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このようにして神につながりましょう―聖母マリア(上) ・(アセンション時局’16)
[2016年3月1日]
【目次】
・【解説】
今回のメッセージで聖母マリアは、この地球のたかだか2千年の歴史の範囲で私たちが認識している彼女の実像を、大きく超えた存在であることを自ら明かしています。例えば、「私はすべての『いのち』の母」「私は宇宙のすべての母」のように。
まさにその通りで、その卓越した視点と、地球の人類に対する深い理解を、メッセージの随所で感じさせられます。
ちなみに、冒頭部から2か所だけ引用すれば、例えば次です。
――もし献身が不正確に理解されていると、そのプロセスで本来の自分を諦めなければならないと思い込んで、途中で手を引く人が多く出てきます。
それによって、肝心の正しい認識は未達に終わり、すでに達成したことへの不満や、何処からとも知れない不満足感が入り込んできます。
――献身を抜きにした生き方は不可能です。
何故なら、創造の中のあらゆる世界の「いのち」は献身によって創られ、個別の「いのち」に対する創造主の献身によって受けた、形態と表現を身につけているからです!
つまり献身は、すべての「いのち」の根本的な原理です。
一方、聖母マリアの地球での生涯については、ご存知のように、(公式とされている)新約聖書を主体として意図的な歪曲や事実に反する挿入が無数に散りばめられています。
聖母マリアやその周辺の人物や事柄の真実については、彼女自身の自伝的メッセージを含めて、次の【解説】で紹介していますので参考にしてください。
献身によって成就する
神への献身は成就へ導き、完成への最も直接的な進路です。
私はすべての「いのち」の母で、
皆さんの中にいます。
親愛なる皆さん、
どうすれば、あなた方が意味のある人生を送り、人間として成長して本来あるべき姿になることができるでしょうか。
それは神への深い信頼により、宇宙に対する深い信頼により、そして自分のあらゆる想い・感情・動機を神の意識に、つまり自己に内在する活きた神の力に、無条件に方向づけすることによって達成できます。
正しい理解と実践に基づく献身は、あなたの周りに新しいエネルギー場を創り、あたかも太陽の光を受けると花が開花するように、あなたの人生が開花します。
もし献身が不正確に理解されていると、そのプロセスで本来の自分を諦めなければならないと思い込んで、途中で手を引く人が多く出てきます。
それによって、肝心の正しい認識は未達に終わり、すでに達成したことへの不満や、何処からとも知れない不満足感が入り込んできます。
献身の原則
私は宇宙のすべての母として、こう申し上げます:
献身を抜きにした生き方は不可能です。
何故なら、創造の中のあらゆる世界の「いのち」は献身によって創られ、個別の「いのち」に対する創造主の献身によって受けた、形態と表現を身につけているからです!
つまり献身は、すべての「いのち」の根本的な原理です。
したがって、あなたが人間の体に生まれてきたことは一つの献身行為でもあり、それをあなたは折に触れて何度も決断しており、あなたの魂の成熟度に応じてその資格を与えられてきたのです。
あなたは何度も何度もこの地球に転生してきて、この世界と地球の全ての「いのち」が新しい知識を得るのを手助けしてきました。それによって、あなた自身のために新しい成長機会を創り、永遠に向けた新しい経路を開いてきました。
あなたは、非常に厳しく生存自体が脅かされるような状態の中に降りてくることも少なからずありましたが、それはあなたの自由意思によるもので、宇宙全体としてみれば称賛に値する行為でした。
あなたがそれを行うように誰かが強制したわけではなく、純粋にあなたの喜びと、全体への、また神の偉大性への、そして神聖な神の計画への献身によるものでした。その計画とは、新しい幾多の世界を生み出し、神が持つあらゆる側面を神自身が自己体験することで、それに参画して寄与する意図が、あなたをこの場所へ導いたのです。
思いやり−献身−愛
献身は訓練によって磨かれた愛の形で、あなたが日々の生活の全てのレベルで免許皆伝し完成の域に達する道程の、最後に表れる特質です。
「思いやり−献身−愛」は、「すべての生涯の数珠」を構成する真珠たちのようなもので、今日において開明を目指す人にとって、肝心の資質です。
思いやり、献身そして愛の訓練を通じて新しい気づきを獲得することは、一つの人生の戴冠式への進路です。
しかし人類は、時空を貫く永い旅をすでに完了した後でも、依然としてこの献身を怖れています!
