【目次】
(03.05.28)原発なしでやっていける日本
(03.05.07)SARSの本質と対応の考え方
(03.05.07)「刺絡(しらく)」で免疫力を高めよう
(03.04.01)旧世界秩序の終わりの始まり―「イラク侵略戦争」の意義
(03.03.12)『アホでマヌケなアメリカ白人』
(03.05.28)原発なしでやっていける日本
問題だらけの原子力発電(原発)を、何とか延命させようとするための隠蔽工作(自主点検作業記録に関する不正記録など)が、はからずも「原発なしでやっていける日本」を証明することになりました。
関東圏をカバーする東京電力(東電)の、供給電力の4割をカバーする全17基の原発のうち16基が、安全点検のため停止しています(柏崎刈羽6号機が運転開始した5月9日以前には、全17基が停止していた)。停止しても、この社会が何の問題もなく動いていることは、誰の目にも明らかな事実です。
原発の何が問題なのかについては、下記を参照してください。
「混迷の星」(第6章)《「核」のパラドックス》
「同」(第10章)《プラネタリー・クリーニング》(後半にある「核物質」の問題)
「時代の分水嶺」(第2回)《この地球で、私たちはエネルギーとどう付き合うべきでしょうか?》
資源エネルギー庁と東電は、夏の需要のピークを乗り切ることが問題だとして、もし原発の運転が再開できなければ、「関東大停電」が起こりかねないというトーンの危機感を煽っていますが、これを頭から信じる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。まして、パニックに陥る人などは・・・。
少し目を開けてこの社会を見れば、エアコンやテレビはつけ放題、膨大な数の自販機・温水洗浄便座・家電品・パソコンなどの待機電力、昼間でも煌々と照明されているオフィスなど、日夜にわたりエネルギーを湯水のごとく消費している現実があるからです。
それどころか、日本の電力各社は、アメリカなどの電力会社が真剣に取り組んでいる「DSM:ディマンド・サイド・マネジメント」や「キロ・ウォッチャー・クラブ」(詳細は後記の「引用」を参照)のような「DR:Demand Reduction:ピークカット対策」に、ほとんど手をつけていないのです。電力消費のピークが問題なのに、電力各社は「ピークカット」に真剣に取り組んでこなかった。不思議だと思いませんか?
そのわけは、日本独特の電力料金システム(電力会社の利益を保証する仕掛け)にあります。ご存知のように、掛け声だけの電力自由化が「推進」されているものの、電力供給事業は、事実上「10電力会社」の独占事業になっているので、競争原理によって価格が形成されるという市場メカニズムが働きません。そこで、電力料金は基本的に政府による認可制になっているわけですが、その料金算定の仕組みに大きい問題があるのです。
この場合、料金が対象企業に適切な利益を保証するものであることは是認すべき原則といえますが、問題は、電力会社の事業資産(残高)に一定率(事業報酬率)を掛けた値を、当会社の利益として確保できるように料金が定められる仕掛けになっていることです(問題の本質は、状況によって変更されることがある「事業報酬率」の大小ではなく、事業資産の大小がそのまま利益にリンクする「資産基準主義」にあります)。
独立した私企業(株式会社)である電力各社は、この仕掛けのもとで、当然ながら「事業資産を増やすこと」に血道を上げることになります。口先では「節電」をアピールしても、本心は電力需要のピークを温存したい。そうすれば、お手盛りの需要予測に基づく「ピーク対策」を口実に、「事業資産」を増やすことができ、したがって「事業報酬(会社の利益)」を増やすことにつながるのです。
単一の設備として最も巨額の投資を要する原発は、「事業資産を増やす」手段として「最適」のものです。全般的に電力需要が低迷するなかで、電力各社が新規の原発に執心する最大の理由がそこにあります。しかし、アメリカの電力会社が必死になって取り組んでいる「DR(例えば、“Selected Utility Demand Reduction Measures”:代表的な電力会社のピーク・カット対策)」に習って「ピークカット」を本気でやりさえすれば、日本では発電設備の増強はもはや必要でないし、スウェーデンやドイツのように「原発全廃」を具体的なプログラムにのせることも可能なのです。
