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Q&A’21a1・「ガイア・アセンション」シリーズ
(21/01.20) 年頭メッセージ 2021 ― 聖徳太子(金龍)、アダマ、女神たち
(New Year’s Message of 2021 — Prince Shotoku, Adama and Goddesses)
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
新たな年を迎え、金龍神としての太子さま、このはな姫さま、アダマさま、クシナダさまよりメッセージが届けられましたのでお伝えさせていただきます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします
(小松)
拝見しました。
ありがとうございます。
聖徳太子(金龍神としての太子)が、当シリーズに初めて送られたメッセージをお受けして、たいへん感慨深く嬉しく思っています。
それに加えて感じていますことは、「(時間というものが存在しない)高次元世界」の方々が、今のところ私たちが拠り所としている「(時間の制約下にある)三次元テラ」の住民に、「両世界にまたがる事柄」を伝えることの難しさです。
今回のメッセージで太子は、次のように言われていますね。
――私はかつて上宮之厩戸豊聡耳命(うえつみやのうまやどのとよとみみのみこと)〔後世の尊称:聖徳太子〕としての生命を全うし、今は金龍として生きている存在でございます。
かつての私の魂は、大元に立ち返り、大元とひとつになり、私の個としての魂は消滅いたしました。
私は、何としてもテラを守りたいという想いを実現したく、金龍の身魂(みたま)を取り込み生きる道を選び、今日に至っております。
【注】:「上宮(うえつみや)」は聖徳太子に繋がる家系のこと、「厩戸豊聡耳命」は一般には略して「厩戸命、厩戸皇子(うまやどのみこ)」と言われた太子の呼び名です。
一方、「ひめみこの詩@」(2013.11)の冒頭では、同じ主旨が次のように述べられていますね。
――ある日 太子さま 最後のおもいがとどきました
わが魂(たま) 源にかへり 消めつす
時せまり
金龍の御魂とりこみ 地球(テラ)護(まも)らむ
あれから十八年ずうーっと ひめみこは 心の奥で 思っていました
テラは 太子さまが 護っていて下さるから大丈夫
聖徳太子が妃(膳大郎女:かしわでのおおいらつめ)と共に遷化(せんげ:入滅)されたのは、こちらの時間軸では西暦621年前後ですから、今年から「1,400年前」となります。これが、観点が違えば「18年前」ともなるわけですね。
時間が存在しない高次元世界では、過去も未来もなく、すべての「イベント(出来事)」が「いま現在」に起こっているわけです。しかしイベントの前後関係は(とりわけ特定の人の生死などは)見当が付けられると思われますが、それを時間軸の上に並べることは出来ないでしょう。そもそも時間軸自体が存在しないわけですから。
したがって太子は、無用の混乱を起こさせないように、上のように時間要素を含めないメッセージを送られていると考えられます。
以下では、この機会に、こちらの世界での太子に関する混乱状況を、少し整理させていただきたいと思います。
ちなみに、「金龍神としての太子」は「龍神界」において、「天使界」における「大天使」のような役割をお持ちのように思われます。
最初に、2013年12月の当サイトの記事を以下に引用します(聖徳太子は「魂の源」への帰還を果たす|ひめみこの詩―これまでの全容)。
――(質問)前から確認させていただこうと思いつつ今になりましたが、「ひめみこの詩」の冒頭部分について、私は次のように理解しています。
いかがでしょうか。
「太子さま」とは聖徳太子のこと。
「わが魂 源にかへり 消滅す」とは文字通り、独立した魂としての役割が終り「魂の源(神/根本創造主)」に合一すること。
その時が迫ったので、「金龍の御霊とりこみ 地球(テラ)護(まも)らむ」とした。
つまり、自分に成り代って地球を守らせるために、金龍を生み出し後に残すことにした。
それが18年前のことだったのですね。
――(回答)先日ご確認のメールを頂きました、「ひめみこの詩」の冒頭部分について母に頼んでおきました所、女神さまご一同よりお返事を頂きましたので、ご報告させて頂きます。
以下、女神さまご一同より。
この度は 私どものメッセージを真摯に受け止めていただき、私どもも感激いたしております。