神の呼びかけには反応がなく、彼のささやきが耳に届いたところで、それが人類の心を貫くことは希です。
心が開くべき瞬間に彼らは心を閉ざしてしまい、断崖から飛び降りることが不可欠の時に、皆さんはその場所に根が生えたように立ち尽くすのです。
自己を失うことへの怖れが蔓延し、真実への眺望を遮っています。
それは、こういうことです:
神への献身は本来の自分に戻ることです。
退却させるべきものは皆さんのエゴですが、多くの人類は、この「些細な死の体験」を怖れています。
彼らは立ち尽くすばかりで、いらいらしながらベールの向こう側に、ひたすら目を向けます。
それはあたかも、通り抜けられない境界線つまり障害物を前にして、とてもそれを越える気にならず、こう言っているようなものです。――そこへ行くとどうなるのだろう、どうやって行けばいいのだろう?
彼らは、「献身、つまり身を挺する」という明白な答があることを、考えもしないのです。
多くの人が複雑な進路や答を探すばかりで、自己の内部に分け入って、神への献身をブロックしている恐怖心を解放することに思い至りません。
一般に誰でも、自己を完全にハイヤーセルフまたは神に捧げる前に、つまり人生の導きを神または自己のハイヤーセルフに完全に委ねる前に、考えられる限りの逃げ道を時間の限り探すものです、何か知識を獲得しようとして。
そしてこの探索が尽き果てるや否や、新しい資質がその人に現れます。――物事に条件付けしない姿勢が。
どうか次のことを知っておいてください:
欲求不満や失望は、正しい進路を獲得するための非常に有効な案内標識です。
そして知っておくべきことは、まだ成熟していない魂にとって、それぞれの回り道は大いに結構だということです。
一方、成熟した魂の持ち主は、間違った進路を嗅ぎ分けて真実の道を引き寄せ、あらゆる真実でないものを寄せ付けません。
今日では、「取るに足りないこと」に対する最後で究極の決断への準備ができた、成熟レベルにある多くの人類が、この偉大な決断に直面しています。
「未知」に向けて自らを飛び込ませるか、それとも慣れ親しみ依存が膨らんだ「安全」への好みを肥大化し続けるか?
これらハイレベルの人々の多くは、「セルフエンパワーメント」の原理について、よく理解しており、内心ではそれを受容れています。
しかし「成功事例」は少なく、完全に覚醒した神性を持つ存在への新生からは、遠く離れています。
何故でしょうか?
その理由は、セルフエンパワーメントの原理は神性との調和が必要で、神自体と共に働くからです。
神への献身なしに「セルフエンパワーメントを実現した」人は、まだ理解が不足しています。
そこではセルフエンパワーメントが「エゴのエンパワーメント」と取り違えられており、神との直接の繋がりが欠けているからです。
つまり、神への愛が欠けており、失望することが多くなり、少しずつ懸念が心の中に広がっていくのです。
この欲求不満によって、多くの光の存在たちが、光への道に背を向けるようになっています。
何故なら、言われてきたことの多くがまだ実現しておらず、期待してきたことをこれ以上は待ちきれない状態に置かれるからです。
献身によってのみ、すべてが変わり、エネルギーが変わり、人生が変わります。
したがって献身の特質は、思考によって知的に捉えられるものでは決してなく、むしろ自己の内部で体験されるべきものです。
この決断をすれば、ヤミに光をもたらし、洞察が得られるようになります。
論理としての献身は完全に何ももたらさず、あなたは何処へも到達しないでしょう。
水の中で魚はどう感じているでしょうか?
これは誰も、魚以上に正確には判断できないでしょう。
水の中に実際に住まない者は仮定を設けるだけですが、これはこちらで通用しても、あちらで通用するとは限りません。
水中で生きることの特質は、実際に水中に棲み水との共生関係を持つ者にだけ明らかになるのです。
それと全く同様に「神への献身」も振舞います。
つまり人は、神および神の全ての属性との共生関係に入るのです。
この不可欠の条件に付いての全ての説明は、一つの目的だけに役立ちます。
それはあなたが、この真実に親しみ、それを覚えておいて、失望を使い果たしたとき状況に応じてこの原点に戻り、――思いきって飛び降りられるようにすることです。
そして何よりも、成熟した魂の持ち主たちは惑星地球へやって来る(生まれる)前から、この体験を運命づけられています。
これらの方々は、様々の時代を俯瞰(ふかん)していてそれらを横切ってやって来ており、欠けているものが何ひとつなく、また地球での他の体験には関心がありません。
このような方々にとって献身は、次の論理的に妥当なステップで、それは純粋な神性が現れ認められるようになる前の、最後のステップです。
神との無条件のワンネスは、何事にも条件づけしない生き方を生み出し、どんな任務でも喜んで受容れ、愛をもってそれを行うようになります。
このような人は、すべてを神と神の摂理に委ねます。
そしてその瞬間にエゴは後退し、消えてしまいます。というのは、完全に神に献身する決断によって、エゴは逆らう対象を何も持たなくなるからです。
成熟した魂たちは、私たちがここで話していることを知っており、このメッセージはこれらの方々に向けられたものです。
彼らは図星を指されたと感じるでしょうが、このような方々は今日では、以前よりもずっと増えています。
今や出発の時です!