以上の認識を、しっかり心に留めましょう。いずれ、燎原の火のように広がっていくでしょう。
ここに、『タスマニアの羊』(小松英星、1993年11月、春秋社)の第7章から関連個所を引用します。
タスマニアの羊
―成長神話を超える経済へ―
小松英星
大型電源開発と超高圧送電網
もし、事業資産に一定率を掛けた値で利益が規定される企業があるとすれば、その行動はどのようなものになるであろうか。間違いなく、最大の経営目標は「事業資産を増やすこと」となる。販売する商品の需要と供給とのバランスは、供給力が需要を上回っている限り、本質的な問題ではない。どんなに巨額の借金をしても、それを事業資産に投入するのであれば、少しも気にすることはない。最も気に懸けることは、事業資産を建設する場所の確保、すなわち「立地問題」である。
日本の電力会社の状況は、これに似ている。事業資産の8%が利益と決められているので、利益の天井を上げるには、発電設備や送変電設備に投資して事業資産を増やさなければならない。立地問題が閉塞して事業資産の拡大が行き詰まると、「会社にとって明日はない」と、危機感を抱くことになる。
1992年に入って、産業用電力需要の前年割れが続いているなかで、相変わらず電力会社の巨大投資計画が次々と出てくることに、疑問を持つ人も少なくないであろう。
電力の安定供給を社会的使命とする電力会社の中で、発電設備容量と年間の最大ピーク電力需要が接近している会社の設備投資計画は、一見合理性があるようにみえる。しかし、余力を確保する手段は、設備容量を上げることだけではない。負荷の平準化、すなわち季節間、昼夜間の需要較差を改善するという手段がある。電力会社の年負荷率は約60%である。すなわち、設備容量と発電量との間には、平均して約4割の開きがある。夏の昼夜間較差は、5割を超えることもある。それだけ改善の余地が大きいことを意味している。
米国などの電力会社では、DSM(ディマンド・サイド・マネジメント)という総合的な需要管理システムに真剣に取り組んでいる。ピーク需要抑制のための最大8倍にも達する料金較差の設定や、「キロ・ウォッチャー・クラブ」という需要急増時の供給停止受諾契約(料金が1〜3割安くなる)など、さまざまな手法を導入している。その方が、設備を増強するより利益になるのである。したがって、「需要増を需要減でまかなう」という発想が、自然に出てくる。
日本では、家庭用電力には供給停止受諾契約の制度はない。また、料金較差も最大3倍程度と大きくない。日本の電力会社は、DSMをやると利益増はおろか、利益減にすらなりかねない「利益原理」を課せられているので、それに本腰を入れるよりは、設備拡大の方に力が入ることになる。
この制度は1960年に導入されたもので、事業資産に8%の報酬率を乗じて事業報酬が決められ、それが電気料金に織り込まれる。問題は、8%の数値の適否ではなく、「資産基準主義」にある。国家の急発展の時期ならともかく、現在はエネルギー消費の節減が国家的課題となっている時である。ところが、ライトアップやネオンサイン、5百万台を超える自動販売機など、電力は使い放題の状況である。「東名」の東京料金所と厚木インターの間を全面照明したのは最近のことである。日本の1次エネルギー(電力や熱などに転換される前の、石油、天然ガス、水力などのエネルギー源)供給の約4割が発電用に使われている。電力会社自身が節電の先頭に立って「本気で」努力し、かつその努力が経営の妙味であり業績にもつながるような報酬制度に、一刻も早く改訂すべきである。
