです。

彼には息子がいなかったので、その道を造ることを非常に重視していることが見て取れました。彼は、政治の世界で自分が築いた地位を受け継ぐ息子が絶対に必要だと信じているようでした。

しばしば彼が私に話したことは、彼が欲しがっていた息子に私が相当し、血のつながる親族として私を受入れたということでした。

 

カエサルが暗殺者たちを見て最後に発したとされる「ブルータス、お前もか!」という言葉の「ブルータス」が、マルクス・ブルータスを指すのか、それともデキムス・ブルータスを指すのかについて、史家の間で意見が分かれているようですが、以上の経緯からすればデキムスを指すことは間違いないでしょう。

デキムスは、315日のカエサル暗殺(大義名分は「元老院を中心とする政治体制」の転覆を防ぐこと)を主導したものの、遺言状が公になった後は、しょげ返っていたとのことです。

そしてローマ市民やカエサル派の反発を恐れて、317日の元老院会議で一応の妥協が成立した直後に、任地の北伊属州へ旅立っています。

そのあたりの心情や経緯については、「デキムス・ブルータスのメッセージ(省略)」で詳しく述べられていますが、一口で言えば、カエサルに対する「複雑な愛憎の思い」が背景にあったようです。

彼は、カエサルの軍人としての力量を尊敬し、自分を取り立ててくれることに感謝する一方で、父(同名のデキムス・ブルータス)を尊敬し、カエサルに惹かれる母を憎んでいたようです。それはカエサルへの憎しみに通じます。

自分がカエサルの実子であることは、母に教えられて早くから知っていたようです(しかし父は、ずっと後まで母の不貞に気づいていなかった)。

ともあれ、カエサルとの間で「親子であることを意識した会話」は最後までありませんでした。

 

カエサル 「バルド(Bardo)」にはまる

ここで、キャロリンCarolyn Evers)が私に贈ってくれた本『カエサルとの対話Conversations with Caesar)』の、著作の経緯に触れておきます。 

彼女がローマに滞在していたとき、古代ローマ時代の「(ユリアとしての)自分」の記憶がよみがえったとのことです。

その後フラビウスFlaviusからもメッセージが送られてくるようになり、それらを基に『カエサルの娘と百人隊長(Caesars Daughter and Centurion』を書き進めていた。

ところが古代ローマの歴史と多数の登場人物の複雑な人間関係に言及することになるので、時代考証に時間をとられて、とても目標とする1年以内に仕上げられそうもない状態に陥っていた時、突然カエサルから通信が来て、「私の物語を先に本にする」ことを勧められたとのことです。

キャロリンがそのアドバイスを受諾すると、数か月にわたって「原稿」が(通信として)章別に送られてきたようです。

 

ガリア戦記』に見られるように、人類史の中でも傑出した著述家だったカエサルは、この『カエサルとの対話Conversations with Caesar)』の全16章からなる全文を、章の構成まで含めて、ほぼ完成した形で(こちらの世界での「著者」である)キャロリン(Carolyn Evers)に何回かに分けて送ってきた(通信してきた)そうです(もちろん、それとは別に同書ではキャロリンのコメントが随所に付記されていますが)。

その第1章が、「バルド(The Bardo」となっているのは、それだけの思い入れを(バルドに対して)カエサルが持っていたからでしょう。

 

ちなみに以上によって、ユリア(もう一人の主役)が本書のメッセンジャーとして登場しない事情がわかります。

ユリアの本質(魂)は、現代の地球へ人間(キャロリン)として転生しており高次元にはいないので、その種のメッセージを送ることが出来ない(逆に、高次元ではできない、こちらの世界の仕事ができる)のです。

 

まずは、カエサルのメッセージを聴いてみましょう。

 

この世界で私は、地球で生きていた時と同じように心を持っています。

明晰な頭脳と的確な状況判断が、以前と同じように出来ます。そのことが恐らく、何よりも私の心を傷つけます。

この陰鬱な生活を観察する能力があるので、この状態になったのは何をやったせいなのかを、いぶかるのです。

 

この心の状態に留まることを強制する者は誰もいませんが、まるで世界の嫌われ者のように全ての人類から離れて、ここに投げ捨てられています。

忘れ去ることのできない自分なりの思いがあるので、苦しいのです。

これまでの永い時間を通して、自分がエネルギーに満ちていて、思い通りのものを得ることができた時のことを思いながら過ごしてきました。

私にとって敵を征服するのは簡単なことで、何でも自分のものにしましたが、ここでは自分の記憶の他には何も持っていません。

それらの記憶が、私を恐怖で満たすのです。

誰も私を傷つけはしませんが、極度の懲罰の中を生きています。

持っているのは記憶だけで、地球にいた時に自分がやった、あらゆる行いを反芻します。

自分の心の他には、誰も私を罰する者はいません。

それが私にとっての地獄で、懲罰なのです。

 

