(02.12.10)今こそ『ミュータント・メッセージ』に学びたい
アメリカ・カンザス州の診療所で働いていたアメリカ人女性マルロ・モーガンがオーストラリアで仕事を持つようになり、ふとしたきっかけでオーストラリア大陸の先住民アボリジニの1種族との交流が始まります。それは、赤土の大地が続く内陸部「アウトバック」の苛酷な自然環境の中での、120日間の流浪の旅でした。既にご存知の方も多いと思いますが、この体験を綴った『ミュータント・メッセージ』は、1995年6月に邦訳が単行本として出版されています。当時これを読んで、強い衝撃を受けた記憶がありますが、中身の詳細はすっかり忘れていました。
今年の5月、初めてのオーストラリア旅行の前に、この本を探したのですが、どこかにしまい忘れて見付からず、そのままになっていました。しかし、オーストラリア土産としてアボリジニの楽器「ディジェリドゥ(didgeridoo/didjeridoo)」を買って帰ったこともあり、ずっと『ミュータント・メッセージ』が気になっていました。ところが、何のことはない、今や文庫本(角川文庫)が500円そこそこで入手できるのです。今回、改めて読んでみて、これこそ今もっとも必要とされる本の1つではないかと思いました。
文字を持たず、定住場所も持たない狩猟・採集民族のアボリジニを、一方的な領有宣言のあと「王室領不法占拠者」とみなして、まるで虫ケラを扱うように抵抗には死をもって償わせ、30万人を超えていた人口を6万人台にまで激減させたのが18、19世紀当時のイギリス人でした(白人がもたらした様々な病気も、特に天然痘や結核が、免疫を持たない彼らの人口激減に拍車をかけました)。現在は、オーストラリア政府のもと1920年に始まった保護政策によって、アウトバックや北部の高原地帯を主体に保護区が設けられ、市民権(1967年)や先住地の所有権(1993年)も認められています。
一方、彼らの文化というものは、一般的な理解によれば、(1)ブーメランやモノマネまた木の麻酔成分などを利用する狩りの方法、(2)蜜アリ、イモムシ、ヘビ、カンガルーそしてワニなども食べる多様な食生活、(3)民族の歴史や生活の知恵を口伝で継承する「ドリーミング・ストーリー」といわれる神話、(4)独特の絵の具を使う壁画・樹皮画やディジェリドゥ(シロアリに食べられて貫通したユーカリの枯枝を吹く大型の笛)などの楽器を使う音楽そして踊りなどがあります。しかしこれらは、表面に見えるものをバラバラにとらえた皮相的な見方で、むしろアボリジニにとっては「生き様そのものが文化だ」、という認識が正しいように思います。
本著を読めば、(純粋の)アボリジニは、生活の一瞬一瞬が――自然との調和を保ちながら――「自分を向上させ、他者の向上をサポートし、そして全体を向上させる機会」と捉えていることが分かります。目的や意義によって文化というものを規定するとき、これいじょう上質の文化を思い付くことができるでしょうか?
西欧社会がアボリジニの文化とみなしているものは、この本質文化が追求される過程で必然的に出てくる、副産物に過ぎないのです。また本著では、アボリジニにとって、文字を「持たない」ことが「必要」とされる理由や、テレパシーがいかに優れたコミュニケーション手段であるかなども明らかにされています。
アボリジニと西欧社会との関わりの歴史で印象的な事実は、初めての遭遇で、接近してくるイギリスの帆船や大勢の乗組員に、アボリジニたちが何の関心も示さなかったこと(これには、イギリス人の方が驚いたと記録されています)。そしてその姿勢は、沿岸部にイギリス人の入植地が建設され始めても変わらなかったことです(彼らがようやく抵抗を始めたのは、生活圏を奪われ聖地を破壊されるようになってからです)。これは、アボリジニに土地の占有という観念がないだけでなく、侵略という概念もなかったためと思われます。おそらく、殺戮によって死んだと見られる遺体が1体も発見されない縄文人も、同種の民族だったのでしょう。原初の、本来の人類の姿を、そこに見るような気がします。
さて、『ミュータント・メッセージ』は、間違いなく「もう1つの価値観(または理念)」を私たちに提示しています。同時に、私たちが目指すべき次の社会のイメージと、それにアプローチする具体的な手掛かりも、この本から得られそうです。また、現在の社会状況の中で、人生の目標が得られず生き方に自信が持てない人や、前途への不安にさいなまれている人にとっても、参考になることが多いでしょう。これを読むと、私たち「ミュータント」がすっぽり取り囲まれている現代文明とその中核思想が、宇宙の根本原理からみて、いかに倒錯したものであるかが鮮明に分かるように思います。それを、以下の抜粋から確かめてください。
