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Q&A’16h2・「ガイア・アセンション」シリーズ
(16/09.12) 真実の親は私だと気づき 今すぐ すべてを私にゆだねてほしい―創造主
(Q) 小松様
いつもありがとうございます。
主神(創造主)より、お気持ちをお伝え頂きましたのでブログに掲載いたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。
◇真実の愛―主神のお言葉
⇒http://harmonicspace.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
(A) 拝見しました。
ありがとうございます。
素晴らしいタイミングの力強いメッセージで、一言一句 得心できることばかりです。
今回のメッセージは全体が揺るぎなくつながっていますが、パラグラフ毎にも主題があるようです。
以下ではパラグラフ毎に、私なりに読み解いてみたいと思います。
@ 皆の者 わたしのおもいは存分に伝わっておるか?
今までのメッセージは 腹の底に落ちたであろうか
この「腹の底に落ちたであろうか」は、私たちの理解と実践のレベルを問われているようです。自分の本質(魂)が創造主に由来していることを自覚して、その認識を生きているかどうかという。
これを改めて説かれたのが今回のメッセージと考えられます。
A わたしの愛するいとしい子らよ
いっときも わたしの息から 離した事はないぞ
わたしは常に わたしの分身であるそなた達を
わたしの手元におきたいと心を砕いておる
ここにある「いっときも わたしの息から 離した事はないぞ」とは、それぞれ個別の魂を、「わたしの息」の届く範囲内ほどの近くに、常時つなぐ(見える)ようにしているという意味でしょう。
また「わたしの手元におきたい」とは物理的な「手元」ではなく、高次元領域の全ての存在たちと同様に、それぞれの環境で個性に従い思い思いに生きながらも、意識において「魂の根源(神)」とのつながりが一瞬も途絶することがない状態になってほしいという主旨でしょう(意識には時空の制約がなく一瞬で届きます)。
B わたしのおもいは ただひとつ
わたしの子供として わたしの待つ天国に帰ってきてほしいということ
この「わたしの待つ天国に」というのも物理的な場所ではなく、(常に神につながっている)5次元以上の多次元宇宙の存在たちの仲間入りをしてほしいという主旨とみられます。
C それには おのれの親は わたしであると認めることが最初にある
何千年という間
わたしをないがしろにし 押し込めてきたことをすべて水に流し
両手を差し延べているわたしの存在に気付くこと
この「おのれの親は わたしであると認めること」は、高次元の存在たちが例外なく根底に持っている認識です。
また、ここで言われる「何千年という間 わたしをないがしろにし 押し込めてきたこと」は、1万年以上前のアトランティス崩壊から現在に至るまでの人類の歴史そのもの、つまり大きい構図としては「光とヤミの戦い」があり、その中で民族や国家が(神不在の、または「自分たちだけの神=偶像」を押し立てて)対立抗争を繰り返してきたことでしょう。
そして元々は「ゲーム」であり「幻想」に過ぎないものに、あまりにも(本気になって)入れ込んでしまったので、「わたしをないがしろにし 押し込めてきた」のです。
サナンダの次のメッセージが参考になります。
――私や他の経路からのメッセージでも繰り返し言及しているように、「神の創造物に不完全は有り得ないので、皆さんの全員が完璧な存在です」
それでも、皆さんが選んでいる人間社会の幻想の枠内で、皆さんはスキルや能力を厳しく制限されています。
皆さんは、自らを根源から切り離し、神を必要としないことを立証しようとする無益な試みの中で、この体験を選んだのです。それは、皆さんが楽しむためのゲームでした。
しかし神は、皆さんを創ったとき完璧な神性を持つ存在として自己と同等の力を与え、自己の存在の全てを自らの創造物に惜しげもなく分け与えるので、皆さんが発明したゲームつまり造り出した幻想は、何から何までリアルに皆さんには見えるのです。