ここまで読むとカエサル一人がバルドに囚われているように感じますが、実は、彼が引き込んでしまった「カエサル軍団」の部下たちも同様に囚われの身になっているようです。部下の全員ではないと思いますが。

 

いま私が認識しているのは、自分自身の拘束状態だけでなく、この場所で私と同様に苦しんでいる他の者たちを、連れてきた責任も私にあるということです。彼らは善良で忠実な部下たちでした。

ある意味で、私は今でも彼らのリーダーです。ここでの生活で彼らをリードしており、私達には絆があるからです。

彼らの不幸に対する責任を感じないではいられません。できることなら泣きたいぐらいですが、ここにあるのは記憶だけで、涙さえもないのです。

 

これらの記憶は私の心に焼き付いており、消し去ることはできません。

この状態に陥った者は誰であっても、とても耐えがたい思いをするでしょう。

しかし私の場合は、ここにいる多くの者たちに対する責任を自覚するので、最大の苦しみを受けることになるのです。

 

もし私が以前これを知っていたとしたら、政治の階段を上り詰め独自の指揮権を得て、自分自身を追放したでしょう。

その追放先が、考えられる限りの最悪の地であるとしても、ここでの苦痛で絶望的な生活と比べれば、恵まれていると思うことができたでしょう。

 

ここでは、「バルドBardo)」についての本質に近い説明をカエサルが与えています。

それを実体験して、そこから「生還」した当人だからできることでしょう。

カトリックの「煉獄(Purgatorium)」や仏教系の「無間(むげん)地獄」、また「エジプトの死者の書」に見られる「地獄」の記述を含めて、すべては後世の人々が勝手に綴った布教のための便法または想像の産物です。

語源的には「チベットの死者の書」から来ており、そこにある「死んでから次の生に生まれ変わるまでの中間状態」という説明が一般論としては近いですが、話が〔地獄、餓鬼、畜生、阿修羅界〕などに及ぶと眉唾の感が深くなります。

いずれにしても、ここでの「バルド」はカエサルが説明しているような、死者が陥ることがある特定の状態を指しています。

 

それにしても、私には「なぜカエサルが」という思いがあります。

彼は、他の誰もなし得ないような広大な版図をローマにもたらして、アウグストゥスに引き継いだ。

戦役でも、被征服国への関心や配慮を怠らず、なるべく殺戮を避け降伏に追い込んで、先々の統治まで考えたやり方を採った(捕虜を自己の軍団に編入したり、奴隷としてローマへ送る思惑もあったと思われますが)。

特に同胞(ローマ人)に対しては、何かと似たところの多い将軍・政治家スッラとは違って、殺戮を避けることを主眼とした。

卓越した文人でもあり、異国の文化や人々に関心を寄せ、戦乱の中でも『ガリア戦記』を欠かさず綴ってローマへ送った(後に本〔当時はパピルス紙に手書きする高価な巻物〕として大成した)。

ガリア戦争の中で、自然の要害都市と見られていた「アウァリクム(現ブルージュ)」や「アレシア(現アリーズ・サント・レーヌ)」の攻略では、土木建築技師に変身して臨機応変の作戦を編み出しもした。

現代につながる太陽暦(ユリウス暦)の制定など、ユニークな事績を多く残した。

 

ともあれ、カエサルがキャロリンに通信してきたことが、「カエサル一行」をバルドから救出するキッカケになったことは間違いありません。

キャロリンによると、その救出劇は、それだけで一篇の物語になるほどの大プロジェクトだったそうです。

救出が可能になる前提として、カエサル自身の気づきや反省に加えて、ユリア(=キャロリン)など関係者の許しも必要だったようです。

関係者の一人コルネリアは、もちろん同志としてカエサルの「復帰」を「首を長くして待っている」状況だったので、「許し」については当然のことだったでしょう。

ことほど左様に、人は物質界に生まれると、「迷い道」にはまり易いということでしょう。

 

今回の大転換の一環として、地球から「バルド」を消滅させる天の計画もあるようです。

カエサルは、地球時間で2千年以上にわたって、バルドに閉じ込められていたことになります。

「救出」は目出度く成功したようで、本書の途中から(第6章あたりから)、カエサルのメッセージのトーンが変わっています。

「私(I)」よりも「私たち(We)」を使うことが多くなり、力点が「人類の前途」へ移っていきます。

次は、第5章に関係する部分です。

 

カエサル――もし当時これを知っていれば!