一方、将来の電力需要見の通しについて、「バブル崩壊後の実態」を無視した推計を援用することは避けるべきである。現に前年割れや、それに近い状態が続いているという事実が、何より明白に将来の展望を与えていると考えるべきであろう。省エネ思想の普及や「エネルギー税」の導入などを進め、電力会社自身もDSMなどによるピークカットに注力すれば、これ以上、大型電源開発に手をつけなくてもしのぐことができるであろう。むしろ、その目標をまず設定して、施策を講じていくことが時代の要請である。地域的な需要の片寄りは、電力会社間の融通や需要地の近くに複合サイクルガスタービンなどの中規模プラントを設置してカバーすることができよう。「小手先の対応でごまかす」ことに重要な意味がある。それを積み上げているうちに、本筋が見えてくるであろう。
また、送変電設備への投資も無視することができない。例えば、トラブル時のバックアップ体制などの目的で、100万ボルトの超高圧送電網に1兆円を超える投資が敢行されようとしている。送電網は、発電所と違って主に山間部を通るため、立地についての抵抗が少なく、また必要性についての客観的評価が難しいので、現行の「利益原理」のもとで、安直に事業資産を増やす手段になりやすい。
このような案件については、その規模と公共性を考慮して、形式的な手続きでなく、国会の場で審議するぐらいの手順を踏むことが望ましい。これらの投資のツケは、誰かが払わなければならない。それは結局、電力の需要家、特に産業用電力に比べて選択の余地の狭い割高な電力料金を払わされている一般家庭が、将来にわたって負担することになる。
遠くない未来において、各家庭、工場、オフィス、店舗などが、それぞれ小型の発電装置を保有するようになったとき、文明の巨大な遺骨(送電鉄塔)を、どう処置するか考えたことがあるだろうか。山野に送電網を張り巡らせるのは、最小限にしなければならない。
(03.05.07)SARSの本質と対応の考え方
いま中国、東南アジアで流行地域が広がりつつある新型肺炎(SARS=重症急性呼吸器症候群)の病原ウイルスは、AIDSやエボラ出血熱と同じように、人造のものである可能性が濃厚です。
原子力の開発が原爆につながったように、遺伝子工学の発展が生物兵器につながっています。ここでは、戦場での兵器ではなく、もっと陰湿な目的に使われているわけですが。それらを利用して、この世界に恐怖を持続させようとする者たちがいます。彼らは、人間に恐怖心を持たせることが、彼らの目的達成に最も効果的な手段であることを知っているのです。したがって、この種の病原体が、今後も次々と「投入」される可能性があります。
これに対する最高の「良薬」は、恐怖心を持たないことです。もし、あなたがアセンド(上昇)しているなら、つまりアセンションを目指して着実に前進しているなら、SARSなどを恐れる必要はありません。それらは低い波動レベルの存在で、高い波動レベルの者に作用することはできないのです。万一ウイルスを取り込んでも、体が急速にそれらを無害化するでしょう。ただ、そのためには、波動レベルを常に高く保つ必要があり、一瞬も気を抜くことは許されません。心が惑乱して波動レベルを低下させるような出来事を、引き起こさないように注意する必要があります。
マスクをつけたり、予定していた海外旅行をキャンセルするような行為は、SARSへの恐怖心の裏返しで、望ましくない結果を引き寄せる可能性があります(思いが現実を創る)。アセンドしている自分に絶対の自信を持ち、またそれが崩れないように、日々の生活を律していくことが望まれます。
これに関連して、メディアが恐怖の流布に大いに「貢献」していることを知っておきましょう。ご存知のように、こうした「事件もの」が、メディアにとって最も「メシの種」になるのです。この機会に、テレビや新聞と縁を切るのは賢い選択です。災害情報などもあるので、最小限のものとしてラジオがあれば十分でしょう。いま、真に必要なニュースは、「地球が着実にアセンドしつつある」という事実だけです。その最も明白な証拠は、地球の急激な温暖化です。
ところで、SARSなどを「投入」するのは「悪漢」の仕業ですが、彼らの本来の目的とは関係なく、結果として地球の「浄化」が進展することになるでしょう。ご覧のような世界の状況の中で、これから出てくる様々な疫病をかいくぐってアセンションに向かうことは、「サドン・デス(sudden death)」の障害物競走のようなものです。つまり、競争路のどれかひとつの障害物に引っ掛かった者は、その時点で「退場」していくことになります。これに気象や食糧の問題も絡んで、人類の人口が激減する未来が予見できます。まことに容易な行路ではありませんが、基本的に、ひたすらアセンションを目指すか、そうしないかが大きい分かれ目になるでしょう。