(完全に自分に正直であることは目覚めへの必須の資質です―サナンダ)
上の、「おのれの親は わたしであると認めること」と「両手を差し延べているわたしの存在に気付くこと」とは、「今回メッセージ全体を通じての核心」で、私たちが最も心するべきことと考えられます。
D 罪けがれの元の因(もと)は 神をないがしろにしてきたことにある
しかしながら それらすべてを赦し
天国に迎え入れたい
ここで言われる「罪けがれの元の因は 神をないがしろにしてきたこと」は、たいへん重い言葉で、「神をないがしろに」しなければ、つまり「常に神につながって」いれば、他のすべての存在も同様で「全体が一つ(ワンネス)」という意識を根底に持つので、個人の間だけでなく、国家間でも例えば「仮想の敵」を仕立てあげて危機を煽るようなことは、想像することすらできないでしょう。
E はじめは 分霊として 天国にわたしと共にあり
その後に 地上に人として生まれたのだ
おのれの中に 分霊があるのではないぞ
おのれの存在 それ自体が分霊なのである
この箇所を正しく理解するには、どうしても「モナド(monad)」に触れる必要があると思います。
それについて、極めて示唆に富む創造主のメッセージが(2012年の初頭に)送られていました。
――そこで起こることは、しばしば「モナド[注]」として知られる魂が肉体を使って表現するために、それ自体の触指を伸ばすということです。
したがって、あなた方が自分の魂として、人間として知っているその魂は、あなた自身である魂の全体つまりあなた自身であるモナドのうち、ごく小さな一面でしかありません。あなた方が人体の中に見る現に存在している、あるいは存在してきた、魂の表現のすべては、そのような魂全体の、部分的な粒子が個別に送り出されたものです。
一部の方々は理解していますが、あなた方が直線的な時間体験の中で生きているというのは実は幻想で、あなた方が創造された瞬間まで記憶をさかのぼり、自分が誰であり何であるのか、その完全性を思い出すにつれて、2012年のうちに消えてしまうものの一部です。
したがって、それらの触指やそれらの時間軸のすべて、そしてそれらの表現のすべては今のところ存在しています。
それで、その体験の旅は一部ではそれら個々の粒子(魂)の旅であり、同時にモナドの旅でもあります。後者は、はるかに入り組んだ、広範で多数の転生体験を含むもので、地球だけでなく宇宙の他の場所にも及んでいます。
[注]モナド(monad):創造主の分身として魂が創られる際に、それぞれが特定の個性を持つ「魂の大元(モナド)」が先ず創られ、そこから多数の個別魂が派生する構造になっている。各モナドは、自己から派生させた個別魂の宇宙の様々な領域における体験を集約すると共に、独自の理念や意図を持って、創造の目的に沿う方向に個別魂を導く役割を果たしている。個別の魂からすればモナドは自分の別の側面で、それを通じて創造主に繋がっており、また同じモナドに属する多数の個別魂の転生体験を共有している。
つまり、「はじめは 分霊として 天国にわたしと共にあり」の意味は、創造主はまず魂の大元として様々な役割と個性を持つ複数の「モナド」を分霊として創られ、しかるべきタイミングで各「モナド」が、多数の個別の魂を派生させて、宇宙の様々な領域へ「体験の旅」に出させるようにされた。
それらの旅先でも創造主につながった「魂(分霊)」であることに違いはなく、人間の本質は「魂」なので、「おのれの存在 それ自体が分霊なのである」ということになります。
その一方で「肉体(身体)」は「魂の乗り物」に過ぎないので、こういうことになります。
――人類の完全覚醒への復帰、つまり幻想からの目覚めが急進展しています。
死は地球人生の終点ではないことに大勢が気づき始めています。そこで体験していることは実際には「愛が存在のすべて」という教えを習得する「つかの間」に過ぎないこと、そして皆さんの肉体は純粋に一時的な乗り物、またはその間の住居だという認識です。
(完全に自分に正直であることは目覚めへの必須の資質です―サナンダ)
F ある時から その真実が忘れ去られ
混沌とした人間社会中心の時代に突入し
おのれの造り主である わたしのことを忘れてしまったのだ