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オータ(ただ1人英語が話せる部族のメンバー)によれば、この部族がテレパシーを活用できるのは嘘をついたことがないからだという。作り話、曖昧な真実、想像上の思い込みなどとは無縁なのだ。まったく嘘をつかないため隠す必要がない。彼らは自分たちの心を開くことを恐れず、互いに進んで情報を交換しようとする。
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その旅の後半で彼らは私のテレパシー能力を高めようとしてくれたが、心や頭に何か隠そうとする部分があるかぎりうまくいかないことがわかった。
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私は自分を批判せず許すこと、過去から教わることを学ばなければならなかった。すべてを受け入れ、正直になり、自分を愛することがどんなに大切か彼らは示してくれた。そうすれば人に対しても同じようにできるからだ。
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「よろしい」彼は答えた。「・・・宇宙のあらゆるものには目的がある。突然変異や偶然はありえない。ただ人間が理解できないことがあるだけだ。あなたはブッシュ蝿を悪者だと信じている。だから蝿はあなたにとって悪者となる。だが、それはあなたに大切な理解と知恵が欠けているためだ。蝿は耳の中にもぐって寝ている間についた砂や垢を掃除してくれるんだよ。われわれの聴覚がすぐれているのは知っているだろう? そう、蝿は鼻の掃除もしてくれる」
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鏡をまったく見る機会がない日々は、私の知覚を研ぎ澄ましてくれたようだ。それは、のぞき穴のあるカプセルの中を歩いているのと同じだった。私はいつも外をのぞき、ほかの人たちを見つめて私の言動に彼らがどう反応するか観察していた。生まれてはじめて自分が完全に正直に生きていると感じた。ビジネス社会にふさわしい服装とは無縁の粗末な布の服にノーメイク。鼻はもう十数回も皮がむけていた。虚栄やエゴのぶつかり合いなどひとつもない。この人々の間には噂話もなければ人を出し抜く行為もないのだ。
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だれもが複数の才能を持っていることをたえず思い出させられた。彼らは音楽家、治療師、料理人、語りべなどの才能を追求し、新しい才能を見つけるたびに名前を変えていくのだ。私もまた彼らに貢献できる才能を見いだし、冗談まじりに〈糞を集める人>という名前を自分につけた。
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真実を生きる代わりにミュータント(現代文明に浸っている人たちの総称)は宇宙法則を便利、物質主義、不安定のころもで覆ってしまうほうを選んでいる。
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彼らのコメントや観察で興味深かったのは、批判されている感じがまるでなかったことだ。間違っているのはそっちで自分たちのほうが正しいという判断を彼らはしたことがない。たとえて言えば、左足の靴を右足にはこうともがいている子供を愛情をもって見つめる大人のような感じなのだ。左右を間違えたら長いこと歩けないよ、などと言う人がいるか? マメやたこができるのを知るのは価値あることではないか? だけど、それは私のような年配の大人には無用な苦しみに思われるのはたしかだ。
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私はバースデー・ケーキと、その飾りの甘い粉砂糖についても話した。砂糖飾りについての彼らの類推はじつに的を射ていると思った。百年という人生のなかでミュータントがどれほどの時間を表面的な甘い装飾のためにさいているか、その象徴だと彼らは受け止めたようだった。自分とはなにものなのか、永遠の存在性を見いだすといったものが私たちにはほとんどないと彼らは感じたのだ。
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「・・・人はみんなこの世界に立ち寄った魂にすぎないの。すべての魂は永遠の存在なのよ。ほかの人との出会いはすべて経験で、すべての経験は永遠につながっているの。<真実の人>族は、ひとつひとつの経験の輪を閉じるのよ。ミュータントのように経験の端っこをそのままにしておかないの。相手に嫌な感情を持ったときその輪を閉じず離れていったりしたら、人生の後半で同じことがくり返されるの。そのことを学ぶまで何回も苦しむことになるのよ。起きたことをよく観察して学んで賢くなるのはとてもいいこと。あなたのように感謝と祝福を与えて、平和な気持ちで離れるのがいいのよ」