たいそう重要なメッセージゆえ、いかなものかと思ってもおりましたが、小松さまが受け止めて下さいましたゆえ本当に嬉しく思っております。
また、詳細につきましては時が参りましたら お伝えできる日が参ると存じますゆえ、こたびのご質問に返答できませぬこと お許し下さいませ。
ただ、小松さまのお考えあそばす通りであることも確かでございます。
女神一同
――(回答へのお礼を兼ねて)拝受しました。ありがとうございます。
ご存知のように、聖徳太子の実像に関して私たちが目にすることのできる文献は(歴史教科書などの記述も含めて)混乱を極めています。
その最大の要因は、太子が(その本質が)、「常識的に理解できる範囲」を遥かに超えていたことにあるとみています。
ここにいう「常識的に理解できる範囲」とは、多次元宇宙の実在について一切の認識を欠いたまま、ひとえに五感によって感知できる「地球の三次元世界(物質界)」に限定した視野の中で、すべてを律しようとする姿勢のことです。
本件に限らず、このような姿勢は人類の現状では、あらゆる分野のほとんどすべての判断の根底にあるもので、「人類の不幸」の大半が、これに由来していると言っても過言ではないでしょう。
そうした中で、次の二著は、聖徳太子の真実にかなり迫っていると私は考えています。
@ 藤巻一保『厩戸の皇子(うまやとのみこ)読本』2001年 原書房
A 野沢政直『禁書 聖徳太子五憲法』(新装版)2004年
新人物往来社
前者は、聖徳太子についてのエピソードを中心とした伝記として、約千年前の平安時代に編纂されたとされる『聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)』(漢文)の現代語訳で、各章ごとに時代背景などについての著者の解説もあり、ぐいぐい引き込まれるような素晴らしい著作です。
『伝暦』には、太子が現世において既に多次元的存在であったことの例証も随所に出てきます。
したがって史学の世界で『伝暦』を、史実を反映しない虚妄の書と断じてきたのは、上記したような姿勢を考慮すれば、いわば当然の成り行きだったでしょう。
太子の本質を伝えるのに、『伝暦』のようなアプローチは、数少ない選択肢の一つだったろうと私は思います。
要は、その内容が心に響くかどうかであって、それについて個人差があるのは現状では仕方のないことでしょう。
いずれ時が来れば、すべての真実が明らかになると思います。
後者は、『日本書紀』に収録されている「聖徳太子17条憲法」の底本になっていると見られるものの、近年では知る人もなく埋もれたままになっている『聖徳太子五憲法』に正面から取組んだ著作です。
『聖徳太子五憲法』には内容として、「通蒙憲法」、「政家憲法」、「儒士憲法」、「釋士憲法」、「神職憲法」の五憲法(各17条)がありますが、『日本書紀』に収録されているのは「通蒙憲法」(いわば総則)だけです。
しかし例えば、「政家憲法」の冒頭には次があります。
為政の道は、独りただ天の理にとどまれ、先づ志を弧にして、己れ自身のよしみと、にくしみとを断絶せよ
これは、当時の権力者(蘇我馬子)だけでなく、現代の政治家にとっても耳が痛い話ではないでしょうか。
後世で『聖徳太子五憲法』(604年)が実質的に抹殺され、『日本書紀』(720年)が採り上げた「聖徳太子17条憲法」(実質は「通蒙憲法」だが、その呼称は消えている)だけが実在するかのように扱われてきたのは、時の権力者にとって都合が悪い内容を「政家憲法」が含んでいるためでしょう。
しかし、『聖徳太子五憲法』が「禁書」になったのは、もっと単純な経緯からで、江戸時代の1679年に刊行された大著『先代旧事本紀大成経』(全72巻)が、(その内容ではなく)無許可の刊行物という理由で偽書とされ、「禁書」となったためです。同著の70巻目に『聖徳太子五憲法』が編入されていたのです。
ともあれ、野沢政直さんの『禁書 聖徳太子五憲法』は、『五憲法』の解説を通じて聖徳太子の実像を浮かび上がらせた説得力のある学究的な著作です。
ところで、創造主によって創られ創造主から分かれて旅立った魂が、無数の転生を繰り返しながら進化し続け、究極的には「魂の源」へ帰還する(創造主に合一する)という仕組みが、多次元宇宙の構造の根底にあると私は認識しています。
しかし、私たちが知っている人物または存在が、実際に帰還を果たしたと確信できるケースは知りませんでしたが、聖徳太子なら有り得るという感触を持っていました。