今もって 神なしの生き方をする者の多きことよ
ここに言われている「人間社会中心の時代」とは、上の「C」で述べられている「何千年という間 わたしをないがしろにし 押し込めてきたこと」につながりますが、その中身としては、「神不在の時代」つまり物質万能主義、科学万能主義が時代を主導し、それに基づいて構築されてきた人類社会の運営システムを指していると考えられます。
「神不在」は、「精神・心の働き」を軽視し、「非物質領域」つまり「多次元宇宙の実在」を否定することにつながります。
――非物質領域は、物質世界を「領土」とする支配構造にとっては、コントロールが行き届かない領域で、何としても存在自体を否定する必要がありました。
そこからは、物質・非物質両様の存在形態を自由に享受している「外部(宇宙存在)」へも簡単につながって、人や情報が自由に流入するようになり、「鎖国状態」が容易に崩壊する可能性がありました。
つながりを遮断するための最も簡単で巧妙な手段は、そのような「相手」は実在しないことを、徹頭徹尾たたき込むことです。
この点において科学と宗教は、支配構造と利害を共有しています。つまり、非物質領域の広大な可能性は、科学や宗教が拠って立つ基盤そのものを崩壊させずにはおかないのです。
幸いというか、多年にわたる相次ぐ不幸な出来事を通じて知覚力が極度に低下した人類は、自発的にそうした「相手」につなげることができる能力を失っていて、外から与えられたものを信じるしか手段を持たなくなっていたのです。
そこで人類を支配してきた者たちは、科学と宗教が持つ「ドグマ(独断)的性格」を、支配のための格好のツールとして利用してきました。
お互いに正反対の特質を持っているように見えても、実際には驚くほど共通面を持っています。つまり両者とも、いったん教義(通説)が確立すると、それが、関係者の「生活の手段」に深く組み込まれて、それを脅かす可能性がある新たな見識や発見を、敵視して排斥したり、良くても完全に無視したりするスタンスにおいて共通しているわけです。
この本質的な性格と、大衆の科学と宗教に対する「信仰心」とを組み合わせれば、人類を一定の方向に誘導することは極めて簡単でした。つまり、最初に方向だけを与えておけば、その先は、ほとんど自律的に「関係者」ががんばって、民衆の「迷妄状態」をキープしてくれるのです。これが、人類の歴史を通じて、実際に行われてきたことです。
そして今や、どちらも「同じ穴のムジナだ」ということが分かったので、「科学と宗教の間の、独占的に現実を定義することをめぐる争いは、適切な転換点に達しています」(第1章)というわけです。
そして上のパラグラフの最後の言葉「今もって 神なしの生き方をする者の多きことよ」の、「今もって」は、最近の状況を、特に「2012年の冬至以降の状況」を嘆いておられるように感じられます。
そこで思い当たるのは、モーセの次のメッセージです。
――そしてここでも、「出エジプト記」の寓話が洞察を与えてくれます。
そこに書かれているように、モーセがシナイ山からいつまでも戻って来ないようなので、多くの人が神に背を向けます。
そして「金の子牛」が造られ、神として崇められます[注]。
何と時代が酷似していることでしょう。
[注]:「出エジプト記」(32-1~6)参照
それというのも、今日では多くの光の戦士たちが我慢しきれず疑いを持ち始め、自己の完成を期待できなくなっているからです。
多数が忍耐を無くし、旧来の生活に、考え方や意識の面での古い習慣に頼るようになっています。
彼らは光への道に背を向け始めて、「真の神」に背を向け、古いマトリックスの「偶像神たち」を崇拝します。
世俗的な成功、測定可能な概念、そして時間と空間が限定された観念などが優位に立ち、「アセンションはどこへ行った?」と彼らは言い、「金の子牛」への偶像崇拝を生き返らせるのです。
なお、「2012年の冬至に何が起こったか」については、次によって完璧に説明されていると私は考えています。
・「マグダラのマリア」のメッセージ (「マグダラのマリア」の言葉および【解説】で引用しているヨハネの言葉)
・冬至に何が起こり「アセンション」はどうなっているか (Cosmic Awarenessの言葉)
G すでに目覚めた者たちよ!