なお、これに関連して下記を参照してください。
「Q&A'01c」(01/09)《「死」というものの本質》
アセンション・オンゴーイング(第5回)「アセンションの新展開」《世代間の連携によるアセンションの達成》および《霊界の消滅と「死者」の行方》
(03.05.07)「刺絡(しらく)」で免疫力を高めよう
例えばガン細胞は、健康な人の体でも、毎日たくさん造られています。それらを無害化するのは、免疫機構の働きです。免疫力を高める手段はたくさんありますが、ここでは、誰でも確実に実行できて効果が高い「刺絡(しらく)」を紹介します。「刺絡(療法)」は、人体の経絡やツボを重視する東洋医学の知恵と最新の免疫学とを組み合わせて、医師の福田 稔博士と新潟大学医学部の安保 徹教授が理論付けし体系化したものです。
人体の機能をコントロールしている自律神経には、交感神経と副交感神経があります。ストレスなどで交感神経の緊張が続くと、副交感神経の働きも抑えられ、血流障害、排泄・分泌機能の低下そして活性酸素による組織破壊などにより、病気が起こり易くなることが知られていました。
「福田・安保理論」によると、自律神経は、免疫機能の中心的役割を果たしている白血球(その95%を顆粒球とリンパ球が占める)の働きに密接に関わっていて、交感神経が緊張すると(交感神経が優位になると)顆粒球が増えます。逆に、副交感神経が優位になるとリンパ球が増えます。健康な人は、白血球中の顆粒球の割合が54〜60%、リンパ球の割合が41〜35%ですが、病気になると顆粒球の割合が60%を大きく超えてしまいます。
そこで、「刺絡療法(自律神経免疫療法)」では、増えすぎた顆粒球を正常に戻すために、副交感神経を優位にする働きのある爪の生えぎわや、その他の体のツボを刺激します。そうすれば、自律神経が安定し、顆粒球とリンパ球の比率が正常になり、病気が治るというわけです。医療としてこれを行う場合は、血液検査で顆粒球とリンパ球の比率を確かめながら、注射針などで刺激しますが、以下では、自分でできる簡単な方法を紹介します。
両手の親指、人さし指、中指、そして小指の4本の指の、爪の生えぎわの角を刺激することが基本です(薬指は交感神経を刺激してしまうので使いません)。「爪の生えぎわの角」とは、爪が皮膚組織から表に出ている根元の部位で、指の両側(爪半月の両端)にあることが分かるでしょう。この部位を、反対側の手の親指と人さし指の爪先で強く挟みます。かなり痛いぐらいにやらないと効果がありません(医者は、ここに注射針を刺すのです)。予防的に、免疫力を高める目的としては、各指を10秒ぐらい、1日に2,3回やればいいでしょう。
一例として、このようにやればいいでしょう。
まず左手の親指から始めて小指まで行い、次に右手の親指から小指まで行います。それぞれの指に対して、反対側の手の親指と人さし指の爪先で「爪の生えぎわの角」を強く挟むわけですが、それを少しずつ強めていく感じで(痛いのを我慢しながら)「1から10まで」数えます。続いて3回大きく深呼吸して、その効果を全身および患部に行きわたらせた上で、次の指へ移ります。
既に特定の疾患を抱えている場合は、[親指(呼吸器)、人さし指(消化器)、小指(循環器)]を目安にして、該当する指は特に長く(20秒ぐらい)やるといいでしょう。ガンを含め、ほとんどすべての疾患に有効と考えていいようです。中指は、特定の疾患に関係なく、他の指といっしょに刺激すると効果があるようです。また、下半身の状態を改善するには、手の指に加えて、足の指にも同様にやります。特定の疾患との対応関係は、手の指と同じです(こちらも、手の薬指と同様に、第4指は使いません)。
なお、場合によって、この刺激によって一時的に症状が悪化することがありますが(リバウンドという)、やめないで、少なくとも1ヶ月ぐらい根気よく続けると、状態が改善してくるとのことです。ただし、ステロイドなど既に処方された薬を使用していて、それから離脱しようとする場合は、医師の指導で行わないと危険です。