今回、それが裏付けられたと理解しています。
(引用を終わります)
以上に加えて2,3点を補足させていただきます。
第一は、太子が中国において仏道修行をされた前生(過去生)のことです。
これは『伝暦(でんりゃく)』の中では、太子が47歳の時、妃(膳大郎女)に「自分の六代の前生を話した」として、その詳細な内容が紹介されています。その修行の場所はいずれも湖南(フーナン)省の衡陽(ホンヤン)にある「衡山」で、修行の期間は各代(各生涯)で30年から70年に亘っています。ちなみに「衡山」の山中には、南台寺、祝聖寺などの大寺院があり礼拝者が絶えないようです。
そして「倭国(日本)への転生」については、達磨大師に姿を変えた「仏(釈尊)」に衡山で出会ったとき、「お前さんは、さんざん努力を積みながら、なにゆえこの衡山にばかり留まって、十万の衆生のために布教しようとしないのかね。・・・お前さんは東海(倭国)に生まれ変わりなさい」と勧められたことが発端と紹介されています。
なお『厩戸の皇子読本』では、上記について次のように補足されています。
「太子は、すでに6歳の時に敏達(びだつ)天皇に自身の前世(前生)のことを語っている。
以後12歳、13歳、22歳、24歳、26歳、31歳、36歳、37歳、38歳、39歳と、前世のことを漏らしてきたが、その内容は、ほとんどが現在の生のひとつ前の慧思禅師(えしぜんじ)時代のことで、それ以前のことについては「過去数十身」という言い方しかしてこなかった。その「過去数十身」のうちの衡山(こうざん)での6回の転生について、47歳のこの年、はじめて明らかに妻に語ったのである」
【注】:太子と関係が深い敏達天皇、用明天皇(父)、推古天皇、穴穂部間人皇女(母)は、いずれも太子の祖父にあたる欽明天皇の子供たちで、当時としては珍しくなかった異母兄弟姉妹です。しかし敏達天皇は太子が15歳の時に逝去されているので、12歳から39歳の間に「前世のことを漏らしてきた」相手の方々は、上記の四方など身近な人々だったと考えられます。ちなみに父の用明天皇は、在位2年弱で太子が16歳の年に病没されています。
確かに、そのような前生を持っているからこそ、『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』の名で総称される、《法華義疏(ほつけぎしよ)》4巻,《維摩経義疏(ゆいまきようぎしよ)》3巻,《勝鬘経義疏(しようまんぎようぎしよ)》1巻という膨大な解説書を、漢文で著すことが出来たのでしょう。
これについての評価の一部を、『日本大百科全書(ニッポニカ)』から引用します。
――三疏が同一人の著作であることや、内容の識見、長い伝承などから、著者が聖徳太子に帰せられるのがほぼ定説となっている。聖徳太子がこの三経をとくに選んで注釈したのは、天皇が推古女帝であり、摂政(せっしょう)の聖徳太子が維摩詰に擬せられるなどの理由のほか、三経が当時中国における流行経典であったことなどによるとされる。仏教輸入後なお日が浅いのに、大乗精神に対する現実的な理解は著者の非凡を示し、「憲法十七条」とともに日本文化史上きわめて重要な著作である。
【注】:上の文で「三疏」は『三経義疏』のこと、「三経」は法華経、維摩経、勝鬘経のことです。また「天王が推古女帝であり」と書かれているのは、勝鬘経が勝鬘夫人という女性が大乗教を説く構成になっていることからの連想です。ちなみに法華経は、大乗仏教の代表的なお経です。
以上を全体として眺めれば、「転生(生まれ変わり)」を理解することが、「多次元宇宙」の実在を認識し「新生地球」へ移住する鍵にもなるという、素晴らしい実例を太子は身をもって示してくださっているようです。
第二に、太子のことが近年の正統的な学習参考書で、どのように紹介されているかを一瞥してみます。
以下は、『詳説 日本史研究(改訂版)』(2010年 第4刷
山川出版社)からの、関係個所のみに絞った抜粋です。
この本は教科書の副読本の性格を持つので、現状では「転生」や「過去生」の記述がないのは仕方がありませんが、太子の生涯や著作を巡る学者・研究者たちの不毛の議論とは関係なく、太子の実像や功績を、かなり客観的に紹介されていると思われます。
――【推古腸の政治】そのころ中国では、北朝からおこった隋(591〜618)が、589年、南朝の陳を滅ぼして、およそ400年ぶりに統一王朝が成立した。隋は律令制を整備するとともに、周辺国家への圧力を強め、598年以降、数次にわたって高句麗へ大軍を派遣した。朝鮮3国や倭国では、この世界帝国の強圧に権力集中の必要に迫られた。