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ものごとについてどう感じるか、それがもっとも重要だと彼らは信じている。そのとき感じたことは体のひとつひとつの細胞、人格を形成する意識、永遠なる魂に記録される。・・・人間の永遠の部分を満たす、その目に見えない感情こそが、すぐれた人、劣った人の差を作るのだ。行動は、心の奥の感情と意図が表に出るときの回路にすぎない。
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この部族の人たちはアメリカ・インディアンと同じように、輪になったときは周りの人たち、特に自分の正面にいる人を観察することが大切だと信じている。その人物はあなたの精神を映す鏡とされるためだ。その人物の長所は、あなたが自分のなかで強めたいと願っている要素だ。その人物の行動や様子が気に入らないとき、あなた自身もその要素を持っていて改善する必要があるということなのだ。人生のある時点で自分の強さや弱さに気づかなければ他人の長所や短所を知ることはできない。自己修練と自己表現の度合いの差だけなのだ。自分を変える唯一の手段は自分の意志だけで、だれもが自分の性格を変える力を持っていると彼らは信じている。捨て去ったり身につけたりできるものに限度はない。彼らはまた自分の生き方と行動によってのみ人に影響を及ぼすことができると信じている。そう信じるからこそ部族の人々は日に日に向上することをめざして生きるのだ。
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「ミュータントにとって仕事は災難になっているようね。あなたがたが仕事をはじめたのは、人が自分の力で手に入れられる以上の品物を持ったり、自分の能力を発揮したり、お金を手に入れたりするためでしょう。でも今では仕事をつづけることが仕事の目的になっているのね。私たちにはそれがふしぎでならないの。品物や人間は現実にあるものとして見えるんだけど、仕事は現実のものとは見えないから。仕事はアイデア、契約にすぎないのに、仕事の目的は仕事をつづけることにあるなんて。そういう考え方はとてもむずかしくてわからないわ」と彼女は言った。
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だが私が目撃したのは、彼らが物欲をまるで持たずにいかに豊かな人生を生きられるかということだった。そのコンサートが終わると楽器は元の場所にもどされた。種は地面に埋められ、つぎの旅人に収穫の時期を知らせるサインが岩壁に描かれた。音楽師たちはスティックや枝や石を手から放したが、歌を作る才能と喜びは各人の価値や自信を裏づけるものとして彼らの内に残った。音楽師は自分のなかに音楽を持ち歩く。彼自身が音楽であるから楽器はいらないのだ。
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食事がすむと、いつものようにたき火を囲んだ。〈魂の女〉は彼女の特技を私に説明した。すべての人間はユニークで、それぞれに一生に才能となる長所が与えられている。彼女は夢の狩人としての長所でもって仲間に貢献している。・・・この部族は、ことあるごとに導きを頼むために夢の狩人を活用する。人との関係を理解したいとき、健康上の問題があるとき、経験ではわからない目的を知りたいとき、夢のなかで答えがもたらされると彼らは信じている。ミュータントは眠りという形で夢の世界に入る方法しか知らないが、〈真実の人〉族は目覚めているときも夢の意識に気づいている。彼らは意識をコントロールするドラッグを使わず、呼吸法と集中力だけで夢の世界に入っていく。
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「・・・ミュータントは多くの信仰を持っているね。おまえの道は私のとはちがう、おまえの救い主は私のとはちがう、おまえの永遠は私のとはちがう。だが、本当はすべての命はひとつなんだよ。宇宙の意図はひとつだけだ。肌の色はたくさんあるが、人類はひとつだ。ミュータントは神の名前や建物の名前、日付や儀式で言い争う。神は地上にやってきたのか? その神の説教はどういう意味なのか? 真実は真実だ。人を傷つけるのは自分を傷つけることだ。人を助けるのは自分を助けることだ。みんな同じ血と骨を持っている。違いは心と意図だけだ。ミュータントは自分のことや人との係わりのことをほんの百年しか考えない。〈真実の人〉族は永遠に考える。われわれの祖先、まだ生まれない孫たちも含めて、あらゆる場所のすべての命はひとつのものなんだ」
