〔HOME ガイア・アセンション/新生地球への道(The Way for
the New Earth〕|トップハイライト全容〕
Q&A’20h3・「ガイア・アセンション」シリーズ
(20/08.28) 「新生テラ移住」の早期達成へ、この「三次元テラ」で神との一体化を皆で希求しよう
(For the early completion of "the
Immigration to the New Earth", Let's all pursue the Unity with the God
while living in this "3D Earth")
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
いつもありがとうございます。
新たなメッセージを掲載いたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。
(小松)
拝見しました。
ありがとうございます。
今回メッセージの冒頭部でサナンダは、イエスとして活動された当時のこと、特に死に至る最後の頃のことを述懐されています。
その中に、このように言われている箇所があります。
――「皆様は、私がイエスの時に困難な状況の中、よみがえりましたことを多かれ少なかれ耳にしていることでございましょう。|私はインドの地にて修業を重ねていたわけでございますが、その時にある程度よみがえりの術を身につけたのです。ですから、体的な事を申せばインドの厳しい修行僧の方々について学んだことが役に立っているわけです」
ここで言われる「困難な状況の中、よみがえりました」は、「十字架による処刑(磔刑:たっけい)」にもかかわらず、「自らの力で蘇生した」ことを指しているとみられますが、聖書の記述や憶測を交えた歴史書などからは真実は伝わってきません。しかし、イエスの伴侶で同志でもあったマグダラのマリアが、その点を正確に伝えていますので、関連個所を以下に引用します(「マグダラのマリア」のメッセージ)。
――皆さんの歴史では、(伝道は)専らイエスが行ったことになっていますが、真実は私たち二人の協同の仕事でした。
そのことはほとんど伝えられていませんが、これについて彼が、別の認識を示すことはほとんど考えられません。
彼は、非常にそのような特質を持っていました。女性の立場をよく理解していたのです。
だから、その当時は楽しく、貴重な人生でした。
しかし、絶望的な人生だった面もあります。
それはイエスが十字架にかけられ、それに至るまでとその後は、苦難の時が続きました。
そしてイエスが処刑を生き延びた後は、双方の母と一緒にガリア(今のフランス)へ行き、しばらくはそこに住みました。
しかし受けた傷がもとで、遂にそこで死去したのです。
イエスに対するヒーリングを妨害するヤミ勢力の干渉が非常に激しく、マリア(いわゆる聖母マリア)や私の、また多くのエッセネたちのヒーリングの能力にもかかわらず、彼は道半ばで帰らぬ人となりました。
上記の通り「イエスが処刑を生き延びた後は、双方の母と一緒にガリア(今のフランス)へ行き、しばらくはそこに住みました」と、明言されています。
ちなみに、上の引用で「真実は私たち二人の協同の仕事でした」「これについて彼が、別の認識を示すことはほとんど考えられません」と言われる重大な歴史認識を、サナンダが最近のメッセージで裏付けされていますので、この機会に関連個所を以下に引用します(サナンダとクシナダからの協働メッセージ(1)― 復活へ)。
(引用始め)
――ご存知のように私は、イエスとしての生涯を最後に、この地に再び誕生してはおりません。かつて、イエスとして活動した際の名残りは、確かに世界中で見られます。
では、いったいその中に、どれほどの真実がありましょうか。
考えてもみてください。私の生涯は迫害の生涯であり、本来、伝わるべき私の想い、私の言動に込められた神の真実が、どれほど伝わったと言えるでしょう。その時代はそのような時代だったのです。もちろん、私と同様の想いを持たれた方々と共に活動もしておりましたし、同じ想い、役割を持ったナダ(マグダラのマリアの魂の名)は、常に私のかたわらにおりましたので、私自身はたいそう充実した日々を過ごしておりました。もちろん私の他の家族たちも大切な協力者でした。