――このような危機を収拾するため、馬子や諸豪族は、欽明天皇と蘇我堅塩媛との間に生まれ、敏達天皇の后となっていた額田部王女を、初めての女性天皇(大王)として即位させた。これが推古天皇(在位592〜628)である。翌593年、推古天皇の甥の厩戸王(574〜622、のちに聖徳太子と呼ばれる)が政権に参画し、大王推古・厩戸王・大臣蘇我馬子の三者の共治による権力の集中がはかられ、倭国も激動の東アジア国際政治のただなかにのり出していくこととなった。
――彼ら三者は、王権の周囲に諸豪族を結集させることによって権力を集中し、朝鮮諸国に対する国際的な優位性を確立しようとした。推古朝の諸政策のなかで特に注意するべきものに、603(推古天皇11)年に制定された冠位十二階の制と、604(推古天皇12)年に制定された憲法十七条とがある。
――【冠位十二階】冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小にわけて十二階とし、紫・青・赤・黄・白・黒の六色の冠を授けたものである。冠位はそれまで氏族ごとに賜わって世襲されたカバネ(性)とは異なり、個人の才能や功績、忠誠に応じて授けられたもので、その官人一代限りのものであり、また功績によって昇進することも可能であった。
――【憲法十七条】憲法十七条は、官僚制に再編成されるべき諸豪族に対する政治的服務規程や道徳的訓戒という性格を持つ。その内容は、和を尊ぶべきこと(第1条)、仏教を敬うべきこと(第2条)、天皇に服従すべきこと(第3条)、礼法を基本とすべきこと(第4条)、訴訟を公平に裁くべきこと(第5条)・・・(以下略)
――【飛鳥文化】推古朝を中心とする時代の文化を、当時の宮の所在地を冠して飛鳥文化と呼んでいる。飛鳥文化の特色は、当初は渡来人や蘇我氏など限られら人々によって信仰されていた仏教が、国家の保護を受けるようになって広く浸透し、最初の仏教文化と称すべき状況にいたった点に求められよう。594(推古天皇2)年には仏教興隆の詔が出され、仏教が政治の基本に据えられた。
仏教の普及に大きく寄与したのは、蘇我氏と厩戸王(聖徳太子)とであった。厩戸王は、「三経義疏」という、法華経・維摩経・勝鬘経の三つの経典の注釈書を著したと伝えられるなど、仏教に対して深い理解を持っていたっとされる。
――しかし、当時の支配者層のすべてが、仏教の深遠にして複雑な教理をよく理解していたとはとてもいえない。厩戸王や一部の渡来人を除けば、一般には、仏教は祖先の冥福を祈ったり、病気の回復を願うための、呪術の一種として認識されていたようである。
仏教が人々の心に深い印象を残したのは、その世界宗教としての教理よりも、壮大な寺院建築や、おごそかに輝く仏像によるところが大きい。当時の仏像彫刻(飛鳥仏)は、中国の北朝の様式を受け継いだもの(北魏様式)と、南朝の様式を受け継いだもの(南梁様式)とに分類できる。それぞれ、高句麗・百済を経て倭国に伝わったものであろう。
(『詳説 日本史研究』からの引用を終ります)
以下では、今回メッセージのそれぞれについて、私の感想を述べさせていただきます。
メッセージの全文につきましては「2021年 新年のメッセージ」をご覧ください。
〜金龍神としての太子より メッセージ〜
――私が思いますに、人類が覚醒し、大御神さまと一体化するということは ”愛に目覚める” ということであろうかと存じます。
愛する心を深く根付かせることが急務でございましょう。
それと同時に大切なことは、感謝の心を持つという事でございましょう。
私どもは、たった一人では、たったひとつの魂のみでは、何事も成せないでございましょう。
さまざまに役割分担を遂行し、協力しあって築き上げる社会構造なわけです。
お一人おひとりが生を営み続けてゆけるのは、そうした多くの役割分担が滞りなく刻まれているからにほかなりません。
ごく当たり前に日常を生きておりますが、立ち止まってよくよく成り立ちに思いを馳せますと、数え切れない程の多くの関わりが紡がれております。
もちろん、あなた方お一人おひとりも、その中の一員として存在されておられるのですね。