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ゲームが終わると、ひとりの男が私に質問した。宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか? 私の患者のなかに人とひき比べて自分は不幸だと感じて落ち込んでいる人がいることを認めないわけにはいかなかった。そう、自分には才能がないと思っているミュータントはおおぜいいる、死ぬときまで人生の目的を考えない人が多い、と私は答えた。質問した男は首を横にふりながら目に大粒の涙を浮かべた。そんなことはとても信じられないという表情だった。・・・「私の歌でひとりの人間が幸せになれば、それはとてもいい仕事だということがミュータントにはなぜわからないんだろう? ひとりの役にたてば、それはいい仕事だよ。一度にひとりの役にしかたてないんだからね」
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この部族によれば、人生とは動くこと、進むこと、変化することだ。彼らは生きている時間と生きていない時間のことを話してくれた。怒りや失望、自己憐憫や恐怖を感じるとき人は生きていない。呼吸しているからといって生きているとはかぎらない。呼吸の有無は埋葬の時期がきたかどうかを告げるにすぎない。息をしている人がすべて生きているわけではない。ネガティブな感情がどんなものか知るために試すのはいいが、そこにずっととどまりたいとは思わないはずだ。魂が人の形をとったとき、人は幸せや悲しみ、感謝や嫉妬がどんな感情か知るように定められる。だが、その経験を生かしてどの感情がつらいか、どれが楽しいか学ばなければならない。
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彼らには私たちのカレンダーにあるような祝日はない。一年を通して、仲間のひとりが特別な才能を発揮したり精神的に成長したり部族に貢献したときは祝うが、各人の誕生日を祝う習慣はない。年をとることを祝わず、人が向上したときに祝うのだ。
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だが、むかしも今も変わらない大きな違いは、ミュータントが恐怖心を持っていることだ。〈真実の人〉族には恐怖心がない。ミュータントは自分の子供をおどす。彼らは法律や刑務所を必要としている。国家の安全でさえ他国に対する武力行為で成り立っている。この部族によれば、恐怖は動物王国の感情だ。そこでは恐怖がサバイバルの重要な役目をはたす。だが、人間が聖なる一体について知り、宇宙は偶然の産物ではなく解きほぐされつつある計画だということがわかれば恐怖を感じるはずがない。信念か恐怖のどちらかであり、このふたつが共存することはない。物が恐怖を生む、とこの部族は考えている。物を持てば持つほど恐怖はつのる。ついには物のために生きることになる。
(02.11.04)スピルバーグ監督の「テイクン(Taken)」は(たぶん)お薦めできる映画ではない
戦争やテロは、人類が潜在的に持つ恐怖心を維持し定着化させるのに、これまでのところ最も効果的な手段でした。世界では、戦争を引き起こすことを使命としているかに見える大統領や首相を持つ国があって、戦争へのテンションは(人びとの平和への願いにもかかわらず)容易に緩む気配がありません。一方、テロについては、表面的に報道されることとは別に、その背後に隠された真実があるようで、いずれすべての人が知ることになるでしょう(その時、過去を赦し人を赦すことができるかどうかが、そのさき人類が連帯できるかどうかの鍵になります)。
これに加えて、「宇宙からの脅威」を煽ることも、米ソ対立による冷戦が消滅した後で、同じ目的を遂行する「決め手」として利用される(というよりも既に利用されている)ことを警戒する必要があります。米国政府が、表向きは宇宙人の来訪やUFOの存在を否定していることなどに関係なく、エンターテイメントの名を借りれば、自由に「羽ばたく」ことができる。そして、やり方によっては、大衆を自在に操縦する道が開ける。――これがクセモノです。
アメリカのSF専門ケーブル・テレビ局「Sci-Fi チャンネル」のミニドラマ・シリーズ“Taken”の企画は、スティーブン・スピルバーグ監督を起用したこともあって、既に1999年4月頃から話題になっています。最近、イギリスのBBCが、2百万ポンド[約3億6千万円]で放映権を獲得したことでも話題になりました(制作費自体は、2千6百万ポンド[約48億円]に相当するとのこと)。「アブダクション(誘拐)」をテーマとした、この各2時間10回分で合計20時間のドラマの、アメリカでの放映は12月2日から連続で、そしてBBCの放映は来年1月になるようですが、これらを、もろ手を上げて歓迎できないのは上記の背景があるからです。