そなた達の真実の親は誰なのか 伝えよ
そして わたしに 一人一人を繋いでほしい
今日では、インターネットとそれに関連する電子メールを含むツールによって、世界中に情報を瞬時に伝えることができます。しかし「時代の真実」を追求する意欲のある方にとっても、納得できる情報に辿り着くのは簡単ではないという事情もあります。
主体性を完全に失ってしまったマスメディアが、人々に対して「何も特別のことは起こっていない」と思わせるために「てんこ盛りのご馳走」を日々に差し出している。――この程度のことは見抜いている方が少なくないでしょう。
しかしマスメディアを離れたネットの世界でも、(特に日本では)刺激的な表現で注意を引こうとする匿名の無責任サイトが「Webの海」の表層を埋め尽くしており、その中から「珠玉」を見つけるのは宝探しのようなことになります。
「低俗なものほどもてはやされる」傾向は昔も今も変わっておらず、大海で方向を見失う方も少なくないと考えられます。
特に「真実の親は誰なのか」は「低俗」の対極にある概念で、人々の「強固な既成観念の殻」を透して浸透させるには、それなりの手順と忍耐を必要とします。
しかし観点を変えれば、大いに希望があります。
考えてみれば、「真実の親は誰なのか」――これは間違いなく、「肉親がその子供に最初に教えるべきこと」、「教科書の第1ページに書くべきこと」、そして例えて言えば「憲法の冒頭に書くべきこと」でしょう。
これが行われないことが通例のことになっている、「人類の現社会が異常」というべきでしょう。
これに気づいた人が、一人ひとりに伝える地道な努力を重ねていけば、やがて「燎原の火」のように「真実」が広がっていくでしょう。
H 造物主・創造主・主神
伝え方はそれぞれの判断に任せる
重要なことは、この宇宙のすべての存在にとって「真実の親」は「唯一の神」つまり「創造主」の他には存在しないという確信が持てるようになることでしょう。
そうなれば、その先のすべての行動が自然に決まってくるでしょう。
次のメッセージで聖母マリアが、わざわざ「唯一の神」と言われるのは、そのことを念頭に置かれてのことと考えられます。
――存在するすべてのものの根底にあり、あらゆるものがそこからやって来る「唯一の神」の、子供たちである親愛なる皆さん。
すべての「いのち」にとって愛するべき「母なる神」の、子宮から跳び出した光の子供たちである皆さん。
時は満ちて、この時代の諸相が持つ核心を、さらに明らかにする段階となりました。
I わたしの愛する 最も大切な子供たち
わたしを押し込めた分 その清算があるのは致し方がないのだ
ゆるしてくれよ……
積もりに積もった汚れは 一度は出さねば清くなれないことは
そなた達にもわかるであろう
その表れが 自然災害 病 争い 金銭の苦しみなどである
しかし それが済めば 明るい未来が広がっておる
ここでの「わたしを押し込めた分 その清算があるのは致し方がないのだ」には、創造主が報復や処罰をされるというニュアンスはありません。
むしろ上の「C」や「F」にあるように、人類が「事実として」多年にわたって「わたしを押し込めた」「神不在の営み」を継続して、地球と人類社会がこれ以上は耐えられない状態を造ってしまった。
したがって、「その清算」が避けられないことになったと客観的に述べられています。
そして「積もりに積もった汚れは 一度は出さねば清くなれない」の、「一度は出さねば」には、「更地にする」印象があります。
その代表的なものは、「大規模な地球変動」や「従来型社会基盤の崩壊」でしょう。
J 光が差し込んだ今だからこそ
テラの隅々まで
人類 その父母先祖の方々 および万物一切にまでも
浄めの光と愛がゆき渡り照らし出されるのだ
ここでは上の「I」を受けて今回のアセンションによる「浄化の側面」に言及されていますが、同時にそれが、この地上世界に限定される出来事ではなく、「多次元宇宙の全域に影響」するイベントであることを示唆されています。
この点は、プレアデスからのメッセージで次のように説明されています。
――非常にまれに、時空のある場所で、宇宙のエネルギーの巨大な加速が起こることがあります。星々、惑星たち、そして無数の宇宙のプレイヤーたちを含む、様々な形態の知性を持つ存在たちの共同合意によって、その加速は計画されます。
それは、エネルギーの巨大な波動的変化を統合することによって、はるかに大きい現実体験へ、種々の参画者たちの目を開くように設計されています。
次の「K」「L」は、実質的に同じことが、表現を変えて述べられています。
K 世界中に起こっているすべてのことは 光が差し込んだからこその出来事
人間にその善し悪しの判断はできぬ
わたしの分野であるからだ
とやかく言うでないぞ!
良いか!
神は光
神は愛そのもの
L 地球上に表れているすべてのことは わたしの愛の発露である
このことがわかるか?
受けとめられるか?