「私が思いますに、人類が覚醒し、大御神さまと一体化するということは ”愛に目覚める” ということであろうかと存じます|愛する心を深く根付かせることが急務でございましょう|それと同時に大切なことは、感謝の心を持つという事でございましょう」――「愛」と「感謝」のいずれも、個人として生きていく上での大切な資質ですね。前者「愛」については、身近で大切と思う存在、例えば家族や親友またはペットなどに限らず、日常の行動の中で接することになる人々や自然界の動植物に対しても、好き嫌いなく、当然のことのように持ちたいものです。
また「感謝」については、役所や会社などが職務またはサービスとして提供している労力に対しても、自然に「ありがとう」が言えるようになることですね。これは、社会の一員としての「役割分担」にも通じるわけですが。
――私は広大な宇宙空間を駆け巡り、時には海原に身を沈め、時には原生林、あなた方のすぐそばにも参ります。
自由自在に大空を駆け、テラの様子に心を配り、多くの仲間と連携しテラを守っております。
大自然の美しさを少しでも多く保てる様、仲間と共に修復もしております。
私たちに共通している ”愛” という宇宙創生主の根源の波動をそこここに届けております
人間として生きた時のような負の想いはございません。
私共は、大御神さまの光・愛を享受し、その中でお役目を果たしております。
大御神さまのご計画が滞りなく進んで参りますよう、動いております。
このメッセージは全文が、「新生テラの五次元世界」を目指す心ある方々が、かの地において理想とする生き様に近いのではないでしょうか。そのように選択し日々の研鑽を怠らなければ、誰もがいずれは実現できる姿が提示されているように思われます。例えば宇宙同胞の方々が、当然の事のようにやって下さっていることにも通じます。
〜このはな姫 メッセージ〜
――神の御心をたずねる、という日々の行いがなされますと、必ずやそこに大御神さまのやわらかきあたたかなおもいがあり、光に包まれる感を味わえるのではないかと存じます。
おのれの心から恐れという感情を取り除く日々を送ることが、そうした出来事を引き寄せないコツでありましょう。
湧き上がるおもいを大御神さまに訴え、お受けとりいただく日常をご自身のものとされて歩みますと、いつの間にか自分の中に芽生えた後向きの思いから解き放たれ、心が軽くなり前向きに歩み始めていることに気付くことでしょう。
過去のこと、現在のこと、そして未来への不安も含め、心の中に眠っている感情にあらためて気付くこともおありかと存じます。
それらすべてを、大御神さまと通じ合う糧として受けとめ、大御神さまにお返しし受けとっていただきましょう。
みなさま方が地上に生あるうちは、この作業とでも申しますか、訓練を課せられた使命のように続けていただきたく思うのです。
「おのれの心から恐れという感情を取り除く日々を送ることが、そうした出来事を引き寄せないコツでありましょう」――この重要ななメッセージを現代の社会状況で達成するには、「自分の現実は自分が創る(創っている)」を確信することでしょうね。実際にその通りであることは、すこし注意深く観察すれば、誰でも納得できるはずです。
その前提として、おどろおどろしい出来事を切れ目なく報道して、視聴者や購読者を惹きつけ続けることを「生計の道」とする、「メディアからの被曝」を最小限にする必要があると思われます。
――魂のまわりにこびりつき、染み付いたあかを落とすことは、まっさらな生まれたての魂になる条件と申せましょう。
このあかは常に生ずるゆえ、一日の終わりには大御神さまと対話され、洗い流していただくことが必要となるのです。
その様な日々を送りますと、魂に刻まれている大御神さまのおもいが表われ、大御神さまとのつながりを深く感ずるのではないでしょうか。
大御神さまの御心は、常にみなさま方の魂と共に息づいております。
その御心をたずね、ご自身の心に刻み、理解を深めて参れます様、祈っております。
「このあかは常に生ずる」――それによって「負の潜在意識」が強化されるわけですね。そのためには、まず「入り口をふさぐ」ことが大切ではないでしょうか。
例えば、平穏な日常生活を送る妨げになっている事柄を、一つひとつ洗い出して、まずはそれを解消することに注力する。
そしてここでも、メディアなど日常的な「侵入口」の見直しも必要と思われます。
これは特に、「大御神さま」を求めるお心が、まだ芽生えていないと思われる大多数の方々に言えることですが。
〜アダマ メッセージ〜
――物事の受けとめ方次第で、ことは大きく変わることうけあいです。
ゆきづまったかの様にみえる時も、少し離れてあたりに気を配り、くまなく冷静に観察いたしますと、必ずそこにある光の道が見えて参ります。