真実は、原石の中で静かに燃えて表には現れてこない、そういう時代でした。
ここでは、教会の主な会派や主流とされている聖書の教えとは「正反対の重大な事実」が指摘されています。
つまり「同じ想い、役割を持ったナダ(マグダラのマリアの魂の名)は、常に私のかたわらにおりましたので、私自身はたいそう充実した日々を過ごしておりました」です。――ここでは、ナダ(マグダラのマリア)が、「同じ想い、役割を持った」サナンダ(イエス)と協働するパートナーだったという、すでにマグダラのマリアと聖母マリアによって伝えられている真実を、さらりと言われています。
・「マグダラのマリア」のメッセージ(上記と同じ)
・この機会にイエスに関係する親族の真実を明かします―聖母マリア
当然ながらサナンダの上のご指摘は、ナダとの間に「3人の子供を持った」ことも肯定されており、したがって「受胎告知や処女懐胎を完全に否定」されていることになります。
今回のメッセージでサナンダは、イエスの時代の布教を過大視することを避けておられますが実際には、地理的には狭いエリアでの短期間の活動で終わったにもかかわらず、世界全体に(特に欧米社会に)巨大な足跡を残されたわけですね。
その一部として例えば、画家たちの手による50点にも達するという「受胎告知の絵画」などによって、間違った固定観念が強化されていった面もあるでしょう。
(引用終り)
なお、今回メッセージの冒頭部でサナンダが言われている、次のお言葉を銘記したいと思います。
――「何より尊く大切なことは、神と一体となっているかどうか、という根本的なことにあるのです。私は、私の使命として「神の愛」を伝えており、私の日常そのものが、神の愛と共にあったと申せましょう。|ですから、神のご意志も即つたわり表現することが可能だったのです」
冒頭部の全容については、今回メッセージの全文も含めて「こちら」でご参照ください。
以下では、今回メッセージの本文の中から、特に印象が深かった部分についてコメントさせていただきます。
なお引用文は、パラグラフの中を何箇所かに細分して引用させていただいている箇所があります。
〜サナンダ メッセージ〜
――人々の愛が花開いて実が結んで参りますと、ある時、次元はすっと上昇すると思えます。
新生テラ移住には、この三次元テラの波動がより新生テラへ近付くことが必要となりますので、みなさま方が愛の波動に目覚め、日々を送ることで一歩一歩近付いて参ると存じます。
以前から伝えられている「マスアセンション」という最も望ましい人類のアセンションを実現するには、これが鍵であり、結局は近道になると言われているようです。
――我がものとしてきた地球、そして自分自身を神のものとして返還する。その作業が皆様には必要であろうかと存じます。
それにはやはり創り主が存在する≠ニいう事実を腹に落とすということでしょう。
ここでは、「(人類社会で普遍的な)基本認識」の転換が必要であることを説かれているようです。@地球について「我がものとしてきた地球」、そしてA自己について「(我がものとしてきた)自分自身」――真実は、@、Aどちらも、「神」によって創られ与えられたものですが、「正反対の認識」が相当に深く染み込んでいるので、「作業が皆様には必要であろう」「創り主が存在する≠ニいう事実を腹に落とすということ」と、見抜いておられます。
そして「神のものとして返還する」と言われる主旨は、@、Aいずれも、「その役割を終える」時が迫っているので、それを忘れないように、と念を押されています。
――まずは三次元テラ・この地球は宇宙一の輝ける惑星(ほし)であり、宇宙同胞たちの憧れの惑星として存在することに想いを馳せ、愛情を注いで参りましょう。
とりあえず私たちの棲家である「三次元テラ・この地球」が焦点になるわけですね。