カエサルは冒頭で、武力だけでは平和は実現できないこと。

ある段階までそれが必要なことがあるとしても、その先では相互理解や協調が欠かせないこと。

などの反省の弁を述べています。それに続いて、こう言っています。

 

私は、いま知っていることを当時、知ってさえいたらという思いに駆られます。

しかし実は、知らなかったとは言えないのです。

物質界の濃密な世界に生れ出る前に、魂のレベルで世界に平和をもたらす自分の計画を描いていました。

ところが私は、力をものにするには邪魔になると考えて、それらの思考を葬り去ったのです。

軍事の世界では、そのような考えは弱いものに見えました。弱い基盤に立って政治の頂点に登り詰め、そこに留まることはできないというのが、少なくとも当時の私の観点でした。

 

私は将軍としての自分の能力を疑ったことは決してありません。政治家としての能力についても同様でした。

しかし、人々に正義をもたらすことについては、疑問符が付きました。

私は正義からほど遠かったわけですが、正義こそが「教師」への道を開くためには必要とされるものでした。

 

 

私が地球へ来る前に自分のプランを造っている段階で、私の助言チームは一つのプランを提示していました。

そのタイトルは「ローマに平和をもたらす」となっており、それは私一人でやる仕事ではありませんでした。

つまり、他の人の協力も得て遂行することになっていました。

シンプルなプランですが、よく考えられたものでした。

私には協力者が現れることになっており、同様に高いスピリチュアルな目的を持つ人物でした。

彼は実際に、高次元の精神領域から来る存在でした。

 

彼の魂は「光のコード(code)」で構成されており、人間界に「協力」の素地を植込むことになっていました。それらのコードは、彼自身だけでなく、他の人々にも影響を与えるものでした。

私の将軍としての指導力と、彼が持つ「光のコード」によって、「ローマの平和(パクス・ロマーナ:Pax Romana)」を達成するという筋書きでした。

 

その人物フラビウスは、同様に「光のコード」を持つ女性と結婚する手はずになっており、彼女の愛と彼の認識力や協力性によって、私の能力とのバランスをとることになっていました。それは完璧な計画でした。

フラビウスが私の娘ユリアと結婚しようとする段階で、私が彼を注目するようになるはずでした。

実際に、私の娘は愛の「光のコード」を保持することになっていました。

 

このフラビウスは、前篇でアウレリアが「(彼の死は)自分も死にたいほど悲しかった」というフラビウスです。

そこに書いたように、彼の死によって上の計画は実現しませんでした。

しかしユリアが、フラビウスとの間でもうけた子供を出産したことにより、「光のコード」はその子オクタヴィアヌス=アウグストゥス)に受継がれ、「パクス・ロマーナ」はアウグストゥスによって達成されることになります。

 

ここにあるように、地球に転生した魂の多くは、出生した瞬間に生前の約束や記憶を全て忘れてしまうので、事が計画通りに進むとは限りません。

そこで「天界(この世界を超えた領域)」では、このような大きなプロジェクトに関しては、世代を少しずつ変えて「スベリ止め」を送るのが通例のようです。

それも、それぞれが夫婦のペアになるようにするわけです(物質界の汚濁に紛れて約束を忘れてしまっても、定められた相手を見つけるように誘導する。そうすれば潜在意識・魂のレベルでは記憶しているので、遅かれ早かれペアになる)。

ここでは、〔カエサル/コルネリア〕―〔フラビウス/ユリア〕―〔オクタヴィアヌス/リヴィア〕という繋がりです。

成功すれば、それぞれのペアと世代を超えたペアの組とが、互いに完璧な協力者になる。

誰かが失敗しても、一人(一組)ぐらいは成功するだろうというわけです。

 

オクタヴィアヌスリヴィアLivia Drusilla)のケースでは、二人が知り合ったときリヴィアは既に結婚して第一子(後のティベリウス帝)が生まれており、しかも第二子を身ごもっていました。

しかしオクタヴィアヌスはリヴィアの夫を口説いて、彼女を(その息子たちと共に)「禅譲」してもらいました。

第二子の出産後に行われた結婚式では、新妻の付添人を前夫が務めるという、前代未聞の「オマケ」まで付けてもらっています(38BC:オクタヴィアヌス25歳、リヴィア20歳)。

そして二人は、オクタヴィアヌスアウグストゥス)の死まで一緒に暮らすことになります(AD14:アウグストゥス77歳、リヴィア72歳)。

 

ちなみに、カエサルやアウグストゥスが「血のつながり」求めて躍起になったのは、一般に考えられている以上に重要な意味があります。彼らが、魂のレベルで知っている真実が、無意識に行動に現れたのでしょう。

これを参考にしてください。

DNAの真実

 

続々 アウグストゥス人類の前途を語る〕へ続く

 


【関連】

アウグストゥス 人類の前途を語る

「マグダラのマリア」のメッセージ

 

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