この関連で、下記の一読を薦めます。
安保 徹(あぼ とおる)『医療が病いをつくる ― 免疫からの警鐘』(2001年11月、岩波書店)
安保 徹・無能唱元『免疫学問答』(2002年12月、河出書房新社)
(03.04.01)旧世界秩序の終わりの始まり―「イラク侵略戦争」の意義
戦争なしでこの世界の浄化が進展すれば、それに越したことはありませんが、今回は、ブッシュ・ブレアの「B・Bコンビ」が自ら「墓穴を掘る」ことが、歴史を回転させるために必要だったようです。
各種マス・メディアが、ここを先途と時々刻々垂れ流す、ブッシュ政権の「大本営発表」や従軍記者の戦況報告などに、まじめに付き合うことは時間とエネルギーの浪費、そしてあなたが既に感じているように、自分の波動を汚染させるだけのことです。
この戦争が、どのような経過をたどるにせよ、途中の出来事は本質ではありません。重要なことは、この戦争を契機としてアメリカの威信は失墜し、力の集中と力による支配を特徴とする、アメリカ中心の世界システムが崩壊し始めることです。それを起動するために、この戦争が、大多数の人類の願いと国際法を無視して(直接攻撃を受けた場合の自衛権の発動、または国連安保理の決議による武力行使のどちらにも該当しないで)始められたことを、世界の総意として認識することが必要だったのです。
「戦争という解決策」への疑問が、これほど広く強く提起されたことは、人類の歴史で初めての経験といえるでしょう。それは、世界規模での「反戦」の、かつてない盛り上がりにつながっています。人類は、突然目覚めたのです。つまり、何千年、何万年と力や戦争によって答えを導こうとしてきたが、結局、何ひとつ解決されなかったことに、心の深奥で気付いたのです。
暗黙のうちに進められていたアメリカ中心の「ワンワールド」構想は、強固な拒絶反応に遭遇し、それとは対極の「地域主義」が急速に勃興するでしょう。アメリカの経済的退潮も絡んで、これから数年のあいだに、世界の政治・経済の構図は様変わりするでしょう。「力のシフト」が起こって、圧倒的・絶対的な力は姿を消します。「国家権力」という概念は、過去のものになるでしょう。途上国が力を増し、また金融中心でない「別の経済システム」が出現します。その中から少しずつ、「平等」「思いやり」「奉仕」「愛」などをベースとする、新指導者層と「新しい統治機構」が姿を見せてくるでしょう。そして人類は、この戦争が歴史の転換点となり、大局から見れば、人類を進化させる出来事だったと認識するようになるでしょう。
(03.03.12)『アホでマヌケなアメリカ白人』
この本のことは、既に十分に巷間で知られていると言えるでしょう(例えば、インターネット・書店「アマゾン」のランクで、2002年2月発売後まもなくトップになり、現在でも6位にある。また邦訳は、2002年10月に発売になり、現在でも7位を維持している)。それでも、1人でも多くの方に知って欲しいと思い、ここに紹介することにしました。
著者マイケル・ムーアは、アメリカ人1人ひとりは善良な市民なのに、ここまで世界に迷惑を掛けることになったブッシュ政権を、「選挙を通じて」誕生させた事情について、痛恨の思いで語ります。それは、「同盟とはお先棒を担ぐこと」という知恵しか持たない首相や外務大臣を出現させた、どこかの国の、多数の国民の心情に相通じるものがあるでしょう。
以下では、例の「9・11事件」の後マイケル・ムーアのWebサイトに掲載されていて、同著の現行版では「初版刊行後の補遺」として収録されている冒頭部を紹介します。タイトルは、「9・11テロについて使い捨てライターが教えてくれること」となっています。これを読んで、ブッシュとブレアが画策している戦争の本質が何であるかを考えましょう。
この原文は、次で読むことができます。
http://www.michaelmoore.com/books-films/stupidwhitemen/onlinechapters/part01.php