下記に、以前このシリーズで紹介したスティーブン・グリーア博士の「暴露プロジェクト」の、最新のレポート(タイトル:DDT)を紹介します。
それによると、これまで私たちが認識してきたポジティブ(ゼータなど)とネガティブ(グレイなど)の2種のETによるアブダクション・ケースに加えて、「第3ルート(人間による人間のアブダクション)」が実在するようです。「アブダクション」がエンターテイメントと結びついたとき、どれだけおぞましい映画になるか、そして異星人への根拠の無い恐怖心を大衆の心に植え付けることにならないか、これが博士の心配です。スピルバーグ監督の手腕は誰もが認めるところですが、過去の「実績(功罪相半ばする)」から判断して、私もグリーア博士と同感です。スピルバーグ監督はその名声にかけて、高い視点からの啓発よりは、興行的成功を重視するでしょう。ちなみに脚本のレスリー・ボーエムは、「エルム街の悪夢」「デイライト」「ダンデス・ピーク」など、ホラー/パニック系の作者です。
なお、「暴露プロジェクト」については、次を参照してください。
「アセンション時局」(01.11.22)「公式発表」への圧力
同(01.06.11)「UFO暴露プロジェクト」資料の日本語訳
同(01.05.28)「暴露プロジェクト」の性格と「UFO 問題」への姿勢
同(01.05.24)緊急連絡
私たちが心しなければならないのは、恐怖のタネが日々に「製造」され、この世界にばら撒かれているということです。このような状況を支配し制御する力が、まだこの地球で完全には消滅していないのです。しかし恐怖心は、単に私たちの心の産物に過ぎないので、どんな状況においても、心のコントロールによって恐怖と無縁でいることができます。そうすれば、恐怖の種は現実化することができないのです。これが宇宙の摂理です。
それでは、次(タイトル:DDT)をご覧ください。
DDT
スティーブン M. グリーア 医学博士
「暴露プロジェクト」代表
NSA(アメリカ、国家安全保障局)の元高官が、非公式にDDT―世界のほとんどの国で今では使用が禁止されている古い毒性化学物質―と名づけられた作戦のことを話してくれたことがある。
ここでの意味は、「おとり(Decoy)」「道を外させる(Distract)」そして「名誉を汚す(Trash)」で、これは、熟練した秘密工作員が使う、ある人やグループをまつりあげて、何か真正で重要なことから外れさせてしまい、それによって信用を落とすというやり方のことだ。
このやり方は、UFO関連のあらゆる局面で圧倒的なシェアを占めており、最近の例として、大げさに喧伝されている「Sci-Fi チャンネル」のスピルバーグによるミニ・シリーズ“Taken”
の売り出しがある。
昨年の晩春か初夏の頃、“Taken”のプロモーションを担当するPR会社の者がやって来て、「暴露プロジェクト」と提携したいと言う。そして、“Taken”の売り出しは「主要なメディアと腰でつながって」おり、莫大な金を使ってUFO現象を舞台正面の中央に押し出す、それによって「暴露プロジェクト」に或る種の洗練された広告宣伝活動としての機能を与える、という筋書きを聞かされた。
DDT! 「暴露プロジェクト」と連携して、その証人や証拠を“Taken”のような営利事業のワナの中に入れれば、究極のDDTプログラムが達成できよう。それは単に、厳粛な証人や証拠を、軽薄がはやる季節にお決まりの「あなた、私いまエイリアンとセックスしたところよ」
というたぐいのものの中に、ハイジャックして陥れるだけでは済まない。それは、重要な証拠、科学者そして証人を、“Taken”のような異人嫌い的タイトルの空想科学物や「アブダクション・ビジネス」全体に結びつけ、大衆の心に、地球外のすべてのものへの恐怖感を植え付けることになりうるのだ。
他ならぬフォン・ブラウンが1974年に、彼の個人的スポークスマンだったキャロル・ローシン博士に話した警告を思い出して欲しい。それは、冷戦が終わると、舞台裏で操縦している連中が世界的なテロを引き起こし更に、最終的に、外宇宙からのエイリアンの脅威をでっち上げるだろう、ということだった。ちなみに、ローシン博士がこの証言をしたのは、例の9/11の前だ。
これはどういうことかというと、宇宙からの訪問者(それも「異星人」と見まがうばかりに演じられる軍捏造のアブダクション)に対する、異人嫌いでヒステリックな戦いは、秘密の力やコントロールを好むすべての者にとって、何か得るものがあるということだ、つまり――。
軍部-産業界-研究機関-諜報機関-関係企業の複合体にとっては、今こそ戦うべき「真の」敵とのスターウォーズへの、何兆ドルもの儲かる支出だ!