みなさまが直面する大きな課題があるとしましたら、それは前進するための大きな一歩のはじまりであり、大御神さまに近づく一歩ともなるわけです。
「ゆきづまったかの様にみえる時も、少し離れてあたりに気を配り、くまなく冷静に観察いたしますと、必ずそこにある光の道が見えて参ります」――これは金言ですね。常に念頭に置いて活用するようにしましょう。
――みなさま方がどの様な状況にあろうと、前を向いて歩み続けることができます様、我々は大御神さまの意を汲んでメッセージをお伝えいたしております。
メッセージをお読みいただくだけでなく、ぜひ我々に声をかけ、心と心の対話を重ねてほしいのです。
読む、ということですでに皆様方と私どもはつながっております。
私どもは、いつも皆様方とつながり、対話を重ね、一方通行という状況で終わりたくないと思っております。
むつかしく考えるのではなく、感想であろうと、疑問であろうと、質問であろうと、なんでも良いのです。
私どもと想いの交流をしていただきたいと願っているのです。
はじめは、独り言で終わるかもしれません。
そして、なんだ何も返答がないじゃないか、と気落ちされることもありましょう。
しかしながら想念でつながる、テレパシーでつながるという訓練となりますので、根気よく続けられますと、必ず我らのおもいに気づかれたり、勘がさえたり、迷いが少なくなって参りましょう。
「一方通行という状況で終わりたくないと思っております」――これは大切なことですが、ついつい忘れがちになることに気づかせていただきました。
「はじめは、独り言で終わるかもしれません|しかしながら想念でつながる、テレパシーでつながるという訓練となります」――もう何十年も前に、精神世界に関する大先達「ジョージ・アダムスキー(1881-1965)」が『テレパシー(Telepathy)』という著書を著されています。その中に「テレパシーは誰でも持っている素質」という主旨のことが書かれていたと思いますが、実際にその通りで、少し注意深く観察すれば。日常的にその能力を使っていることに誰もが気付くを思われます。ただ「会話する」よりも「察知する」または「以心伝心」という形が今のところは多いようです。
常に「心を澄ます」ことが鍵ですね。訓練によって磨かれる素質であることも確かでしょう。
おそらく日本の縄文時代には、ほとんど全員が、状況に応じて使っていたのではないでしょうか。
〜クシナダ メッセージ〜
――社会に起こる様々な変化は、私どもの意識が大きく影響しております。
どの様な意識をもって生活するのか、ということは大事な要素となるのです。
生活の基盤がゆらいでしまう様な事が身のまわりにございますと、とてもではございませんが、私どもが降ろしておりますメッセージに気をつかうどころではなくなりましょう。
そうした状況が今現在、三次元テラには充満している様に思えます。
しかしながらまた、その様な状況にあるからこそ、私どもを求める。そこに突破口を見出したいと思われる方もおられましょう。
いずれにせよ、どの道を歩むかの分岐点を迎えている様に感じております。
おのれの選択する道が、どこにつながってゆくのかをしっかり見極めて進む時であろうかと存じます。
「生活の基盤がゆらいでしまう様な事が身のまわりにございますと、とてもではございませんが、私どもが降ろしておりますメッセージに気をつかうどころではなくなりましょう|そうした状況が今現在、三次元テラには充満している様に思えます」――これに最も当てはまる「状況」は、「新型コロナウイルス」が巻き起こしている大混乱でしょう。それは、このウイルスが持っている特異な性格に加えて、「三次元テラ」のほとんどの国で、「政治の迷走」が混乱を加重していることは間違いないでしょう。
このウイルスには、「エドガー・ケイシー(Edgar Cayce)1877-1945」が生前に伝えたように、体質をアルカリ性に保つ簡素な食事を継続することによって対応できると考えられますが、現状では大多数の人にとって、食生活の抜本的な転換が必要になると思われます(健康についてのメッセージ)。
その一方、人類社会の各局面で、これまでの在り方を抜本的に見直す必要を迫られるなど、人々の目覚めを促す役割を、このウイルスが果たしている面もあるでしょう。
次は〔おのれの我が先立つ生き方を脱却し「新生テラ移住」を目指そう〕よりの引用です。
――今、この地球で流行っております肺炎を引き起こす新型コロナウイルスでございますが、やはりそれは、宇宙創生主のお計らいと申し上げるべきかと存じます。