なお、映画監督としてのマイケル・ムーアの作品『ボウリング・フォー・コロンバイン(カンヌ映画祭55周年記念特別賞を受賞、その後、アカデミー賞[ドキュメンタリー部門]も受賞)』は、いま東京(恵比寿ガーデンシネマ)で上映されており、このあと全国ロードショーが予定されているようです。
また、次回作『ファーレンハイト(華氏)9/11』は、ブッシュ政権とウサマ・ビンラディンとの関係を徹底的に暴いたもので、2004年の大統領選挙の直前に公開する予定とのことです。
アホでマヌケなアメリカ白人
―9・11テロについて使い捨てライターが教えてくれること―
マイケル・ムーア
(前略)でも、もっと大事なことがある。俺は奇妙な事実に気がついたんだ。X線の機械を通すためにポケットの中のものを残らずあのプラスチックのトレイに出している奴らが、時々、ガスライターや紙マッチをトレイに投げ込み、向こう側でまた拾い上げている――そしてその一部始終を、セキュリティが監視しているんだ。最初、俺は何かの間違いかと思った。でも、後で御禁制品のリストを隅から隅まで見直しても、確かにガスライターや紙マッチは持込禁止物品の中に入っていない。
そうこうするうちに、2001年12月22日がやってきた。パリ発ボストン行きのアメリカン航空に乗ったリチャード・リードという男が、マッチで自分の靴に火をつけようとしたんだ。警察によれば、彼の靴にはプラスチック爆弾が入っていた。もし、これを見た乗客や乗務員がとっさに止めなかったら、飛行機は空中で大爆発を起こしていただろう。だが、火がつくのに時間がかかったために、全員無事に生き延びることができたという。
このとんでもない事件の後、当然ながらライターやマッチは持込禁止になるものとばかり思っていた。が、2月に本のプロモーションをやった時も、依然として乗客は99セントの使い捨てライターや紙マッチを機内に持ち込んでいるじゃないか。俺は手当たり次第にセキュリティを捕まえては、何だって飛んでいる飛行機に放火できるようなものを機内に持ち込ませるのか、と訊ねて回った。現にリードの事件が起きているじゃないか。だが、当局の人間も、あるいは空の自動小銃を持った人間も、誰ひとりとして俺の質問に答えられなかった。
俺の質問は簡単なもんだ――どんな飛行機も機内は完全禁煙なのに、いったいどういう訳で、3万フィート上空でマッチやライターが必要なんだ――この俺も乗ってるってのに!?
あと、9.11以降、実際に飛行機を爆破する目的で使われかけたものが、なぜ持込禁止にならないのか? ジェット・ブルーの機内で、爪切りで人を殺そうとした奴なんて1人もいないんだぜ?
でも、アメリカン航空63便の機内で、ガスライターを使って200人からの人間を殺そうとしたサイコ野郎は現実に存在しているんだ。だがブッシュ政権は、この事件を目の当たりにしながら、対策のひとつも立てようとしない。
俺は本のプロモーションで、開口一番、聴衆にこの疑問をぶつけた。その解答を得たのは、ある暗い雨の夜、場所はヴァージニア州アーリントン、ペンタゴンから2マイルのところにあるオルソン書店だった。トークの中でこの使い捨てライターに関する疑問を口にした後、俺は列をなす人々の前に座って本にサインしていた。1人の若い男がテーブルに近づいてきて、自己紹介し、そして声を潜めて次のように言った。
「私は議会に勤めています。実はガスライターは、FAA[連邦航空局]が作成してホワイトハウスに送った禁制品の原案の中にはちゃんと入っていたのです。ところが、タバコ業界がブッシュ政権に圧力をかけ、ライターとマッチを持込禁止リストから外させたんです。彼らのお得意様(ニコチン中毒者)は、飛行機が着陸するやいなや、喫いたくてたまらなくなるんです。空が安全である限り、そういう人を罰することはできません」
かくして、ライターとマッチは禁止リストから外された。
俺は仰天した。こんな誰が見ても危険なものが禁止されてない以上、その裏には何やら奇怪な理由があるに違いないとは思っていたが、ブッシュ一味はここまであからさまに、人々の安全を軽視できる奴らなのか? 一方でこんなことをしておきながら、もう一方では毎週のように「次のテロ」の不安を煽るなんて、いったい奴らの面の皮はどのくらいの厚みがあるんだろう。本当に奴らにとっては、タバコ業界の要請の方が国民の命より大事なのか?