映画「インデペンデンス・デイ」に出てきた、「エイリアンのケツを蹴ってやろうぜ・・・」というわけだ。
軍事体制と恐怖によるコントロールで(人間性と平和という我々の共通信条とは対照的な)世界統一を望む陰謀勢力にとっては、重要なUFOの証拠と、それをアブダクションという劣等文化に内包される作為的なニセ異星人遭遇物語につなげたものを、世間に広げて見せること以上に、その目的達成に好都合なものがあるだろうか?
大衆は、恐れを通じで簡単に駆り立てられコントロールされるもので、悪しき「異星人」が哀れなお人よしの市民をUFOへ引き揚げて、苦痛を与えたり性的に虐待したりすることほど恐ろしいことが他にあるだろうか?
本当に。
道を踏み違えた宗教的狂信者や秘密教団にとっては、永いこと世の終わりつまりハルマゲドン・シナリオの到来を待ち望んでいるので、宇宙での最終大戦ほど彼らの解釈違いの予言成就にふさわしいものはないであろう。
このように、誰にとっても何がしかのものがあるわけだ、それを買う気になる者がいればの話だが。そこでどうやるか?
優れた「ディス・インフォメーション(故意の撹乱情報)」はすべて、その中にいくつか、実在する真実の情報を含んでいるものである。真実と虚偽を混ぜれば、ウソでも信じてもらえる。そこで、異星人による恐ろしいアブダクションというシナリオに、厳粛なデータ、証拠、文書そして証人などを混ぜたものを捏造すれば、ウソがはるかにスムーズに広がっていく・・・。
何百万ドル規模の「アブダクション・ビジネス」の内部の者に何年かにわたって聞かされた話によると、人間の軍事工作員がその「ショウ(芝居)」を走らせている――実質的にその出来事をコントロールしている――ことを覚えているという、被誘拐者たちから得られた秘密の証言があるとのことだ。ヘルムート・ラマー博士などが、悪党の秘密作戦による、この市民への忌まわしい虐待について書いている。そして最も重要なことは、我々は軍や企業のインサイダーにインタビューして、彼らがこれら「異星人被誘拐者」をどうやって騙したか、そしてそれをやる理由についても、胸が痛くなるような詳細にわたって情報を得ていることだ。
真実は、ありありと見えるようなものではなく、無数の欺瞞に包まれて、ほとんど見えないようになっているのだ。
こうした軍の工作員の1人が、彼のチームが軍の中のキーマンたちをある時点で誘拐して「異星人を嫌悪することを学ばせ」、ひそかなスターウォーズへの盲目的献身を引き受けさせる手法について話してくれたことがある。
もしあなたが、何十億ドルもの黒い裏金を自由に使え、リバースエンジニアリング(注1)で造った異星人の乗り物の複製を持ち(これについてはマーク・マキャンドリッシュの証言がある)、「エイリアン」のように見える地球製の「生きもの」と、人の心を自在に作り変える精巧なサイコトロニック(注2)武器システムを持っていれば、「異星人によるアブダクション」を捏造することは、赤ん坊からキャンディーを取り上げるようなものだろう。
(注1)合法的または非合法的に取得した他者の製品等を分解・解析して、そこで使われている技術を盗用すること
(注2)心理学的手法とエレクトロニクス技術を結びつけたマインドコントロール技術
そしてお分かりのように、「真実は小説より奇なり(たとえSci-Fi チャンネルのフィクションとの比較でも)」だから、誰がそれを信じようとするだろうか?
それで、我々は試してみた。私は、Sci-Fi チャンネルとPR会社から来たスピルバーグ氏の代理人に以上のすべてを話し、もし彼らのプログラムに参加するなら同程度のことは話しますよと言ってやった。そうしたら、その後は「ナシのつぶて」という次第だ。これには驚いた(どうやら彼らは私の話を信じる根拠を持っているようだ)。
クリントン前大統領の主席補佐官だったポデスタ氏その他の有名人(その中には悲しや「暴露プロジェクト」の証人もいる)を使って、このDDT作戦は、フォン・ブラウンがはるか昔に予言した作り事の異星人脅威話を一気に立ち上げようとしている。ETやUFOの真実の証拠と軍や政府関係者のまじめな証言を、 “Taken”のような異人嫌い的タイトルの空想科学物および「アブダクション・ビジネス」が提供する強烈でおぞましい作為的体験とリンクさせることほど恐るべきものがあるだろうか?