それが現時点でも「宇宙一の輝ける惑星(ほし)であり、宇宙同胞たちの憧れの惑星として存在する」ことについては、「惑星地球の創造」と「それに参画した存在たち」を識れば納得できます。
――これらの存在は、創造者としての神ではなく、宇宙全体からやって来た存在たちです。地球の創造は一つのプロジェクトだったので、そのために宇宙のすべての存在が、最高に美しい場所を創り出したいと願って集まりました。そして、その時にたくさんのアイデアが出されたのです。彼らの惑星でうまくいった物事のアイデアと、創造という方法を通してすべての場所の最善のものをどうやって地球にもたらすかというアイデアでした。
(ガイアからのメッセージA)
人間の手による「開発」が相当に進められた現在の地球でも、変化に富んだ美しい自然は随所に見られます。
そして動・植物の驚異的ともいえる「種の多様性」がありますね。
卑近な例として「爬虫類」を見ると、それは一般的な分類では「脊椎動物」の「四肢動物」に属するわけですが、主要な種では、これだけの数が現生しています。鱗(その変型を含む)を持つこと、四肢と尾があること、卵生であることなどが共通点です。
・カメ目(約500種)
・(ウロコのある)有鱗目では、・トカゲ亜目(トカゲ、ヤモリ、カメレオン、イグアナなど 4000種 以上)、・ヘビ亜目(3000種 以上)、・ミミズトカゲ亜目(約160種)―【注】ヘビは、四肢が退化したとして、ここに含められています。
・ワニ目(23種)
――それらすべてが、世界各地の自然環境に適応して生息しており、当然ながら今では、それぞれの生態なども調べ尽くされています。
次へ進みます。
――地球は何を望んでいるであろうか。
自分たちは、地球にとってやさしい存在であり、必要とされているであろうか。
その様に逆の発想を持って冷静に見つめ、テラと話してみていただきたいのです。
「生命体であり意識を持つ地球」――これが基本認識ですね。
その上で「(相手の立場に立って)逆の発想を持っ」ことを、ここでは薦められています。
――あんすまかがこの三次元テラを離れ、新生テラに着任した経緯は皆さまもすでにご承知のことと存じます。
しかしながら、皆様は新生テラ移住が成されるまでは、この三次元テラに住み続ける以外に道はないのですから、地球に存続していただく道を歩む決意を示されるが良いかと思っております。
「皆様は新生テラ移住が成されるまでは、この三次元テラに住み続ける以外に道はない」――厳然とした事実を指摘されています。
私たちは、今回のメッセージでサナンダが言われる基本認識に切り替えた上で、「ここに棲む生き物たちにとって、穏やかな星で有り続けてほしい」と、「この三次元テラ」に対して、折々(おりおり)語りかける必要があるようです。
〜大御神さま お言葉〜
――そなたらのおもいは わたしに通じ
わたしのおもいは そなたらに通じておる
そこを意識するがよい
それが一体化の道である
「そなたらのおもいは わたしに通じ|わたしのおもいは そなたらに通じておる」――これは「創造の(『内在の神』の)仕組み」だから、「逃れることの出来ない事実」。これを「常に」念頭に置くことが、一体化への「近道」と言われています。
――これまで 我が想いとして受け止めていたことを わたしに返す
わたしに意識を向けることで 交流が始まるのだ
わたしのおもいが そなたらに流れ込み 表われるようになる
「我が想い」というものは、所詮は「独断で独善」。「我」の限られた視野では、どんな時点においても「ベストの答」ではないのだよ、と言われています。したがって、まずはそれを「わたしに返す」ことを勧められています。
「わたしに意識を向けることで 交流が始まるのだ」――あなたの意識が、つまり主要な関心事が、「あさっての方」を向いていては、それが「防壁」となって「交流」の手掛かりがない。その状態を断ち切ろうではないか、と言われているようです。
――密接不離の そなたとわたしである
それは 動かしがたい事実なのだよ
よいかな
わたしと対話を重ねておるなれば
わたしのおもいが届き ふとした気付きの瞬間も訪れるであろう
