〔HOME/新生への道(The Way for the New Birth)|トップハイライト全容〕
続・最後の20分間―サナンダ・(アセンション時局’15)
[2015年7月17日]
◆〔最後の20分間―サナンダ〕より続く
【目次】
・「天」が開かれる
・あなたの最奥を癒す!
・【解説】
レポート(JJK:Jahn J Kassl):
前のメッセージ「最後の20分間―サナンダ」を受けた1日後に、〔20〕という数字を示す別の夢が与えられました。
その夢の中身は覚えていませんが、〔20〕という数字が一貫して至るところに出てきます。
サナンダ:
親愛なる皆さん、
〔20〕という数字は、神の恩寵の数字で、神の掟(おきて)の意味もあります。
そして数字の〔2〕は、慈愛のこもった「母なる神」の存在を意味し、それが間もなく人類に刻み込まれるでしょう。
シンボルは近々やって来るものの先触れで、それが絶え間なく母なる地球と個々の人類に伝えられます。
来たるべき人類の浄化は、この聖なる〔20〕によって先触れされ、これは神のトロンボーンが地球全体に響き渡る前にさえ起こります。
「天」が開かれる
数字の〔20〕が繰り返し示されるということは、ますます「出来事」が近づいていることを意味します。
そして「母なる神」の数字〔2〕は、母なる地球が「ワンネス」へ、つまり「原点」へ、連れ戻されることも明かしています。
またこの繰り返される夢の映像は別のことも指しており、それは「正義の時」がやって来て、光への道に入り一貫してそれを進んできた全ての「神の子供たち」に対して、「天」が開かれることです。
あなたの最奥を癒す!
「いまここ」が「かなた」と合体する。――その数字は、これも指しています。
したがって、地上では人類の中に(待ちきれなくて)いら立つ人々が広がっているとしても、母なる地球と人類の光への惑星アセンションが、ますます近づいていることが明白になってきています。
そこで、あなたがた人間の姿をとる親愛なる神々への忠告は、
1.)時間の拘束の外へ自分自身を持ち上げること。それには、
a. )瞑想によって時間の存在しない多次元宇宙に入り込むこと、または、
b. )常に創造主との結合を保つことによって、時間の存在しない創造主の現実を生き続けること。
「待つ」だけの人は、今日では失望に取り囲まれ、神の光へ自分を向けることはほとんど出来ません。
今日において自分の本質から離れず、絶えず光を自分という存在に迎え入れる人は誰であっても、その人の注意が最も肝心のことに全ての日の最後の日まで向けられ、最奥の癒しに向けられます。
それが起こると、知っておくことが重要です。
それがいつ起こるかは、重要ではありません。
すべての空間と時間軸にサヨナラをしましょう。
それによって、あなた自身を時間のない神という存在に預けましょう。――浄化の恩寵が、地球全体と全ての人類を捉えるまでは。
あなた自身を、つかの間だけ働くように仕組まれた救済のパターンから解放しましょう。
あなた自身を、この世界の牢獄から解放しましょう。そうすれば、あなたは現時点でさえ天国の中にいるでしょう。
私は皆さんの中にいる、あの者、
道であり、真実であり、いのち。
サナンダ
このメッセージはオーストリア人のヤーン(JJK:Jahn J Kassl)が受けたもので、原文のドイツ語から英訳されたページが〔こちら〕にあります。
以下では次の一点だけを採り挙げます。
救主降臨
今回メッセージの冒頭で、サナンダは次のように述べられています。
――〔20〕という数字は、神の恩寵の数字で、神の掟(おきて)の意味もあります。
そして数字の〔2〕は、慈愛のこもった「母なる神」の存在を意味し、それが間もなく人類に刻み込まれるでしょう。
シンボルは近々やって来るものの先触れで、それが絶え間なく母なる地球と個々の人類に伝えられます。
来たるべき人類の浄化は、この聖なる〔20〕によって先触れされ、これは神のトロンボーンが地球全体に響き渡る前にさえ起こります。
これが「救主降臨」を指しているとみられる根拠は、この表現があるためです。
――数字の〔2〕は、慈愛のこもった「母なる神」の存在を意味し、それが間もなく人類に刻み込まれるでしょう。
これに関連する要点だけを〔創造主は「最後の審判」を宣告された〕の【解説】から以下に引用します。詳細は、そのページをご覧ください。
※(引用始め)
さてそこで、創造主メッセージの最後の部分です。
――メシヤの御名を奉唱せよ
メシヤの御名を忘れぬことだ!
よいな
私を呼ぶのだ!
この文を一見しただけでは創造主の真意が分かりにくいですが、これまでのメッセージと関連づけると見えてくるものがあります。
まず、以前のメッセージで観音への言及がありましたね。
――メシヤ メシヤと言われても 想像がつかぬであろう
対象がなければ 心もとなくもあろう
観音の本体がメシヤであると思うが良い
仰ぐ時 観音の姿をイメージされるがよかろう
(http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-10.html)
また〔Q&A(この先の日々を生きる指針)〕に、以下のような補足説明を頂いていました。
――「観音経」にも"三十三応身"とありますように、あらゆるものに応じて円転滑脱、自由無碍にお働き下さるようでございます。
そして、「観音様の部下は何億もいらっしゃる」との事でございまして、世界的な救済にもひろがるように推察されます。
神仏の世界には人智の及ばないことが多々あるようでございますが、観音様という存在は「観音の本体」であるお方が、
「時が至るまで高い御位から次元降下されて、仮面を被り、救いの為にお働き下さっていた存在」
であるとのことでございます。
「メシヤ」として本来のお働きをなされる時節を迎えられたことから、今や、「観世音菩薩」という御名は「メシヤ」という御名に含まれているため、観音様の姿をイメージしながら、「メシヤ」の御名をお唱えさせて頂けることをお示し下されたようでございます。
これは、たいへん核心を衝いた説明で、特に次の3ヵ所が印象的です。
――時が至るまで高い御位から次元降下されて、仮面を被り、救いの為にお働き下さっていた存在
――メシヤ」として本来のお働きをなされる時節を迎えられた
――「観世音菩薩」という御名は「メシヤ」という御名に含まれている
以上の認識を前提として〔Q&A(最終局面では私への繋がりが鍵となる―創造主)〕を読むと、次が浮かび上がってきました。
――いよいよ 私の分身メシヤが地上の救済を自らすることになった
つまり、「メシヤ(=観音)」は、「私の分身」だと言っておられます。
これは非常に重い言葉です。
これから推察できることは、「神」の「男性的側面;父なる神(Father God)」と「女性的側面;母なる神(Mother God)」との役割分担です。
すでに私たちは「イエス」と「マグダラのマリア(MM)」との役割分担の詳細をMM自身によって(またヨハネによっても)知らされていますが、それに限らず、自然界のすべての生きものはもちろん、宇宙の成立ちそのものが「陽」と「陰」の関係に基づいています。
したがって、「神」が「2つの側面(相互に分身の関係)」を持っていることは、極めで自然なことと言うべきでしょう。
※(引用終り)
なお最近のメッセージでも、創造主はこう言っておられます。
――ようやく わたしの計画も 現界という最後の場で
メシヤ降臨とともに 繰り広げることになる
(いま絶対に必要なことは何か―サナンダ
[引用]、「完成」へと導く天界からのメッセージ [引用元])
【関連】
[ホーム]
Copyright© 2015 Eisei
KOMATSU