石舞台遺跡は超古代のパワーセンター
―特別写真読物―
(Part4)
【総括】
以上を総じていえば、石舞台遺跡に関する「権威筋」の見解は、すべてが「あべこべ」になっています。細部は違っていても、根本的な部分は、すべて共通しています。
現地には「石室(古墳の場合は玄室)」があり「参道(同、羨道)」もあり、国内には同種のものが多数あるから、これは古墳だとする「強固な予断」をもとに、どれもこれも、つじつま合わせの「こじつけ」として組み立てられています。
まさに「石舞台」は、壮大な「虚構の舞台」になっているのです。
(1)「古墳」だから、当然「石棺」があるはずだ。無ければ説明がつかないので、出土したわずかな石の破片を「石棺の破片」と断定し、何の客観性もない「レプリカ(実際に南側の土手に展示されている)」まで作ってしまう。そして、ますます集団暗示が強固になり、「石棺があったのなら、その石棺は(被葬者の骸骨や副葬品と共に)どこへ消えたのか」を誰も問題にしなくなる。
(2)抜き出たスケールの「古墳」だから、被葬者を確定しなければ気が済まない。特に石舞台古墳のようなものは、天皇か相当な権力者でなければならない。そこで適当な権力者の、つまり蘇我馬子の、墓だということにしてしまう。
(3)他の「(正真正銘の)古墳」と同じように、「玄室」と「羨道」を持っているから、古墳以外のものではありえない。したがって、日本でいう「古墳時代(3世紀後半から7世紀後半)」に造られたものだと断定してしまう。そして馬子の墓ということにしてしまったから、年代は馬子の死の時点(626年)によって決まり、他の可能性はない。その結果、石室と垂直方向に並行する地層を掘り下げて木片などの有機物を探し、「放射性炭素14年代測定法」などによって年代を検証する必要があるとは誰も考えなくなる。
(4)「古墳」だから、「土盛り(墳丘)」がなければならない。したがって、自然現象で墳丘が消えることは考えにくいので、何者かが土を運び出して田畑の開墾などに利用したはずだと考えてしまう。日本に古墳は何千もあり、ここだけにそれが起こることがあり得るでしょうか。「石舞台」が築造されたとする7世紀以降には、古墳に対する認識はかなり浸透していたはずなので、日本人のセンチメントも考えれば、少なくとも集落を挙げて行うような「古墳取り崩し」の大事をやるわけがないことは常識の範囲でしょう。
(5)「古墳」だから、例えば「前方後円墳」のような一定の形式で造られているはずだ、だだから「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」という様式を与え、石舞台遺跡がある台地は確かに「方形」だから、巨石構造物の全体を覆う「円形」の墳丘があったことにしてしまう。
以上の(1)から(5)は、すべて「石舞台は古墳」という予断に合わせようとした「こじつけ」です。
人は、最大でも三次元物理学の枠内で、自分にわかることしか理解できない。
したがって、合理的な説明ができないものに対しては、視座を「枠外」に移して意識を拡大する必要があります。
まず、次をご覧ください。
――(A)《ぼくたちはまた、母なる地球の生命の本質と、その身体である地球上の、特別なパワーセンターについても教えたんだ。そこは、次元間のベールが最も薄くなっているエネルギーポイントだ。そして、こうした場所が将来もわかるように印を付ける方法とか、その位置を感知する方法も教えた。詠唱やダンスも伝授したけど、これらをそこで演じることで、強力なエネルギーを十分に利用することができるんだ。このエネルギーが過剰なら、特別な石でできたエネルギー貯蔵器に蓄えることもできた。それをぼくたちの指導の下で適切な場所に置いたから、ぼくたちや他の多次元的存在は、必要なときにそこからエネルギーを引き出すことができたんだ。
今日の地球の人たちは、こうした石のエネルギー貯蔵器を、古代の天文台としか見ていない。それらが日の出や夏至・冬至のような至点や他の惑星などと、入念に合わせて造られていることには気づいているからね。でももともとの目的は、天体と地球の両方のエネルギーを目いっぱい集め、貯蔵することだったんだ。それに、使われる石のタイプもとても大事だった。
蓄えられたエネルギーを引き出すことで、ぼくたちは三次元の地球の領域で、強くて活力ある肉体を維持することができたわけさ。またそれによって、若い地球人たちも、自分たちの精神的な満足と向上のために、もっと高く精妙な周波数の宇宙エネルギーを利用することができたんだ。》(『アセンションものがたり(下)』)
――(B)《エジプトのピラミッドのうち、ギザの大ピラミッドの目的の1つは、アセンションのために、修行者たちの波動を上昇させる場所とすることだったようです。