偉大なDDTが正にそれだ。
スピルバーグ氏、ポデスタ氏、Sci-Fiの首脳陣、ジョージ・ワシントン大学、PBSのレイ・シュワレツ、またその他の方たちが、こうした事情を承知しているかどうか私は知らない。大抵の場合、DDTのディス・インフォメーション計画のプレーヤーたちは、彼ら自身が無意識の被害者であることが多い。せめて、そうであることを祈ろうではないか。
しかし、力を得たからには責任が伴なう。そしてスピルバーグ氏他は金と力を得たのだから、たとえスターウォーズやハルマゲドンを持ち上げるために創られたDDT計画に利用されているとしても、やるべき努力を果たす必要があるのだろう。
焦点はスピルバーグ氏だ。彼が、生き残った人たちの証言を記録してホロコースト(注3)の歴史を文書化した貢献を、私はずっと敬服してきた。いま私は、彼が、人類の歴史で最悪のホロコーストを起爆するのに、多分それと知らずに、利用されているのではないかと懸念している。
(注3)一般に大虐殺を意味するが、ここではナチスのユダヤ人大虐殺のこと
以上が、2002年10月24日付けの、グリーア博士のレポートの全文です。ただし(注)は私が追加したものです。
ここで一つだけ付記しますと、グリーア博士たちは、おそらく高次元からの情報は得ていない(多分関心がないか排除している)と思われます。しかしそうであるからこそ、私たちが直面している現実の想像を絶する深刻さを教えてくれるのです。したがって、高次元からの情報を含めないことは博士たちの活動の価値を何ら損なうものではなく、そうでなければ(世界の現状では)この現実世界で広く賛同を得られることにならない――という事情を理解する必要があります。
(02.09.17)「景気」絶滅宣言
アメリカの「バブル」が崩壊したいま、ついにこの地球から「景気」が完全に「絶滅」しました。もともと「景気」は、先進資本主義経済に特有の現象で、日本やヨーロッパでは既に「絶滅済み」でした。アメリカだけに「バブル」という形で残っていたのです。一方、途上国の経済成長は「景気」には該当せず、世界規模で経済(つまり地球への人間のかかわり)のレベルを平準化するエネルギーの現れで、時代の流れの一環です。地球の容量を考えれば、(これまで奪い過ぎた)先進国が「減速」や「縮小」を避けることができないのは当然のことで、実際にそうなるでしょう。
いま世界は、ものすごい勢いで変化しています。多くの人が、意識的にまたは無意識的に、この変化に参画しています。そして、時代の本流を創っています。表面的に少しも変わっていないように見えるのは、この世界で声の大きい人たちが、つまり私がいう「牢固な分離思考者」たちが、変わっていないためです。経済に関しては、「景気」の「絶滅」に気づいていないし、気づく気配すらありません。政治家やその周辺の官僚、学者・評論家また経営者団体の関係者などのほとんどがこれに該当し、マスメディアがそれらの声を代弁しているので、あたかも彼らがこの世の動きを決めているように見えるかもしれません。しかし実際は、彼らは時代の流れの外にいるのです――それと知らずに。
日本で「バブル」が崩壊した1990年から現在までの経済の真相については、下記でほぼ完結しています。これらの著作は、異変を感知しているけれど、流れの方向をつかみかねている人びとの、確信の形成に寄与するためのものです。「牢固な」人たちがこれを読んでも、おそらく頭脳が受け付けないでしょう。しかし、それは問題ではありません。この人たちは、時代の流れを変える力を、もはや持っていないのです。
1.復刻版「タスマニアの羊」(1)02/7、同(2)02/9――『タスマニアの羊』春秋社、93/11
2.景気はタスマニア・タイガー(1)98/2、同(2)98/3――『混迷の星』風雲舎、99/7
3.いま経済の深層で何が起こっているのでしょうか?(「時代の分水嶺」第1回)2000/7――『アネモネ(時代の分水嶺)』ファーブル館、2000/5
(02.09.16)衰えない太陽活動
2002年も残り3ヵ月余となった今、典型的に11年の周期を持つ今回の太陽活動(第23周期)は、従来のパターンに従えば、2000年中ごろとみられる活動ピークの、3分の2程度まで減衰していなければなりません。しかし現在の太陽活動は、「太陽黒点数」と「太陽電波強度」のいずれを見ても、ピーク時に近い活動水準にあり、このシリーズ(アセンション時局’02)で過去2回にわたって紹介してきた状況は、本質的に変わっていません。