新世界の新しい境地に向けて。
その新世界は、あなたが全存在を完全に神に委ね、人生で何が起こってもそのすべてを――自らの責任を放棄することなく――神に引き渡せば、あなたを歓迎するでしょう。
自己決定の意味は、エゴからではなく、神の意識によって刻み込まれた決断をすることです。
そして全ての決断の中で最も遠大な決断は、あなたの人生を完全に神に委ねることです。
心を開く
以下のヒーリングセッションでは、神の恩寵のために、献身を妨げている思い込みのパターンを解放して、神への渇望を自由にし、宇宙の源に結び付けられるまで立ち上がられるようにしたいと思います。
これを達成するために、天使たちやアセンションしたマスターたちが、心を開く作業を始めています。
それは、あなたの魂との合意に基づいて、いま起こります。
その準備ができた人は誰でも、今すぐにも心が拡大し、心のエネルギーが流れて自由に巡回するようになります。
あなたの受容性が高まり、「献身という行為」に同調します。
それが、いま起こります・・・
(少し間を置く)
そして私たちが皆、内面的に優しく寛容で、親切になっている間に、
母なる地球の子宮から、私が次の言葉をお伝えしましょう:
(〔このようにして神につながりましょう―聖母マリア(下)〕へ続く)
このメッセージはオーストリア人のヤーン(JJK:Jahn J Kassl)が受けたもので、原文のドイツ語から英訳されたページが〔こちら〕にあります。
以下では、いくつかのポイントを選んで解説します。
◆神への、全体への、奉仕としての献身
――あなたがそれを行うように誰かが強制したわけではなく、純粋にあなたの喜びと、全体への、また神の偉大性への、そして神聖な神の計画への献身によるものでした。その計画とは、新しい幾多の世界を生み出し、神が持つあらゆる側面を神自身が自己体験することで、それに参画して寄与する意図が、あなたをこの場所へ導いたのです。
「全能の神」つまり創造主は、銀河や星々を含めてどんなものでも創造できますが、被創造物には自由意思が与えられるので、実際に創造してみないことには、どういう「作品」が生まれ、どういう展開になるかを完全には事前に予見することができません。
そもそも神ご本人が、どれだけの創造力つまり創造的側面を持っているかは、創造してみた結果として初めて分かるという面があるのでしょう。
そこで「幾多の新しい世界を生み出す」という「神の計画」が生まれるわけですが、それは、「絶えず変化させながら限りなく宇宙を発展させる」という根本理念に合致しています。
このタイミングで惑星地球へ転生してきて、今回のアセンションに参画するという行為は、そのような神の意図に応えると同時に、宇宙という「全体」への奉仕的行為でもあります。
◆人類に共通する前進への障害
――心が開くべき瞬間に彼らは心を閉ざしてしまい、断崖から飛び降りることが不可欠の時に、皆さんはその場所に根が生えたように立ち尽くすのです。
自己を失うことへの怖れが蔓延し、真実への眺望を遮っています。
――神への献身は本来の自分に戻ることです。
退却させるべきものは皆さんのエゴですが、多くの人類は、この「些細な死の体験」を怖れています。
――彼らは立ち尽くすばかりで、いらいらしながらベールの向こう側に、ひたすら目を向けます。
それはあたかも、通り抜けられない境界線つまり障害物を前にして、とてもそれを越える気にならず、こう言っているようなものです。――そこへ行くとどうなるのだろう、どうやって行けばいいのだろう?
彼らは、「献身、つまり身を挺する」という明白な答があることを、考えもしないのです。
ここでも人間の本質について地球で一般化している「理解(誤解)」の、狭隘さが根底の問題としてあります。
つまり、魂こそが人間の本質として永遠に存在するもので、肉体は仮の存在で「魂の容器(または衣服)」に過ぎない――という宇宙的真実が、隠蔽され教えられないという事情です。
そこで、「些細(ささい)な死の体験」を怖れる――という表現が出てくるわけですが、ここで言わんとしていることは、実際にやってみれば死ぬほどのことでもないのに、死を恐れるあまり前に進めない(飛び降りるべき時に、飛び降りられない)ことを指しています。
もう一つの問題として、自分がこれまで築いてきた世界への執着がありますが、これについては次項に譲ります。
◆「取るに足りないこと」への執着を手放す
――今日では、「取るに足りないこと」に対する最後で究極の決断への準備ができた、成熟レベルにある多くの人類が、この偉大な決断に直面しています。
「未知」に向けて自らを飛び込ませるか、それとも慣れ親しみ依存が膨らんだ「安全」への好みを肥大化し続けるか?