もちろん、その通りだ。その答えは昔から常にイエスだった。だが、今はダメだ。今はまさに国家の危急存亡の時であり、合衆国史上、最悪の大量殺戮が国内で発生した直後じゃないか!
それとも、本当は脅威なんて、何も存在しないのか?
ここで、極めて重苦しい疑問が沸いてくる――「対テロ戦争」というのは、国家的謀略なのか? 国民の目をそらすためのでっちあげなのか?
ちょっと考えてみてくれ。たとえジョージ・W・ブッシュがどれほど見下げ果てた卑劣漢でも、もう一度9・11を引き起こす危険を度外視してまで、タバコ業界の友人たちを儲けさせようとするほど邪悪な奴じゃないはずだ。最低限、その点だけは認めてやろう――そう、まさに最低限だ。たとえブッシュがどれほどのバカでも、いくら何でも、マルボロ中毒者が空港に着いたとたんにタバコが喫えるようにするためにという、ただそれだけの理由で、さらに何百人、何千人もの人間を殺すことを許可したりするはずがないだろう、と。だがこのことを認めるなら、まったく違う可能性が浮上してくる。いいか皆の衆、この可能性というのは、9・11のパンドラの箱を開けてしまうことになるだろう。マスコミ業界の多くが開けるのをためらっている、腐ったウジ虫の箱を。それを開けるやいなや、その腐臭はどこまで広がるのか、見当もつかないんだ。
もしも、「テロリストの脅威」なるものが全く存在しないとしたらどうだろう? もしもブッシュ株式会社が、「テロリストの脅威」を何にもまして絶対に必要としているとしたら? それも、自由を信じるこの国の善男善女と、合衆国憲法とを組織的に破壊していくために。
真実が、知りたいか? それがたとえ、どんなに恐ろしい真実でも。
俺は、知りたい。俺はすでに、情報公開法に基づく請求をFAAに提出した。危険極まりないガスライターや紙マッチを、旅客機に持ち込むことを許可した決定に関するすべての文書の閲覧請求だ。俺はその結果を、決して楽観はしていない。
真実を見据えよう――それは、パズルの小さな一片に過ぎない。どこまで行っても99セントの、単なる使い捨てライターのことだ。でも皆の衆、あえて言う、俺は何年もの間、「小さな記事」や「些細な問題」の中にこそ、まさに巨大な真実が隠されていることを目の当たりにしてきた。なぜ、市民を満載した飛行機の中で火をつける自由が、あなたや俺の命より優先されているのか、いくら調べても答えは得られないかもしれない。でもたぶんそれは、この腐敗した、しょうもない政権の終わりの始まりになるだろう。何しろ、この政権をでっち上げたペテン師どもは、恥知らずにも、9月のあの日の死者たちを、何かをやりおおせるための隠れ蓑に使っているんだ。
もうそろそろ、俺たちは立ち上がり、奴らに質問を突きつけるときだ。要するに――厚かましくも選挙結果を簒奪し、俺たちのホワイトハウスに国民の許可なく勝手に入り込むような奴は、率直に言って――悲しいことだけどね――どんな悪いことをやらかそうと、何の不思議もないんだから……。
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