(02.04.11)太陽の挙動をフォローしよう
(02.01.26)決定的な証拠
ところがNOAA(アメリカ海洋大気圏局)は、上記で紹介した、毎日の黒点数と電波強度の連続した2ヵ月分をプロットしたグラフの掲載をやめてしまったようです。1日遅れで最新の状況が見られるものだっただけに残念なことです(まだ「店じまい」する時期ではないはずですが)。ナマのデータ自体は、今でも入手可能ですが、とりあえず下記の月別推移(および移動平均)をプロットしたグラフをフォローすれば、大体の傾向はわかります。
(Solar Cycle
Progression)www.sec.noaa.gov/SolarCycle/
科学者たちは誰一人として、この太陽の特殊な挙動の原因を「説明できない」でいますが、それは無理もないことです。なぜなら、いま太陽で、そして地球で起こっていることは、この銀河宇宙全体の変容(アセンション)への序曲であり、その一環として銀河の中心核から強大なエネルギーが放射されており、太陽はその影響をまともに受けているからです(太陽も、地球と同様にアセンションしています)。地球の科学者たちが、これを観測「できない」ことはありえないことです。上の「説明できない」は、「公表できない」と言い替えた方がいいかもしれません。
(02.07.26)[宇宙暦]新年の挨拶―「現実の融解」に備えよう
一見強固なものに見えるこの現実は、私たちの集合意識の産物で、その実態は、いわば幻想です。集合の意識が大勢として固定している間は、現実は一見安定的で、地球の科学の物理法則に揺らぎなく守られているように見えます。しかし、意識が本質的な変化を始めると、現実は持ち堪えられなくなって、その融解が始まります。それが、これから起こることです。
物理法則が通じない世界が、じわじわと広がっていくでしょう。地球の科学の物理法則自体も、「幻想」に立脚しているからです。この3次元世界の普遍的な物理法則は、「集合意識が現実を創っている」という事実だけです。その変化を引き起こすには、集合意識を形成するすべての人類の意識が同時に変わる必要はなく、「臨界の達成」のために必要な人員は、おそらく数パーセント以下で足りるでしょう。いったんこの変化が起動すると、変化が変化を呼んで、加速的に事態が進行するでしょう。人類の想念の大混乱が避けられないでしょう。
それに備える唯一の方法は、自分自身をアセンションに向けて加速させることです。加速させるためには、自分に掛かっているかもしれない「ブレーキを外す」必要があります。多くの場合、ブレーキになっているものは、教育機関やマス・メディアによって植え付けられた固定観念、または個人的な執着や古いしがらみでしょう。それらを自分で点検して、1つひとつ外していく必要があります。この夏を、そのチャンスととらえて、秋からは、意識も行動も「ハイウェイ」に乗れるようにすることを勧めます。日和見や二股掛けの姿勢では間に合わないでしょう。
表面的に何が起こっても、この世界が良い方向へ(分離から統合へ、ヤミの支配から完全な主体性と自由そして恒久平和へ)向かっていることは否定できない事実です。常に大局を、時代の本流を見失わないようにしたいものです。
本年(「11Ik」の年)のカレンダーは、下記を参照してください。
1. 年間カレンダーは、「宇宙暦[11Ik]」
2. 各月のカレンダーは、「Calendar11Ik1、Calendar11Ik2 、Calendar11Ik3 、Calendar11Ik4 、Calendar11Ik5 」
3. 解説は、「宇宙暦の解説」に加えて、「アセンション・オンゴーイング[第3回]新しい《時》を泳ぐ」および「Q&A’02c」(02/03)《宇宙カレンダー》の急所
なお、「各月のカレンダー」で参考表示してある秋分・冬至・春分・夏至および満月・新月は、日本標準時(JST)のものですから、それ以外の地域では、それぞれの地の暦によって補正する必要があります。
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