人は現に持っているもの、手にしたものを手放すことに抵抗する傾向があります。
社会的地位や人間関係、サークルなどの活動基盤、家やクルマなどを含むもろもろの物質的なもの。――それらの集合が、ある種の「安定」と「安全」を構成し、それへの執着があるのでしょう。
しかし、物的なものを含め「すべてが更地になる」と言われる状況を前にして(〔その日には、地球と人類はこうなる!〕参照)、それらを「取るに足りないこと」として片付けられるかどうかが大きな分かれ目になるので、それが人類の「最後で究極の決断」になると言っています。
まずは自己の意識やスタンスを確立して、それを具体的に展開させていくことになるでしょう。
この決断が遅れれば遅れるほど、「間に合わない」ことになる可能性があります。
このテーマについては、最近の〔サナンダのメッセージ〕が正面から採り上げているので参考にしてください。(本当の望みは何ですか?―サナンダ)
ここでは、その中から一つだけ引用します。
――精神的に目覚めた人は誰でも、それまであったものは何一つ残らず、すべてが更地になり人生が根本的に変わります。
それを、あなたの周囲環境や、友人たちや、人間関係に見出すことができるでしょう。
目覚めた人は誰でも、それまでとは違う背景の中に人生を置くようになり、過去に属したものはすべて、ひとりでに剥がれ落ちるでしょう。
それは正に自然に起こるので、誰も妨げることはできません。内部に持つ神の力が活性化されたからです。
◆待ちきれないという焦燥を生むもの
――この欲求不満によって、多くの光の存在たちが、光への道に背を向けるようになっています。
何故なら、言われてきたことの多くがまだ実現しておらず、期待してきたことをこれ以上は待ちきれない状態に置かれるからです。
――献身によってのみ、すべてが変わり、エネルギーが変わり、人生が変わります。
したがって献身の特質は、思考によって知的に捉えられるものでは決してなく、むしろ自己の内部で体験されるべきものです。
この決断をすれば、ヤミに光をもたらし、洞察が得られるようになります。
論理としての献身は完全に何ももたらさず、あなたは何処へも到達しないでしょう。
上の引用は、最初のものが状況を説明しており、次のものが回答を提示しています。
これに関連する極めて含蓄の深い言葉がサンジェルマンのメッセージにあります。
次の引用から、その真意を汲み取りましょう。(神の翼に乗って―サンジェルマン)
――惑星地球での人生は、時間を超越した永遠の世界の尺度では、一瞬にも及びません。
あなたがこの事実を自分のものにすれば直ちに、人類が持つ短気というものが、どこに根っこを持っているかを正確に判断できるようになるでしょう。
――神との生きた繋がりは、永遠に生きることを意味します。そしてこれは、魂の源に繋がっていることによって実現しています。
神への繋がりが近ければ近いほど、時間の長さは重要でなくなり、その意味を失います。
それはあたかも、子供たちが成長するにつれ、おもちゃに興味を持たなくなるようなものです。
◆時空を横切ってやって来た魂たち
――そして何よりも、成熟した魂の持ち主たちは惑星地球へやって来る(生まれる)前から、この体験を運命づけられています。
これらの方々は、様々の時代を俯瞰(ふかん)していてそれらを横切ってやって来ており、欠けているものが何ひとつなく、しかしまた地球での他の体験には関心がありません。
このような方々にとって献身は、次の論理的に妥当なステップで、それは純粋な神性が現れ認められるようになる前の、最後のステップです。
ここでの「成熟した魂の持ち主たち」は、惑星地球での3次元的な体験を求めて転生してきたわけではなく、むしろそのような体験を新たに必要としないレベルまで成熟しており、3次元世界でも必要とあればオールラウンドの能力を発揮できるので、「地球での他の体験には関心がない」ことになります。
つまり、ひとえに今回のアセンションに参画し「牽引者」として寄与すること目的にやって来ているわけです。いわゆる「新種の子供たち」の多くも、それに該当するでしょう。特別の活動をしなくても、自分の意思でアセンションに参画するだけで、牽引力になります。
問題は、そういうバックグラウンドを持ちながら、初志を思い出すことなく、この世界の現実の中で「漂流」している方々が少なからずいて、何とも勿体ないことなので、メッセージの中で特に言及されているのでしょう。
「献身」が「次の論理的に妥当なステップ」である、と。
何かのはずみで、このような方々が「この時代の真実」に気づくことを期待しましょう。
(〔このようにして神につながりましょう―聖母マリア(下)〕へ続く)
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