石舞台遺跡は超古代のパワーセンター
―特別写真読物―
(Part5)
石舞台遺跡の評価に関しては、さまざまな意味で、エジプトにある「三大ピラミッド」についての「近年の新しい知見」が光を与えてくれます。
「石舞台は日本版の大ピラミッド」――こう考えると、「石舞台」をめぐるすべてが、たいへんクリアになります。
どちらも、@目を奪うような「巨石構築物」で、A「参道」と「石室」が存在します。しかしB(一部の学者の主張とは違って)「墳墓(古墳)」の要素は見られません。C「本物(石舞台/三大ピラミッド)」の周辺に多数の「類似作品(古墳/ファラオの墓)」が存在します。そして、D構築の目的・役割と構築時期についての「誤解が蔓延」しています。
大ピラミッドについて、以上に関係する「近年の新しい知見」は無数にありますが、ここではグラハム・ハンコック『神々の指紋(下)』(1996年初版)から要所のみを引用します。
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(r11):ギザ三大ピラミッドの配置 (r12):大ピラミッドの通路、通気口、石室の詳細
――(E)《古くから伝承によると、ピラミッドの建設者はこの倉庫に、「鉄製品や錆びることの無い武器、曲げることのできる割れないガラス、不思議な呪文・・・」を納めたという。
だが、マムーン総督も部下たちもなにも発見できなかった。世俗的な宝物もなかったし、ハイテク機器も、時代を間違えたようなビニール素材の製品も、鉄製品や錆びない武器も・・・不思議な呪文も見あたらなかった。
女王の間という、誤解を招くような名前がつけられた部屋もまったく空で、地味な幾何学的なデザインの部屋にすぎない。
さらに失望をもたらしたのは王の間で、興味深いものはなにもなかった。そこにあった家具と言えば玄武岩でできた人間の身体が入る大きさの石棺だけだった。たいした理由もなく「石棺」と呼ばれるようになったこの殺風景な石の箱は、近づいたマムーンとその部下たちを狼狽させた。大ピラミッド内部の他のものと同じように、蓋もなければ中も空っぽだったからだ。》
――(F)《「インベントリー石碑」と呼ばれるこの石碑は、19世紀のフランス人考古学者オーギュスト・マリエットがギザで発見したものだ。この石碑に書かれていることは衝撃的だった。スフィンクスも大ピラミッドも、クフ王が王位につく遥か昔から存在していたということがはっきりと書かれていたのだ。碑文は女神イシスにも触れており、イシスのことを「ピラミッドの女王」と呼んでいる。つまり、ピラミッドは魔術の女神イシスに捧げられたもので、クフ王ではないということになる。さらにクフ王の墓は大ピラミッドではなく、その東側の脇にある三つの補助的建造物の一つがそうだと強く示唆している。》
――(G)《墓泥棒説を支えているのは、ミイラや埋蔵品がなかったという事実だけだ。だがそれも、かつて財宝が埋蔵されていたと勝手に想像しているに過ぎない。他のすべての証拠、とくに大ピラミッドの場合は、盗掘がなかったことを示している。それは単に、井戸のような縦坑があまりにも狭く、大きな宝物を運ぶのに適していなかったということだけではない。クフ王のピラミッドのもう一つの重要な点は、大ネットワークを形成している大回廊にも部屋にも、碑文や装飾がまったくないことだ。同じことはカフラー王やメンカウラー王のピラミッドに関してもいえる。これらの驚くべき建造物には、この中に眠るはずのファラオを賛えるような言葉が一つも書かれていないのだ。
これは珍しいことだ。エジプトの王墓で、装飾が施されていない墓はこれまで見つかったことがない。エジプトの歴史を通じて、ファラオの墓は徹底的に装飾され、上から下まで美しく塗装されている。また壁には死者が永遠の命を得る旅に必要な、儀式の言葉や神への祈りが綿密に彫刻されている。》
※
「大ピラミッド」も「石舞台」も、「人工物」であることは誰の目にも明らかですが、どちらも工学的には不可能に近いことを可能とする「異端の技術」が使われるようにみえます。
それに対しては、その部分に光が当たらないように、人々の関心を逸らす「別の筋書き」が用意されてきたのが、これまでの歴史だったと言えるでしょう。そのような意図はなかったとしても、研究者たちの「誤った思い込み」が、結果としてそれに寄与したことは間違いありません。
「異端の技術」に関して、『神々の指紋』には、こういう記述もあります――《それとも神官や魔術師が「呪文」をつぶやいて軽々と大きな石を浮かせたという古代エジプトの伝承には、学者が考えているよりも信憑性があるのだろうか?》
また「大ピラミッド」の、正確に東西南北に合わせた配置、斜面の角度52°に対する上昇・下降通路の角度26°(52÷2)という設定、また高さに対する周辺長の比率が[2π]という設定([2π]は地球の半径と外周との比で、斜面の角度52°の場合のみ可能)など無数に織り込まれている「数学的驚異」を、「石器時代(クフ王の時代)以前」の地球人類だけで成し遂げたと考えるのには無理があり、「宇宙同胞からの支援」があったと考えるのが順当なところでしょう。
上に引用した(A)の会話は、次のように始まっています。つまり「シリウス人のシレイナス」が語っている箇所なのです。
――《アシュカーは当惑したように首を横に振った。「でも地球人に常識があれば、もし私たちが彼らにとって脅威なら、とっくの昔に彼らの惑星を乗っ取っていたはずだと気がつくんじゃないかしら」それから、私たちのシリウス人の友人のほうを向いて言った。「シレイナス、あなたはずっと初期のころの地球にいたのよね。あなたたちの仲間にとって地球はどんなだったの?その当時もこうした恐怖やエゴがあったのかしら?」
「最初のころはなかったよ」と彼は答えた。「ぼくたちの種族はそこで、きみたちゼータの仲間といっしょに地球の人間種族の開発に携わっていたんだ。だからいくつかの伝説では、ぼくたちは角のある神とその妻の母なる女神としてとても大事に記憶されているんだ。・・・》
そして、それらを構築した年代については、「大ピラミッドは少なくとも1万年以上前」という推定には確かな裏付けがあります。
また「石舞台」は、全世界に分布する他の巨石構築物の年代から推定して、数千年以上前の「縄文時代」に構築されたものでしょう。したがって、日本の「歴史時代」が始まった頃には、すでに「荒墳」のように、あまり注目されない存在になっていたと考えられます。
そこで、「石舞台」の目的は何でしょうか。
それは基本的に、上に引用した〔(A)〜(D)〕の内容と同じでしょう。
まさに日本の地に降ろされた「パワーセンター」かつ「イニシエーション(通過儀礼)の場」で、人々は、そして宇宙からの訪問者も、そこで自らの波動を上昇させ、インスピレーションを受け、リフレッシュやヒーリングを行っていたと考えられます。
そのような行いは、時代が下がり、殺伐とした世の中になるにつれて失われたとしても、その機能のかなりの部分は、今でも生きているでしょう。
来訪者が少ないと思われる日や時間帯を選んで、その石室に入って静かに雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。
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