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Q&A’17c3・「ガイア・アセンション」シリーズ
(Q) はじめまして小松先生、
初めてメール致します。本名はTと申します。
数年前からそちらのサイトを拝見しています。
件名通り私はずっと無力感に苛まれています。
私は当初はアセンションというものが大嫌いでした。自分がアセンションだの進化だのできるはずはないと思っていたからです。
それがアセンション情報を参照するようになったのは二年ほど前から「もしかしたら何とかなるかも知れない」と特に根拠はないのですが、そう思えるようになったからです。
私もいわゆるインディゴチルドレンでした。
論理的な思考ができて、文才もあり、人を笑わせることができて、祈ることを知っていました。
しかし人生に敗れてその他大勢の人が思っているように「人生をやりなおしたい」「なんで自分ばかりがこんな目にあうんだ」と思って暮らしています。
私は仏教徒で、大学で仏教の勉強を少しだけしたことがあります。
ですので人より少しだけ仏教に詳しいのですが、それが人の役に立ったことはありません。
アセンションでは自分を無力であると考えるのは的外れであり、人間は、特に自己というものは最強であると考えていいようです。これは仏教とも特に矛盾しないと思います。
仏教においてはいろんな考え方があるのですが、まず「無駄なものはない」という考え方があります。
恐怖は不必要ですが絶望には使い道があります。これは法華経の教えです。
絶望が深ければ深いほどその人の中には仏法が浸透します。
私もそう信じて自分に出来る限り前へと進んできました。
しかしどれだけ勉強してどれだけ思考に思考を重ねても、人生においては特に何も起こらず、私はずっと社会にとって無用で無能なままです。
聖書の「破滅は矢のように 貧窮と欠乏は盾をもつ者のように襲う」という言葉が恐ろしいです。
現実は自分で創造するものというのがアセンションの基礎だと思っているのですが、今も申しましたように現実には特に何も起こりません。
仏教においてはまず生命に絶対不変の価値があると考えます。
そして鳥は耕すことも蒔くこともしないのに神がそれを養うように、真理を奉ずるものはいわゆる「現世安穏」に生きていけるというのが基礎です。
私もそう思って出来る限り自分が清々しく爽やかでいられることをやってきたつもりですが、やっぱり社会にとっては無能で無用なままです。
こんなことでいいのでしょうか。
今からでも遅くないからコンビニのレジ打ちとか施設の清掃とかに従事した方がいいんでしょうか。
それともこのまま仏教を信じて、真理を軸にして直感に従った方がいいんでしょうか。
いつか破滅して「やっぱり一般社会の通念に従っておくんだった」と後悔するのではないのでしょうか。
私は自分に自信が持てません。
(A) 拝見しました。
古い教えには傾聴に値するものが沢山ありますが、「現代には現代の教え(メッセージ)」があります。
「現代の教え」の特長は、創造主の意向を受けた高次元の存在や宇宙同胞たちの、人類の動向を観察しながら多数が「期限」までに新時代へ無事「着地」できるように導こうとされている、懸命の努力が色濃く反映していることです。
奇しくも直近の2つのメッセージの中に、あなたが必要とするものが(その中に引用した少し前のメッセージを含めて)すべて含まれています。
しかし、それらのメッセージを消化吸収して前進に役立てる前に、あなたの場合は、これまで取り込んできた「様々な教えのすべて」を、いったん棚上げにして、頭の中を空っぽにする必要があるようです。
そうでないとメッセージの一言一句に対して、あなたが、「すでに持っているもの」に照らして検証する作業に没頭されるようになり、折角のメッセージの真髄を身につけるどころではないと思われるからです。
以下では、あなたが「頭の中を空っぽにする」ことができたとして話を進めてみましょう。
上の「直近の2つのメッセージ」とはこれです。
@・「われらは どこにいこうとしているのか?