現に起こっており、この先で更に激化するとみられる「世界中に起こっているすべてのことは 光が差し込んだからこその出来事」とは、「時代の転換を促す強い光(つまり「神の光」「神の愛」)」が地球の隅々まで射し込む結果として、ネガティブなもの醜いものも浮上してくるということでしょう。
そしてそれらは、起こる必要があって起こっているので、その責任を追及したり、非難したりするのは筋違いだと言われています。つまり「大局的に理解する」ことの重要性を強調されています。
この点については、次の「対話」でも触れられています。
――現時点での重要な認識は、人類の深淵(しんえん)が明白に現れるということです。
そしてこれは――非常な苦難であるとしても――何よりも癒しのプロセスです。
あなた方は長老であり古い魂たちで、また一部の方々は非常に古い魂たちで、あなた方に力があるために、ヤミの存在たちは、この世界でこれ以上は支配力を持つことが出来ません。
それは、ぱっと燃え上がり、威嚇するように脅し、そして消えていくように見えます。
M 人類はじめ すべての代表として
すべてと一体の おのれとして
今 おのれのこととして わたしに祈り ゆだねてほしい
おのれの心に湧き上がるすべてのおもいを
ひとつも洩らさず わたしに繋いでほしい
どんなことでも良いのだ 心の晴れるまでやり続けることだ
待っているぞ!!
ここで言われている「ひとつも洩らさず わたしに繋いでほしい」というのは、直接的には「自分の父であり、親と思って」「神(創造主)に呼びかける、または語りかける」ことを勧められています。それを何億人が同時にやるとしても、余裕をもって個別に応えられるだけのキャパシティを「神」はお持ちだということでしょう。
一方、上のメッセージは間接的には「神への献身」を強く勧められています。「わたしに祈り ゆだねてほしい」と。
この「神への献身」について、創造主自身による説明が次にあります。
――神への献身の意味は、自己を絶対的に委ねることであり、あらゆる世俗的な観念を手放して、自分自身を完全に神に向けることです。
献身とは言葉の意味の通りで、すべてを捧げることです。二人の恋人同士のように、もはや周りの世界は眼に入らないというレベルまでの傾倒です。
そのように誰でも、他者の幸福の中に自分の幸福を見つけることができます。
その瞬間に、個人が持つあらゆる知的な、利己的な概念は背景に退き、無条件の献身が支配するのです。
終わりに、今回のメッセージがこのタイミングで伝えられた背景の一つには、「地球のエコシステムが限界に来ている」ことがあるのではないかと考えられます。
すでに頻発する異常気象などでお気づきの方が多いと思いますが、NASA(アメリカ航空宇宙局)でさえ2015年までのデータを踏まえて、地球温暖化の急進行に警告を発しています。
このグラフは西暦500年から2015年までの全地球平均気温の変化を示しており、1850年以降は温度計による実測値、それ以前は南極の氷床に閉じ込められた気泡に含まれる空気を分析した推計値です。
問題は1950年頃以降の温度上昇の大半は人為的な「温室効果ガス」の増加によるもので、特に2000年頃以降の急上昇は、(それに歯止めをかける適切な努力が行われていない現状では)遠からず何らかの「暴発」が予期されます。このスケールの上昇を(無傷で)いつまでも続けられるとは考えられないからです。
創造主は、その行方を見透され、また上の「K」「L」で明言されている通り自ら「暴発」を差し止めるお考えはないので、「我が子」たちに「保護の手」を差し出されたのではないでしょうか。
私たちがそれに応えるには、上の「M」にある「完全な神への献身」に尽きるわけですが。
(Q) 小松様
この度も、主神のみ心をより深く汲みとらせて頂けるように懇切丁寧なご考察をくださり本当にありがとうございます。
6月15日に届けられました、
◆地上天国建設に向けて―創造主のお言葉 ⇒http://harmonicspace.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
では、
「いよいよ世界的大浄化作用が始まる」
「神の経綸がいよいよ本番に突入する」
と、創造主の満を持してのご決断をお示しくださいました。
それ以降、自然現象をはじめ、世の中全体に様々な大きな変容のうねりが生じていると受けとめさせていただいておりました。
「明るい未来」である「地上天国の樹立」という「太初よりの神の計画の完成」のために、清算しなければならない積もりに積もった汚れがあり、浄化は避けて通れない道であると、これまでにも多くのメッセージが届けられておりますが、
人々の心が 神心に近付くなれば
神の御心を 御心として体現されてゆくなれば
おのずと テラも それに伴い
ゆるやかに完成への道を辿るもの
人々の心のありようが 重要な鍵を握っている
目覚めよ!