皆様はけげんに思われるかもしれませんが、人類の存続のためにどうしても必要な浄化のひとつとなるのです。
(先回メッセージ:〔新生テラへのいざない (8)新生への健康管理について〕
(次は、上に引用しました「クシナダ メッセージ」の後半部です)
「いずれにせよ、どの道を歩むかの分岐点を迎えている様に感じております|おのれの選択する道が、どこにつながってゆくのかをしっかり見極めて進む時であろうかと存じます」――これは、私たちが「肝に銘じるべき」お言葉と思われます。
つまり、自分では何も主体的には選ばず、日々にメディアやコマーシャルなど「外からの情報」に翻弄され続ける生き方をされる方がいるとすれば、それも「選択する道」の一つではあるでしょうが、「前途が開けない」という意味で、もっとも損な選択になるわけですね。
(ゆうふぇみあ、琴音)
小松様 こんにちは。
いつも本当にありがとうございます。
2021年を迎え、たいへん力強く励みとなりますメッセージを、このように続々とお届けくださいましたことに心より感謝を捧げたく存じます。
また新たな気持ちとなって、"実践を積み重ねてゆく日々" を大切に歩んで参りたく思います。
「金龍の魂としての太子」さまより、メッセージをお受けさせていただく運びとなりましたことは、私共も本当に感慨深い思いでおります。
小松様もきっと、喜んでくださるだろうと話しておりました。
小松様がおっしゃるよう、この度のメッセージにて「両世界にまたがる事柄」の解釈の難しさを感じております。
1995年に「ひめみこの詩」の冒頭にあります「太子さまのおもい」が届けられました時には、太子さまが、その生をまっとうされて後、「金龍の身魂(みたま)を取り込み」テラに存在し続けてこられたとは思いもよりませんでした。
どれほどの思いで、今に至っていらっしゃるのでしょう。
知らず知らずのうちに、私たちは、「金龍神としての太子」さま、そして、たくさんの光の存在の方々のご守護、お導きをいただいて生きているのですね。
あらためて深く感謝いたしたいと思います。
ご紹介くださいましたように、2013年に女神さまご一同より、太子さまにつきましてメッセージをいただいておりましたが、このたび、再び女神さまのおもいがあふれるように届けられましたので、お伝えさせていただきます。
◇◇◇
この度の太子様よりのメッセージは、私たちにとりましても、たいそう感慨深く感動を持ってお受けさせていただきました。
思いもよらぬ大御神さまのお計らいに、心より感謝いたしたく存じます。
太子様に寄せる私共のおもいには、格別に深きものがございますゆえ、まことにまことに感涙を禁じ得ないのでございます。
こうして、太子様の思いが形になって表われる時が参ったのですね。
じんわりと心に広がりゆく安堵を感じております。
太子様におかれましては、金龍の身魂を取り込まれ、テラを守ると決められ、長い時を経てのこの度のメッセージ。
そこに込められた人類、そしてテラへの愛。
万感のおもいがございましょう。
その太子様のお心に思いを馳せますと、私共も胸がいっぱいになるのです。
テラ誕生の時より、愛の地球(ほし)にすべく天界のお仲間と共に動かれて来られた経緯がございますゆえ、現在のテラ、人々の有り様をとくとご覧になられ、いても立ってもいられないとの思いがおありでしたでしょう。
これからも引き続きメッセージをくださいます。心して受けとめて参りましょう。
そしてまた、大御神さまの御心を受けてメッセージをお届けくださる全ての方々に心より感謝いたします。
テラの現状に合わせ、そこに暮らす皆様方の状況をつぶさにご覧になられ、いま何をすべきかを見定めたメッセージをお届けになり、神との一体化、新生テラ移住に続く道へといざなってくださいます。
宇宙に存在する全ての源流、愛の想いの権化とひとつ心になられてのメッセージ。
皆様方への深い慈しみの心をメッセージに込めてお届けくださいますことに感謝申し上げ、テラにお住まいの神の子らに、テラに、私共も共に慈しみと愛を送ります。
――女神一同
◇◇◇
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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・「新生テラ移住」の早期達成へ、この「三次元テラ」で神との一体化を皆で希求しよう
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