そこが大切なのです」―宇宙同胞
A・あなたの「帰郷」の歓迎は輝かしい祝賀から始まります―サナンダ
これらの中から、いくつか引用します。
まずは、次の創造主(主の神)のメッセージで、@の中にあります。
――我(われ)はあってないに等しいのだ
我(われ)もまた思わされていることに 気付くことが大事である
確かに それでは 自分はないではないか と 思われるであろう
自分が無くして どう生きるのか どうあればよいのか
そこが大事な分かれ道なのである
自分にとらわれなくなることで「いのち」の本質が透けて見えてくる
おのれの中の 分霊として存在する 主の神のおもいが表れてくる
それが 本来の生き方になってくる
分霊それぞれに 特徴を持たせてある
その様に 人間は造られておるのだ
またサナンダの次のメッセージも参考になると思います。これはAにあります。
――皆さんの中で誰一人として、神から忘れられ、置き去りにされ、見失われ、またどんな形であっても審判の対象となったり欠陥があると判断されたりすることはありません。
あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。
そうすれば、自分の神性を完全に自覚できて、その嬉しさが心に満ちるようになるでしょう。
――あなたが、この状態を実感していない唯一の理由は、それを体験することを自分自身に許していないことです。そしてあなたは、自己に対するネガティブな評価によって視野を遮り、真実を見えなくしているのです。
おそらく、あなたの「苦境」の根底には、上にある「自己に対するネガティブな評価」だけでなく、あなたの生き方に対する「周囲の評価」が影響しているのではないでしょうか。
それが現実に存在する「重圧」なのか、あなたが想像しておられるだけなのかは分かりませんが。
いずれにしても、「人はどう生きるべきか」についての認識の違いが大きな分かれ目になるので、以下を参考にしてください(これは@よりの引用で、ここにある(A)はアマンダ、(C)は創造主の意味です)。
(引用始め)
――昔から 救世主(メシヤ)の生誕を待ち望み
ジャンヌダルクの様に 人類を歓喜と勝利に導く者が出現する
と 思われていたとしたら 大きな誤算な訳ですね
何故なら 私どもの内に すでに元(はじめ)から神はおられるのです
そして その内なる神の分霊には
あらかじめ メシヤと名前を付けてくださった訳ですね (A)
――A 私は「メシヤ」という御名を まず天界に用意し
その後に 私の子としての分霊を生み
人間として 一人一人に使命を与え 地上に送り出した (C)
ここで創造主が言われるように、まず「メシヤ」という名前を用意し、それを自らの「分霊」の名とされた。その上で各人に「使命」を与え地上に送り出された。
したがって、この世界で生きるすべての人が「メシヤ」の素質を与えられており、自らの「使命」に気づき、それを全うしようとする人は、すべて「メシヤ」に値すると言われているようです。
したがってアマンダは、自らは何もしないでひたすら「救世主」の出現を待ち望む姿勢は、「大きな誤算」だと言われています。
そこで、誰でも気になると思われることは、自分に与えられている「使命」の中身でしょう。
それについて創造主は、上のメッセージに続いてこう言われています。
――B "地上において天国を造る" "人をたすける"
そして "全人類 その父母先祖をはじめ 万物と共に私のもとに立ち返ってくる"
という使命である (C)
(引用終り)
それに続いて、こういう箇所があります(文中の(S)はサナンダの意味で、(A)(C)は上と同じです)。
(引用始め)
―― 一人一人が立ち上がり
メシヤの名と共に生まれさせてくださった自覚に立つ時が参ったのです
一人一人が主役なのですね
その一人一人は 神によってつながっております
われらは それぞれが 神に意思表示をする必要があるのです
神と共に歩みを赦されているからこそ必要なのです (A)
――あなた方自身がみずから心を開く時なのです
岩戸はみずからあけるのです (A)
ここにある「みずから心を開く」に関連して、サナンダと創造主の、次のようなアドバイスがあります。
――あなたに必要なことは、神を求め神に頼ることだけです。――完全な信頼を持ち、疑いや懸念や怖れや、またネガティブで不適切な自己評価などを脇に置き、あらゆる瞬間にあなたを取り囲んでいる「愛のフィールド」に対して完全に心を開きながら、それを行うことです。(S)
――E 「メシヤ」とは私の子であることを思い出し それを覚り(さとり)
私のおもいである地上天国を造ることに目覚め 活動できる
私と一体である分霊の持ち主である
私の分霊であるならば 必ずや この私のおもいが刻まれている (C)
(引用終り)
ここにも、「ネガティブで不適切な自己評価などを脇に置き」とあります。
あなたが「人生をやりなおしたい」といっても、どういう意識を持って何を目標にするかを知ることが先決でしょう。つまり「自分の使命は何か」ということですが。
「創造主が言われる使命」以外に「分霊」である私たちの使命はないと思われますが、それを知った今から「本当の人生」を始められます。
簡単に言えば、それは、「使命」をしっかり見据えながら「その日」まで生き続けることで、そのようにこの地球という惑星に自分が存在していること自体が「使命」だと考えてもいいでしょう。
――あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。(S)
あなたの「なんで自分ばかりがこんな目にあうんだ」という想いについては、「想いが自分の現実を創る」という真実があります。
それは、「神の分霊」として私たちが持っている「天与の創造性」の一側面とみられます。
したがって、「想い」をポジティブにもネガティブにも使うことができるので、くれぐれも「自分の想い」に注意するようにしましょう。
「自分の使命」を認識した上で、どのような実生活をどう送るかについては、何の制約もないと考えていいでしょう。
一般論としては、「分霊それぞれに 特徴を持たせてある」と言われるように、自分の個性に沿って「自ら選んだ人間の姿を大いに楽しみましょう(サナンダ)」ということになるでしょう。
具体的には次も参考にしてください。
後ろを振り向かず(または、それらを有益な体験だったとポジティブに評価しておいて)、ひたすら「使命の貫徹」に向けて前進されることをお勧めします。
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