そうした事が 日常茶飯事となるなれば
わたしとの一体化が 大いに進んでいるといえよう
「わたしと対話を重ねておるなれば|わたしのおもいが届き ふとした気付きの瞬間も訪れるであろう」――これは、人と人との通常の会話のようでなく、「独り言」を届けているような感じであっても、「密接不離の そなたとわたしである」のだから、「ふとした気付きの瞬間」に、「わたしのおもい」をインスピレーションなどとして受け取ることになる、という主旨でしょう。
――どのようなおもいも 必ずわたしに話してほしい
話すことで 疑問が消え 新たな道筋に出会うこともあろう
何故 このようなおもいが湧いたのであろう と気付くこともあろう
我が道に固執しておるなれば 気付けぬ事に気付くであろう
「どのようなおもいも 必ずわたしに話してほしい」――例えば、「大御神さま、今日は空が澄んでいますね」のように、「大御神さま」を「枕詞(まくらことば)」のように使って、日常的に話しかけることも大いに歓迎されるでしょう。
「話すことで 疑問が消え 新たな道筋に出会うこともあろう」「・・・気付くこともあろう」「・・・気付くであろう」――何しろ、「わたし=内在の神」として、全知全能の存在が、誰よりも身近に常に付き添っておられるのだから、お言葉の通り、積極的に「話す」ことによるメリットには、計り知れないものがあると思われます。
――門戸を開くことである
閉ざされ続けておる 幾重にもある鍵をはずし
明るい陽射しのもとに 飛び出すことだ
光をまぶしく感じるのは 最初の一瞬のみ
暖かく 柔らかな 深い愛のぬくもりに 満たされるに違いない
「門戸を開くことである|閉ざされ続けておる 幾重にもある鍵をはずし」――ここで言われる主旨は、多年にわたって「我中心、自己中心」で生きてきた、その根源にある世界観を一挙に捨ててみる!
捨てたところで実際には失うものは何もない。それどろこか、身軽になって自由に飛翔できるようになる、視界が開けて交流の幅が広がる、ということでしょう。
そうすれば、「明るい陽射しのもとに 飛び出すこと」ができますよ、と。
――わたしの大いなる羽にいだかれ
おのれの羽を休め わたしの羽の中で休むがよい
やすらぎの先にある わたしとの一体化の中で
軽やかになった おのれの心と出会い
新たなる 新生テラへの旅路が 始まるであろう
「わたしの大いなる羽にいだかれ|おのれの羽を休め わたしの羽の中で休むがよい」――「自分が、自分が」「あれもやらなければ、これもやらなければ」という意識を捨て、すべてを神に預けるという感触でしょうか。
それが出発点ですよ、と言われているようです。その先で、「新たなる 新生テラへの旅路が 始まるであろう」と。
なお、今回の「お言葉」で大御神さまは、「(わたしとの)一体化」を三か所で述べておられます。
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
ご感想をありがとうございます。
この度は、サナンダが神の本質である「愛」についてお伝えくださる中で、新生テラ移住を目指しつつ、この三次元テラへ愛情を注ぐことの大切さをお話しくださいました。
小松様の言われておりますように、「生命体であり意識を持つ地球」との認識を基本に、私達も「地球は何を望んでいるであろうか」と想いを馳せ、よりいっそうの感謝を捧げ、そして、愛情を込めてこの地球が存続し、波動が新生テラに近付いてゆけるよう祈り、行動して参りたいと思っております。
また、神さまの愛に素直に包まれ、「大御神さま」を「枕詞」のように使い日常的に話しかけることは、神さまと心を通わせ、近付いてゆける大きな一歩になると思わせていただきました。
今、大きく羽を広げてくださり、私達の帰還を心待ちにしておられる大御神さまのご慈愛あふるる御心に、心より感謝いたしたく存じます。
いつも本当にありがとうございます。
【関連】
・新生テラ移住開始の意義を話します―サナンダとセント・ジャーメインの協働メッセージ
[ホーム]
Copyright© 2020 Eisei KOMATSU