したがって王墓ではなく、古王国第4王朝のクフ王が造らせたものでもありません。
建造年代も、クフ王に関連付けられているBC2550年よりはるかに古いもので、他の2つ(カフラー王とメンカウラー王のピラミッドと呼ばれている)と共に、少なくともBC10,000年にはそこに存在していました。つまり、「記録された歴史」に登場する人々の手になるものではありません。
ギザの3大ピラミッド特に大ピラミッドは、天文的地勢的立地、規模、構造、精度、堅牢性など、どれをとっても他のエジプトのピラミッドとは別種のもので、厳密に検証すれば、現代の技術でも建造は不可能であることが解かります(シリウスの支援で造られたものとみられます)。
その他の60基に及ぶピラミッドはすべて、元々あった3大ピラミッドを真似た「駄作」なのです。
したがって、「ギザの3大ピラミッドを頂点として技術が急速に衰えた」と、正統派のエジプト学者も説明するしかないわけです。
今でも公式にはクフ王が造ったとされている理由は、第1発見者(英国人考古学者ハワード・バイス)が捏造した可能性が高い、「クフ」という落書きを、エジプト学者たちが短絡的に信じただけのことです。また、カフラー王とメンカウラー王は、既にあったものを「横取り」したわけです。
ギザの3大ピラミッドに新しい光を当てた代表的な著作として、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』とアラン・F・アルフォードの『神々の遺伝子』があります。》(Q&A’02c・「古代ロマンとピラミッド」)
――(C)《地球の年齢は、公式の見解の誰のものより、はるかに古く、何十億年の間、自然だけが間断なく続いてきた要素です。現代人は、あなた方の惑星でこれまで見られた中での最も洗練された人種では決してなく、人類は太陽系での最初の知的生命体でもありません。地球上や宇宙で見られる不可解な人工物は、今日の科学が認識しているよりはるかに早い時代に、高度な知識を持つ古い文明があったことを示しています。現代人は進化の階段の先頭にいるわけではないという、豊富なたいへん面白い証拠があります。しかし、何千年にわたって、多様な種類の知的生命体たちが、あなた方と継続的に地球を分かち合ってきたという秘密を、ごく一部の人々だけが内々に関知してきたのです。
「今日の科学が認識しているよりはるかに早い時代に、高度な知識を持つ古い文明があった」ことについては前にも触れましたが、地球に関しては、その典型は、誰でも知っているギザの三大ピラミッドやテオティワカンのピラミッド群でしょう。様々な分野の研究者による近年の精力的な調査で明らかになったことは、これらの建造者は、数学的・幾何学的に精緻な全体構想と詳細設計を予め持っていて、設計通りに寸分違わず実現させる能力をも併せ持っていたという事実です。もちろんそれには、人工衛星を使った今日のGPS(Global Positioning System)に匹敵する地球スケールの測量技術や、遠方から巨石を運搬して空中から所定の場所に定置させる技術も含みます。》(「光へ向かう地球と人類:『パス・オブ・エンパワーメント』解説」副読本)
――(D)《話を戻して、アトランティスに存在したある建造物について説明しよう。これについてはあまり言及されず、情報も提供されていないようである。
この建造物は、丸い形状で、内部は空洞になっており、入り口が一つある。直径は12メートル、高さは25.5メートルある。建物の先端はピラミッド状クリスタルになっていて、ドーム状に多面カットされた側が上を向き、ピラミッドの先端側が建物の底を向いている。
建物内部の壁にはくぼみが何重にも形成され、その数は数百個に達する。この建物は「進化の家」と呼んでもよいだろう。というのは、ここは長老たちがきて、座って瞑想したり、沈思黙考をする建物だからである。この建物は、彼らがなすべき仕事に関して指示を受け、将来に備えて準備をするのにも利用されていた。
この部屋に流れ込む波動は、きわめて高いものであった。アトランティスの終末が迫ったとき、多くの長老は、この建物にきて、彼らのエネルギーを再同化することによってアトランティスを離れたのである。彼らは、世界各地での自分の将来の生活や任務に備えていた。
アトランティスは一種の学校であり、未来の地球で達成されることを長老たちに知らせるための準備場所であった。そして、教育、学習、同化吸収はすべて、この丸い建物の中だけに制限されていた。》(フランク・アルパー『アトランティス』1994年初版、現在絶版)
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