人類の行方を 誰よりも 深い愛のまなざしで見ゆる神の
その御心に応えよ
と "クートフーミでありフランチェスコ" であるお方よりのメッセージにもありますように、これからの途上において、できる限り穏やかに、最小限の「清算」で済まして頂けるよう、させていただけることに取り組んで参りたいと思っております。
私たち人間の多くが目覚め、神の子として生きることで可能になる "できる限り穏やかな完成への道のり" を、創造主であられる主神が一番強く望んでいらっしゃることと存じます。
「ゆるしてくれよ……」
と、もったいないお言葉をかけてくださり、本当に、どこまでも深い愛を注いでくださっているのですね。
今、「真実の親は誰なのか」確信を得るに至っておりますが、永きに渡る「神不在の時代」を生きてきた中で、私も、どれ程「神をないがしろにし」「押し込めてきた」ことだろうかと、自分事として、また、「すべてと一体の おのれとして」お詫び申し上げて、すべてを赦し、水に流してくださった主神に心から感謝させていただいております。
主神、神々様よりのメッセージでは、たびたび「わたしの息」「主神の息吹」など、「息」という表現がございますが、現実的に感じさせていただけることと致しましては、生命活動の根幹をなす私たちの呼吸も「主神の息吹」の現われであるように受けとめさせていただいております。特別に意識をしない日常の中での呼吸も、瞑想などの為に意識的に整える呼吸も、「いのち」の親である「主神の息」に繋がっている。ここの所、「おのれ」が一人で息をしているのではなく、日々の呼吸も「主神の息」を主神と共に継がせていただき、生かされていると意識することを心掛けておりますが、それは、小松様のおっしゃる「高次元領域の全ての存在たちと同様に、それぞれの環境で個性に従い思い思いに生きながらも、意識において『魂の根源(神)』とのつながりが一瞬も途絶すること
がない状態」へ繋がっていくのではないかと思いました。
太陽の光は ますます天高く光り輝き
粒子は ますます微細になり
人間の体・心・魂を透過 変化をもたらすであろう
それによる 何らかの障害も表われてこよう
《主神への信頼と愛と共に今を生きる⇒http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-24.html》
と、以前にお言葉がございましたが、強大な「神の光」が注がれております今、本格化してゆく個人的な心身の変化に対応させていただくためにも、
まず ミトコンドリアは生命の元であることだ
わが命を分け与えるにあたり 体肉が必要であった
神性部分と体の統一をどの様にするか
そこが課題であった
私のおもいが見事に実り
今現在 すばらしい 人 という 私の子供を造ることができ
大層 満足である
今後は このミトコンドリアを最大限に生かし
私の分霊である 私の一部として
私の待つ天国に戻って来るが良い
よいか ミトコンドリアが鍵を握っている
生命力の源となる
《ミトコンドリアは天国への架け橋⇒http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-19.html》
こちらのお言葉もしっかりと肝に銘じて実践して参りたいと思います。
神との繋がりにつきましては、クシナダ様より、
私どもは 気付いていようがいまいが 神さまの子供です
自由 気ままに 振る舞っているとお思いの事も
すべては 閻魔の張に記されているのです
何しろ 霊線という 切っても切れない見えない糸が
神さまと 私どもをつないでいるのですから
なに 怖がることはないのです
そこを知って 襟を正し 自己から利他に向かうことが大事なのです
《生かし合う命―クシナダ様と森の精霊からのメッセージ⇒http://harmonicspace.blog.fc2.com/blog-entry-5.html》
と、「霊線という 切っても切れない見えない糸」があることを教えていただきました。
また、「モナド」と共通しているのではないかと思われますが、『すべての救済(⇒http://finale11.blog.fc2.com/blog-entry-38.html)』の中にございます、"天国において魂を創られた主神と共にある場" "けがれなき生まれたままの魂に立ち返る場"である、「元の御座(みくら)」という場が、天国には存在しており、地上に生を受けた後も魂のレベルでその「ふるさと」と繋がりは途絶えることがない、と理解させていただいております。
浄化が本格化するに従い明るみになってくる様々な真実、希望を感じることのできる新時代への兆候も多く現わされているように思います。
かけがえのない今この時、感謝と共に、主神の真実の愛のみ心を汲みとらせていただき、希望を持って歩んで参りたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
主神のお導きのもと、大きな一歩を踏み出してくださった母なる地球へ、
善も悪も、様々なお役目を担ってくださっている全人類、その父母先祖の方々、つながり合う天地万物一切へ、
心より感謝いたします。ありがとうございます。
すべてのものと共に創造主の無限の愛の光に浴させていただき、メシヤの御名にあって、主神のおもいにお応えさせていただけますように。
そして、できる限り穏やかに地上天国が樹立され、神の御手の中でひとつとなれますように。
すべてのものの、真実の親である主神を心よりお讃え申し上げます。
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